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夜の帳が降りる頃に  作者: 白米おしょう
第5章 おはようの朝はまだ遠くに
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第5章 23 あなたのせいで

 

 ※




  目の前で鮮血の花が散る。乱雑に切り裂かれた肉から血と肉片が空中に飛び出し乱舞する。


  「……っ!」

 

  激痛と共に襲ってくるであろう精神汚染に少女の顔が苦痛に歪む。

  そんな少女を身体ごと引っ張りながら後ろに下げる。身体を入れ替えるように前に出るヨミに眼前の自分が無数に迫る。


  目の前の一体の包丁を自分の得物で受けとめる。その一体に手一杯の無防備なヨミのがら空きの横腹が、またしても包丁に斬りつけられた。


  --僕が僕だ。


  耳鳴りと共に重なり合う声が怒号のように響く。

  自分の全身全霊を以て、己の存在を主張するその声は、一人ではなく、無数の誰かの声によって作り上げられていた。


  受けとめた包丁が弾かれ、後ろに流れるヨミの身体を、歪んだ刃が一斉に噛み付いた。


  --私が私。

  --俺が俺。

  --僕が僕。

  --あたしがあたし。

 


  自分こそが自分。無数に主張する声にヨミの脳が内から圧迫される。精神汚染が強い。


  無防備なヨミの首に肉切り包丁が迫る。反応できないヨミの首は次の瞬間には斬り飛ばされているだろう。


  それを食い止めたのは、ヨミの後ろから腕を伸ばした少女。

  自分の腕を首と包丁の間に挟み込み、肉の盾でヨミを守る。少女の細腕は呆気なく切断された。


  「--ああああああああああっ!!」


  痛みに絶叫する少女の顔面に包丁が振り下ろされる。

  咄嗟にヨミは、少女にぶつかるように後ろに倒れ込む。ヨミの背中に押し倒される少女の顔面を包丁の刃がかすっていく。浅く皮一枚切り裂かれた少女の顔から鮮血が吹き出す。


  赤く染め上げられた夢の中、二人の血が滴りさらに不気味な赤が増す地獄絵図。


  敵はさらに増え、奥から格子をすり抜けてヨミと少女の姿の『ナイトメア』が続々と姿を現す。囲まれた。


  「……っ!」


  腹の中身が飛び出さないように押さえながらヨミが立ち上がり構える。往生際の悪い獲物を真っ暗な目が一斉に捉えた。


  背筋がゾッとする。胸の中がゾワゾワ逆立ち自然に脚が震えてくる。


  これが、ヨミが初めて意識した“死”--


  向けられた黒い殺意が夢の世界で二人を蹂躙する。剥き出しの精神は、その殺戮の奔流に抗えずいとも容易く打ち砕かれるだろう…


  「やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。」


  なんとも覇気のない声とともに、格子が爆ぜた。


  抑揚のない雄叫びと共に、四方の格子が砕け散り、ヨミを囲む『ナイトメア』達の頭に一斉に拳大の風穴が空く。


  「……え?」


  既に意識のない少女を守るように抱き抱えたヨミはその光景に間抜けな声を息と共に吐き出すしかない。


  『ナイトメア』達を一掃し、颯爽と畳の床に立つのは、白い髪の毛をたなびかせるフウカ先輩だった。

  両手にはまだ銃口から火薬臭い煙を吐き出すウィンチェスターライフル。同時に撃てる弾は二発まで。にも関わらずそれを上回る数の『ナイトメア』を一掃したフウカ先輩は、ヨミと少女の元にてくてくと歩み寄る。


  「無事でしたかヨミ。ふむ、そちらは手遅れですかね?」


  背中をズタズタに裂かれ、腕を落とされた少女を呑気に見下ろしフウカ先輩は簡単に言った。その一言にヨミの中にモヤモヤしたものが溜まる。


  「…フウカ先輩。無事で…--」


  言いかけて、ヨミはその安易な台詞を呑み込んだ。

 

  フウカ先輩の身体には、ヨミや少女と同様に、生々しい弾痕が無数に残されていた。白い肌もいつもの制服も、じわじわと傷口から滲む赤に染められていく。


  「あぁ、これは気にしなくて大丈夫です。この夢の持ち主のことがちょっと知りたくて、わざと食らいました。」


  なんて、嘘か本当か分からない戯言を吐く。

  つまり精神汚染によってこの夢の主の精神性を探ったというのだ。どちらにしても戯言だ。


  「うぅん…もう少し早く助けに来れたら良かったですね。タイミングとは難しい…」

  「先輩!この人…っこれ、大丈夫なんでしょうか…っ!」


  抱き抱えた少女を見つめてヨミは焦燥に駆られる。どう見ても致命傷だ。


  「残念だけど手遅れです。彼女は壊れた。」


  そんなヨミに、実に無機質に無感情にフウカ先輩は告げていた。

  そのあまりにも唐突なセリフに、ヨミは固まって思考が停止した。


  「でも、あなたはまだ間に合いますよ?早くこの世界から出ましょう。」


  グイッと乱暴にヨミの腕を取るフウカ先輩が無理矢理にヨミを立たせた。そのせいで意識を失った少女が床に転げる。


  「…っ。」

  「彼女は無理です。構わないでいい。」

  「…っ、そんな言い方は…っ」

  「ん?あなたも死にたい?」


  おふざけでも、意地悪でもない、心の底から飛び出した言葉。ヨミの身体がまたしても硬直する。

  自分が拒んだなら、フウカ先輩は迷わず自分を置いていく。ヨミはフウカ先輩の表情にそう確信した。


  「…置き去りにしたとしても問題ないです。肉体的には、ね。さぁ、行きますよ?」




 ※




  動けなくなった少女を置いて、ヨミとフウカ先輩は先に進む。

  手の中のライフルで木製の格子を強引に叩き折りながら、どんどん進んでいくフウカ先輩は、ヨミには手を貸してくれない。傷を庇うヨミは必死について行く。


  「…あてでも?」

  「ないですよ?」


  それにしては迷いない足取りで、フウカ先輩は進む。まるでその先に『ナイトメア』の本体が居ると知っているかのようだ。


  「…彼女は『ダイバー』として四年近い実績があるそうです。」


  不意にフウカ先輩がそんな言葉をヨミの方に投げかけてきた。虚をつかれたヨミは何も返せず、何を意図した会話なのかも分からず固まる。


  「この程度の相手に遅れはとらない。」

  「…っ、何が、言いたいんですか?」

  「あなたが足を引っ張りました。だから彼女は死ぬ。」


  あまりにもストレートな物言いに、流石にここまで直球な言い方は予想していなかったヨミがまたしても固まる。思わず脚まで。


  どうしてそんなことを言うの?

  そんな反感や不満を押しのけて、「そうなんだろう。」という事実が棘のように突き刺さる。

  事実、ヨミと出会うまで彼女は『ナイトメア』を倒していたと言った。

  彼女の胸を刺す棘が、私にも突き立って胸を抉った。


  フウカ先輩と合流してから『ナイトメア』の襲撃が止まった。まるでフウカ先輩を恐れてでもいるみたいに…

  そしてそれは、明らかな形となって姿を現した。


  「…これ。」

  「鏡ですね。」


  格子を破るフウカ先輩とヨミの眼前に、巨大な円形の鏡が姿を現した。

 

  まるで埃でも被ってるみたいに、周りのものを映し出すことの無い濁った鏡面。その大きさはヨミたちの身の丈程もあり、円形の鏡本体を支えるようにその下に雲を模した足が台座がある。


  これほどの大きさがありながら、格子の向こう側から見つけられない性質は、間違いなくこの鏡が『ナイトメア』であることを物語っている。


  「これを割れば終わりですね。」


  確信にも似た予感をそのまま言葉に出すフウカ先輩がライフルの銃口を構えた。その引き金に指がかかった瞬間、夢の世界は牙を剥く。


  今までの恐れを振り払うみたいに、濁った灰色の鏡から同じような銃口が突き出してきた。

  それに引っ張られるみたいに、鏡から窮屈そうに姿を現すのは、フウカ先輩の姿をした『ナイトメア』。

  つまりはそういうこと。今までの雑魚『ナイトメア』は、この本体が生み出していた。


  『--私があなた。』


  『ナイトメア』は銃口をヨミとフウカ先輩に突きつけたままニヤリと笑って呟いた。隠されていない殺意と狂気が、精神汚染の波紋となってヨミに襲いかかる。

  心の傷に同調するように腹部の切り傷からドバドバと血が流れ出てくる。


  『あなたは偽物。私が本物。分かるでしょう?私が私。あなたは違う。』


  呪詛のように紡がれる言葉はヨミの鼓膜を震わせて、その理解不能な内容に脳が沸騰する。

  有無を言わせない強制力。それに頭が引っ張られ目の前の二人--どちらがフウカ先輩か分からなくなってくる。


  『違うあなたは消えなくちゃ。私が私になるんです。あなたは私になるんです。分かる?』


  支離滅裂な言葉の端々に潜む、洗脳のような強制力に、ヨミには『ナイトメア』の方が本体に見えてくる。

  そんな精神汚染にフウカ先輩は--


  「…全然分かりません。」


  躊躇うことなく引き金を引いていた。


  放たれた鉛弾は容赦なく自分の眉間を貫いて、止まることなくその背後まで突き抜けた。

  銃口を前に無防備を晒す鏡は鮮血を纏った弾丸の直撃に悲鳴のような音を立てて砕け散った。


  たった一発の銃弾で、夢の世界がひび割れた。文字通りひび割れ砕けた『ナイトメア』に呼応するみたいに空間を走る亀裂は、息が詰まるような閉塞感まで打ち砕くようで--


  全く安堵も達成感もなく、ただただ胸にしこりを残しながら、夢の世界が溶けていく--


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