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夜の帳が降りる頃に  作者: 白米おしょう
第5章 おはようの朝はまだ遠くに
108/214

第5章 24 先輩が教えてくれたこと

 

 ※




  --世界の崩壊と共に訪れた朝はひどく寂しく、そして胸に毒のように残り続ける記憶の棘となりヨミの心に突き刺さった。

  夢と現実の狭間も曖昧なまま迎える目覚めは目覚めと認識するのに時間を要する。


  私の--ヨミの胸中を締め付けるのは、焦燥と、罪悪感。

  ヨミは一刻も早くそれを解消せんと、部屋を飛び出していた。


  飛び飛びの記憶の光景。映るのは駆け抜ける廊下の景色。寝汗にまみれた肌が廊下を走ることで冷たくじっとりと冷やされていくのが記憶に強く焼き付いているようだ。

  その汗は異様に冷たい…


  --あなたが足を引っ張りました。だから彼女は死ぬ。


  「……っ。」


  “死ぬ”という言葉がヨミの中で心臓を締め付ける。

  夢の世界で“死”というものを、明確に意識した。それが嘘であれと、ただの勘違いであれと、走りながら願った。


  「--っ先生!」


  走り抜けた先、ヨミは医務室の扉を勢いよく開けていた。

  ノックもせずに入ってくるヨミの姿にフジムラ先生も、先生のカウンセリングを受けていた生徒たちもギョッとして振り返る。


  「……ヨミ?」


  その中に私もいた。

  覚えている。あの日のことだ。私自身の記憶と、ヨミの夢の光景がダブってくる。


  「あんたどうしたのよ。そんな慌てて…ていうか、寝間着?せめて着替えて…」

  「どいてハルカ。」


  身支度も整えずに飛び込んできた友人に、私は歩み寄って何事かと尋ねるが、余裕のないヨミはそんな私を突っぱねた。


  「…先生。昨日…っ、昨日私と潜った『ダイバー』は…」

  「どうしたどうした?落ち着け。フウカのことか?それならまだ来てな--」

  「違うもう一人!」


  ヨミの剣幕にその場の全員が固まる中、私だけがヨミの肩に手を置いた。私の手が触れて、強ばった彼女の身体が僅かに弛緩する。

  その時触れた肌が妙に冷たかったのはよく覚えている。


  「落ち着きなさいって…どうしたの?なにかあったの?」


  私はこの時ヨミに踏み入った質問をしたんだと思う。けど、後悔はなかった。

  フウカ先輩のことをよく知るきっかけになった、何より--私のかけた言葉が、行動が、不安定になりかけたヨミの拠り所になったから…


  ヨミは医務室から飛び出した私の背中を見送りながら、すぐに後を追いかけていた。


  また記憶が飛び飛びになる。曖昧な映像が続く。

  でも、私は覚えてた。しっかりと。

  あの時私を支配した感情の熱は忘れてない。きっと今聞いても、同じ激情に駆られる。

  ヨミから『サイコダイブ』の話を聞き--フウカ先輩からかけられた言葉を聞き、私はどうしようもない怒りに襲われていた。

  じっとしていたら内から爆発しそうな感情を抑えるために、私は寮を駆け回った。


  不明瞭な記憶が飛び、気がつけばヨミの視界で私とフウカ先輩が向き合っていた。


  --場所は寮と学舎の間の中庭。

  日の隠れた曇天、灰色の空の下で、私はフウカ先輩に今にも殴りかからん程の剣幕だ。対するフウカ先輩は覚めた目で私とヨミをぼんやり眺めている。


  「…無事でしたね。ヨミ、結構。気分はどうですか?」

  「……あなたのせいで大分悪いみたいですよ。」

  「…ハルカだよね?君も気分は--」


  私は短気で考え無しだ。

  フウカ先輩が社交辞令のような挨拶を口にするより早く、私の張り手がフウカ先輩の顔に飛んでいた。

  乾いた音が私たちしかいない朝の中庭に響いた。その光景にヨミが心底驚く。


  私が他人に張り手をかます--そんな暴力的な光景は想像しなかったようだ。


  「……痛いです。」

  「…昨夜、ヨミに夢の中で何を言ったんですか?」

  「……?」


  私の言葉にフウカ先輩は本当になんのことか分からないといった風に首を傾げた。その表情に、後輩から殴られたことへの怒りは見てとれずヨミは少なからず驚いた。


  「…昨夜、先輩達と潜った『ダイバー』は…」

  「…ああ、そういう…」


  私の呟きにフウカ先輩はようやく合点がいったという風に頷いて、私の後ろの私--ヨミと目を合わせた。


  「ヨミ。あなたも会いに行きますか?後で行こうと思ってたんですが…今入院棟に入れられてるようで--」

  「ヨミのせいで、そうなったと?」


  私を無視してヨミに言葉を投げるフウカ先輩に、私はカッカッしながら噛み付いた。


  「ヨミのせいで、その人が壊れたって?そういったんですか?」

  「…言った。」


  あっさりと、なんでもないように私に返すフウカ先輩の言葉が、空気を凍りつかせるみたいに冷たい温度で私たちの間を吹き抜けた。

  再び放たれたその言葉--突きつけられた自分の“責任”にヨミの心臓がゆっくり糸で絞られるみたいに締め付けられる。

  本人の前でこんな話題を蒸し返すあたり、私は本当にデリカシーがない。


  「事実ですから。」

  「……っ!」

  「彼女一人なら、無事に帰ってきたでしょうし…」

  「…っ!あなたはっ!」

  「ハルカっ、もういい--」


  いよいよ感情の抑えが効かない私を見かねてヨミが割って入る。それを押しのけて私は噛み付いた。


  「どうしてそんなことをっ!それを言うなら、あなたの責任でもあるんじゃないの!?自分だけ人を傷つけるみたいな物言いして、その澄ました顔はなにっ!?」


  蚊帳の外の--部外者からの、遠慮も深慮もないノーデリカシーな口撃。決して口にしてはいけないその暴言。私は当時の自分の無神経さに嫌気がさす。

 

  友人を傷つけられた、ただそれだけが頭を占め、私は目の前の彼女の心情のことなど眼中に無い。

  そんな私に--あまりにも若く愚かな後輩の言葉に…


  「もちろん、私が殺したも同然です。」


  あまりにもあっさりと、息でも吐くみたいに肯定する。


  「私…私“たち”の無能が彼女を殺した。ヨミが足を引っ張り、私が遅れた。だから招かれた事態です。澄まして平気な顔に見えるのは、生まれつきこういう顔なので…」


  反論でもなく、かと言って罪悪感を吐露するでもなく、ただ肯定して淡々と告げる。その私たちとの温度差に、私もヨミも凍りついた。

  自分のせいと言いながらも、まるで他人事のように無感情に告げるその精神性に寒気が走る。当時のヨミも、当時の私も、きっと同じ悪寒を感じた。


  「…ちょうどいいので、あなたも一緒に行きませんか?お見舞い。」

  「…え?」


  固まる私に唐突の提案。間抜けに口を半開きにする私に、フウカ先輩はただ淡々と--


  「あなたも、誰かを殺しそうなので…」




 ※




  もう直に始業の時間だが、ヨミたちはその足で入院棟を目指す。

  相変わらず靄がかかったみたいな記憶の中で、始業のベルだけが鳴り響く。授業に間に合わなかったのは、覚えているみたい。


  一瞬の瞬きの後、ヨミたち三人は病室の前に立つ。


  開け放された扉の向こうを、三人で並んで廊下から眺める。覗く病室内では、ベッドに腰掛けた少女がぶつぶつとなにかうわ言を呟いている。


  病室にはフジムラ先生も居た。先生は私たちに「部屋に入らないならいい。」という条件付けで見舞いを許可してくれた。


  「--私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私。」

 

  夢で出会ったあの少女は--勇ましく夢で駆けていたあの少女は、廃人になってしまっていた。


  正面に立つヨミたちを真っ直ぐ見据えた瞳は生気がなく乾いている。瞬きひとつしない灰色の目はまるで人形の瞳で、壊れたように同じことばかり呟く姿はまるで虚ろな腹話術人形だ。


  「…私たちが殺した。そして、ハルカ。君もいつかこんな風に誰かを殺します。」

 

  廃人となった彼女を見つめて言葉も出ない二人にフウカ先輩はそう告げた。それに対してフジムラ先生がなにか窘めるようなことを口にしたが、よく聞こえない。多分、ヨミの中には入ってこなかった。


  記憶の中に確かに刻まれていたのは、壊れた少女の呟きと、フウカ先輩の声だけだった。




 ※




  暗転した視界から一点、三人は再び中庭に戻ってきていた。

  あの時は、そのまま授業に出る気分になれなかった。あとでマザーに怒られたのを覚えている。


  ヨミの記憶、ヨミの視界--それらを押しのけるみたいに、廃人になってしまった彼女の灰色の目がずっとこちらを睨んでいる。頭から離れない壊れた瞳は、私たちが初めて触れた『サイコダイブ』の恐怖--『ダイバー』の成れの果てだ。


  それを教えてくれたのは、フウカ先輩だったんだ…


  「…彼女は死にました。」


  呆然と中庭のベンチに腰掛けるヨミと私に、フウカ先輩は淡々と告げていた。


  「…死んでは、いません。」

  「いいえヨミ。ああなってしまっては、死んだも同じ…ヒトは体のメカニズムだけで生きているわけではありません。」


  フウカ先輩は、ヨミの胸にそっと触れて、真っ直ぐこちらを見つめて言った。


  「ある意味、体よりずっと脆い……心を持って生きています。心が死んだなら、もう死んだも同然。」

 

  朧気な記憶の中で、その言葉とフウカ先輩の顔だけは、しっかりはっきりと頭の中に入ってくる。ヨミが、決して忘れることの出来ない記憶--


  そして理解した。彼女の--フウカ先輩の顔を見て。

  この人はしっかり、向き合っているんだと。


  「優しい言葉をかけて慰めるのだけが、優しいということだとは思いません…むしろ、そういう優しさは本当に大事なことを曇らせる。私は『ダイバー』になってまだ一年ですけど、いっぱい、見送りました。」


  疲れたような、影を孕んだフウカ先輩の横顔。記憶の中の彼女は今の私たちより歳下なのに、まだずっと大人に見えた。


  「一緒に潜った『ダイバー』が、居なくなるのは寂しいです。なので、あなた達には言います。

  --彼女を殺したのは私たちの無力さ、そして、それを理解していないと、いつかまた同じことになるし、今度は自分が壊れるでしょう。」

  「…フウカ、先輩。」

  「ハルカ、張り手、痛かったです。」


  私の方を見つめて叩かれた頬に手を添えるフウカ先輩が笑う。


  「友人のために本気で怒れるのは素敵なことですね。あなたはいい子です。」


  そして、ヨミの方に再び向き直り--


  「あなたもいい子…長生きしてください。」


  ヨミの頬を優しく撫でる先輩の姿は、とても強く、ヨミの中に刻まれて…


  「『サイコダイブ』は本当に恐ろしいことですから…忘れないで。夢の世界でも人は死にます。」


  ヨミが見つめるフウカ先輩の姿が朧気になっていく。

  霧に巻かれたみたいに遠くなる表情と声を、逃さないようにと意識を向ける中、小さな声が記憶に焼き付くようにはっきり響いた。


  「…先輩との約束です。」


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