05 それは、思ったよりも簡単でした。
魔王に連れられ、国を囲む兵の外に出る。
国を出て少し進んでから魔王に抱えられた。
日が沈む前にやりたいことがあるらしく、移動速度はとても速い。
「よし、この辺りでいいだろう」
「何をするの?」
「魔法印紙の使い方をな」
促されて太ももに付けたポーチから先ほど買った印紙を1枚取り出す。
魔王に渡すと、それは魔王の手の上で淡い光を放ち始めた。
見ていると、印紙が消えて炎が現れる。魔王の手の上に浮かぶ火の玉は、魔王が手を向けた方向に飛んでいき消滅した。
「これが印紙だ。描かれた魔法を放つ。魔法を使ったことは?」
「ないわ」
「そうか、なら、まずは魔力を操るところから、だな」
「……私に、使えるの?」
「ああ。すぐに出来るようになるだろう」
言いながら魔王が手を出してきたので、反射的に手を重ねる。
手が重なった部分だけ、空気が違うような気がする。
首を傾げていると、その空気は薄れていった。
「これが分かるなら、すぐに扱えるようになる」
「今のは?」
「魔力だ。触れた時にどう思った?」
「……手の、上だけ、空気が違った……」
私の答えを聞いて、魔王は満足そうに頷いた。
そして、再び手の上の空気が変わる。ここに魔力がある、という事なんだろう。
魔王は手の上に魔力を漂わせ、静かに言った。
「これと同じものを、自らの手の上に集める感覚を掴めれば印紙は扱える」
「……同じ、もの」
魔王はゆっくりと私の手から離れていく。
薄れていく魔力が全て消えてしまう前に集めたかったのだが、上手くはいかなかった。
首を傾げていると、魔王の手が頭に乗った。
「一度で出来る者などそう居らん。何度かやっているうちに出来るようになる」
「そういうものなの?」
「ああ」
もう一度手が重なり、魔力に触れる。
魔王の手が同じように離れていくので、どうにか魔力を留めようとするが、やり方が分からない。
手から離れた魔王の手が私の目に触れた。
片目だけ塞がれ、何をしているのかと魔王を見上げると手が離される。
手が離れた後の景色は、初めて見るものだった。
見える範囲全体に、色の付いた何かが浮いている。
「……これは、なに?」
「魔力だ。可視化した方がやりやすいかと思ってな」
「魔力、見えるものなのね」
「ああ。目に魔力を宿らせて視る事が出来る」
言いながら魔王は自分の手の上に魔力を集め始める。
周りの色が魔王の手の上に引き寄せられていくのは、なんだか少し面白かった。
魔王が魔力を霧散させた後、徐々に魔力が均等になっていく。
魔力が元に戻ってから、魔王の真似をして掌に魔力を集める。
最初は全く動かなかった魔力は、時間が経つにつれ少しずつ私の掌に引き寄せられ始めた。
魔王が集めた半分ほどだが手の上に魔力が留まり、勢いよく魔王を見る。
魔王は満足気に頷いて頭に手を乗せてきた。
そのまま魔法印紙を渡され、印紙に魔力を染み込ませる。
印紙が光り始め、溶けて炎が手の上に現れた。掌を適当な方向に向けて炎を押し出すと、その方向に素直に飛んでいく。
「で、きた」
「うむ。上出来だな」
消えた炎を目で追っていると、目から魔力が消えたのか残滓も見えなくなる。
そのうち自分で出来るようになるのだろうか。
「さて、では戻って夕食にするか」
「もうそんな時間?」
「ああ」
魔王に抱え上げられ、国の近くまで移動する。
途中で降ろされてゆっくり歩く魔王の後ろについて行き、その顔を見上げる。
すぐに気付いてこちらを見たので目を逸らし、魔王が前を見たので再び見上げる。
同じことを数回繰り返し、魔王が笑った。
「なんだ?」
「なんでも、ないの」
魔王は何か考えて、そうかと言って歩き始めた。
本当に、大したことではないのだ。
この者が本当に魔王なのか、少し疑問に思っただけ。
魔王であろうがなかろうが私にはあまり関係がない。
ただ、魔王、としか呼べないのは少し不便かもしれないと思った。
「……ねえ」
「なんだ?」
「貴方の、名前は?」
「名前?」
「他に人が居るのに、魔王と呼ぶのはまずいと思って」
魔王は振り返った体勢のまま固まってしまった。
そして何かを考えるように遠くを見る。
「我の、名か。……我を表す呼称は魔王と魔神であるからな……名は、ない」
「……魔神なの?」
「うむ。この世界の神が1柱だ」
「そう、なの」
名前よりも重大なことを教えられた気がする。
そちらに意識が持って行かれそうになるが、今は名である。
「名はないの」
「ああ。故、好きに呼べ」
「……なら、少し、考える」
「うむ」
再び歩き出した魔王の後ろをついて行くと、国の塀が見え始めた。
徐々に人も多くなってきて、何となく話しかけづらくなる。
「……神って、居るのね」
「居るぞ。人に干渉しているのは我くらいだがな」
「……貴方は、何の神なの?」
「そのまま、魔の神だ。それが故の魔王だな」
「魔王が魔の神になるの?」
「いや、今は我が魔王をしているだけだ」
人が増えてきて、この話はまた今度と言われてしまう。
……神など居ないものだと思っていたが、少しだけ、信じてみても良いかもしれない。