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オン・ザ・ロード  作者: seto yuzuki
2/8

緑地公園 空腹 万引き

 少し進むと緑地公園があったので、僕らはそこで一休みすることにした。芝生が綺麗な大きな公園だった。

 ぼくは自転車を公園のわきにとめて水飲み場に向かい、そこで顔と頭を洗って歯磨きもした。そしてTシャツを脱いで濡れたタオルで上半身を洗った。それからあたりに目を配らして誰も見てないことを確認してからハーフパンツと下着を脱いでおまたをさささっと水で洗ってタオルでふいて新しい下着と半ズボンをすぱぱとはいた。それは神様も見逃すほどの早技だった。そしてこれが最後の未使用の着替えだったので、使用済みの汗くさい衣類やハンドタオルを蛇口の下の排水溝に放りだしそれらを石けんで洗って鉄棒を物干し竿がわりにならべて干した。太陽の日ざしが強かったのですぐに乾きそうだった。


 服が乾くまでひと休みしようと芝生の日陰のところで寝そべった。でも全く眠れなかった。眠たいのに、それより空腹の方が強かった。考えてみれば今日は起きてから(知らないおばあちゃんからもらった)トマトひとつしか食べていなかった。お金がなかったのだ。所持金は980円。たった980円で旅を続けなくちゃいけないのだ。そう簡単にお金を使うことはできなかった。

 どうしてこんなにお金がないのか不思議だった。家を出る時は2万円を持っていたのだ。それがたったの4日のうちに980円だ。昨日パンクの修理で4000円かかったけれど、その他はご飯と銭湯くらいしか使っていない(それとあとジュースとアイスくらい)。4日で2万円なんてなくなるものなのか? しかしどれだけリュックの中を見ても980円しか残っていなかった。全く理解できなかった。誰かに盗まれたとしか考えられなかった。

 ぼくは切実にお金が欲しかった。ぼくは生まれて初めて心の底からお金を必要としていた。今までお金に困ったことはなかったし、お金がなくても生きていけると思っていた。お金がないならある程度食事を抜けばいい、自分は我慢強い方だから努力次第でなんとかなるだろうと考えていたけれど、それは大きな間違いだった。食事を抜かして生活するなんてできなかった。ましてや一日じゅう自転車をこぐなんて努力や我慢で乗りきれるものじゃなかった。空腹は痛みに変わった。眠気も思考も奪ってきた。この先どうすればいいのか全くわからなかった。


「なあおい飯どうすんだ。まだ金はあるんだろ? とりあえず飯を買おうぜ」

 心は不満そうに言った。心は欲望のまま生きている。こいつは後先考えることができないやつなのだ。

「そんな簡単に言うなよ、金がもうないんだよ。ちゃんと考えて使わなきゃ」

「じゃあ金なんて使わなくてもいい。飯を調達しようぜ」

「どうやって調達するんだ?」

「決まってるだろ、盗むんだ。飯なんてこの世にたくさんあるんだ。少しくらい盗んだって誰も気付きゃしねえよ」

「何言ってんだ。そんなことしないよ。そんなことするために旅をしてるわけじゃないんだよ。そんなホームレスのおっさんみたいな恥さらして生きてくらいなら死んだほうがマシだ」

「カッコつけてんじゃねえよ、いまこうやって死にそうなくらい腹減ってんだ。盗む以外に道はねえよ。なあ知ってるか? ヒトは生きることではじめて人間になるんだよ。だからまず生きなくちゃ意味がない。そうだろ?」

「万引きしてまで生きるなんて、そんなゴミみたいな人生は絶対嫌だね」

「いつまで理想論言ってんだよ。こんな状況でかたいこと言ってんじゃねえよ。な、いいだろ? ちょっとくらい。誰にも迷惑なんてかけねえよ」

「しない。絶対にしない。どんなことがあっても万引きはしないね」

「あ? お前さ、それ本気で言ってんの?」

 心の口調が変わった。でもぼくも空腹でイライラしていたのだ。

「ああもちろん本気だよ。万引きなんて死んでもやだね。それなら残飯を漁る方がよっぽどマシだ」

「ああ、その通りだな。まったくもってその通り」心が鼻で笑った。「でもどうしてお前がそんなこと言えるんだ? 何べんも万引きしたことあるくせによ。それに家を出るときだって父親の2万円をくすんできただろ。それでも死んでもやだってか?」

 その言い方はかなり悪意があった。でもぼくは我慢強く答えた。

「何べんもじゃないだろ。確かに何回かはあるけれど、中1のときに数回――それも駄菓子のひとつやふたつだ。合計で三百円もいきやしない。それにあれは別に万引きしたくてしてたわけじゃないんだ。ただの興味本位っていうか、そんな時があるんだよ。しない方がおかしいんだ。わかるだろ? それに父さんのお金だってあれは家族のうちなんだから万引きとは言わないだろ。それに盗ったのは5万円のうちの2万円だ。父さんだって許してくれる」

「へえ、そうかい。じゃあウィスキーはどうなんだ? 旅の初日コンビニでばっちり盗んだじゃねえか。『ほら綺麗だろ? これが琥珀色っていうんだぜ?』とかカッコつけてただろ? あれも万引きじゃねえってか?」

「ウィスキーはまた別問題だよ。ちがうよ、まったく違うじゃないか! そんなのもわからないのか? ウィスキーは盗まなくちゃならないものなんだ。ぼくは未成年だから盗むしかないんだ。だからしかたないんだよ」

「ほら盗んだ。万引きだ」

「たしかに盗んだよ、認めるよ。ああ、ぼくは万引きしたさ。これでいいか? でもな、ウィスキーを万引きするのとこれからしようとしてる万引きはまったく種類が違うじゃないか。お金がなくて買えないから盗むなんて――そんなもの正真正銘、本物の万引きじゃないか!」

「万引きにニセモノも本物もあるかよ。それにおれからすればそっちのほうがよっぽどマシだと思うけどな。興味半分で万引きするやつなんかより、よっぽどな。なんたってちゃんと自分の気持ちに向きあってんだから。そうだろ? じゃあお前のほうはどうなんだ? ああだこうだ自分で勝手にルールを作って、自分のいいように解釈してよ、そうやって自分が悪者にならないように勝手に世界を作ってるだけじゃねえか。なあ、お前は神様にでもなったつもりかよ。お前は善悪まで決めることができるのか?」

「ああそうだよ、知らなかったのか? できるよ、そんなの当たり前じゃないか。なんたってこれはぼくの世界なんだから。そうだろ? なんでもかんでも全部ぼくの気持ちだよ。ぼくがどう思うか、それが一番大事なんだよ。そんなこと当たり前じゃないか!」


 会話はこれで終わった。電話がプツンと切れるようにぼくらの会話はそこで終わった。あとは腐った池の水のような沈黙だけがあたりに残った。

 ぼくは目をつむり、心臓の鼓動を感じながら、どうしてもっとうまく言えなかったのだろうと後悔した。

(ぼくの中で小学校の時にお菓子を盗ったことと父さんのお金を盗ったこととコンビニでウイスキーを盗ったことはそれぞれちゃんとした理由があった。そしてそれらのいわゆる万引き行為と、心がこれからしようとしている万引き行為は全く別物だった。でも頭の中ではちゃんと考えがあるのにそれをうまく言葉にすることができなかった。なんだかフォークで砂をすくっているような感じだった。そこにあるのに、すくいとれない。そこにあるのに、言葉にできない。でもとにかく言いたいことは万引きは絶対にしてはいけない行為だってことだ。ぼくは本当にそう思っていた。小学6年生のとき、よく通っていた駄菓子屋が潰れた。その原因は万引きだった。万引きが多くて経営がやっていけなくなったのだ。それは70歳くらいのおばあちゃんがひとりでやっている店で、おばあちゃんは身体が弱いからもし目の前で万引きされても犯人を捕まえることができなかった。まだ店が潰れる前、ぼくの知っているやつがそこで万引きした。というか駄菓子がいっぱい詰まった箱をまるごとごっそりと持っていったのだ、おばあちゃんの目の前で。でも、おばあちゃんはそいつを捕まえようとはしなかった。おばあちゃんはただ一言、そいつにこう言った。「あんた、もううちに来ないで」と。それを聞いてぼくはすごく悲しい気持ちになった。そしてもう二度と万引きはしないと誓ったのだ。) 


 干していた服はすぐに乾いた。できることならもっと休んでいたかったけれど、なんだかとても気まずい雰囲気で、休めるものも休めなかった。だからぼくは服をリュックにつめこんで、再び旅をすることにした。

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