09 それは、嫌でも聞こえてくるものでした。
釣りをした翌日、朝食を求めて市場を歩いていると、他の人の会話が聞こえてくる。
特に注目することも無い会話がほとんどなのだが、時折「べーゼル」「忌み子」といった単語が耳に入る。
何となく居心地が悪くて、魔王の服の裾を掴んだ。
「ベルディ」
「どうした?」
「宿、戻りたい」
「そうするか」
何か見るものがあったかもしれないが、どうしてもそこに留まりたくなかった。
魔王は私の頭を撫でて、手を引いて宿に戻る。
宿の部屋に着くと、魔王は懐から何かを取り出した。
何かと思ったら、あの一瞬で飲み物を買っていたらしい。
それを片手に、魔王は窓際に座る。
そして私を手招きした。
近づくと、手を引かれて膝の上に乗せられる。
膝の上に乗せられて、腰に手を回されて落ちないように固定される。
「どうする、別の国に行くか?」
「別の国に行けば、聞こえなくなるの?」
「ああ。大陸を移動してしまおう」
「たいりく」
魔王の言葉を繰り返すと、魔王はどこからか地図を出してきた。
覗き込むと、とある場所を指さす。
「ここが、今いるところだな」
そこから、指が横に滑る。
「これが、ベーゼルだ」
「近いのね」
「まあ、隣国だからな」
魔王の指が滑って、線で区切られた別の所を指した。
「ここまで行けば、聞かなくなるだろう」
「そうなの?」
「ああ。ルディアを連れ出したのが人ならば、大陸を越えるにはこの国に行かなければいけないからな」
魔王の指が、先ほど示していたところの近くに止まった。
この国がある大陸、の、別の国だろうか。
「別の大陸に渡る船があるのはここくらいだ。恐らく、ここには兵士が来ているだろう」
「私を捕まえるために?」
「ああ」
どうする、と聞かれて、そこに行きたいと言う。
魔王は私の頭を撫でた。
そして、明日にでも行こうと言った。
「今日は、宿で休もう」
「分かったわ」
宿の外は、人がかなり多い。
窓から眺めるだけならいいが、あの中を歩くのは避けたい。
「……ベルディ」
「なんだ?」
「何で、私を膝に乗せてるの?」
「何となくだ。嫌か?」
「嫌ではないけど……」
重くないのだろうか、と思ったが、移動の時は私を抱いたまま空を行くのだから、問題はないのだろう。
それなら、と体重を預けて目を瞑る。
なぜか、とても眠たかった。
目を開けるとベッドに寝かされてた。
魔王は昼と同じで窓枠に腰かけていたので、身体を起こして近づく。
「ん、起きたか」
「ええ。今、どのくらいの時間?」
「日が昇る少し前だ」
私は思ったより眠っていたらしい。
だが、塔の上に居た時は特にすることもなく、長い時間眠っていた気もする。
塔を出てから長く眠り続けることはなかったから、反動だろうか。
「体調は?」
「……特に、変わりはないわ」
「そうか。なら、海を渡るぞ」
私が寝ている間に準備したのか、荷物は纏まっていた。
日が昇ってから宿を出て、門を潜って国を出る。
少し進んでから魔王に抱えられた。
空を歩いて、しばらくすると海が見えてくる。
海の手前で魔王が一度地面に降りたので、靴を脱いで足を水につけた。
「冷たいだろう?」
「ええ。でも、気持ちいいわ」
「そうか」
魔王はフッと笑って、どこかに向かって手を叩いた。
すると、前に一度だけ見た事のある人がどこからか現れる。
「お呼びですか」
「うむ。先に行き、バーゼーナの様子を」
「かしこまりました」
それだけ聞いて、女性はまた消えていく。
私は歩いて来た魔王に抱えなおされながら、その顔を見上げた。
「ばーぜーな」
「次に行く国だ」
軽く足を拭かれて、靴を履かされる。
何か紙を渡されたので開いてみると、昨日見ていた地図のようだ。
「ここだ」
「今いる場所は?」
「この辺りだな」
地図の中ではそんなに遠くないが、実際はどれくらいの距離があるのだろうか。
首を傾げている間に地図は仕舞われ、魔王は宙に浮いた。
「着くのは朝になる。眠ければ寝ておけ」
「分かったわ」
何かあれば声をかけろ、と言って、魔王は海の上を進み始める。
先ほどまで居た砂浜は見えなくなり、見えるのは海だけだった。
それなのに、何故かとても楽しい。
「あ、ねえ、あれはなに?」
海の中から跳ねて出てくる生き物の群れを見つけて指さすと、魔王はその方向に向かい始めた。
そして、その群れに加わるように進む。
「イルカだ」
「いるか」
「群れを作る賢い生き物だ。海のものではなく、陸の生き物の作りをしている」
「でも、海に居るのね?」
「ああ。理由は知らんがな」
「……ベルディでも、知らない事があるのね」
「多少はな」
イルカと言うらしい生き物の群れは、どこかに向かって進んでいく。
しばらくその仲間になってみたが、向かう先は違うらしく途中で流れから外れた。
「気に入ったのか?」
「……ええ。可愛かったわ」
「その感覚は分からんな」
「そう?」
「ああ」
黒く丸い目とか、可愛いと思ったのだが。
私の可愛いというそれは、他とは違うのだろうか。
どこかで他の人の可愛いというものを見てみよう。
そんなことを考えている間にも魔王は進み続け、気付けば私は眠りに落ちていた。