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夜の帳が降りる頃に  作者: 白米おしょう
第5章 おはようの朝はまだ遠くに
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第5章 28 あなたが居てくれて良かった

 

 ※




  当事者である私にその記憶は、あまりにも胸が痛くて…一人病室を後にするヨミの心神喪失の具合は、私の心を締め付けた。


  --再び霞かかった記憶がゆっくりと進み出す。

  いつの間にか誰もいない図書館の隅っこで、ヨミは一人座っていた。

  いつものように読書に耽るでもない、ただどこでもない空を眺めて…小さな木の椅子に深く座る彼女の姿が小窓から差し込む日の光に照らされて光っている。


  「…探した。」


  振り返ってくるヨミの顔が私を捉えていた。

  音のない図書館で、木の床を踏み鳴らす私の足音だけがコツコツと反響して響く。私はまたしても授業をサボっている友人に、何か言葉をかけるわけでもなく対面に腰掛けた。


  しばらく向かい合った二人の間に無言の停滞が訪れる。

  どれくらいそうしていたんだろう?先に口を開いたのはヨミの方だった。


  「…休憩終わり。授業始まったよ?」

  「じゃあ、あんたも立ちなさいよ。」


  なるべくなんでもないみたいに振舞っているのが自分でも分かる。私はこの時、全てを把握していたから。

  否、全てでは無い。あの『サイコダイブ』の結果だけだ…


  「……そんな気分じゃないんだ。」

  「あっそ。じゃあ私も。」


  普段馬鹿みたいに真面目な私のそんな態度に、ヨミはびっくりしたように私を見ていた。それが友人の気遣いだと気づいて、少しバツが悪そうに俯いた。


  「…ハルカ。」

  「ん?」


  何をするでもない時間の沈黙は、またしてもヨミに破られる。上目遣いに私を見つめてくる彼女の目の周りは、少し赤くなっていて、私は驚いた。

 

  こんなヨミの顔は、後にも先にも初めて見た。


  「…ごめん。気、遣わせてる…」

  「…別に?私があんたと居たいだけ。」


  私の方も、そんなヨミの表情に動揺し、視線を無意識のうちに逸らしていた。窓の外の空は、嫌味な程によく晴れている。


  「…私は、フウカ先輩になんて謝ったらいい?」

 

  この子は察しがいい。どうして私が自分に寄り添っているのか、私がどこまで知って付き合っているのか、いつも察している。

  だから、私たちの間にこういう時、無駄な会話は必要ないんだ。


  「…さぁ、普通に謝ればいいんじゃない?ごめんなさいって。」

  「…普通に謝るってなに?普通が分かんないな。」

  「謝る時点でやることはごめんなさいって頭下げるだけよ。」


  私とヨミの二人の記憶をなぞるように、あの日のやり取りが紡がれていく。

  これがヨミの記憶の中--もう過去のことと解っていても、私の胸は火箸で突っつかれてるみたいに痛む。


  「……そっか。」

  「……ヨミ、何があったか、話してくれる?」


  私のデリカシーのない言葉にヨミは無言で首を横に振った。

  尋ねてから自分を責める。何があったのか?では無いのだ。結果として残った事実が、繰り広げられただけなのだ。


  「……フウカ先輩、言ったよね。一緒に潜った『ダイバー』が壊れたら、私らのせいだって…」

  「……。」

  「いつか私達もまた同じことをするって、そんな説教受けて、その本人をやらかしちゃったよ…私。」


  思考がぐわんぐわんと激しく揺れる。唐突に頭の中でじわじわ広がっていく頭痛が、まるで海みたいに満ち干きして私の精神を傷つけていく。


  ヨミの記憶の中で、私は私の記憶に触れている。

  私の後悔--私の罪。


  『--仕方ないこともあるわ。謝ってもフウカ先輩は帰ってこないし、私たちにできることは…』


  私の中で私の声が、ヨミに語りかける。その声は声として吐き出されることはなく、“私の”記憶の中で紡がれていく。


  『フウカ先輩だけが、特別じゃない…いっぱい戻ってこない人はいる…だから……』


  私は私の声に犯される。

 

  目の前のヨミの記憶は、緩やかに凝縮された時間が流れている。停滞した世界の中で私は混乱した。私の記憶の中だけ時間が進む。


  --おかしい。


  ヨミを見つめる私の思考が混乱する。唐突に訪れた異変は、唐突ではなく、少しずつしかし確実に現れていたのだ。


  今ヨミの記憶を漂う私はヨミを見ている。今まで、ヨミの記憶を--トラウマを追っていた私はヨミの視点でものを見て、感じていたはず…


  なのに今、私はヨミを見ていた。つまり、私はヨミの記憶の中で、私自身--あるいは第三者としてこのヨミの夢を見ている。


  --図書館からだ。


  私とヨミが共有する記憶。

  ヨミの中で同じそれを見ていた私が、ヨミの夢の中で夢を見ている?


  考えるほど思考が沸騰してフリーズする。その中で私の頭の中では、私がヨミにかつてかけた言葉を繰り返し聴いていた。


  『フウカ先輩の順番が…来ただけよ。だから、あなたのせいじゃない…』


  なんで、あんなことを言ったんだろう?


  この時、初めて見るヨミの顔に私は動揺した。フウカ先輩の廃人となった姿にも、大きなショックを受けた。

  ショックだったからこそ、ヨミにこれ以上考えて欲しくなかった。だから言ったんだろう。

  特別なことじゃないと、あなたは関係ないと、もう忘れろと--


  『……フウカ先輩の言ったこと、気にしてるんなら…もう忘れなさい。』


  彼女の言葉を、忘れろと--


  『……ハルカ。』


  時の止まった夢の中でヨミの声が頭の中にだけ響く。その声は、初めて聴いた、たった一度の、彼女の微かに震えた声音--


  『……ハルカがいてくれて……良かった。』


  --違う。


  そんなことじゃない。

  私がこの子の為にしてやらなきゃいけないことは、こんなことじゃない。


  ヨミの背負ったものは、表面では忘れても、こうしてずっと楔として打ち込まれたままだ。

  忘れようとなんてするから--だから余計に腐敗して、心の底で犯される。


  私はなんて言った?ヨミの中に飛び込む前に--


  --あの子が自分の過去に苦しんでるなら…それはもう、あの子が乗り越えるしかないわ。


  忘れなくたっていい。あの人は言ったじゃない。“約束だ”と…


  ヨミが乗り越えればいい。フウカ先輩が教えてくれたように、責任を感じているのなら自分でいつか乗り越える。


  ヨミは強い。だから…


  それまで、支えてあげればいい。


  私の言葉なんていらない。私が居て良かったなんて言葉もいらない。


  傍にいたなら手を添えて、遠く離れていても見守ってやればいい--


  だから、手を伸ばせ…


  実体を失ったはずの腕に力が籠るのが分かった。

  ヨミの記憶の中で、止まっている時間の中で、凍りついた時を無理矢理突き破るみたいに、ヨミの方に手を伸ばした。


  「--え?」


  気づいたら、対面のヨミの顔に触れていた。

  白くて柔らかい頬を、私の指がそっとなぞる。フウカ先輩と違って、血の通った、温かな、確かな生命の熱を持った感触が、私の身体に伝わった。


  壊れ物を触るみたいに、ゆっくりと、優しく…傷つけてしまわないように触れていき、その存在を実感する。


  --大丈夫よ。ヨミは…ここにいる。


  「…ヨミは、どうしたい?」


  私が紡ぐ言葉が空気に溶けて、停滞した時間が解凍する。記憶とは異なる、二人の夢の時間が一歩一歩進み始めた。


  「……どう、したい?」

  「…フウカ先輩に、謝りたい?それとも、もう忘れたい?」

  「……。」

  「いいように、しよう。あんたが起きたらさ、二人で…私はいらないかもしれないけど…私に、あんたのこと支えさせてくれない?」


  剥き出しの精神から紡がれる言葉が、深く深く夢の世界に溶けていく。

  いつしか記憶の旅路は醒めて、私はヨミと二人、深い水の奔流の中で向かい合う。


  「…大丈夫よ。あんたは強いから…それに、今はいっぱい、賑やかになったしね。」

  「……ハルカ。」

  「だからいつまでも不貞寝してないで、起きなさい?待ってるんだから…」


  待ちくたびれてこんなところまで起こしに来た…いい迷惑だ。


  目が覚めたら、いつもみたいに怒り飛ばして…そうだ、シオリと二人、纏めて説教だった。

  だから…


  「あんたはひとりじゃないわ。フウカ先輩も、ちゃんといる。あんたの中にちゃんと居た。だから、そろそろ一人の夢の時間は終わりよ?」

  「……。」

  「…帰ってきて?私たちのところに…」


  激しく流れる濁流の中で、まるで世界から切り離されたみたいに私とヨミだけが漂っている。

  流れに触れることなく、二人だけ…


  深く深く--他の一切を排した、ヨミの深淵で…


  「……ハルカ。」


  だからこそ、言葉を紡いだ。必死に。ヨミの相槌も挟ませずに…

  怖いから…ヨミの一番深く、一番底で、彼女の口から何が飛び出すのか、怖かったから。


  でも、それでも、私はあの子の言葉を待った。

  ちゃんと、聴きたいから。今度こそ、後悔のないあなたの答えを--


  「……ハルカが居てくれて…、みんなが居てくれて、良かった。」


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