4.守護竜はお怒りのようです……妹に
そうして歩くこと30分。
私たちは洞窟を抜けました。
洞窟を抜けた先には――どこかのどかな集落がありました。
わらぶき屋根の建物が並ぶ、どこか懐かしい気持ちになる場所です。
「ようこそ、竜人の里へ」
まるでどこかの田舎の集落のようですが、アルペジオは『竜人の里』と言いました。
「ここに居るのは、みんな竜なのですか?」
「ああ、ほとんどは人化した竜だ。中には拾ってきた人間もいるが――みんな我の大切な家族だ」
アルペジオの表情は、とても柔らかなものでした。
人間が国を守護するものと崇めていた竜が、こんな人間と同じような暮らしをしているなんて。
私はあまりの衝撃に、驚きを隠すこともできませんでした。
「ふふ、イリスちゃん。驚いてるね?」
「はい、とても驚きました……。でも、とても良い場所だと思います」
それは正直な感想でした。
遠目に畑を耕している人まで見え、ほんとうに竜が住む集落なのか疑ってしまいます。
「イリスちゃんが落ち着いて暮らせる場所を用意するために、この里を作ったんですよね? ふふ、気に入ってもらえて良かったですね、守護竜様?」
「よ、余計なことを言うな」
茶化すように言った執事服の男に、嫌そうな顔でアルペジオが答えました。
「そ、そうなのですか……?」
「何か不自由があれば、遠慮なく言うが良い。その男の言う通りだ――この里はイリス嬢のために用意した場所なのだからな」
私はぽかんと口を開けることしか出来ませんでした。
アルペジオに案内され、私はそのまま集落の中でも一番大きな家に通されました。
集落の長の家――そこにアルペジオは住んでいます。
◆◇◆◇◆
私を歓迎するためだと言って、アルペジオの家では豪華な料理が振る舞われました。
ここで働いている使用人も、また竜なのでしょうか?
「あの……良いんですか? 竜人の里に案内するばかりか、こうしてご飯まで用意して頂いて?」
「当たり前だ、イリス嬢は大切な客だ。ゆっくりしていくが良い」
アルペジオは遠慮せず食べるよう私に勧めます。
私は、ぱくりと料理に手を伸ばします。
「口に合うと良いのだが……」
「とてもおいしいです」
私は目を輝かせて答えます。
素材の味を活かした素朴な味付けの料理。
ついつい手が伸びてしまう魅力的なものでした。
「この国を守護していた竜が、アルペジオ様のような優しい方だったのには驚きました」
ここには生贄として死ぬつもりで来たのです。
それなのに待っていたのは、守護竜アルペジオによる熱烈な歓迎。
もう怖さはありませんでした。
「イリス嬢は想像通りだったな。毎朝の祈りから伝わってきたとおり――慈悲深い心優しい少女だ」
「やめてください。私を持ちあげても何も出ませんよ?」
ここまでストレートな好意をぶつけらるのは、生まれて初めてです。
私は恥ずかしさを隠すようにお椀を手に取り、そっと顔を隠すのでした。
◆◇◆◇◆
私は用意された食事を口に運びながら、
「それでもアルペジオ様が、お怒りでないようで良かったです。『竜の息吹』が目撃されて、パニックに陥る人も多かったですから」
あの国に生きる者にとって、竜とはとても神聖なものでした。
竜の怒りを示す『竜の息吹』が立ち昇っているのを見て、不安を抱えていたことでしょう。
聖女を生贄に捧げようという話が出るほどに。
しかしこうして目の前では、アルペジオが幸せそうな顔で料理を口に運ぶ。
「これ以上ないほど怒っているよ」
穏やかに浮かべた笑みは、ぴりっとした冷ややかなもの。
彼は巨大な爆弾を投げ込みました。
「ど、どうしてですか?」
「我が怒っているのは、ダメーナ子爵家に対してだよ。聖女に選ばれておきながら、ほとんどその役目を果たそうともしない。責任を取らされそうになったらイリス嬢を生贄に捧げれば良い――どこまで腐っているのだ」
彼が口にしたのは、私も少しだけ思って考えないようにしていたこと。
「でも結果オーライですよね? そのおかげで、守護竜様はイリスちゃんと会うことが出来たんですから!」
「むう……それはそうなのだが」
茶化すように言う執事服の男。
名前はダルセーニョというようです。
彼もまた人化した竜だったらしく、アルペジオとは長い付き合いだそうです。
「清らかな祈りに乗せて、ときどき悲しみの感情が届くんだ。覆い隠そうと、決して誰も恨もうとはしない――けれども隠しきれず思わず含んでしまった。そんな感情であった」
「私の未熟さのせいです」
歴代の聖女なら、そんなミスはしないでしょう。
「良い。イリス嬢の妹の祈りなど、それは酷いものであったからな。イリス嬢の祈りなら、どんな祈りであっても歓迎だ」
アルペジオは真面目な顔で、なんてことを言うのでしょうか。
私はそっと空になってしまったお椀を手に取り、熱を持った顔を隠そうとします。
「こんなにもイリス嬢の祈りに救われているのに、我は何も出来ない。それが口惜しかった」
「そんなことを思っていただけただけで、身に余る幸せです」
どこまでも暖かな空気が、私とアルペジオの間には流れています。
屋敷で召使いに混じって食事をしていたときより、はるかに居心地が良いです。
「そんなイリス嬢を傷つけた妹のことは、決して許すことは出来ないな」
「あ、アルペジオ様?」
「イリス嬢が悲しい思いをするとき、いつも妹がそこに居たのだろう?」
「それは……否定は出来ませんけど」
愛嬌があって、誰からも可愛がられる妹。
そばにいる私は、いつもその引き立て役でした。
「屋敷では孤立するように仕向け、自分の思い通りにならないものは排除する。今回のことも祈りを欠かした上に、その罪をそなたに押し付けるとは――とんでもないやつだ」
アルペジオの真紅の瞳が、燃えるような熱を持っていました。
彼は祈りに込められた感情という断片的な情報から、私を取り巻く環境すら見抜いてしまったようです。
――どうやら私の妹は、知らぬ間に守護竜様から激しい怒りを買ってしまったようです。
とんでもないことです。