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オン・ザ・ロード  作者: seto yuzuki
6/8

470円 公衆電話 50円玉

 知らない家の車庫のなか、車のそばで目が覚めた。頭ががんがんして口のなかが酸っぱかった。ぼくは身を起こし、その場でぼうっとしていた。自分がどうしてここにいるのかわからなかった。そもそもここがどこなのかもわからなかった。でもやがて何かを思い出し、どん底の気分になった。

 外はすっかり暗くなっていた。月が高い位置で輝いていた。どこかで夜の虫が鳴いていた。どこかの家から犬の遠吠えがした。

 自分はいったい何をしているのだろう、とぼくは思った。自分はいったい何をしているのだろう? ぼくは切実にそう思った。

 足に痛みを感じた。見てみると、足の裏が血でにじんでいた。ぼくはサンダルをはいていなかった。どこでサンダルをなくしたのだろう? でも何かを思い出そうとすると頭の右らへんがずきずきと痛んだ。そして急に吐き気を感じ近くのどぶで吐いた。でも吐きだすものが何もなかった。胃がヒクヒクするだけで、かわりに涙がこぼれた。

 口のなかをすすごうとリュックから水を取り出そうとした。でもリュックがどこにも見当たらなかった。ぼくのリュック! ぼくはとっさに家の向かいにあった公園に走って向かった。それはさっきまでいた公園だった。

 リュックはすぐに見つかった。電灯の明かりのした、ベンチの上やベンチのまわりにリュックの中身が散乱していた。財布は開かれた状態でベンチの上にあって、小銭は地面にばらまかれていた。小銭は盗まれた様子はなかった。お金があまりにも入ってなくて盗む気もなくなったのかもしれない。

 ぼくは小銭470円や着替えの服や本など落ちているもの全てを拾い集めてリュックの中に詰めこんだ。何の感情もわかなかった。何も考える気になれなかった。公園の水飲み場で頭に水を浴びせた。それでも相変わらず頭はぼうっとしたままだった。


 ぼくは住宅街をさまよい歩いた。自分がどこを歩いているのかわからなかった。どこに向かっているのかもわからなかった。ただひたすら歩き続けた。夜の虫がうるさくわめいていた。なにも考えないようにしているのに虫たちは意識の裏口からやってきて頭のなかで激しくわめきたてていた。耳ざわりだった。耳を切ろうかと思った。五感すべてを断ち切ってしまいたかった。水を飲んで、また吐いた。そしてまた歩きだした。


 ひたすら歩き続けた。気がつくとぼくは図書館の前にいた。どうやってここに来たのか覚えていなかった。駐輪場を見てみると、ぼくの自転車がなくなっていた。まるで自転車があったまわりの空間ごとごっそりと盗まれたようだった。でもぼくは探すことはしなかった。なぜかそれだけは冷静に考えることができた。自転車は盗まれた。もう盗まれたのだ、と。ぼくはかつて自転車があった空間をぼんやりと眺めながら、ポケットのなかの470円をじゃらじゃらと触っていた。ぼくはしばらくその場で突っ立っていた。そしてふたたび夜の町を歩きだした。


 しばらく歩いていると目の前を一匹の猫が横切った。猫はいったん道路のまんなかで立ち止まり、ちらっとぼくを見て、それからすたすたと歩き去っていった。その猫はぼくの家で飼っている猫のララにそっくりだった。(ララはしっぽが根元のあたりでちぎれていて、まるでちくわみたいに太くて短いしっぽをしている猫だけど、その猫もだいたい同じ形のしっぽをしていた。)

 ぼくはその猫にララと呼びかけてみた。でももちろん返事はなかった。それからぼくはララのことを考えた。そして、どうせぼくのことなんて気にもかけずに二階の出窓のところで眠っているんだろうと思った。

 でも頭がまた痛み出したのでそれ以上考えるのをやめて、ぼくはまた歩きだした。


 しばらく歩いていると、すっかり暗くなっているタバコ屋の店前に公衆電話があった。ぼくはポケットのなかの小銭をじゃらじゃらしながらその場で立ち止まり、公衆電話をじっと見つめた。なんだか無性に電話をかけたくなった。誰でもいいから知っているひとの声が聞きたくなった。でも、そんなことをしたらダメだ、ともうひとりのぼくが言った。「全部捨ててきたんだろ?」「覚悟を決めてここまで来たんだろ?」と。でも、どうしてダメなんだ? とぼくは思った。何のためにそれを守らなくちゃいけないんだ? それを守ることでぼくはいったい何を守ろうとしてるんだ?

 ぼくは震えた手で受話器を取った。家族の声を聞いたらそれで終わりにしよう、とぼくは思った。誰かが電話に出たらちょっとだけララの話でもして、そして夜が明ける前にすっぱり死んでしまおう。何も無理して生きる必要もない。もう十分に生きた。後悔はない。

 ぼくは公衆電話に十円玉を入れ自宅の番号を押した。ボタンを押す手が震えていた。呼び出し音が鳴ると、胸がしめつけられる感じがした。プルルル、とコールが鳴った。5回くらいコールが鳴ったとき、急に胸が苦しくなって、息ができなくなった。我慢できず、ぼくは受話器を元に戻してしまった。

 十円玉が音を立てて戻ってきた。ぼくはその場にへたりこんで泣きだした。ほっとしていた。死にたくない、とぼくは思った。そのときはじめて自分は死にたくなかったんだと知った。

 ぼくは公衆電話の下に座りこみながら、死にたくない、死にたくない、と何度も呟いていた。


 しばらくして公衆電話から10円玉を取り出そうとしたとき、取り出し口に50円玉も入っていた。所持金が520円になった。ぼくはその50円玉の穴を指でいじくりながら、また夜の町を歩きだした。

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