54 それは、まるであの日のようでした。
朝日に目を覚まし、固まった身体をゆっくりと動かす。
窓辺に座って無理な姿勢で寝たせいであまりよく眠れなかった気がする。
バキバキと音を立てる肩をどうにか動かし、窓の外で登っていく朝日を遮る。
足を床に降ろして立ち上がり、魔杖をただの杖のように支えにして扉に向かった。
扉をそっと押すと何の抵抗もなく静かに扉が開き、朝の冷えた空気が吹き込んでくる。
部屋の外に出て庭に足を踏み入れるとどこからか人が歩いて来た。
近くまで来るかと思ったが、何をするわけでもなく距離を保ってこちらを見ているようだ。
逃げないようにの監視なのだろう。
ともかくこのまま少し歩き回ってみるしかなさそうだ。
そう思って庭を通り抜け、道なりに進んで恐らくはここに来た時に降り立ったのであろう広場にたどり着く。
この周りは壁で囲われているようで、広場を進もうと思ったら距離を保ったままついて来ていた人が寄ってくる気配がしたのでそっとその場を離れる。
庭に戻ってくると距離は元に戻っていたので、あの場所には近付けない様にされているようだ。
他にもそういう場所があるのだろう。
塀で囲まれたこの場所からは出られない様にされているだろうとは思っていたが、見て回るのも少し大変かもしれない。
それに何より、昨日からほとんど食事を取っていないせいで力が抜けてしまった。
一度部屋に戻って座っているほうがいいかもしれない。
……今日は、食事の味が分かるだろうか。
もうお腹が空いたとも思わないが、食べないと身体を動かせない。
ここから外に出るためにも食べなければと思うけれど、味がしないものをどれだけ食べられるだろう。
考えただけでため息が漏れた。
部屋の窓辺に座って杖を手の中で転がす。
何度か魔力を込めようとしてみたけれど、全く反応しなかった。
この国では魔法が使えない、というそれは嘘でも何でもないのだと実感して疲れただけだ。
そもそも、その制約がなければ魔王は早々に来ているだろうから。
……そう思わないと、魔王は来れないだけで私への興味を失ったわけではないのだと思わないと、心が折れてしまいそうだ。
何度目かも分からないため息を吐いて、窓の外で揺れる花を意味もなく眺める。
そうしてどれくらい時間が経ったのか、扉が静かにノックされた。
目を向けると、私をここへ連れてきた男が立っている。
「おはようございます。食事をお持ちしました」
昨日の夜は別の人が持ってきたから、来ないものだと思っていた。
持ってこられたそれは昨日の物とは全く違う物だったけれど、なんだかあまり食欲は湧かない。
食べなくては、とは思っているのに。
「朝のうちに少し外に出られたという事でしたが、どうでしたか?」
「……どうもしないわ」
「そうですか。ここに置いておきますから、どうぞ少しでも食べてみてください」
昨日と同じように、食事の乗ったトレイが机に置かれる。
男が出ていったのを見送ってから立ち上がってソファに座り直した。
食事に手を伸ばし、柔らかなパンを千切って口に入れる。
噛んで、飲み込んで。
結局味はしないままで、それでも機械的に飲み込んで、最後は水で流し込んだ。
食事を終えたという感覚もないけれど、何も食べないよりはいいだろう。
そう思うことにして、少し休んでからもう一度部屋の外に出る。
朝と同じく少し離れたところから人に見られているようだが、気にせずに今度は庭ではなく城の廊下を進むことにした。
庭に面した廊下を進み、行ったことのない方へ向かう。
あまり建物の奥には入りたくなかったので、外廊下を選んで進み続けてどのくらい経ったのか。
途中何度か人とすれ違ったが、誰も私を気にしてはいないようだった。
使用人なのだろう人たちは私に頭を下げてきて、正直居心地が悪い。
どうしたらいいか分からないから早足に進んでいたのだが、ふと速度を緩めると視線の先に出てきたはずの部屋があることに気が付いた。
どうやらこの廊下は庭を囲むようにして作られているようで、一周して戻ってきたようだった。
本当は、もう少しあちこちを見て回ったほうが良かったのだろうけれどなんだか疲れてしまったので部屋の中に戻る。
食事は既に片付けられていて、水だけが置かれていた。
疲れてはいるし眠気もあるけれどベッドに入る気になれず、ソファに深く腰を下ろしてため息を吐く。
ずっとついて来ていた人影は部屋には入ってこないようだが、どこか近くで待機しているのだろうか。
そんなことを考えながらソファで横になり、杖を握ったまま目を閉じる。
そのまま寝てしまったのか、気が付けば夜になっていた。
窓の外には丸い月が浮かんでいて、その明るさに息が詰まる。
まるで、あの日のようだった。
魔王に初めて会った日。月の明るい夜。
決して開かない窓が開き、塔の外へと連れ出された日。
ずっと握っていた魔杖が手から零れ落ちて音を立てたが、拾う気になれなかった。
胸の奥が痛くて、思わず手を当てると硬いものが指先に触れる。
目を落とすと、胸元に付けた宝石が月の光を反射させていた。
魔王と揃えた飾り。彼の目の色と同じ宝石。
その飾りを首元から外して、両手で握る。
「……ベルディ……」
呟くように出した声は掠れていた。
誰にも聞こえないであろう、小さな小さな声だった。
涙が零れそうになって目を瞑る。すると、どこからか風が吹き込んできた。
窓は閉じているはずで、扉も閉めたままになっている。
一体どこから、と不思議に思って目を開けると、窓が外向きに開いていて、窓の縁に足をかけて立っている人が居た。
「我を、呼んだな。ルディア」
「……ベル、ディ……?」
「ああ。そうだとも」
それは、まるであの日のような。
まん丸の月を背にして、それと同じ瞳を優し気に細めて。
居ないはずの、来られないはずの魔王が、確かにそこに立っていた。
次回、最終話。
ということでそれなりに早めに投稿する予定です。




