03 それは、とても賑やかな場所でした。
「見えてきたぞ!」
「あの、丸いもの?」
「ああ。アルフトアだ」
魔王は楽しげに言った。
指さす先には、丸く縁どられた国がある。
あれが隣国、アルフトアらしい。
「アルフトアには市場がある。特に賑わうのは朝市だ。ここに二日ほど泊まっていくぞ」
「あさいち」
「商人が集まり、様々な物が売られるのだ」
「どんな物があるの?」
「探せばなんでもあるぞ」
我は魔導書を買ったことがある、と魔王は言ったが、魔王に魔導書は必要なのだろうか。
アルフトアが近付いてきて、魔王は地面に降りた。
私も降ろされ、フードを被せられる。
「さあ、ゆくぞ!」
歩き出した魔王を追いかけ、国の中に入る。
魔王は何故か入国許可証を持っていて、止められることなく簡単に入ることが出来た。
「その許可証、どうしたの?」
「正規の入手法で作ったぞ」
「魔王なのに?」
「我は手間をも楽しむ魔王なのだ」
魔王は得意げに言った。
そして、人で溢れる通りに入る。
これは、何だろうか。なぜこんなに人がいるのだろうか。
「ねえ、待って」
「ん?大丈夫か?」
「大丈夫じゃないわ……人で壁が出来てる」
「ははっ。ここはいつでもこうなのだ」
魔王は笑って私の手を引いた。
引かれるままについて行くと、人の量が一気に少なくなる。
「休み休み行こう。そうだな、先に宿を取るか」
言いながら立ち上がった魔王に、少し待ってと声をかける。
私は生まれてこの方塔の上の狭い部屋で過ごしていたのだ、この多くはない移動でも、体力が底を尽きた。
「そうか、気が回らなくてすまなかったな」
魔王はそう言って私の横に座り直した。
休んでいる間に、私が知らない常識を聞いておこうと声をかける。
「ねえ」
「なんだ?」
「私、物の買い方も知らないの」
魔王は何か考え、懐から何かを出した。
小さな袋のようだ。
それを開けて、中から硬貨を出して私の手に乗せてくる。
「それがこの世界の通貨だ。人間界ならば、それで物が買える」
「どの国でも?」
「ああ。数百年前に統一されたのでな」
大きさと色の違う数枚を掌に乗せられ、一枚ずつ表裏を見てみる。
描いてある絵柄はよく分からない。
「これが半銅貨、一番価値の低いものだな。半銅貨5枚で銅貨と同じ価値だ」
順に説明され、全ての説明が終わった所で魔王の手に硬貨を戻す。
どれくらいで何が買えるかは明日、買い物をしながらだそうだ。
話しているうちに呼吸も整ったので、再び魔王について行く。
逸れないようにと差し出された手を握り、人の波に攫われないように足を動かす。
しばらく何が何だか分からないまま進んでいると、魔王が横に逸れた。
手を引かれてそちらに行くと、1軒の建物の前に居る。
「ここが宿屋、旅人が泊まる場所だ」
「やどや」
建物の中はそこまで人も多くなく、見渡しているうちに魔王は人に声をかけていた。
「2人、2晩だ」
「部屋は?」
「1室でいい」
「どうぞ、上がって突き当りです」
やり取りが終わったのか、魔王は何か持って声をかけてきた。
ついて行くと持っていたのは鍵のようで、部屋の扉を開けて中に入って行った。
部屋の中はベッドが2つと机とイスだけで、何となく塔の中に似ている。
それでもこの部屋の方が明るいし、どこか温かみがあった。
「この部屋は1晩銅貨5枚、2晩で青銅貨1枚だ」
「宿は全てそんな値段なの?」
「いや、この宿は安い方だな。高い宿はもっとする」
鍵もそんなに信用できるものではないらしい。
だが、魔王は魔王である。
侵入者は自分で対処できるから、と泊まるのはいつも安い宿らしい。
それでも、ベッドの質だけには少しこだわっているのだ、と言っていた。
「さて、少し休んだら何か食べに行くぞ」
「何を食べるの?」
「そうだな……アルフトアの名物は中に具の入った大きなパンだ。それにするか」
言われただけでは想像もできないそれは、何とも興味をそそられる。
食べたい、と呟けば、魔王は私の手を引いた。
「近くに美味い店があるのだ。この時間ならそう混んでもいるまい」
楽しげな魔王に手を引かれ、宿を出て通りを進む。
本当に近いらしく、すぐに魔王は止まった。
店に入るとすぐに席に通される。
魔王がいくつかのものを注文しているのを聞きながら、店の中を見渡した。
席は多く、半分ほどが埋まっていた。
料理の前に飲み物が運ばれてきて、魔王に促されてそれを飲む。
「美味しい……」
「だろう?」
初めて飲むそれは甘く、驚いて飲んでいるうちにすぐ無くなってしまう。
魔王は笑って同じものを頼んでくれた。
そうこうしているうちに大きなパンが運ばれてきた。
魔王はそれを真ん中で割り、中を見せてくる。
中には煮込まれた野菜や肉が入っていて、美味しそうな香りを漂わせていた。
切り分けて皿に盛られ、差し出される。
湯気の立つそれを口に運ぶと、口の中いっぱいに肉汁と野菜の旨味が広がった。
「美味しい」
「うむ。いい食べっぷりだ」
魔王は満足そうに言って、自分も食べ始める。
窓から見える外は相変わらず見渡す限り人である。
ここに来る人は、皆こんな美味しいものを食べているんだろうか。
「ねえ、世界にはもっと美味しいものもあるの?」
「あるとも。特に、ベリルアの魚料理は格別だ」
「そうなの」
美味しいものを頬張りながら、美味しいものの話を聞く。
なんとも贅沢な時間の使い方だった。
こいつ、本当に魔王なんですかね。ただの旅好きに見えてきた。