17 これは、昔の記憶です。
食事の支度を粗方終わらせて、私は後ろを振り返る。
そこには小柄な人間の少女が居て、今は編み物に手を出しているところだった。
その姿を見て、主がこの少女に執着する理由を考える。
一体何がそうさせるのだろうか。
特別なものが、何か。私が感じているもの以上の何かがあるのだろうか。
「ルディア様」
「ん、なあに?」
「食事の支度が出来たので、魔王様を呼びに行ってくださいますか?」
「ええ」
声をかけると少女は素直に編み物を置いた。
そして外に出ていく。
その背中を見送って、用意の終わった食事を並べながら思い出す。
今の主、つまるところ今の魔王が、魔王になった時のことを。
今でも、鮮明に思い出せる。
なんせそれは強烈で、初めて圧倒的な格の違いを思い知った瞬間であったから。
前の魔王とは、そう差を感じることはなかった。
正直言ってしまえば、私が部下を連れて謀反を起こしたら勝てるだろうと思っていた。
面倒だからやる気はなかったが、何かあったら本当にやっていたかもしれない。
だが、今の主は違う。
初めて見た時、あの方が天から降りて、一時的に魔王の座に就くと言った時。
忘れられるものかあの冷酷な目を。あの、私たちと人間を区別することすらなかった目を。
魔族は基本、強いものに従う。
それがある種本能ですらある。
だから、あの日私は、何があろうとこの人の下に居るのだろうと確信したのだ。
「……何があって、ああも甘々なんですかねえ……」
思わず呟いてしまうほどに、今の魔王と就いたばかりの魔王に差があり過ぎる。
あの頃の魔王は、大分魔王だった。
そう。そうだ。あの頃は、本当に、見ているだけで胸が高鳴ってしまうような威圧感があった。
思い出そうと思えば、いつだって思い出せる。
なんなら、自分の能力を使って夢の中で追体験するくらいには心が高鳴るのだ。
先代の魔王は、人間との戦いに負けた。
そうして魔の王の席は空席になり、そのままでは魔族が散り散りになってしまうことが危険視された、らしい。
それを淡々と告げて魔王の席に着いた魔の神は、何も見ていないかのような冷たい目で私たちを見た。
そして、地に響く様な声で言う。
「我に不満があるなら、今、この場で我が前に立て。全て潰してくれる」
魔王の玉座に深々と腰を下ろして、面倒くさそうに頬杖をついて。
歩み出たものが、自分の方に攻撃を仕掛けてくるのを確認してから、指の一本も動かさずに「全て潰した」のだ。
魔王軍と呼ばれていたその時の組織で、彼に挑まなかった将は私とベル、そしてもう1人だけ。
その3人は今、魔王からある程度の信頼と共に仕事を任されている。
私はこの小島の管理を。ベルは魔王の右腕として旅先での用事を。もう1人の同僚は、魔界で魔王城等の管理と書類仕事だ。
それが嫌すぎて、私はここに居座っている。
魔界に帰らない魔王の代わりに魔界の管理をするのは、彼以外では無理だろう。
手伝おうとは思わないが、多少の同情はする。
大変そうねーと声をかけてみたりもする。
そうすると、彼は薄い笑みを浮かべて言うのだ。
「そう思うなら、少し手伝っていかないか?」と。
それを無視してこの島に戻ってきて、別の事を始めるのが私の一定周期のルーティーンになってしまっている。
申し訳ないが、書類仕事は絶対に嫌だ。
そもそも夢魔にやらせる仕事ではないので諦めてほしい。
そんなことを考えている間に、魔王の気配が近付いてくる。
初めの頃よりずっと丸くなった魔力。魔神のものから魔人のものに近く変化した魔力。
その変化が、性格が変わった原因ではないようだが。
そもそも、性格も変わっていないのかもしれない。
私たちに対しては依然とそう変わらないのだから、やはりあの少女が特別なのだろうか。
「……リリア」
「あら、どうされました?」
家の中に入ってきた主は、何か厳しい目をこちらに向けていた。
私の思考がどこに向いたと思ったのだろうか。
何かあれば迷わず私を消し炭にするのであろう厳しい目を見つめ返して、どうしても表情が緩んでしまう。
「魔王様、何を思っておられるのかは存じ上げませんが、私は貴方の忠実な僕であろうと努めておりますよ」
「……そうか」
ああ、そうだ。その目である。
その目に、その冷たい気配に、私は仕えると決めたのだ。
だからどうか、今のまま。その少女に向ける目を私たちに向けないで下さいませね。
その優しい目を向けられたら、うっかり噛み付いてしまいそうなので。
私のそんな思考を、主は知っているのだろう。
怒るように、咎めるように、魔力の制止をかけてくる。
「ああ、魔王様。ベルちゃんがそろそろ帰って来るそうですわ」
「そうか」
「ルディア様の衣装の生地を持ってきてくれるらしいのですが、選ばれますか?」
「任せる」
「承知いたしました」
話しかけながら食事の支度をして、食べ終わったら片付けて。
また釣りに出た2人を見送って、洗い物をしているとベルが帰ってきた。
「おかえりー」
「感心しないな」
「何が?」
「意味もなく、主の不快を誘う行為」
「あら、バレてる」
怖い怖い、なんて適当に呟きを返したら、軽く頭を叩かれてしまった。
そしてまた彼女はどこかに去って行く。
魔王が変わり、忙しくなったのは彼女も同じのようだ。
魔王はちゃんと魔王なんです。




