弱さという武器
レイさんに海人との過去を知っていると言われてから、私の足は自然と彼女の家から離れていた。
どんな顔をして会えば良いのかもわからなかったが、これ以上あの話を詰め寄られることも怖かった。
逃げてばかりはいられないとこも分かっているが、どうしても今までのように彼女と顔を合わせることができず、原稿の受け取りにかこつけて折原さんと外で会うようにしていた。
彼女を避けて数日後。
午前中にデスクで仕事をしていると一本の電話が入った。
「風間さん。外線1番にお電話です」
「あ。は~い」
仕事の話かとなんの疑いも無く電話にでた。
「はい。風間です」
「お仕事中にごめんね」
聞き覚えのある柔らかい声に一瞬にして背筋が凍るような衝撃を受けた。
「あ・・・レイさん」
「最近真羽ちゃんが来ないからどうしたのかと思って。もしかして私避けられてる?」
「あ、、いえ、、、そんなことは」
「そう?なら良かった。でね。今日の午後にこっちに来る用事は無いかな?」
「えっと、、、原稿の回収はまだなので、特には無いんですが。何かありましたか」
「うん。どうしても真羽ちゃんじゃないとダメな用事があるの。そんなに時間は取らせないから。いいかな?」
外出の時に少し寄るくらいなんの問題も無いのは確かだが、、、こんな時にレイさんに呼び出されるとどうしてもあの話になってしまいそうで本当は断りたかった。
「えっと、、、じゃあ進行状況をチェックしたいので、2時すぎでよければ。あまりユックリはできませんけど」
「うん!2時すぎね。待ってる」
この前の雰囲気など微塵も感じさせないくらいレイさんはいつも通りに電話を切った。
(でも私じゃないとダメな話って・・・やっぱりあの話なのかな)
不安な気持ちのままレイさんの家に足を運んだ。いくらレイさんでも折原さんの前で突然あの話はしないだろうと祈るような気持ちでインターホンを押そうとした時、ドアがカチャと開いた。
「いらっしゃい真羽ちゃん」
ニコッと微笑むレイさんに小さくお辞儀をして玄関の中に入った。
いつもよりも部屋がシーンとしているように感じ、部屋の中を見渡すと赤ちゃんの姿が無いことに気がついた。
「赤ちゃんは眠っているんですか?」
「うん。やっと眠ってくれた所。ちょうど話もできるし、あの子は空気が読めるみたい」
「・・・・・・・」
「コーヒーがいい?紅茶がいい?」
「あの、、、お話ってなんですか?」
「そんなに慌てないで。ユックリしていってよ」
「一応仕事中なので、あまり時間が無いのですが・・・」
「あ。じゃあちょっとだけ祐斗見ていてくれるかな」
「え?あ、、はい。いいですけど」
「じゃあそっちの部屋で様子を見ていて。泣いたら教えてくれるかな」
「は、、はい」
(なぜに私に赤ちゃんを子守させる・・・)
意味が分からず子供部屋に入るとスヤスヤと眠っている赤ちゃんがいた。こんな間近でレイさんの子供を見ることが無かった私はマジマジとその子の顔を見入った。
どこか目元が海人に似ているように思える。父親なんだから当たり前だろうが、きっとこの子も大きくなったら彼のようにスッキリとした顔立ちのイイ男になるんだろうなってちょっと微笑ましくなった。
「可愛いでしょ?」
振り返るとレイさんがドアの所でそんな私の様子を見ていた。
「あ、、はい。私あまり子供と接したことが無いので、いままでジックリ顔を見たことが無かったんですが、とっても可愛いですね」
「似てるでしょ?あの人に・・・」
「そ、、そうですね」
その言葉に少しだけ顔がヒクッ・・としてしまった。できるだけ普通にしようと思ったのに、やっぱり後ろめたさが先に立ち素知らぬ顔をして違うほうを見た。
そんなオドオドした私を見てレイさんはニッコリと微笑んだ。私も愛想笑いを浮かべお互い変な間を感じながら黙っていた。
「今日来てもらった理由を知りたい?」
「えっ、、あぁ。はい」
「うん。私色々と考えたんだ。このまま何もしないのってやっぱりダメだなって。だから行動に移そうと思うの」
「・・・・・?」
「この前の話の続きよ?忘れた訳じゃないわよね。あんな大切なこと」
(やっぱり・・・・)
「真羽ちゃんが振るのが嫌なら、振られるのはOKってこと?」
「え・・・」
「もしも和馬が私を選んだら。それはそれで仕方が無いことだって納得してくれる?」
「それは、、、」
レイさんの笑顔の下には折原さんが自分を選ぶという自信が見えた。
「もし和馬が私を選ぶことがあれば、真羽ちゃんは何も文句を言わずに彼と別れるって約束して欲しいなって思って。だってあの人優しいから、もし真羽ちゃんが嫌って言ったらきっととっても悩むと思うんだ。だから、もしも彼が私に傾くことがあれば、真羽ちゃんはスッパリと彼を諦めて欲しいの」
「あの、、、意味がよく分かりません」
「これから分かるわ。しばらくこの部屋で黙って私達の会話を聞いていて。じゃ。静かにね」
不適な笑いを浮かべ、彼女はそれだけ言って部屋のドアを閉まるギリギリの状態にしてリビングに戻っていった。
(これから・・?)
ベビーベットの側で立ち尽くしていると、二階の折原さんを呼ぶレイさんの声が聞こえた。
「和馬―!一休みしない?紅茶を入れたから降りてきて」
しばらくすると階段を降りてくる足音が聞こえてきた。
「さっき誰かと話をしていなかったか?なんだか真羽みたいな声が聞こえたような気がしたが」
「え?祐斗と話してたからかな。さ、座って」
私の存在を折原さんに気づかれないままリビングではレイさんと折原さんがお茶をする様子が感じ取られた。なんだか盗み聞きをしているようで気分が落ち着かない。
出るタイミングを逃したこともあるけれど、レイさんの意味深な言い方も気になる。
ドアの側に立ちながら二人の会話をつい聞いてしまう。他愛の無い日常生活のことだけど、なんだか折原さんが別人に思えるくらいだった。
「ねぇ。和馬に相談があるんだけど」
「なんだ」
「マンションを引き払って・・・ここに一緒に住まない?」
レイさんの話に胸がドキッとした。彼女は今ここで折原さんの気持ちを確かめようとしている。
私が隣の部屋で全部聞いていることを知って。
もしも、、、折原さんがOKしてしまったら・・・私は何も言い返すことはできなくなってしまうんじゃないだろうか。
しばらく部屋がシーンとしていた。折原さんは驚いて声も出ないのだろうか。自然とドアの隙間からリビングの様子を見ようと少しだけ覗いてみた。私の視線の先には折原さんの後ろ姿とこっちを向くレイさんの姿が見える。少しだけレイさんと目が合い、慌ててドアの内側に隠れるように身を翻した。
「あそこは引き払うつもりは無い。もう少し落ち着いたら戻るつもりだからな」
折原さんの言葉にホッと胸を撫で下ろし、小さく(ふぅ~)と息がもれた。
「和馬も私を捨てるの?」
「何を言いだすんだ。誰もそんなことは言ってないだろう。お前にはお前の生活がある。俺にも俺の生活がある。今は助け合わなきゃいけない時期だからこうしているが、時機に子供も落ち着けば色々と環境は変わる。もしかしたら兄貴だって戻ってくるかもしれない。そんな弱音を吐くな」
「弱音も出るじゃない!」
レイさんの少し大きな声に胸がドキドキしていた。
「あの人が戻ってくる保障がどこにあるの?もしかしたら、、今頃昔の女と一緒にいるかもしれないじゃない。もう私の所になんか戻ってこないかもしれない!そうしたら、、、私はずっと祐斗と二人きりじゃない!誰にも頼ることもできず、独りぼっちで頑張らなきゃいけない。そんなの、、私には無理よ、、」
「お前なら大丈夫だレイ」
「頑張れないわよ!本当は、、、毎日毎日辛いの。和馬と真羽ちゃんを見ていると自分ってなんて価値の無い人間なんだろうって思う。誰にも愛されないで生きていくことがどれほど辛いか分かる?目の前で仲良くされることがイラつくの!だから、、、具合が悪くも無いのに和馬を家に呼び戻したり、二人の時間を邪魔したり、、、これ以上私を嫌な女にしないで。もう、、、一人にしないで」
「レイ・・・」
これは芝居なんだろうか・・・
それともレイさんの本心なんだろうか。リビングから聞こえる小さい泣き声に私は動くことができずただ立ち尽くしていた。
そして、このレイさんの言葉に折原さんはどう返事をするのだろう。
「今は、、、色々大変だからそう思うのだろう。自分より他人が幸せに見えたり、羨ましかったりするのかもしれない。もう少し心に余裕ができれば、、、」
「そうじゃない!私は和馬に側にいて欲しいの!やっと気がついたの。昔から私をズッと見ていてくれたのは和馬だって。だから、、、真羽ちゃんと別れて欲しい、、、」
折原さんの次の言葉が怖い・・・
聞きたく無いのに、自然と体がドアの側にいき一言一句洩らさずに聞かなければと思う自分がいる。
突然バーン!とテーブルを叩く音に体がビクッとして、危なく声を出してしまいそうになった。
「俺と真羽が別れる時期をお前が決めるな。それに、今の話は全部お前のわがままだ。自分が可哀想だから、大変だから、辛いから・・・・だから誰かにそれを押し付けたいだけだ。けど、その原因を作ったのは自分にもあると思わないのか?どうして兄貴が出ていったのか。何か追い詰めるようなことを言わなかったか。今までそれを言うのは悪いと思って黙っていた。が、、、ここまで無神経なことを言われたら俺だって我慢の限界がある。毎回予定を潰される真羽の立場も考えろ。それでもアイツは文句の一つも言わない。それがお前はどうだ。「やっと気づいたとか」「真羽と別れろ」とか自分に都合の良いことばかりだ」
折原さんの言葉をレイさんは今、どんな顔をして聞いているのだろう。
きっと彼女の中では折原さんが「わかった」と二つ返事で私との別れを了承してくれると思っていたのかもしれない。
「とりあえず、来週から何日かお母さんに来てもらうことにしよう。子育てに慣れた人の手を借りればお前の疲れもかなり取れるだろう。俺は仕事の続きがあるから・・・」
「・・・・・・・・・・・」
シーンとした部屋の様子が分からない。レイさんも折原さんもその言葉を最後に何も会話をすることは無かった。しばらくすると階段をあがっていく音が聞こえ、折原さんがリビングから遠ざかったのだと分かった。
それでも私はいつこの部屋から出るべきかタイミングを失い、黙って立っているしか無かった。
数分後、ベビーベットの中の祐斗君がフニャフニャと起きだし、どうして良いのか分からないまま私は彼を抱き上げ、不慣れな手つきでなんとか泣かないようにあやしているとレイさんが部屋に入ってきた。
スタスタと側に近づき、少し乱暴な手つきで「触らないで」とだけ言って祐斗君を私の手から奪い背を向けて彼を抱きしめた。
その後ろ姿がいつも以上に小さく見え、なんて声をかけていいのか分からないくらい寂しそうに見えた。
「私、、、失礼します」
「・・・・・・・」
なんとも言えない居心地の悪さを感じ、この場から離れようとするとレイさんはスッと振り返り私を見つめた。
「もぅ・・・私には何も残っていない・・・」
今にも泣きそうな顔で小さくそう言うレイさんに言葉が出なかった。
「私から、、和馬を取らないで、、、、」
「・・・・・・・・・・」
「海人もいなくなって、、、和馬もいなくなったら、、、私どうすればいいの?」
「・・・・・・・・・・」
「もしも、、、本当に昔のことを悪いと思うなら、、、私から和馬まで取らないで、、、」
祐斗君を抱きしめペタン、、、と床に力なく座りこむレイさんを見てやっぱり何も言うことができなかった。
この人の幸せを壊したのは本当に私なのかもしれないって感じながら。
私が海人と出会うことが無ければ、今でもこの場に海人はいたのかもしれない。私が原因で不仲になった折原さんと海人の仲も壊れること無く、レイさんはみんなに守られて幸せな生活をしていたのかもしれない。
自分がとっても悪い人間になったように感じた。自分のせいで目の前の人が泣いている事実に動揺を隠すことができなかった。
「失礼します・・・」
足早にレイさんの家を飛び出し、1分でも1秒でもこの場から離れたくて家が見えなくなるくらいの所まで走り足の振るえで体がガクッとした瞬間に我に返った。
「昔のことを悪いと思うなら・・・」
彼女の言葉に胸が押しつぶされそうになりながら、その場にしゃがみこむと自分の目に涙が溢れているのを感じた。
私のしたことは取り返しのつかないことだったんだって、、今になって思い知った。
人ひとりの人生を大きく変えてしまったのかもしれない。
それほど深刻には考えたことは無かった。どこか自分は不幸だってそればかり思っていた。
奥さんがいる人だと知りながら一線を越えてしまったことは確かだ。
なんとなくドラマの主人公になったような気持ちでもあり、けどそれほど深く考えることでも無いかもしれないってどこか軽く考えていた所が最初はあった。遊びで誰かと付き合うことなどできる性格でも無いのは自分で分かっていたが、あれほど本気になるとも思っていなかった。
そんな軽い気持ちのスタートだったのに、自分でも驚くほど彼に夢中になり、彼のことでどれほど苦しんだかもわからない。
けど、、、そんな裏で同じように苦しんでいた人が他にいたなんて今になって痛いほどわかった。
そして、、、同じように自分にもその罰がこんな形で降りかかってくるなんて思ってもいなかった。
自分の幸せだけを思うのであれば、このまま何も言わず何も知らないフリをしているのが一番だ。
でもそれはきっと無理だろう。
あんな風に自分が不幸にしてしまった人の泣き顔を目の前で見てしまった今、知らぬ存ぜぬを通すことはできない。
罪を罪と認める気持ちがあるならば・・・
私がすることは一つしかないのかもしれない。
それは私の一番大切なモノを失うことなのかもしれない・・・・




