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スタッフ専用休憩室 / 序


 父は暴力を好む人だった。

 ぼくと母に対して、鬱積うっせきした憤懣ふんまんをぶつけることが日常と化していた。

 思いだすのも辛い、嫌な思い出だ。

 だけど父がいたからこそ、ぼくら家族は、家族としてあり得たのだと理解はしている。

 事実、父は仕事に関しては真面目で熱意のある人だった。


 九州の混乱に乗じて母とふたりで家を飛びだしたのは小学校六年生のときだ。

 ぼくらは関西に住む親戚の家を訪ねて、そのまま父の暴力から逃れるつもりだったが、世の中はさらなる悪意に満ちた暴力で溢れかえっていて、ぼくらはその波にあっという間に飲みこまれてしまった。


 母が死んだ。


 ぼくの目の前で。ぼくを庇って。

 暴徒に襲われて、母はぼくの前から消えてなくなってしまった。

 普通だったら暴力を恨んで世の中を憎んで、そこら中にあたり散らして当然だろうと思うけど——いや、普通ってなんだ。なにが普通だ? ぼくは〝普通だったら〟と仮定した事柄のような行動にでたりはせずに、感情を内へ押しこめてきた。馬鹿みたいにひとり思い悩んできた。母の死は自分の責任であるとの思いを長いこと胸中に留めてきた。

 暴力を怖れ、暴力から逃れるべく笑顔を作り、他人のご機嫌を窺い、同意の言葉を連呼し続けて少しでも暴力から離れたところで生きていこうと、それだけを考えて暮らしてきたように思う。

 だけど、駄目なんだ。

 こんなんじゃ駄目なんだって、頭の中ではわかっていた。



 ——白石、おれに感謝しろよ。九州行きを命じたおれのおかげで、ひとまわり大きく成長できるんだからな。



 九州への出発前に、藤枝店長からいわれた言葉はいた。

 心の中を見透かされているように思えて、ざっくり胸の中をえぐられたように感じてしまった。

 なんとかしたかったんだ。

 自分を変えたくて人生をよいものに変えたくて、自分自身を成長させる切っ掛けを心から欲していたんだ。


 そして、

 いま、

 ぼくの目の前に、

 怯えて身体を震わせている人がいる。


 板野茉莉絵。


 ぼくよりも若い、まだ一〇代後半の少女でしかない彼女に、ぼくは峰岸氏の屋敷で命を救われた。

 ぼくの番——ぼくの番だ。

 いまが、まさにそのとき。

 彼女を救うべき、そのときなんだ。



「大丈夫だから」

 ——と、

 彼女に向けていった。

 いったつもりだったけど、喉を震わせることができず、声にならなかった。

 手にした銃を胸の位置に構えて、ゆっくり、ゆっくりと扉のほうへ向けて足を動かしているけど、気持ちは後方に引っ張られている。

 大丈夫。

 今度は自分自身にいい聞かせる。

 大丈夫だから。

 絶対に大丈夫だから。

 大丈夫? 大丈夫ってなんだ? なにが大丈夫なんだろう。

「うぅうう、うぅ」

 ……?

 どこからか、

「ううう、うッ。ううぅう」

 どこからか聞こえてくる嗚咽に耳を疑い、

「——?」

 振り返り、板野を見た。

「…………」

 彼女は泣いていた。

 声にだして泣いていた。

 居場所を知られたら殺害されるとわかっている最悪の状況下で、彼女は声にだして泣きはじめてしまっていた。


「板野さん——」


 不思議と焦る気持ちは沸いてこなくて、どういうわけかぼくも泣きたくなっている。

 泣きだしそうな感情がこみあげてきている。

 胸の奥でチリリとなにかが焦げている。

 ぐるりと回る。

 脳の中身が。

 記憶のひきだしを勝手に開けられているような——いや、そうじゃなくて、ぼくという個体が過去の時間に引き戻されているような感覚。

 いまここに存在するはずのない臭いが鼻腔に触れている。

 いるはずのない者の姿が、眼前にはっきりと見えている。

 泣かないで欲しい。

 泣いたりしないで。

 お願いだから、泣かないで欲しい。

 そして己が憎らしい。憎らしかった。怯えて身体を硬直させてしまっている無力な存在でしかない自分自身が本当に憎らしい。

 ぼくの前に、

 ばくの目の前に、

 いるはずのない人が、ぼくの、目の前に。



「——おかぁさん」


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