3.私の祈りはきちんと守護竜様に届いていたようです
「守護竜様。その格好では、イリスちゃんが怯えるのも無理ないですよ」
執事服の男が守護竜に話しかける様子は、どこまでも気安いものでした。
「イリス嬢に怖がられるなんて、世界の終わりだ……。我はどうすれば良いのだ?」
「いや、だから早く人化してくださいよ」
「それだけは嫌だ。あんな弱々しい姿」
「だだっこですか!」
「ふふっ」
そんなやり取りを見て、私は思わず笑ってしまいました。
生贄として、ここで殺されると思っていたのです。
そんな緊張の糸が解けて、思わず笑いが出てきたしまったのは自然なことでした。
「ご、ごめんなさい……。どうかお許しを――」
直後、自分がなにをしてしまったのか気付き私は慌てて跪きます。
あろうことか守護竜を笑ってしまうなんて。
気が緩んでいたからといって、とても許されることではありません。
「別に怒ってはいない」
「でも――」
「くどい」
ぶっきらぼうな言い方。
私と守護竜様の間に、気まずい沈黙が訪れます。
「そんな恰好してるからですよ、守護竜様?」
そんな状況を見て呆れたような声をかけるのは、やっぱり執事服の男でした。
どうしてこうも怒りを恐れず、ずけずけと物を言うのでしょうか。
「その、イリス嬢。我のこの姿は、人間にとっては怖いものなのだろうか?」
「その……。はい、ごめんなさい」
引きつった顔で首を振っても、なんの説得力もないでしょう。
私はこくこくと頷きました。
「ほら!」
一方、執事服の男は得意げな顔。
守護竜は彼をひとにらみすると、何やら魔法を唱えました。
瞬く間に竜の巨体を光が覆いつくし、気が付けば守護竜の居た場所には1人の男性が立っていました。
凛々しい顔立ちのひょろっと背の高い男性――それが私の第一印象でした。
燃えるような真紅の瞳で、じっとこちらを覗き込みました。
かなりの美形で、社交界に出ればたちまち人気者になることでしょう。
これが守護竜の人間としての姿なのかと、息をのむ私の前で、
「こんな弱々しい姿でイリス嬢の前に出ることになるとは……」
守護竜は、がっくりとうなだれました。
「守護竜様、人間の姿も恰好良いですよ?」
「励ましはいらないよ。こんな軟弱な姿を見せて、イリス嬢もガッカリしてるよ」
「いいえ、そんなことありません。すごく恰好良いです!」
思わず出てきた言葉でした。
あっと思わず口を抑えるものの時すでに遅し。
守護竜は不思議そうにこちらを見ていました。
それから少しずつ頬を緩ませると、
「そうなのか。この姿は恰好良いのか。人間の価値観はよく分からぬものだな」
などと口にして、見惚れるような笑みを浮かべました。
◆◇◆◇◆
守護竜様は、私について来るように促して洞窟の奥に歩き始めました。
「守護竜様、どこに向かっているのですか?」
「竜人の里さ。とっても良い場所さ」
竜人の里なんてものがあるのですね。
守護竜のほかにも竜が居るというのでしょうか。
「守護竜様? 私がそんな場所に行っても良いのでしょうか?」
てっきりこのまま殺されると思っていた身です。
竜人の里に私を連れていこうという理由が分かりませんでした。
「イリス嬢。我のことは『守護竜様』ではなく、どうかアルペジオと名前で呼んでほしい」
「そんな! 名前で呼ぶなんてあまりに恐れ多いです」
いったい、いきなり何を言い出すのでしょう。
「我からの希望であってもだめか?」
真紅の瞳が私を覗き込みます。
守護竜様あらためアルペジオ――じっと覗き込まれ、私は思わず目線を逸らしてしまいます。
出会った時の歓喜の表情。
今この時も、彼は私のことを大切に思っているようです。
そんな無償の善意を信じられる生活を、残念ながらこれまで私はしてきていません。
「ねえ、どうしてアルペジオは私のことを大切にしてくれているの?」
「祈り……ですか?」
「本物の聖女はすぐに祈りをやめてしまっただろう」
「申し訳ありません」
ティアナがろくに祈りをしていないことは、やはり気づかれていたようです。
跪こうとする私を、アルペジオがそっと手を伸ばして止めてくれます。
とても暖かで大きな手でした。
「謝るな。……我はそなたに悲しい顔をさせたいわけではないのだ」
こちらの顔色を伺うような表情。
思えば誰かにここまで気遣われるのは初めての経験でした。
胸の奥がじんわりと暖かくなります。
「義理を欠かした人間に容赦する必要はない。このまま人間を八つ裂きにしてやろうかとも思ったのだがな」
アルペジオの口から放たれた言葉は、穏やかなものではありませんでした。
思わず顔を引きつらせる私に、
「守護竜様、イリスちゃんが怯えています。まったく、あなたの冗談は分かりにくいんです」
「じょ、冗談なのですか……?」
「もちろんだ。我が契約を違えるはずがないだろう」
人間の聖女は約束を違えたけどな、と言外に持たせた含み。
「そんな時だったよ。聖女の代わりに、ずっと我に祈りを捧げていた少女がいると気が付いたのは――」
妹がサボってごめんなさい。
せめてもの償いにと始めた守護竜への祈り。
聖女としての作法も、正式な手順を踏んでも居ない拙い祈り。
そんなものが本当に届いていたことを知り、私は思わず顔を赤くします。
「守護竜様、いつしかその祈りに夢中になってましたよね」
「仕方ないだろう。あれほど心地よい祈りは歴代の聖女の中でも滅多にない。だから自然と――いつしか会ってみたいと願うようになっていたのだ」
アルペジオの言葉はとても真摯なもの。
あまりにも予想外の言葉で、私には困惑することしか出来ませんでした。