19 それは、とても楽しいものでした。
朝日の昇らぬ時間、そっと寝室に入室する。
主はいない。そもそも、眠っているところを見たことが無い。
故、ここに来る理由はベッドに埋まって眠る人間の少女である。
主が買い与えたらしい小さな羊のぬいぐるみを大切そうに抱えて眠るこの少女は、妙に主に気に入られている。
自分が暫し離れる故、少し見ておけ、などと。
リリアがいるにも関わらず……いや、リリアがいる故か。
彼女は、この少女に好奇心、或いは妙な対抗心を持っているようだ。
それか、ただ本能で彼女を取り込もうとしているのか。
私には、主がこの少女を気に入っている理由が分からない。
私には分からないような何か……何かがあるのかも、しれない。
そもそも、私程度が主を理解しようとしていること自体が傲慢なのだろうか。
だが、元来私は魔に属するもので、その本質は傲慢であるはずだ。
それなのに。それなのに主に対して不穏な動きをしているリリアを咎めてしまう。
それは、別に我らの主従関係では問題のない行為のはずなのに。
「……ん……ベル、さん……?」
じっと眺めていたら、少女が目を覚ましてしまった。
深く礼をして闇の中に下がると、しばらく不思議そうにこちらを見ていたが、眠気に負けたのかもう一度布団をかけ直して寝息を立てていた。
その様子を眺めて、どのくらい時間が経っただろうか。
ふと気配を感じて窓辺を見ると、そこに主が座っていた。
深く礼をすると、主が指を掬った。
その動きに従って近くに寄ると、眠っている少女を指さされる。
起こさないように声を潜めて、そっと告げる。
「変わりはありません」
「そうか」
私の言葉を興味なさげに聞いて、主は窓の外に目を向ける。
それを見て、もう一度礼をして部屋を後にした。
「ルディア」
「……んー……」
名前を呼ばれて、軽く身体を揺さぶられる。
緩い振動に身体を起こすと、魔王が優しい目をしてこちらを見ていた。
ここに来てから、私が起きる前に移動してお茶を飲んでいるから、こうして起床直後に見るのは久々だ。
「どうしたの……?」
「祭りに行かないか?」
「まつり?」
「人の集まる、何かを祝ったり願ったりする催事だ」
人が集まる、と言うが、それは行っても大丈夫なのだろうか。
私のそんな考えを読んだのか、魔王は笑った。
「ベーゼルの兵が居ない事は確認済みだ。それに、遠い国だからな」
「行っても、大丈夫なの?」
「ああ」
「行きたい……」
「なら、行くか」
行くのは早い方がいい、と言われて急いで準備をする。
着替えている間、魔王は窓の外を見ていたのだが、着替えが終わると手招きされた。
近付いて行くと椅子に座らされて、髪を結ばれる。
今日は高い位置でひとつに纏められたようだ。
動くと揺れる感覚が少し面白い。
「よし。朝食を取ったら行くぞ」
「分かったわ」
部屋を出る魔王について行き、リリアさんの居る部屋に入る。
用意されていた朝食に手を付けると、リリアさんは楽しそうにお茶を注いでくれた。
「行かれることにしたんですね」
「ああ」
「ガルガリのお祭りは賑やかですからねぇ。きっと楽しいですよ!」
「がるがり」
「今日行く国だ。ベーゼルとは違う大陸になる」
魔王からいつだったか世界地図を見せてもらったことがあったが、今回行くのはどこなのだろうか。
……というか、ここはどこなのだろか。
後で聞いてみようと思っていると、食事が終わったらしい魔王が横に来た。
「行けるか?」
「ええ」
手を引かれて立ち上がり、そのまま家の外に出る。
ここから出るのも久しぶりだ。
「どのくらいかかるの?」
「そう長くはかからないが、向こうに2日ほど留まる予定だ」
「そうなの」
宿に泊まるのも、久々だ。
魔王は宿選びが丁寧なので、どんな部屋か見ているだけでも楽しい。
魔王に抱えられて海の上を進み、海の中に居る大きな魚を目で追って。
天高く上がってみたり、海のすれすれを進んだり。
あれは何かと訊ねれば、その答えを教えてくれる。
楽しい時間だった。
「あれだ」
「……何か、高い塔がある?」
「ああ。船を導くためのものだ」
近付いてくる陸地を前に、魔王は高度を上げた。
そのまま陸の中に入り、道から少し外れたところで降ろされる。
「ここの方が、バーゼーナより近いの?」
「いや、お主が慣れてきたからな。速度を上げた」
手を引かれて歩きながら、徐々に増えていく人を眺める。
こんなに多くの人が集まると、歩けなくなりそうだ。
そんなことを思っているうちに国が近くなっていき、中からは賑やかな音楽が聞こえてきた。
国の中に入ると、目の前には色とりどりの旗や衣装が舞い踊っている。
目に入ってくる色の量が多くて、目が回りそうになる。
手を引かれているので、魔王に寄って腕に掴まると軽く頭を撫でられた。
「大丈夫か?」
「目が回りそう」
「はは、そうか。まずは宿を探すぞ」
「分かったわ」
宿を探すのにも苦労しそうな人混みの中を、魔王は流れるように進んでいく。
どこもかしこも人が多い。
祭りとは、こんなに人が集まるほどのものなのか。
目は回りそうだったが、その賑やかさに心が躍るもの事実だった。




