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夜の帳が降りる頃に  作者: 白米おしょう
第1章 夢の世界へ
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第1章 1 夢の世界

  --私には名前があったはず……


  もうずっと昔のことのような気がするけれど……大切な人が、大切な意味を込めて、私に贈ってくれたはずの名が……


  眠りに落ちながら私は霞がかった記憶の中で、その人の顔を思い出そうと記憶の中のその顔に目をこらすけれど……


  --笑ってた。


  あの人はいつだって、幸せそうに笑ってた。


  --あなたは誰?


  言葉にならない問いかけが頭の中で消えていく中、私は沈むように、落ちるように……

 夢の中へ落ちていく……


  今日も誰かの夢の中へ……



  --夜の帳が降りる頃に。



 ※




  酷く晴れた空だった。

 雲一つない空。どこまでも広がっている青は目にしみるほどに眩しくて、けれど肌を優しく撫でていく風の冷たさと共に、私の視界と心を軽やかに彩ってくれている。


  果ての見えない青い空。

 その下に広がるのは、子供の夢を具現化したような遊園地。


  遠くの方では見上げるほど大きな観覧車がゆるりゆるりと回り続け、真っ青な空のキャンパスにくねくねと愉快に曲がるジェットコースターのコース。楽しげな音楽と共に円を描くように駆ける白馬のメリーゴーランド。大きなメインストリートには色とりどなお土産屋さん、食べ物屋さんが軒を連ね、鼻腔に甘い香りを届けてくれる。


  楽しげな音楽と、雄大な空--


  子供たちの夢の楽園が私の眼前に広がっている。けれど、そんなおとぎの国を彩る子供たちの笑い声はどこからも聞こえてこない。人っ子一人居ない遊園地に響く陽気なBGMも、それを楽しむ客がいなければどこか虚しく寂しげだ。


  この遊園地に今ただ一人佇むこの私には、残念ながらそのBGMを楽しむ余裕はなかった。


  「……ッ」


  思い出したようにズキリと痛み自己主張してくる額の傷から、目の覚めるような鮮血が吹きこぼれ私の足元の石畳にポタポタと丸いシミをつくる。


  血が止まらない…割と重症だ。


  黒髪の一部--赤く染め上げたメッシュの入った前髪のひと房が私の血で深く汚らしい赤に染まっていく。


  「…早いとこ決着つけないと…」


  焦りで早くなる鼓動を無理やり落ち着けるように深く息を吸い込み、右手に握ったフリントロック式のピストルを石畳の上に雑に捨てる。

  直後、私の足元に広がる影の中から、同様の形のピストルが意志を持って這い上がってくるように浮かび上がってくる。

 

  この世界ではイメージするだけで、望む物が望むだけ出てくる。


  だってここは--夢の世界。


  私が新しいピストルを拾い上げたのと同時に、私の右背後からドスンドスンと地鳴りのような足音が響いてくる。

  振り返ると、チュロスを売っている無人の屋台の影から、明らかに屋台を上回る上背のナニカがのっそのっそと姿を現す。


  それはうさぎだった。


  うさぎと言っても、本物では無い。ふわふわのピンクの生地に、大きな丸く黒いボタンの目。デフォルメされた大きな丸いお顔には、大きくつり上がった三日月形の口。ギザギザした白い歯が太陽の光を反射してさわやかに光っている。


  「……おいでなすったね。」


  私がピストルを構える正面、チュロス屋をメキメキと片手で捻り潰すうさぎのぬいぐるみがこちらへ頭を傾ける。


「……グルルルルル」


  ズシン、ズシンとその風貌からは想像できない重そうな足音を響かせて、威嚇するように唸りをあげるピンクうさぎがこちらへ迫ってくる。頼りない二本足でしっかり石畳を踏むピンクうさぎが、大きく前傾姿勢をとる。


  「…悪いけど、そろそろ片付けされてもらうよ…。もう夜も明けそうなんで…」


  威嚇しながら、可愛げのない凶暴な口からよだれを垂らすピンクうさぎが私の方へと弾丸のように飛んでくる。


  「……ッ!!」


  五、六メートルはあろうかという巨体を紙一重で躱し、横に飛び退きざまにがら空きの横っ面へとピストルの鉛玉を叩き込む。


  真横からの一撃にピンクうさぎの体が吹っ飛んでいく。弾が直撃した頭には、人の拳程の風穴が空き反対側まで貫通していた。


  「キュウッ!」


  愛嬌のある悲鳴とともにピンクうさぎがメインストリートの反対側まで吹っ飛ばされる。頭の風穴から噴水のように真っ赤な血飛沫が噴き上がる。


  ダメだ…


  しかし、ピンクうさぎは何事も無かったかのように機敏な動作で立ち上がる。頭を貫通した銃創からどくどくと滝のような血が流れ、コミカルなうさぎの顔を実に不気味に染め上げる。


  「キャアアアアアアアアアアアアッ!!」


  うさぎの大絶叫と共に、地面の爆ぜる音がする。

  うさぎの右手が石畳を砕きそのまま中に吸い込まれるように…


  「ッ!?」


  私は撃ち終わったピストルをうさぎの方へと放りながら慌ててその場から飛び退いた。が、反応が遅かった。

  私の足元の石畳が盛り上がり、砕け、礫となって飛んでくる石畳の破片とともにピンク色のうさぎの腕が下から上へと突き上がった。


  柔らかな感触からは想像もつかないアッパーカット。

  首を引っこ抜かれた私はそのまま派手に上へと吹っ飛び、石畳の上に叩きつけられた。


  「あっ……ぐぅ…っ」


  骨は…?折れてない。


  痛みに悶えながら私はダメージを確認する。

  この世界では体も頑丈にできている。かなり痛いが、致命的なダメージは回避した。


  「あぐっ!?」


  安堵したのもつかの間、再び伸びてきたうさぎの腕が私の首を鷲掴みにし、そのまま持ち上げる。指なんてないはずのぬいぐるみの腕から、きじを突き破るように細い爪のような凶悪な指が生えてきている。側面はナイフのようになっているようで、強く締められるほど首に食い込み肉が切れていく。


  --この世界でどれほどの傷を負っても死ぬことは無い。


  頭では理解していても、自分の首と体がふたつに分かれるシーンを想像すると、自然と全身の血の気が引いて悪寒が走る。


  「この…っ離せっ!」


  叫び、私は右手を下に向けた。応じるように、私の影から大きな銃身が頭を出す。

  さながらトースターから飛び出す食パンみたいに、私の影からこれまたレトロなウィンチェスターライフルが飛び出した。直立のままぴょんとコミカルに跳ね上がるライフルは私の右手の中に綺麗に収まった。


  「女の子に触る時は…っ爪ぐらい切ってこいっ!!」


  圧迫されて呼吸もままならない中私は叫び、そのまま片手でライフルを振り回す。大きく弧を描くライフルの銃身がうさぎの顔面に向けられた。すでに発射準備は完了だ。


  引き金を引くと同時に腕に伝わる反動で、肩の関節が抜けるかと思った。

  まず、実銃ではありえないだろう破壊力がうさぎの顔面を撃ち抜いた。


「--キィァァァァァァァァァァァォ」


  なんとも間抜けな悲鳴とともに、先程の比では無い血飛沫が青い空めがけ吹き出した。

  目の前、力なく崩れ落ちるピンクうさぎは、顔の上から半分をぶっ飛ばされ、大きな口だけ残し見るも無惨な姿を晒す。糸の切れた操り人形のようにぐたりと倒れ伏して、動かない。


  「……っはぁ…はぁ…」


  うさぎが力尽きてようやく開放された私は、荒い呼吸を整えながらゆっくりと、しりもちをつくように石畳に座り込む。


  「あぁー…痛った…」


  今日は派手にやられた。


  夢の主は倒した。後数秒もすれば、私たちは強制的に目を覚まし、元の世界に戻るだろう…


  そういえば…ハルカは…


  「ヨミ!」


  と、噂をすればなんとやら。

  石畳に仰向けに寝転がる私が頭を持ち上げ前方を見ると、メインストリートの奥、お化け屋敷の向こうから眼鏡をかけた少女がこちらへ向かって駆けてくる。


  黒縁の眼鏡の奥の瞳は、彼女の髪と同じく夜の闇のように深く黒く。

  しっとりと濡れたような艶やかな黒髪は後ろでひとつのお団子に纏められている。スラリと伸びた長い手足、細い腰、豊満な胸。

  それらの魅力的な肢体は、おびただしい噛み傷、引っかき傷に覆われていた。


  「ハルカ…全部殺った?」

  「当たり前だよ。そっちこそ、ちゃんと親玉は片付け…」


  起き上がるのも億劫で、仰向けのままの私の問いかけに少女--ハルカもまた返す。私の隣で派手に頭の中身をぶちまけて動かないうさぎを見つけて途中で言葉を飲み込んだ。


  「結構手こずったみたいだね…」

  「そっちこそ、身体中齧られてるよ。良かったね、穴あきチーズにされなくて…」


  ここは夢の中--私達も、そしてあの憎きうさぎも、望んだ物を望むだけ顕現させられる。


  私とハルカの2人がかりで襲いかかったピンクうさぎは、遊園地のマスコット達を無数のネズミに変化させけしかけてきた。

  その数千のネズミ駆除を押し付けられたのが彼女。結果は見ての通り、お互い楽な仕事ではなかった。


  「あぁー終わった終わった…」

  「起きなよ、アンタ…うわ、頭から血ぃ出てるわよ。」

  「うん?ヘーキだよ…多分。目が覚めたら綺麗なおでこだもん。」

  「痛いもんは痛いでしょう…もうちょっと気をつけなさいよ…」


  などと…

  長い付き合いになる相棒と他愛もないやり取りを繰り返す…

  もう直意識が遠のいて、そのまままぶたを閉じれば…


  ……?


  おかしい…

  いつもなら夢の世界の住人を仕留めてすぐに目を覚ますのに…


  「…ハルカ」

  「…おかしいね。早くシャワー浴びたいのに…」


  私の呼び掛けにハルカも異変に気づいたのか、当たりを警戒する素振りを見せながら足元の影に手を伸ばす。

  ハルカの細い指がズブリと影に飲み込まれ、指を引き揚げると指の一本一本に白く細いピアノ線が絡まりついてくる。


  …ハルカがネズミを取り逃した?いや、夢の主はあのうさぎのはず…やつを仕留めたならこの世界は…


  嫌な予感がした。そして私の嫌な予感はよく当たる。


  まさかと思い振り返りつつ、私は手の中のライフルのレバーを引き下げ次弾を装填した。

  私の視界の端、そのにはどう見ても息絶えた下顎のみとなったピンクうさぎが……


  「ヨミっ!!」


  悪友の叫び声にも似た声を聞きながら、私の体は宙に浮いていた。

 

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