01 それは、月の明るい夜でした。
我が国の王族は、かつてこの地に災厄をもたらした魔神をその身に封印して繁栄をもたらしたのだという。
魔神を身の内に封印した王族は、魔神を抑える為魔力が高く、魔法の才能に溢れているらしい。
だが、全ての王族が魔神を抑え込める訳ではなく、時折……そう、数十年に一度ほど、魔神を抑えることの出来ない「災厄を呼ぶ者」が生まれてしまう。
生まれた「災厄を呼ぶ者」はこの地に災厄をもたらさぬように幽閉され、生涯を終える。
そう、この塔の最上階で。
この部屋で。
この、魔法によって厳重に閉じられた牢で。
部屋の扉を開ける方法は一本の鍵、外からしか開かない扉を管理する鍵で、食事を持ってくる時しか使われない。
窓はあるが格子が付いているし、そもそも開く作りでは無い。
一応は王族だから与えられる食事はそれなりだし、服装はドレスで。
それでも扱いは囚人と同じだ。
やることなど何もないこの部屋で日が昇って落ちていくのを眺める。
毎日、毎日。
食事は2枚戸の中間に置かれるため、人と会うことはない。
人の姿を見るのは窓の外、下の方に微かに見えるくらいだ。
よくもまあ、今日まで言葉を話せたものだ。
そう自分を褒めてみても何も起こらない。
そもそも、自分の言葉があっているのかは知らない。
今日もまた陽が落ちた。
明かりなど無いこの部屋は、夜に何かすることは出来ない。
夜の闇にも慣れて、ある程度物は見えるのだが。
今日は月が綺麗だ。
部屋の中が明るい。
そろそろ、寝るか。
そう思って、ベッドに入ろうとしたときだった。
急に、部屋の中が明るくなった。
驚いて窓を見ると、そこには人が立っていた。
開かぬ筈の窓はその人を歓迎するかのように中央から開いて、付いていたはずの格子は柄となって消えている。
月を背に担いで、目だけを輝かせて、その人は言った。
「お主が、ベーゼルの忌み子か」
私を見止めて、ゆっくりと笑って言った。
ベーゼルの忌み子。それは、確かに私の事だろう。
久しぶりに使おうとした声は、掠れて上手く発せない。
「あ、なた、誰なの?」
どうにか絞り出した声で訊ねれば、その人は笑みを深くする。
そして、窓から降りて私の目の前に来た。
「我は、魔王だ」
「ま、おう」
「ああ、そうだ」
「どうやって、ここに、入ったの」
「魔王が故な。これくらい容易い」
笑みが落ちた。
嬉しさから来る笑みではなく、自虐に近い笑み。
「私は、本当に災厄を呼んだのね」
この短時間で動くようになった声は、スルスルと言葉を発してくれる。
もうずっと使っていなかったが、意外と動くものだ。
「なに、別にこの国に何かする気はない。我は、お主に会いに来たのだ」
「……え?」
「忌み子とされた姫が塔の上に居るというのでな。興味がわいた」
言いながら、魔王は窓に座る。
窓に掛けられた魔法が解けたはずだが、誰も気づいていないのか辺りは静かなままだ。
「もっと悍ましい者がいるかと思ったが、ただの愛らしい姫だったな」
そう呟く魔王に近付くと、それに気づいて顔を上げる。
目が合った。
空に浮かぶ満月よりもきれいな、金色の目。
「本当に、魔王なの?」
角などもなく、瞳孔が縦に割れているわけでもなく、その見た目は人にしか見えなくて、そんなことを聞いてしまった。
魔王は、にやりと笑った。
そして私の手を掴み、自分の胸に当てる。
そこに、鼓動が感じられなかった。
それが意味することが何なのかは知らないが、心臓が動いていないと生きていられないことくらいは知っている。
「我ら魔の者は人間のように心臓という核を持たん。魔物を倒すとその死体が消滅するだろう?それは身体を形作っていた魔力が外に流れるからだ」
得意げに話す魔王を見る。
人でないことは分かった。
確かに、人ではここに来れないだろう。
「しら、ないわよ。魔物が倒れるところなんて見たことないもの」
「ん?そうなのか?」
「そうよ。……だって、私ここから出たことない」
「何!?」
魔王は急に立ち上がった。
立つと私より大きいらしい。
見上げなければいけなかった。
「ここから出たことがない!?」
「ええ」
「では、空を見るのもこの小さな額か!?」
「額……?まあ、窓はそれしかないわ」
「ここから見えぬものは見たことがないのか?」
「そうよ」
魔王が急に黙って、何かを考え始めた。
そして、金色の目が細められる。
「お主は、金色に染まる空も、一面の花畑も、風に揺れる小麦も、広大な海も、人で溢れる市場も、飛竜が群れを成して飛ぶ姿も、何も見たことがないと言うのだな?」
「だから、そう言っ」
「決めた!」
魔王が急に叫んだ。
驚いて転びかけた私の手を取って、窓に片足をかける。
「我と旅をしよう!」
「え?」
「こんな狭い部屋、楽しめるのは精々3日だろう。美しいもの、楽しい事、それらを知らずに死ぬのはあまりに勿体ない。なら、これから旅に出よう」
妙に自信満々に魔王は言う。
そして、一度私の手を放して、私に手を差し出してきた。
自分の意志で掴め。そう言っている気がする。
「……私は、忌み子よ。災厄を呼ぶ者よ?」
「それがどうした。我は魔王だぞ?」
言葉で何か言ってみても、その手を掴みたくて仕方がない。
見た事がないもの、行ったことがない場所。私には、それしかないのだ。
「世界には、何があるの?」
「色々あるぞ。美味い物、不味い物、綺麗な物、目の毒になりそうなもの……」
「私は、何も知らないわ」
「案内してやる。我は旅慣れた魔王だからな」
得意げに笑う魔王は、私に再度手を差し出してくる。
ゆっくりと、震える手を重ねれば、すぐに引かれて抱えられた。
初めて窓を通さず見た月は、今までよりずっと綺麗だった。
書きたくなって書きましたが、続きがいつかは分かりません。