38 それは、どこまでも楽し気な声でした。
「はーい、そのまま飛ばしてくださいねぇー。お上手ですよー」
ゆったりと間延びした声が響く。
その声に釣られるようによたよたと進む火の玉は、徐々に大きさと速度を失っていき最終的に消滅した。
それを見届けて杖を両手で握り直し息を吐くと、そっと布を手渡される。
「お疲れ様です。だいぶ飛距離が伸びましたねえ」
「ええ……こんなにすんなり飛ぶようになるのね」
「今までは魔王様が過保護すぎたのですよ。人は脆いですが意外としぶといものだとかの方は知らないのです」
どこか怒るようにそう言ったリリアさんは、私が顔を拭いたのを確認して布を回収し、代わりに水を渡してくれた。
少し味のついたこれは、ただの水より体に吸収されやすいのだとか。
汗をかくのは良いことですが、流れた分の水を塩を取らねばいけないのです!と最初に言われて、それからこうして休憩には渡されるままに水分を取っている。
ちらっと目線を動かすと、屋根の上に魔王が座っていた。
邪魔はしないが見てはいる、と宣言して、大体は屋根の上に陣取っているのだ。
リリアさんは魔王を見つけてはニヤニヤと何か企むような笑みを浮かべているが、今のところ何もしていない。
「さて、どうされますか?とりあえず目標にしていた場所までは届いたので、今日は終わりでもいいですが」
「時間があるなら、もう少しやりたいわ」
「分かりましたぁ!じゃあ次は威力を上げましょうか」
考える間もなく答えれば、リリアさんはニコーっと満面の笑みを浮かべた。
そして、指を一振りして空中に氷の塊を作り出す。
「これを溶かし切りましょう。最終的には一気に行きたいところですが、今はじわじわ炎を当てて溶かして行けるとよいですねぇ」
「分かったわ」
浮かんだ氷を見据えて杖を構える。
魔力を集めて炎を生み出し、それを少しずつ大きくしていく。
じわり、じわりと氷が解けて水が落ちてくるが、まだまだ氷は大きいままだ。
球体の形をしている炎を少し横に伸ばすように動かして、炎が当たる面を大きくしてみた。
少し、落ちてくる水の量が増える。
このまま溶かしきれるだろうかと火力を上げ、掲げた杖をきゅっと握り直す。
氷が全て溶け切ったのは少し経ってからで、氷が消えたのを確認して炎を散らし、杖を下ろした私にリリアさんが飛びついてきた。
驚いてよろけそうになるが、リリアさんが支えているようで倒れはしない。
「凄いです!まさか最初から溶かし切れるなんて!ああもう本当に素敵です!」
「あ、あの、リリアさん?」
「失礼いたします」
どうしたらいいのだろうかと考えている間に、リリアさんの後ろにはベルさんが現れていた。
そして一言発してからリリアさんを引きはがす。
その間にもリリアさんは終始楽しそうに笑っていた。
「今日はここまでに致しましょう。これは私が受け持ちますので、ルディア様は湯浴みでも」
「分かったわ、ありがとう」
リリアさんの首根っこを掴んだままいつも通りの口調でベルさんがそう言って、そのまま去って行った。
私は言われた通り汗を流そう、と家の中に入り、そのまま浴室に向かう。
魔王は多分あの距離でも会話は聞こえていただろうから、部屋に戻ったらそこにいるだろう。
お湯を浴びて服を着替えて、髪を拭きながらリビングを覗くと予想通り魔王が座っていた。
いつものように私には苦すぎるお茶を飲んでいる。
私が近付いていくと、自分の横の椅子を示した。座れと言うことなのだろう。
「何を見ていたの?」
「ベーゼル兵の動きについて報告が来たのでな」
「……何かあった?」
「何もない。相も変わらず形だけの捜索をしているという報告だ。読むか?」
首を振って断ると、魔王は持っていた紙の束を机に置いた。
そして私の後ろに回って髪を拭き始める。
魔王は、私の髪を弄るのが好きみたいだ。
朝起きたら髪を結って、お湯を被った後はこうして丁寧に水気を取られる。
弄って楽しいものなのかは分からないが、弄られるのは好きなので大人しく座っている。
「次に行く国は、ベリルアでいいか?」
「ええ。……どのくらいで、出発かしら」
「今の進み具合ならそう時間はかからんさ。リリアがあまり引き留めるようなら勝手に行くまでだ」
話している間に、頭の上から布は消えて代わりにあたたかな風が当てられている。
髪が舞っているのを感じながら閉じていた目を開けると、魔王が見ていたのであろう地図が目に入る。
今いるのが、どこだったか。
どこをどう移動してきたのかよく分かっていないので、後で聞いてみようと思ってずっと忘れていた。
今聞いてもいいだろうか、と後ろを窺うと髪は乾いたようで、満足げに髪を撫でる魔王と目が合った。
「どうした?」
「……この島って、どこ?」
「地図には乗っておらん。このあたりだ」
とんっと魔王が指を置いた場所は、何もない海の上だった。
この島は隠しているから載っていない、のだろうか。
それとも、地図に乗せられるほどの大きさがないからなのか。
「今まで通ってきたのはどういう順?」
「ここがベーゼル。王城はこのあたりだな。ここから……」
ススっと地図の上をすべる魔王の指を追っている間に随分時間が経ったようで、いつの間にか外は暗くなっていた。




