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夜の帳が降りる頃に  作者: 白米おしょう
第5章 おはようの朝はまだ遠くに
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第5章 19 あなたの記憶

 

 ※




  第一に感じたのは全身の不快さだった。

  視界も不明瞭な水中に放り込まれて、身体中によく分からない浮遊物がまとわりつく。同時に、水中で揺らめいていた記憶の断片が私の身体にも反射して映り込んでくる。

  まるで私の身体がスクリーンになったみたいに、映写機で映されたみたいに、記憶の断片の映像が私の身体の起伏に沿ってぐにゃぐにゃ歪む。


  酷い頭痛だ。


  まるで頭を何度も内側から金槌で殴られるみたいな--とても思考できる状態じゃない。


  外からは緩やかに見えた湖の中も、ひとたび中に入ったら水の流れでもう上も下も分からない。水を吸った服もまとわりついて身体も重い。


  水中だから--とはまた違う息苦しさが私を襲っていた。

  胸の奥から嗚咽のように込み上げてくる苦しさに私は喉が詰まった。


  --心臓が……胸が、痛い。


  これが自分のものなのか、ヨミのものなのかもよく分からない。

  あるいは、その両方なのかも……


  私の中に怒涛の勢いで流れてくる記憶と感情の断片。

  その一つひとつが私の心を抉り捻る。鋭いナイフみたいに……


  拒絶するな、受け入れろ--


  拒絶はすなわちヨミと自分の境界の断絶。それではダメ。きっと届かない。


  それにこれは、“私自身”もまた、受け入れ、忘れちゃいけないことなんだ…


  これから見るのは、そういうもの……


  既にコハクもシラユキもどこにいるのか分からない。自分の視界と、脳内に流れてくる映像がダブり、どっちがどっちか分からない。


  二人は大丈夫…大丈夫……


  僅かな不安や焦りも、致命傷になりかねない……私は息の出来ない水中でさらに深く、深く息を吐いた--


  呑まれるように、肌を撫でていく水流が、付随する記憶が、その度私の中に押し入ってくる。

  それに抗うことなく--受け入れて……


  私はヨミの中に落ちていく……




 ※




  寄宿学校の中等部二年の春--


  四月をもって十四歳になった私たちは、その日から正式な『ダイバー』として仕事に就くことになる。


  この学校の生徒に誕生日なんて概念はないから、入学した四月が誕生日ということになる。


  朝から集められた同級生たちが寮監から長々した話を聞かされる。

  ようやく開放されたのは十時を回った頃…『ダイバー』になるにあたっての注意事項や頭に入れておくべき約束事等をうんたらかんたらと聞かされた。

 

  十四歳の少女達には難しくつまらない。こんな話は保護者にでもしてくれとみな思ったんだろう。


  ようやく開放された私は息をつく間もなくマザーに呼び出されていた。


  私の視界に映るマザーは早速、私に初めての仕事を指示してきた。


  日時は今夜、先輩のマザーと共同であたること、とのこと…


  「頼んだわ、“ヨミ”。」


  マザーが心配はいらないと笑いかけながら色々な話をしてくれたけど、私--否、私の意識が同化したヨミにはただただ鬱陶しいだけの戯言だった。


  ヨミはほんとにマザー達が嫌いなのかしら…


  私が今まで思っていたよりずっと辛辣なあの子のマザーへの感情に私は困惑した。


  --ヨミの記憶の断片の中で、私は彼女の中を揺蕩うんでいた。

 

  私が見ているのはヨミの夢--私という自我が曖昧になって、ヨミの記憶の中で私とヨミが同化している。


  自分の体験のように、心境の一片取りこぼさず私の中に入ってくる。私はまるで自分の記憶のように、それを眺めていた。



  --初めての『サイコダイブ』は、とにかく「怖い」の一言だった。


  重い粘着質な水の中に沈めこられるみたいな感覚--

  もういつもの感覚になっているのに、初めて潜った時の底なしの不安感に私の胸は得体の知れない恐怖に泡立った。


  これがヨミの初めて…これがヨミの『サイコダイブ』。


  「--っ。」


  目を開けた先には見たことない夢の世界が広がっていた。


  真っ白な雪原--シベリアを連想させる真っ白な大地は、他の誰が足を下ろした形跡もない処女雪の大地。


  私が刻み込んだ雪原への一歩--それが夢の世界に私の存在を刻みつける。


  真っ白な大地の真ん中に、心を刺すような冷たい色の広大な湖が広がる。ただ、その湖も大地を染める空気の冷たさに凍りついている。


  「……これが、『サイコダイブ』の世界?」


  私の--ヨミの唇から言葉と共に白い息が漏れ出す。吐き出すそばから凍りつく私の息。それほどの寒さ。


  「……寒。」


  この世界--初めての『サイコダイブ』への印象はその一言に尽きた。


  肌を刺す空気の冷たさ、ずっと遠くまで見渡せる澄んだ青空、どこまでも続く雪原の雪の冷たさ--

  本物にしか感じない全てが、夢の中だけの虚像なのだと、ヨミは衝撃を受けている。


  しかし、本当の衝撃はその後に遅れてやってきた。


  突然--本当になんの前触れもなく遠方から飛んできたのは、白い何か。それがヨミの視界を覆い尽くすくらい近づいた時には、ヨミの顔面は弾けて飛んでいくのではないかと言うくらいの衝撃に叩かれた。


  鼻の中を突き刺す鋭い痛みと、顔全体にビリビリ伝わる痺れ。足元の雪はヨミの鼻血で赤く染め上げられていく。


  思わず倒れ込むヨミを襲ったのは、締め付けるような息苦しさだった。


  --どうして?


  「……っ!?」


  頭の中に飛び込んでくる映像と記憶の感情にヨミは頭を抑えて混乱する。


  --精神汚染。

  無防備にも攻撃を受けたヨミは精神を侵された。

  自分のもののように踏み込んでくる精神の侵入者に私まで吐き気と苦しさを覚えた。

  自分以外の精神と同化した状態からの精神汚染--色々重なり過ぎてもうよく分からない。


  混乱するヨミに攻撃は容赦してくれない。


  次々にこちらに先程同様の攻撃が飛んでくる。飛来する白いそれはピッチングマシンで打ち出したかのような豪速球で見てからでは反応しきれない。


  飛んできているのは雪玉だ。


  次々命中する雪玉の威力にヨミは雪原を転がる。だが、肝心の雪合戦の投手は影も見当たらない。


  「……っ!」


  --どうして私じゃないの?


  --私の方が上手く滑れる。


  --私の方が綺麗なのに……っ!


  血にまみれた自分の手を見つめる情景が視界を埋め尽くす。まるで自分の手が血に染ってるみたいな……


  「……っなに、これ!?」


  がむしゃらに逃げ回るヨミを雪玉は逃がさない。

  一発の威力は現実の生身なら悶絶ものだが、夢の世界の身体なら耐えられる。精神汚染もそれほど強力では無い。


  ……ただしそれも、無防備に受け続けなければの話。


  次第にヨミの身体は青く腫れ上がっていき、破れた皮膚から血が滲み出てくる。


  --私を選ばないから…


  --あいつの目が節穴だから…


  --私じゃないから…


  --だから刺した。


  フラッシュバックする見覚えのない光景。

  広いスケートリンク、見知らぬ男性、スケート靴、小さな家、ライバルのあの子--


  ……お願いヨミ、反撃して…っ!


  もう昔のことなのに、ヨミの記憶の精神汚染が私にフィードバックしている。私は訳の分からない胸の痛みに悶えながらただ彼女の視点で眺めるしかできない。


  まだ、眺めていることしかできない。


  「……っは、はぁ…はぁ…」


  喰らいすぎたヨミも同様、力尽きて雪原に崩れる。

  全身で触れた雪の冷たさが刺すように傷口にしみた。もう、動けそうにない。


  獲物を追い詰めたことで、ようやく雪玉の投手がその姿を表した。


  中央の凍った湖から、まるで氷から生えてくるみたいに、ぬっとその細い体躯を現した。


  女の子だ。


  身長は当時のヨミより少し高い。その体は雪原同様真白く、雪女を連想させた。


  細い骨のような体躯にアップにした黒髪、その顔には目も鼻も口もない。真っ白なのっぺらぼう。

  同じく真っ白なドレスのような衣装。所々パールの装飾があしらわれ、全体的に羽のような刺繍で飾られている。

  そしてその足には、大きなブレードをつけたスケート靴。


  私は精神汚染の記憶の断片から、夢の主がフィギュアスケートの選手だったと予想した。

  が、今私が考察することに意味は無い。


  肝心のヨミがここで伸びている--それが問題だ。


  私にはヨミの名を叫ぶことも出来ない。ただ記憶の中を揺蕩う傍観者。


  そんな私の目の前で、ゆっくりヨミに歩み寄った『ナイトメア』は、容赦なくブレードの付いたそのスケート靴をヨミに振り下ろした--


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