契約
翌日、シャーと開くカーテンの音と顔に当たる日差しの強さに目が覚めた。
あまりに強い日差しに目を開けることができず、手で日を遮りながら細く目を開くと
私の顔をニヤニヤと笑いながら覗き込んでいる折原さんの顔が飛び込んできた。
「わっ!なに!えっ?ちょ、、、なんだっけ?」
「ほらよ。原稿」
ポンとケースに入ったCDロムを足の上に投げ、クルリと振り返り大きく伸びをしている姿を見ながら(あ・・・待ってる間に寝ちゃったんだ・・)とやっとこの現状に気がついた。
いままでピッタリと締め切りを守ってくれる柚木先生の担当をしていた私は、こんな風に張り付きで原稿を待つことなんかしたことがなかった。
たまに他の人の話を聞いて(可哀想に〜)なんて思っていたけれど、自分が同じ目に合うなんて・・・・
「あ、、ありがとうございます」
「シャワー入るか?」
「いえいえいえいえいえ!とんでもない!」
「そんな寝ぼけた顔と頭で出社するのか?まずいと思うぞ」
冷静な顔に慌てて側のガラスに自分の顔を映してみると、なるほど言われた通りにマズイ状態だった。
「あ〜、、一度チーフに電話してから出社します。着替えもしなきゃならないし」
「雅・・・誤解したりしてな〜」
ニヤニヤと笑い、私の隣にボンッと座り煙草に火をつけてなにやら楽しそうな顔をしていた。
「誤解なんかする訳無いじゃないですか!」
「そうかぁ?」
ポケットから携帯を出し、手早くボタンを押したかと思うとすぐに話し出した。
「もしもし。雅か?悪いんだが、、、風間を昼まで借りていいか?アイツまだ寝てるんだよ。あぁ・・・。昼には行かせるから。ちょっと昨日の夜・・・・遅くなってな」
突然そんな意味深な言い方に慌てて電話を奪おうとすると、スッと立ち上がり、
子供の喧嘩のように私の頭を押さえ、邪魔をさせないようにされた。
バタバタとする私を尻目にニヤニヤした顔を一層笑顔になり、雅チーフに嘘ばかりを並べていた。
「もっと早くに風間を担当にしてもらえば良かったな。イロ〜イロ気に入った。昨日遅くまで付き合ってもらったから、今日は仕事を軽めにしてやってくれ。帰りは俺が迎えに行くから、残業は無しにしてくれな。じゃ、起きたら会社に行かせるから。寝相が悪いったら無いんだ・・・アイツ」
パタッと携帯を閉じ、ニカッと笑いながらこっちを見た。
「今日は残業無しだ。良かったな」
「良い訳無いでしょ!私、今日は柚木先生の校正もあるし、昼からなんか行って終わる訳無いです!それに変な言い方するの止めてください!」
「遅くまで付き合ってもらったのは本当だろ。嘘は言ってない」
面白がっている顔を見て、ムスッとしたままコートを着て帰る準備をした。
「家まで送ってやるよ」
「結構です!もう電車も動いてますから」
「そんな顔で電車に乗る気か?ほら、行くぞ」
車のキーを持ち、先に歩いていく後姿を見ながら、玄関にある鏡を見ると、
やっぱり人には見られたくない姿だった。
(ちくしょう・・・悔しいけど・・・仕方無い)
口を尖らせたまま助手席に乗ると、足元にハンカチが落ちていた。
「あの・・・これ」
フワッと持ち上げた時、微かに香水の香りがした。
そしてそれは記憶に残る香りだった。
そのハンカチを見た瞬間、また折原さんの顔が少しだけ曇ったような気がした。
「後ろにでも置いておけ」
「あ、、はい」
(なんだよ・・・コロコロ機嫌が変わるんだから・・・)
もう通勤ラッシュの時間も過ぎているせいか、スムーズに家まで着きアパートの前で車を降りた。
「あの。ありがとうございました」
「早くしろ」
「え?なにが」
「早く着替えてこい。送ってやる」
「いえいえいえ!これからシャワー入るし、時間かかるから結構です」
「なら、家で待たせてもらう。どーせ帰っても原稿はできているし、やること無いからな」
自分も車から降り、当然のように隣に並びこっちを見た。
「ちょっ!嫌ですよ!大丈夫ですから。一人で行けます」
「俺が送ってやると言ってるんだ。グダグダ言ってないで、早く用意をしろ」
ちょっと迫力のある顔で言われ、仕方無く部屋のドアを開けると、折原さんは珍しそうな顔をして部屋の中を見渡していた。
「ふ〜ん。案外普通の生活しているんだな」
「当たり前です!どこから見ても普通です」
「男が出入りしているって感じじゃないな〜」
洗濯物の下着をチラッと見てクスッと笑い、テーブルの上にあった週刊誌を広げてくつろいでいた。
(さすがに・・・・シャワーは入れないなぁ・・・)
簡単に着替え、顔だけ洗って用意をしているとリビングから声がした。
「シャワーはいいのか〜?覗かないぞ」
「いいんです!今日帰ってから入りますから!」
「真っ直ぐは帰れないぞ」
「は?」
慌ててリビングに行くと、週刊誌を見たまま煙草の煙を吐き出し
「今日の夜は付き合ってもらうから。丸一日風呂に入れないのは辛くないのか?」と
普通の顔をしていた。
「どこに、、、ですか?」
「ちょっとな。それと着替えも持っていけ」
「着替えって、、、」
「そんなラフじゃなくて、、、、あ。やっぱ着替えはいいや。風呂もいい。じゃあ行くぞ」
勝手に話をして、勝手に終わらせ、人が用意できたことも確認しないで玄関で靴を履き始めた姿を見て、慌ててバックを持ち着いていった。
(だから何なんだよ!この人〜)
会社の玄関の前にドーンと車を停められ慌てて助手席から飛び降り頭を下げた。
「じゃ、6時に迎えに来るからな。それまでにここにいろ」
「いやっ!それは無理です。校正があるから・・・」
「そんなの雅にやらせておけ。後から電話しておくから心配するな」
それだけ言って窓を閉め、車は発進してしまった。
ボケ~と車の去るのを見ていたが、気がつくと周囲ではこんな時間に男の車で出社した私を見る社員達の目が痛いほど突き刺さっていた。
「ちがっ!これは違います!仕事で遅くなったんです!」
誰に言う訳でも無いが慌てて説明をすると、みんな一応は愛想笑いでその場を離れていった。
(だから〜・・・・違うんだってば〜)
しょんぼりとしてエレベーターに乗り込み事務所のドアを開けると、さっきよりも一斉に好奇の目が注がれていた。
(もう・・・どうでもいいや・・・)
死んだような目になりながらデスクにバックを置き、雅チーフに出来上がった柚木先生と立花先生の原稿を手渡した。
「これ、、、2枚あるぞ?」
「ありますね」
「一枚は柚木先生だと分かるが、、、もしかしてこっちは立花先生か?」
「さすがに柚木先生が来月分まで書いてくれるとは思えませんからね」
原稿と私の顔を交互に見た後に、雅チーフは立ち上がって私の肩を掴み
「よくやった!泊まった甲斐があったな風間!」と無駄に大きな声で褒めだした。
「ちょ!泊まったってそこ強調しないでください!別に何も無いです!原稿を待っていただけで、あれは立花先生の嘘です!」
「嘘でもなんでも結構だ!おーぃ!杉山〜!印刷所に電話だ」
もうこっちのことなど無かったかのようにチーフは立花先生の原稿を宝物並みに大事そうに持って目の前から消えていた。
(うわぁ・・・。私なんかどーでも良いってか!人柱じゃん)
渋々とデスクに座り、みんなの痛いほどの視線を独り占めしながら柚木先生の原稿の校正を始めた。ヒソヒソと話す声に自然と耳が大きくなりながらも、なんとか普通の顔をして一日をやり過ごした。
6時を少し回る頃、みんなが窓の外を見てワイワイと話をしているのが聞こえた。
ふとそっちを見ると、慌てて蜘蛛の子を散らすように窓から離れるみんなの姿に不思議そうな顔をして近づくと玄関前にドーンと立花先生の車が停まっていた。
「うわっ!」
2〜3歩下がり、周囲を見るとみんなニヤッと笑った後に目をそらした。
「ちょっ!違いますから!そんなんじゃないです!」
慌てて弁解をしてはみたが、後ろから雅チーフに肩を捕まれ、
「大先生のお迎えだ。今日はもういいぞ」と真顔で言われた。
「だから!チーフまでそんな言い方やめてください!」
「風間・・・機嫌を損ねないようにな。先生が気に入ってくれているなら、とことん付き合ってくれ。が・・・・週刊誌だけは気をつけろ。俺が言えるのはそれだけだ」
「ふざけないでください!私は別に!」
みんなに聞こえないように耳元で小さく呟いた。
「俺はけして女で仕事を取る奴は嫌いじゃない。使える武器はどんなものを使ってもOKだと思っている。ただ・・・自分の立場を考えての行動を弁えろ。それだけだ」
ポンッと肩を叩き親指を立てて見送られた。
これじゃまるで、、、寝たから原稿をあげてくれたと思われているじゃん!
そんなぁ・・・・
ガックリと肩を落として玄関に行くと窓を開け陽気に手を振る立花先生が目に入った。引きつった笑顔で(機嫌を損ねるな)という雅チーフの言葉を頭で思い浮かべ小さく頭を下げた。
「定時ジャスト!良かったな残業が無くて」
「はぁ・・・。そうですね」
助手席に乗り込み、小さくため息をつきながら前を向くと隣で不満そうな顔をして顔を覗き込まれた。
「なんだその顔は・・・」
「先生が変なこと言うから、みんな私のこと誤解してますよ」
「誤解?」
「寝たから原稿あげてくれたって思ってるみたいです。まぁ・・・もういいけど」
あまり顔色を変えずに言う私を見て、彼は少し笑いながら車を動かした。
「俺は別に寝たからといって特別に原稿をあげてやったりしないけどな」
「つーか寝てませんけどね」
「寝てみるか?」
冗談ぽい言い方にチラッと先生の顔を見ると、ほんの少しだけ口元が笑いながらも
案外目は本気っぽかった。
「そんなこと冗談でも言わないでください。これでも私、いままで寝て仕事を取ったことなんか無いですから。恋人になった人としか、そんなことしません」
「恋人いないくせに〜」
「うるさいな!今はいないだけです!」
いちいちムカつくことをピンポイントで攻めてくるなぁ・・・まったく!
「俺と契約しないか?」
突然言い出した意味が分からず黙って運転する先生の顔を見ると、無表情のまま前を向き運転をしていた。
「なんの契約ですか?」
「お前は俺の担当になった。締め切りは守ってもらわないと非常に困る。そうだな?」
「まぁ・・・そうですけど」
「これから必ず締め切りを守ってやるよ」
「え〜!嘘!本当ですか?」
「ただし!ここからが重要だ」
キッ・・・と車を路肩に停め、こっちを見てニヤリと笑った。
「俺の女になれ」
「・・・・・・・・・・」
「恋人というほどまでじゃなくていい。当然お互いのプライベートには干渉しない程度だ。誰とどこで会おうとお互いのことは詮索はしない。どうだ?」
「それって、、、ただの都合の良い体だけの関係ってことですよね?そんなの私じゃなくても先生なら沢山候補いるじゃないですか」
「そんなに候補なんかいる訳無いだろう。みんな金目当てで、俺の妻の座を狙ってちょっとの隙を見つけては責任を取らせようと目を光らせている。そんな女じゃなくて、お前みたいな奴がいいんだ」
ちょっと!ちょっと〜!
私、最近何を悪いことしたんだろう。
こんな風に最初っから「体だけの関係でいこうぜ〜」なんて言われたこと無いよ〜!
「私、、そんな風に見えますか?」
「は?」
「そんなにH大好きって感じに見える?」
「さぁ?どうだろう。そんなに好きなのか」
「そうじゃないけど!だって普通そんな言い方っていうか、、誘い方しないじゃないですか。例えそんな風に扱おうと思っても、その言い方はどうかなぁ〜」
「俺は嘘は嫌いだ。まどろっこしい言葉よりも、最初からルールは決めておいた方がいいだろう。お前にとって悪い話じゃないと思うけどな」
本当に悪い話じゃないんだろうか?
って、、、悪いだろ!どうして寝てまでそんなことしなきゃならない!
「悪いです。非常に最悪にスペシャルに悪いです!」
「なにがだ?」
「なにがって、、、。どうして私がそこまでしなきゃならないんですか!」
私の言葉に不思議そうな顔をしながら煙草の煙を吐き出し首をかしげていた。
「お前、いつからしてない」
「へ?」
「最後に男に抱かれたのはいつだ」
「そんなこと先生に関係無いじゃない!それってセクハラですよ!」
「俺が見た所、、、2年くらいだな。あと一年で細胞が綺麗に入れ替わって処女になるかもな〜。三十路の処女って・・・」
プッ、、、と笑いながら運転をする姿を危なくグーで殴る所だった。
「お前がして欲しいことはなんでもしてやる。旅行だって欲しい物だって思いのままだ。仕事だって俺が今後一日だって遅れずに締め切りを守れば気を揉むことは無いだろう。暇な休日を過ごすことも無いし、なんでもしてやる。なにが悪いことだ?」
(ま、、まぁ、、、それが本当なら、そりゃ悪いことじゃないかもしれないけど・・・)
「俺と寝るってことが引っかかるのか?」
「そりゃ、、、そうですよ。そんな関係になったこと無いですもん・・・」
「じゃあ、お前が抱かれてもいいって思うまで一切そんなことは無しだ。どうだ?」
(ということは・・・・いつまでも思わなきゃしなくていいってこと?)
頭の中で考えていると、突然頭を鷲掴みされ前にグイグイと頷かされた。
「よし!OKってことでいいな!ゆる〜く行こうぜ!」
ゆる〜くってなんだ!ていうか、もうこれで本契約なの?
えー!ちょっと待ってよ〜・・・
渋い顔をしている間に、車はちょっと高そうな店の前に停まり、キョロキョロしていると助手席に回った先生にドアを開けられ降ろされた。
「なんですか?」
「いいから来い」
高そうな服が並ぶ店にこんな普通のそれも少し汚い格好をした私は不似合いな感じがした。店員の人達も見るからにゴージャスな中、自然と視線は俯き加減になった。
「じゃあ、さっき電話で伝えたようにな。俺は奥で待っているから」
折原さんの言葉に一番高そうな服を着た店員さんはニコッと微笑み、私の手を引きフィッティングルームに押し込まれた。
アクセサリーから靴、バックまで細かに持ち込まれ、強引にメイクまで少し直され
「よし。こんなもんか」と満足そうに言ったかと思うと、折原さんが待つ個室に連れていかれた。
「立花先生。こんな感じでいいですか?」
クルッと振り返り、上から下まで見た後に「まぁ・・・そんなもんだな」と言って席を立った。
「清算はいつものように頼む。じゃあまたな」
「はい。ありがとうございました」
「あ、、後な。これからコイツがここに来た時は好きな物をなんでも持たせてくれ。支払いは俺に。よろしくな」
「分かりました。ではまたのご来店お待ちしています」
店長さんらしき人は、私にソッと自分の名刺を渡し小声で
「お待ちしてますからね」と小さくウインクをした。
なにがなんだか分からないまま、店を出て次に車が停まったのはこれまた豪華そうなレストランだった。
「あの、、私マナーとか全然分かりません。その、、、フォークとかナイフとか・・・」
「大丈夫だ。個室にしておいた」
たぶん、この前のお見合いパーティーの時の食事とは天と地ほどの差があるくらいの本格的なフルコースに、正直味が分からないくらい緊張した。
「今日はガツガツ食わないな」
「なんだか、、、緊張しちゃって・・・」
「お前でも?」
バカにしたような笑いに本気で怒る気力も無いくらい緊張しすぎて顔が引きつっていた。半分も食べずに食事は終わり、これでやっと帰れる・・・と思ったのもつかの間。
次に車が停まったのは超豪華なホテルの前だった。