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夜の帳が降りる頃に  作者: 白米おしょう
第5章 おはようの朝はまだ遠くに
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第5章 26 赤い舞台

 

  真っ直ぐ落下するヨミを追いかける椅子の残骸たち。槍の雨を前に手の肉切り包丁を盾に構えるがあまりに頼りない。


  そんな木製の槍の雨粒が、一本残らず鉛弾に空中で弾かれた。


  クラシックなライフル銃から一息に放たれる無数の弾丸。その早業に受身をとって着地しながら見惚れる間もなく、ヨミは地面に身体が着くか着かないかの時点でフウカ先輩に引っ張られる。


  「距離を取れと言ったでしょうに…」

  「……っ、私は遠くからじゃ攻撃出来ない!」


  座席を盾にするようにしゃがんで疾走する二人を『ナイトメア』は執拗に追う。

  自らの体を分解していき細かい椅子の破片は即席の投擲槍に変化する。

  空中で装填されるそれがガトリング砲の弾のように走り抜ける二人に順々に発射されていく。

 

  走る二人を追うように、背後の観客席が爆ぜていく。背中にしがみつく死神に、ヨミは息をするのも忘れてフウカ先輩について行く。


  その間もフウカ先輩は、座席の隙間からライフルを撃ち込む。しかし、そもそも不定形な残骸の集合体にはいまいち効果がない。


  「……さて困った。」

  「どうするんですか?」

  「さてね、簡単に攻略法が思いつけばピンチにはなりません。」


  ピンチなの…


  フウカ先輩の珍しく弱気な発言。ヨミの中で不安の種が芽吹く。

 

  そんな一瞬の弱みを目敏く見逃さないように、『ナイトメア』はいやらしく自身の作戦を完了した。


  突然背後で膨れ上がる影に、二人はそちらを振り返る。

  二人の背後、撃ち込まれていた『ナイトメア』の体の一部たちは、着弾地点で着々と集合、合体を続け、体積の半分近くが撃ち出された時点で二人の後ろで新たな体を形成していた。

  つまり、分身だ。


  客席側に突如降り立った演者はマナー知らずな観客に容赦のない暴力を振るう。


  振り上げられた残骸の腕に、ヨミが包丁を構えるが、押しのけるフウカ先輩がライフルを盾にする。

  が、頼りない二人の守りを貫いて、振るわれる豪腕が薙ぎ、ヨミとフウカ先輩を吹っ飛ばす。


  全身を打つ衝撃と、確実にへし折れたあばら骨。

  身体の内側、触れられない位置に重く居座る激痛が実に歯がゆい。


  --彼の繋いだ手のひらは、両親であろう夫婦と、女の子に挟まれて温かく体温を受け取っている。

  日本人じゃない。仲睦まじく訪れた劇場で、彼の視界の中で舞台で物語を紡ぐ演者たちが雅に舞う…


  「っがっ!」


  空中を吹っ飛びながら、輝いた記憶を共有するヨミの頭が割れるように痛む。

  それは、頭から舞台に叩きつけられた痛みか、覚えのない記憶を無理矢理詰め込まれたからか…


  「…っ、なかなか、素敵な思い出ですね…」


  隣で同じようにかっ飛ばされたフウカ先輩は、かろうじて受身をとって舞台の上に着地する。

 

  …身体は動く。


  五体の無事を喜ぶ暇はない。

  休む間もなく、壇上で待ち構えていた残った半分の『ナイトメア』の体がヨミの方へ襲いかかる。

  歪に組み替えられた腕はノコギリみたいで、噛み付く獣の上顎みたいにヨミを狙って振り下ろされる。


  「……っ!」


  フウカ先輩がライフルを連射する。けれど、何度砕けてもその勢いは止まらない。どころか、鉛弾に切り離された木片は、細かな礫となって後方のフウカ先輩に飛んでいく。


  「…っなかなかに、ねちっこいっ!」

  「フウカ先輩!」

  「前を見なさい!」


  人差し指の爪位の大きさの礫を二十、三十と薄暗い壇上で全て躱していくフウカ先輩。その身のこなしは本当に演者が演目を演じているようだ。


  見惚れる暇はない。

  振り回される豪腕を、ヨミは肉切り包丁で受け止める。

  しかし体格差は絶望的。簡単に押し切られたヨミの身体は紙切れのように、吹っ飛ばされて床に叩きつけられる。


  --共に演劇を楽しむ少女は家族じゃない。

  特別な感情を抱く彼女との夢の一夜--その日の演目はいつも以上に輝いて見えた。


  「…くそっ!」


  着々と溜まっていくダメージに動きが重くなる。

  立ち上がるのを待たずに振るわれる残骸の腕から、引っ張るようにヨミを逃したのはフウカ先輩。

  目の前で肌を叩く空振りの猛風。寒気を覚えながら追いすがる追撃をフウカ先輩に突き放される形で何とか回避。


  一気に形状を変えて、細く鋭くなった腕がフウカ先輩を狙って突き出される。

  細かに振動、回転する木片の連なった刺突は、かろうじて直撃を避けたフウカ先輩の頬を浅く切り裂いた。


  たまらず距離を取るフウカ先輩が、空中で刺突の連撃を躱しながらライフルを撃つ。舞台に放たれた鉛弾は疾風となり真っ直ぐ『ナイトメア』を突き抜ける。が、やはり効果はない。

  一陣の疾風も、吹き荒れる旋風にかき消され、続く二発、三発目は『ナイトメア』に届くことなく叩き落とされる。


  「…っ!」


  『ナイトメア』がフウカ先輩に追いすがる横から、ヨミが『ナイトメア』の細い腕に包丁で斬り掛かる。

 

  多分切り離しても意味は無い。でも他にどうすれば…


  そんな考えすら甘く、高速で振動する木片の集合体は、ヨミの包丁を弾くばかりか、触れた瞬間叩きおった。


  「…っ!?」

  「ヨ--っ!?ミっ…。」


  弾かれたヨミの晒す隙をカバーしようと走るフウカ先輩が、壇上で背中から串刺しにされた。

  背中に突き立つのは、先程飛んできていた木製の槍。

  観客席側に留まっていた残り半分が、フウカ先輩目掛けて舞台に一斉射出されていく。

 

  「フウカ先輩!!」


  助太刀に入ろうとすぐに駆け寄ろうとするヨミの動きは実に読みやすく、横から突き出された刺突の一撃は、ヨミの横腹を簡単に刺し抉った。


  頭が内側からパンクせんばかりの勢いの記憶と感情の流入--


  大好きだったあの子は燃える家の中で息絶え、その時の痛みと喪失感が我がもの顔でヨミの--傍観者たる私の胸を抉る。


  あの日一緒に観た輝く舞台は、永遠に泡沫の夢に消えたのだと、煌々と燃える炎が思い知らせる。


  --吐き気がするような、最悪の痛み。胸に空いた喪失感の穴は骨まで凍らせるほど寒かった。


  「--カッ!!」


  口から生暖かい血が吹き出して、焼けるような痛みが横腹で爆発する。貫かれ、掻き回された傷口から噴火のように血潮が零れ、舞台を赤く染める。

  倒れ伏すヨミの視界の端で、フウカ先輩が歪な槍に貫かれ壇上に縫いとめられている。

  手のウィンチェスターライフルが滑り落ちて舞台に思い音が響く。


  ……強い。


  『サイコダイブ』初心者のヨミが、初めてぶつかった本物の“強敵”。わたしの脳裏にあのうさぎの『ナイトメア』が思い起こされた。


  芋虫みたいにもがくヨミの目線の先で、まるで断罪人みたいに貫かれたフウカ先輩を、『ナイトメア』が嘲笑うように見下ろす。歪な体が動く度に不快に軋み、出来の悪い演目を嘲笑する。


  「…なる、ほど。素敵な……思い出です。」


  それでも、フウカ先輩は不敵に笑っていた。

  百舌鳥に捕らえられた獲物みたく、枝に突き刺された餌のように、床に力なく腕を垂らしたフウカ先輩がその手を床にしっかりつける。

  広がる血溜まりから引き抜いたのは、これまた古臭いフリントロック式の拳銃。

  カリブの海賊が振り回すようなアンティーク武器を、目の前の『ナイトメア』に向ける。

  すかさず飛んでくる観客席からの『ナイトメア』の投射が、そんな得物を弾き飛ばす。


  「…っ!ヨミ!!走りなさい!!」


  フウカ先輩の怒号が地泡と共にヨミを叩く。それに打たれたように、反射的に、考えるより早くヨミは動いていた。


  ただ命じられたように、ヨミは床を蹴った。

  その時、ヨミの胸中を占めたのは、ただ“走る”それだけ。フウカ先輩の強制力すら感じる声にヨミは思考を捨てて従っていた。


  当然、逃げる得物を逃すわけはなく…壇上の『ナイトメア』が力なく走り出すヨミを捉える。

  させじと縫いつけられたフウカ先輩がフリントロック式のピストルを『ナイトメア』に叩き込む。脚部を撃ち抜かれた『ナイトメア』にダメージはないが、それでも動きは一瞬止まった。


  が、問題にならない。今のヨミは壇上でただもがく獲物に過ぎず、演者の主役は獰猛な捕食者--瀕死の獲物が逃げおおせるシナリオなど、この舞台には用意されていない。


  見苦しい演者に野次を飛ばすように、観客席に残った残りの『ナイトメア』が即席の槍となりヨミに一斉に射出された。

 

  身動きの取れない身体で必死にピストルの引き金を引くフウカ先輩。一発撃っては捨てて、次のピストルを引き出す。

  そんな動作を一息の間に連続して行う。正確な射撃は全てとはいかずとも、ヨミに迫った槍のいくつかを弾き飛ばす。

  それでも、何本かはヨミの体を穿って彼女の動きを止めた。

  撃ち抜かれたヨミの身体が弾かれて壇上に転がる。血の足跡が点々と舞台を汚し、そんな血の一滴一滴がヨミの命の源。

  じわじわと確実に命を零していくヨミの体が徐々に冷えていく。


  表現しようのない寒さがヨミを介して私にも伝わる。このままじゃ…


  「…素敵な、夢を…ありがとう。」


  フウカ先輩の口から血とともに笑みが零れた。

  まるで劇を締めくくるように、誰もいない観客に贈る言葉のように、フウカ先輩はそんな台詞を紡いだ。


  直後、彼女はまたしても何かを血溜まりから持ち上げた。もはやもがくしか出来ない獲物の挙動を、『ナイトメア』ばじっと眺めている。


  取り出されたのは、酒瓶だった。


  満タンに瓶の中で揺れるそれを、フウカ先輩は天井高くまで放る。放物線を描き床に向かって落ちていく酒瓶を、ヨミも『ナイトメア』もただ眺めている。


  夢の世界に仄かな熱と光が点った。それはフウカ先輩の手に握られた使い捨てのライターの、ちっぽけな火だった。


  『ナイトメア』が動く。みるみる変形し、させじとその巨腕を瀕死の獲物に向かって振り上げた。


  しかし、遅い。フウカ先輩はもう、ただライターを床に落とすだけで良かった。


  床に叩きつけられ、ぶちまけられる琥珀色の液体に、オレンジの火が灯る。

  それは一瞬の間も置かず酒を伝って板張りの舞台を駆け抜けた。

 

  煌々と燃え上がる炎は、まるで精神汚染で見たあの火事の火みたく、瞬く間に舞台を包み込む。慌てて壇上から転げ落ちたヨミが、舞台を見上げた。


  『--イヤァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!』


  バリンッと、夢の世界の天井が激しく熱せられたガラスみたいにひび割れる。

  燃え盛る炎の舞台で絶叫をあげる『ナイトメア』が、眩しいくらいに燃え上がり、自らを薪として舞台を赤一色に染め上げた。


  壇上、炎のドレスを纏い踊り狂う主演--幻想的な夢の舞台の赤い幕が、ゆっくり降りていく。


  「…よっと。」

  「…っ!フウカ先輩…」


  炎の中から、何食わぬ顔で降りてきたフウカ先輩がヨミの隣に並び立つ。自分で放った火だからか、フウカ先輩には火傷の気配はない。

  全身穴だらけながら、そのいつも通りの気丈な姿に大きな安堵が広がっていく。一気に気が抜けてヨミはその場に崩れ落ちた。


  「…無茶をさせました。」


  そんなヨミの隣に腰を下ろして、フウカ先輩は笑う。


  「でも、上出来です。」


  二人して地べたに座り込んで、燃え盛る舞台を見守る。

  実に酷い、最悪な出来の三文芝居を--


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