ある穴居人の魔術
獣の皮に身をくるんだ男が一人、分厚く積もった雪を踏み抜いて、息を切らしながら、白銀の世界にまっすぐ足跡を刻んでいた。とりあえず、岩壁にぶちあたるまでは目を伏せていてもいいはずだ。無理に遠くを見ようとするより、睫毛で目を守らなければ眼球が凍り付いてしまいそうだった。
ここのところ大きな獣が減っている。近所に人が多かった頃は、しばしば獲物を巡っての争いも起きたが、争いで“赤い水”を失う者が増えてくると、自分もいつかそうなるかもしれないと想像せずにいられる者はほとんどいなくなり、狩りに加わった男達が互いに互いを監視するうち、むしろ掠奪者から獲物を守って皆で分け合うようになった。男の担ぐ凍った後ろ脚もそうして手に入れた分け前だった。一人で狩れる獣などたかが知れている。白い世界を日のあるあいだじゅう歩き回っても猟果がないのはしょっちゅうだ。だから、大きな獣の居場所を隣人同士で知らせ合い、狩りに貢献できなかった者にさえおこぼれがあるのは、とてもありがたかった。
岩肌のわずかな凹凸に毛皮の靴を引っ掛けて這い登る。手指は氷のようだが身体の芯は蒸し暑く、幾重もの毛皮を脱ぎ捨ててしまいたいほどだ。男の背丈の倍ほどの高さに開いた入り口へ帰り着くと、洞穴の奥の焚き火が消えており、その隣で妻が子供達を抱いたまま動かなくなっていた。背負った獲物がとつぜん何倍にも重たく感じられた。人の体内に満ちる“赤い水”には“熱”を蓄える役割があり、“赤い水”と“熱”のどちらか一方でも失えば、人は土に還るしかなくなる。小さな身体を幾度もさすったが、子供が“熱”をとりもどすことはなさそうだ。男は青白い握りこぶしを根気よく揉んで開かせ、その手のひらに赤い石をこすりつけると、洞穴の壁の狩りの絵の横に押し当てた。
男は魔術を信じていなかった。土から生えた緑が枯れて土へ還るように、獣も人も生まれては土へと還る。緑や獣や人々に土でない瞬間があるのは、すべて“たまたま”で、魔術の介在する余地はない。しかし赤い石をくれた人物は、魔術の力を信じていた。凍った肉を分けてもらいに行ったときのこと、その男の洞穴は壁じゅう赤い獣でいっぱいだった。赤い石は脆く、平らな壁に押し付けて少し力を加えるだけで粉になる。赤い粉で、たとえば◯を描けば、足元の丸い小石の形をどれでも壁に写し取ることができる。彼は壁面の◯を“絵”と呼んだ。壁いっぱいの獣の絵は、大きな獲物を仕留めるたび一頭ずつ描き加えているらしかった。獣の絵が次の獣を呼び寄せるのだそうだ。
物事には三つのつながり方があると彼は言った。ひとつは、投げたものが必ず下へ落ちるような、考えるまでもなく明らかな関係。もうひとつは、生まれたものがいずれ土に還るような、少し考えれば分かる関係。そして三つめは、空に氷粒が舞うとき現れる光の蛇のような、考えてもよく分からないが確かにあるといえる関係。すべては“たまたま”で、絵は無駄かもしれないが、少なくとも何もしなければ得られるものは何もない。ならば描かないよりは、絵がもたらすかもしれない計り知れぬ魔術の力を信じる……。赤い石をひとつ男に手渡して、「きみと争いたくはないから、あまりたくさん採ってくれるなよ」と前置きしたうえで、彼は赤い崖のありかを教えてくれた。
凍った肉を手みやげに妻子の元へ帰ってからも、男は相変わらず魔術を信じなかった。だが寒さと飢えをこらえて過ごす吹雪の夜はあまりにも長く、気がつくと焚き火の明かりを頼りにして、一心不乱に獣の絵を描いていた。ツノのある獣。牙のある獣。毛皮や肉や腱や骨がたくさん採れる大きな獣。手前側だけでなく奥にも脚があることをどうにも表現できずにもどかしい思いをしたりもしたが、何頭ぶんもの獣に取り組むうちに、男の絵は上達していった。
狩りに出れば実物を見て、その姿を可能なかぎり詳しく目に焼き付けた。詳しく観察することで、以前は気に留めていなかった肉の付き方や毛皮の模様がくっきりと浮かび上がるようになった。子供達が獣の絵に興味を示せば、狩人の姿を描き添え、どこから獣を狙い、どこへ槍を打ち込むと一撃で仕留められるかを、洞穴に居ながらにして教えてやることもできた。
ある朝、男は理解した。獲物のないまま腹を空かせて迎えた日でも、獣の絵は存在し続けている。そして壁に描かれた狩りの様子を眺めていると、今日はどうして獣を追い詰めてやろうかという希望が沸いてきて、空腹を忘れさせてくれる。狩りの絵は、今この場にないものを、過去に感じた喜びを、写し取って保存できるのだ。明日も。明後日も。それが男にとって、絵のもたらす魔術の力だった。
子供達がもっと肉を食べて逞しく育ったなら、妻といっしょに、どこか獣の多い緑の土地へ連れて行こうと思っていた。……が、もう待つ理由もなくなった。白銀の世界はどこまでも果てしなく広がり、どんなに遠くへ獲物を探しに出ても、これまでのところ緑の土地など見当たらなかった。男もまた雪原のどこかで力尽き、うずくまったまま硬く冷たくなるのかもしれない。土から生えた緑が枯れて土へ還るように、獣も人も生まれては土へと還る。すべては“たまたま”だ。しかし絵だけは、洞穴に残してきた妻と子と男自身の手形だけは、この地に“たまたま”人々が生きた瞬間を保存し続けてくれるだろう。
おわり