42 それは、とても飲みやすくなりました。
朝日に照らされて目を開ける。まだ眠たいが、今日は朝市に行くのだったと思い出して身体を起こす。
ぼんやりとあたりを見渡すと、窓辺でお茶を飲んでいる魔王を見つけた。
……いつものお茶だろうか。
「ん、起きたか」
「ええ……おはよう……」
「おはよう。……飲んでみるか?」
「ええ!」
じっと手元を見ていたら、軽く笑われた後にカップを差し出される。
受けとって中身を見ると、いつも通りとても濃い色をしていた。
香りは好きなのだ。最初からずっと。
あとは味だけ。それが好きになったら勝ちな気がしている。何に勝つのかは知らないけれど。
……まあ、正直に言うと魔王が飲んでいるから気になって、魔王が好き好んでいるのだから美味しくないわけはないだろうと、これを美味しいと思ったらもっと色々美味しいものを教えて貰えるのではないかと、そんな気持ちが大きい。
つまり、言ってしまえばただの食い意地だった。
でも仕方ないだろう。魔王に連れ出されてからというもの、美味しいものをたくさん知ったのだ。前の食事には戻れないし意地でも戻らない。
「……苦いぃ……」
「ふっはははは!」
そんな食い意地で再挑戦したお茶は、以前と変わらず苦くて飲めなかった。
……これを美味しいと思うのは無理なのか、それとももっと時間を置けば飲めるようになるのか。
無理に飲む必要はないと言われているのだが、どうしても美味しく飲んでみたい。
「そんなに笑うことないじゃない……」
「はは、すまん」
言いながら尚も笑って、魔王はカップを受け取った。
そしてそのまま口を付けて中身を飲み干す。
……やはり、魔王にとっては美味しい物らしい。
「んー……」
「何も無理に飲むことはないだろう」
「そうなのだけど……でも……うーん……」
魔王と同じものを、と。そんなことを最近よく思ってしまうのだが、それでも無理なものは無理だろう。こればかりは諦めるしかなさそうだ。
そう思ってベッドを降りると、魔王は二敗目のお茶を用意していた。
……まだ、飲むのだろうか。
それならその間に着替えてきてしまおうと服を持って隣の部屋に移動する。
髪は、まあ魔王が結んでくれるだろう。
着替えて戻ると、窓辺に座り直した魔王に手招きされる。
素直に従って寄っていくと、椅子に座らされた。
座ったところでカップを渡された。その中身は、先ほどのお茶より色が淡い。
「……これは?」
「苦くて飲めないというからな。甘く仕立ててみた」
「そんなことも出来るのね」
口を付けると、先ほどまでとは違ってかなり飲みやすくなっていた。
思わず魔王を見上げると、楽し気な笑みが返ってくる。
「どうだ?」
「美味しいわ!」
「そうか」
答えてもう一度カップに口を付ける。
その間に髪を結ぼうとしているらしく、椅子の背もたれに挟まった髪を回収するためか頭を押された。
ぐぐぐっと入る力に何となく逆らいつつお茶を飲んでいると後ろから笑い声が聞こえてきた。
「朝市に行くのだろう」
「ええ。急がないといけない?」
「いや、まだ大丈夫だろう。だが、他にも買うものがあるからな。今日は一日買い物で終わるだろう」
結び終わったらしい髪をポンっと叩かれて、慌ててお茶を飲み干す。
カップを置いて立ち上がると上着を肩にかけられた。
それを着ている間に魔王が荷物をまとめていて、すぐに宿の外に出る。
「朝市はどこでやっているの?」
「坂を下った海辺だ。さあ、行こう」
差し出された手を取って、歩き始めた魔王の背中を追う。
振り返って、止まった宿がそれなりに高い位置にあったのだと気付いた。
ベッドの質だけで選んだのか、他に理由があるのか。
覚えていたら後で聞いてみることにして、今は辺りを見渡すことにする。
やはり昼と夜とでは随分と見え方が違うようだ。
歩いているうちに市場が近くなってきたようで、どんどん音が増えていく。
「賑やかね」
「この地区の朝市は特に賑わうからな。逸れない様に」
「分かったわ」
念押しされたということは、それほど人が多いということなのだろう。
両手で魔王の腕にくっついて、転ばない様にと足元に注意を向ける。
どんどん人が増えていく道を進み、人ごみに流されないように腕に力を込めた。
魔王は人ごみの中を器用に進んでいく。
私はそれに付いていくだけだが、それでも疲れてしまうくらいの人ごみだった。
「大丈夫か?」
「目が回りそう……」
「少し休むか」
そう言って歩く方向を変えた魔王は、人通りのない細道に入って私の頭にポンっと手を置いてくる。
とりあえず魔王に寄りかかりながら通りを見ると、向こう側が全く見えないほどの人が溢れていた。
「本当に、人が多いのね」
「今日は特にだな。月の市に当たったらしい」
「月の市?」
「月が満ちる日に特別大きな市が開かれるのだ。調べてからくれば良かったな」
大きな市は見てみたいが、人が多いのがこれほど疲れることだとは思わなかった。
落ち着くまでこの細道に居ることにして、今はそっと魔王に体重を預けて目を閉じる。
そのままじっとしていると、人の喧騒が少し離れていったような気がした。




