ヒロイン、蝶になる
最近、ヒロインが主人公な話をほとんど見なくなってしまったので書いてみました。
私はアラモ王国王都の外れで店を開いている商家の娘、アネモネ。
平民なので姓はない。
で、判っているとは思うけど転生者である。
前世が蘇ったのは8歳の時だった。
別に転んで頭を打ったとかではなく、たまたま王都中心部に用があった親についてきて、親が仕事している間に一人で遊んでいるうちに長くて高い塀がある場所に来てしまって、ぼんやりその壁を見ていたら見覚えがあることに気がついたのだ。
それは王立アラモ魔法学園を囲む塀だった。
ゲームでもただの塀なのにむやみに豪華で装飾が賑やかだったので覚えていた。
アラモ学園を舞台に繰り広げられる平民の少女と高位貴族の御曹司たちの恋と冒険。
ちなみに後になってからだけど、アラモ王国の王家や主立った高位貴族家、そして周辺国家なんかの情報を調べて、ここがゲームの世界だと確信した。
私が覚えている限りにおいて、細部に至るまで一致したから。
乙女ゲーム「学びの園に咲く恋の花は」はどうってことがない凡作だった。
ただビジュアルが綺麗だったしヒロインへの虐めだの暴力沙汰だのがない温い展開がかえってウケて、それなりの売り上げを記録したみたい。
実際、ゲームの舞台であるアラモ王国は争いのないのどかな国で周辺諸国とも上手くやっていた。
よその国や辺境地帯には魔族や魔獣とかもいたけど国の真ん中にあるアラモ学園とは無縁だった。
攻略対象の一人が辺境伯の御曹司で、領地では定期的に魔獣を狩ったりするというエピソードがあったくらいだ。
悪役令嬢もいないし、とにかくほんわかした雰囲気で精神安定剤ゲームとすら呼ばれていた。
何せゲームを通して誰かが死ぬとか怪我するとかが全くなかったりして。
私もダウンロードして課金なしでプレイした口だ。
ちなみに課金すると色々なアイテムが手に入ったり隠しキャラが出たりするらしかったが、そこまで入れ込んではいなかったので詳しくは知らない。
攻略板を覗いてみたことがあったけど、アイテムと言っても魔力を増大させたり新しい魔法を覚えたりといった番外編的なものだった。
つまり「恋花」のメインストーリーには関係ない。
乙女ゲームでヒロインが大規模魔法を覚えたりしてもしょうがないでしょう(笑)。
そもそもゲームの舞台はほぼ学園内で終わっていて、課金すると外に出て色々あるらしいけど、そこまで執着するほどの出来ではなかったし。
というわけで私は8歳にして享年17歳(前世の日本では女子高生で事故死した)の精神を宿してしまった。
別に頭痛がするとかはなかった。
アネモネとして生きてきた記憶もあったし日本の女子高生の記憶も健在だった。
だけどそのせいで私は苦しむことになる。
だって「恋花」の世界は文明的には中世なんだよ!
魔法があるから部分的には現代日本に近い所まで発達しているけど。
水洗トイレとかお風呂とか。
清浄魔法で清潔にしたり。
でもそれは魔法がなくちゃ使えない。
アラモ王国は封建制国家なので王族と貴族と平民がいる。
王族と貴族はなぜ王族であり貴族なのかというと魔法が使えるからだ。
正確に言えば「強い魔法」が使えるから、というべきか。
実は平民にも稀に魔法が使える人はいる。
でもそのほとんどは指先で火をつけたり手を水洗いしたりといった細やかなものだ。
王族が使える魔法は大規模殲滅とか大火力とか派手なものが多い。
貴族は王族よりは地味だけど、上級であればあるほど多種多彩で威力がある。
逆に言えば下級貴族は大したことがないんだけど。
王族に生まれたのにショボい魔法しか使えないとか、下級貴族なのに高火力だったらどうするのか、という疑問が当時からあったけど回答はなかった。
だって「恋花」はぬるい乙女ゲームなのよ。
ゲーム内でも高火力や大規模な魔法を使うシーンなんかなかったし。
でも稀に現れる魔法が使える平民がどうなるのかは判っている。
すべての平民は15歳になると教会で魔力測定をされて、ある水準以上なら特待生として魔法学園に入れられるのだ。
平民のヒロインが「恋花」の舞台であるアラモ魔法学園に入学する理由がそれだ。
国としては将来大魔法が使えるようになるかもしれない平民を野放しにして後で面倒な事になるのを避けたいだろうからね。
平民の方も無料で教育を受けることが出来て、将来は高収入の職に就ける事がほぼ確実なので断らない。
断れないんだけど。
というわけで説明が長くなったけど、転生者である私は「恋花」のヒロインである。
ゲームではヒロイン名の変更が可能だったけどアネモネはデフォルト名だからまず間違いないだろう。
アラモ王国とかの固有名詞も合ってるし。
ところで8歳の私は怒っていた。
なぜかというと15歳にならないとゲームが始まらないからだ。
私は平民だ。
実家が商売をしていて平民の中では比較的裕福な方だけどお金持ちというほどではない。
従って生活も慎ましい、というよりは色々不足している。
例えば王族や貴族が当たり前に使っているお風呂や水洗トイレは貴重品だ。
前世と違って動力源が魔法なので、おいそれと一般に普及したりしていない。
私の家にもお風呂や水洗トイレはない。
前世の世界、特に日本では信じられないでしょうけど、それなりの一軒家にも専用トイレや風呂がついてないのよ。
これは上下水道が整備されていないためで、ていうかそんなことはどうでもいいんだけど、お風呂やトイレは共同だ。
前世を思い出した私は寒い時にわざわざ外に出てトイレに行ったりお風呂に入ったりするのが嫌だった。
特に冬は。
だって王城や貴族の館ならお風呂に入り放題で水洗トイレが使い放題なのに!
基本的には貴族の子弟が通う魔法学園もそれは同じで、しかもこの学園は全寮制だ。
つまり入学すれば憧れのお風呂と水洗トイレが手に入る!
なのに私はまだ8歳。
快適に暮らせるまであと7年もあるのかと絶望した私は思わず落ちていた石を拾って腹立ち紛れに力一杯投げた。
石は思ったより高く飛んで塀の向こう側に消えていった。
その途端、塀の向こうで騒ぎが起こった。
誰かが喚いたり金属がガチャガチャいう音まで聞こえてくる。
ヤバい!
私は一目散に逃げだしたのだった。
ちなみに「恋花」自体は温い乙女ゲームだけど、その舞台であるアラモ王国は封建制国家だ。
王族や貴族の権限は絶対。
まあ、温いゲームなので平民であるヒロインが虐められるとかはなかったけど。
それでも貴族を傷つけた平民なんか下手すると問答無用で首チョンパされても問題にならない。
魔法学園にいるのは基本的に貴族なので、平民が投げた石が誰かに当たって怪我でもさせたら確実に処刑コース。
だから私は必死で逃げ帰って残りの日程を宿に閉じこもって過ごし、親の用が済んだら這々の体で帰宅したのだった。
私の家は王都と言っても郊外なのでその後中央で何があったのか知らない。
テレビや新聞なんかないし、そもそも平民は貴族に何か起こっても気にしないからね。
自分たちに関係して来ない限りは。
それを思い出した私はとにかくゲームが始まるまでは貴族に近づかないことに決めたのだった。
お風呂と水洗トイレに憧れ続けること7年。
ついに15歳を迎えた私は同じ歳の子供たちと一緒に教会に行って魔力測定を受けた。
このシーンはゲームでも絵付きで出ていたんだけど、何か兵隊さんがたくさんいたような?
ゲームでは適当に並んで水晶玉に触るだけの簡単な検査だったのに、何かやたらに厳重だった。
私が触るとゲーム通りに水晶が光った。
でもそれだけだった。
名前と住所を再確認されたけど何で?
ゲームとちょっと違うなと思いながら帰宅。
まあ、あのゲームは学園に入学する所から始まっていたからね。
教会での魔力測定は思い出話として出てきただけだったっけ。
でも水晶が光ったんだから私は合格のはずだ。
待っていれば憧れの水洗トイレとお風呂……じゃなくて魔法学園への招待状がやってくるはず。
そして待つこと数ヶ月。
ついに私に連絡が来た。
「○月○日に○○に出頭せよ」
そっけない命令が書いてあるだけの雑な手紙だった。
魔法学園の入学許可にしてはショボいし失礼じゃない?
ていうかこれじゃあ命令書だ。
その時点でおかしいとは思ったんだけど国の正式な文書だったし平民に逆らう術はない。
そんなことより水洗トイレとお風呂だ!
それが手に入るんだったら後は何でもいい。
くっついていた説明書には生活用品その他をすべて支給すると書いてあったので私は身の回りのものだけを持って旅立った。
手を振る両親に別れを告げながら私は新たな出会いに胸をときめかせる。
ああ!
早く水洗トイレとお風呂に会いたい!
「グズグズするな!」
「服と装備を受け取ったら整列しろ!」
「何? サイズが合わない? 身体を装備に会わせろ!」
怖い顔をした軍人さんに追い回される私たち。
「いいか! 貴様らはクソだ! 生きてる価値なんざないドブネズミだ!」
「いやドブネズミでも貴様らよりはマシだ! クソ虫だ!」
泥だらけのグラウンドに追い立てられて這い回る私たち。
「死ね! 貴様ら赤紙一枚分の値打ちしか無いクズだ!」
一日中追い回され、ヘトヘトになった私たちはボロボロの掘っ立て小屋に追い込まれた。
何がどうなってるのよ!
ここは水洗トイレとお風呂完備の魔法学園じゃないの?
疲れ切っているのに眠れない。
思わず泣き言を言ったら隣で倒れていた男の子が教えてくれた。
「ここは昔はそうだったらしいぜ。平民でも魔法が使えれば入れる学園だったって」
「それがどうしてこうなっちゃったの?」
周りの子たちものろのろと起き上がって集まってきた。
「何でも昔、王様が学園を視察に来て怪我したって聞いたけど」
「そうそう。いきなり壁の向こうから攻撃されたって」
「あんさつみすいだって大さわぎになって」
そんなことが。
ゲームにはそんなイベントなかったのに。
「それで調べてみたらまわりの国からスパイとか暗殺者とかがたくさん来てたらしい。魔王の手先とかもいて」
「僕の聞いたところだと、えーと、ひじょうじたいせんげんとか出たって」
「王国の危機だからね。ぐんびのかくちょうがきゅうむだって」
言葉の意味があまり判ってないみたいで聞き取りにくかった
でも暗殺未遂?
非常事態宣言?
軍備の拡張が急務?
「だから魔法のそしつがある平民が、えーとちょうへいされることになったって」
徴兵!
「訓練が終わったらすぐに最前線送りだってさ」
「今、うちの国は回り中と戦争になってるからね。ていうか世界大戦になったって」
「何でこんなことになったんだろうなあ」
世界大戦。
有り得ない。
そんなのゲームのシナリオにはなかったのに!
「だから7年前の事件だって。王様が投石で襲われたんだぞ」
「あー、そりゃしょうがないな」
7年前。
投石?
私のせいなの?(泣)
#バタフライ効果
力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化が無かった場合とは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象。
出展: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゲームの強制力って何の根拠もなかったりして。
ていうかそもそもゲーム転生自体が(笑)。