素直に・・・
翌日の日曜日。私は昨日の柚木先生の言葉を胸に朝からレイさんの家を訪ねることにした。
いつまでも一人でウジウジと考えていても悪い方にしか頭は回らない。
仕事でレイさんの家を訪ねてもまともに折原さんと会話をしないまま、すぐに原稿を持って帰ってきていたので二人の会話の様子さえも分からない。
(もう昔のことは関係無いって言ってたじゃない!)
今の私に足りないのは折原さんを信用するということだと改めて気がついた。
インターホンを押し緊張した顔をして一言目に何を言おうかと考えていた。
が・・・何度押しても反応が無い。
庭に回って中の様子を見てもカーテンが閉まったままで様子を見ることができなかった。
「もう10時すぎているのに・・・。寝てるのかな?」
携帯を取り出し折原さんに電話をしたが、電源が切れているのか繋がらない。
何度かドアを叩いたがやはり反応が無く、結局意気込んで家に行ったのに、なんの成果も無いまま私は家に帰ることになってしまった。
玄関を出てガレージを見ると折原さんの車が無いことに気がついた。
「あ・・・。あまりに緊張していて気がつかなかった。買い物でも行ったのかな?」
また私の頭の中では二人で楽しそうにデパートで買い物をする姿が頭に浮かび、自然と顔が曇ってしまう。
「はぁ・・・なんだかなぁ」
ブツブツと独り言を言いながらバス停まで歩いていると携帯から折原さんの着信音が聞こえた。
慌てて電話を取ると折原さんのほうが慌てた声を出していた。
「真羽か!今どこだ」
「あ、、、レイさんの家の近くです」
「そんな所で何やってんだ。今、お前の家の前にいる」
「どうしてそこに?」
「レイが産まれたんだ!入院の用意とか持っていかなきゃいけないんだが、どうにも俺じゃ分からなくて、で、、お前にと思ったんだが留守で」
「えーと、、、じゃあそのままこっちに来てください。用意ならきっとレイさんがしていると思うから家にあるんじゃないですか?」
「分かった!あっ!男の子だ!」
「はぁ・・・」
「取り合えずそっちに行く!じゃあとで!」
バタバタと電話を切られ、携帯を見つめながら無表情になった。
性別なんか名前を決める時点でレイさんが男の子だって言っていたのに。
嬉しそうな折原さんの声を聞いて、私はなんだか素直に赤ちゃんが生まれたことを喜べなかった。
数分でレイさんの家に到着した折原さんは興奮したように私を見るなり、昨日の出来事をまくし立てた。
どんな風に産気づいて自分はどれだけ慌てて彼女を病院に運んだか。
分娩室に入ってどれくらいの時間で出産したか。乳児部屋にいる自分の甥がどんな様子でどれだけ小さいか・・・・
こんなにしゃべる折原さんを始めて見たというくらい、折原さんはずっとそのことばかりを話していた。
その話が長ければ長いほど、私の機嫌はどんどんと悪くなり、どうにも一緒にその出来事を喜べることは無かった。
「いや~あんな時はやっぱり男はダメだな。もうすっかりレイは母親の顔になっていて驚いたよ。それにあんなに大変なのに産んでからの顔はすっかりと優しいお母さんの顔になっていてな」
「・・・・・・・・・」
「俺も少しだけ抱かせてもらったんだ。一緒に行ったから看護師さんが俺のことを父親だと思ったみたいで、「お父さんに似てますね」とか言う始末で。まぁ、、血は繋がっているから似て無いことも無いんだが、まだこんなに小さくて全然そんなの分からないのに口が上手いよな」
入院の用意をしたバックを探している私の後ろを追いかけるように話をしている折原さんに、
ムスッとした顔をして「はい!ありました」とバックを差し出した。
「おぅ!悪いな。で、、お前どうする?一緒に病院に行くか?俺はすぐに戻るけど」
その言い方にカチンッ!ときた。
「私は結構です。部外者ですし」
「部外者って、、。お前も見てみろよ!生まれたてはこんなに小さいのかって驚くぞ」
「結構です!一人で行ってお父さんすればいいじゃない!」
つい・・・折原さんがあまりにも嬉しそうな顔をするのを見て嫌味を言ってしまった。
「そうか。分かった。じゃあ家まで送る」
「買い物に行くからそれも結構です。じゃ・・・」
折原さんを一人家に残したまま私はレイさんの家を飛び出した。
別に嫌味を言うつもりなんか無かったのに。まるで自分の子供が生まれたかのように嬉しそうにする折原さんを見て平常心を保つことができなかった。
自分はなんて小さい人間なんだろう。新しい命が生まれたというのに、「おめでとう」の言葉すら出なかった。
「俺のことお父さんだと思って・・・」
その言葉を嬉しそうに言う折原さんを見ていて、同じように嬉しそうな顔をすることができなかった。
その日一日・・・
私はさっきの驚いた顔をした折原さんを思い出しては後悔をしていた。
夕方すぎに折原さんから電話が来たのに、それに出ることもできずベットに横になってボンヤリと天気予報やニュースや・・・どうでも良い番組を虚ろな顔をして見ていた。
夜になり暗くなった部屋にテレビの明かりだけが薄っすらとボヤケタように光っていた。
時計を見るともう8時になろうとしている。
「結局・・・なんて意味の無い週末だったんだろう」
体を起こし電気を点けたが、なんだか何もする気になれない状態だった。
ピンポ~ン♪
インターホンが鳴り黙ってドアを見つめていたが、どうせ回覧板とか宅急便だろうと出ることもしないでベットに倒れこんだ。
何度もしつこく鳴らすインターホンにイライラして怒った顔をしてドアを開けると、そこには折原さんが立っていた。
「いままで寝ていたのか」
「いいえ」
「嘘を言うな。電気が点いたのは今だろう」
「・・・・・・・・」
さっきまで反省して、今度会ったら今日の態度を謝ろうと思っていたのに、やっぱり折原さんの顔を見ると素直になることができなかった。
「どうしたんですか?こんな時間に」
「いや、、、なんだかさっきお前の機嫌が悪いように感じたから・・・。それが気になったのもあるし、今日はマンションに帰ろうと思ったから久しぶりに一緒にいられないかと」
本当はその言葉が嬉しかった。スッカリ忘れられていたと思っていたのに、こうして迎えに来てくれたんだと思うとすぐにでも今の態度を謝ろうとしたのに・・・
「しばらくレイは入院だしな。いない間だけでもお前の相手をしてやらないと機嫌が悪くなるだろうと思ってな」
なんの悪びれも無くそんなことを言う折原さんに静まりかけていた怒りが再浮上した。
(私はレイさんがいないから代わりってこと?)
「なによそれ・・・」
「あ?」
「いない間だけでも?私はいったい何なのよ!私が、、、どれだけ心配していたなんて知らないくせに」
「何を怒っているんだ。仕方無いじゃないか、状況が状況だもの。一人にしていたら昨日だってどうなっていたか」
やはり私が想像していた言葉が折原さんの口から出た。
けど、一度切り出してしまった言葉はもう止められなかった。
「レイさんは少し折原さんに甘えすぎだと思います」
「仕方無いだろう。現に兄貴がこんなことになってレイは一人なんだから」
「甘えれば折原さんが何でも言うことをきいてくれるってレイさんは分かっているのよ!私なら、、他人に迷惑をかけるくらなら身内にお願いする。お母さんだってあんなに心配していたのに・・・。あの時だってあんな風に言えば絶対折原さんが手を貸してくれるって思ってたのよ!」
「お前、それは言いすぎだろう。レイにだって色々と事情があるんだ。兄貴の仕事のことで親に迷惑をかけたんだ。これ以上そうすることが出来ないのも分からないのか」
何を言っても折原さんは全面的にレイさんの味方だと感じた。
私の気持ちなんて・・・どうでも良いんだ。
「そんなに心配なら病院にでも泊まりこめばいいじゃない!」
そう言ってドアを強引に閉めようとした時、一歩先に折原さんの足がドアの間に入り込んだ。
「真羽・・・ちょっと待て」
「もういい!一人にして!」
「話を聞けと言ってるんだ!」
あまりに大きな声を出していたので隣の部屋の人が心配そうにこっちの様子を伺っているのが見えた。
「あの、、、大丈夫ですか?」
「はい、、すいません。大丈夫ですから」
それでもジロジロと見ている視線に耐え切れず、折原さんを部屋に中に入れた。
もうこれ以上話をしてもどうにも答えは出ないような感じがした。けど、折原さんはいつもよりも怒った顔をしたままソファーに座りジッ・・・とこっちを見ていた。
一瞬その視線に弱気になりそうだったけれど、(全然平気です)という顔をしてお茶を差し出した。
「俺はお前がそこまで怒る理由が分からない」
テーブルにカップを置くと同時に折原さんが不機嫌そうな顔をして一言いった。
「こんな状況だ。お前はそれを理解してくれていると思ってた。お前が俺の立場なら同じことをしないか?」
逆ならば・・・たぶん私も同じことをしただろう。そう言われると段々と自分が不機嫌であることが悪いことみたいに感じてきそうだった。
「私なら・・・私が折原さんの立場なら、、折原さんが不安にならないように連絡をしたり、毎日状況の説明をして誤解されることが無いようにします」
毅然とした態度でそう言うと折原さんは少し呆れた顔をして笑った。
その顔がなんだかとてもバカにされているような気持ちになった。
「子供じゃあるまいし。毎日そんなことを連絡しないといけないのか?お前の<付き合う>というのはそんなことなのか?」
「それは、、、」
「くだらん。そんな恋愛ばかりに浮かれている女だとは思わなかった」
スッと立ち上がり、それ以上何も言わない折原さんの背中を見ながら何を言いたいけれど、何を言って良いのか分からず黙り込んでしまった。
折原さんが帰ってしまった部屋でポツンと一人さっきのことを考えていた。
つい数週間前まではこんな風に言い争うことなど一つも無かったのに・・・
いつもバカみたいなことで笑っていたはずなのに、いったい何が悪かったのだろう。
これは私だけのわがままなんだろうか?
レイさんと二人きりの折原さんのことを不安に思う私は悪いのだろうか?
私はそんなに恋愛ばかりに浮かれている女なのだろうか・・・・
この状況を打破できるキッカケはあるのだろうか。さっきよりも一人でいることが辛く悲しいと思える週末だった。
翌日。原稿の打ち合わせの為に気まずいながらも折原さんに連絡を入れた。
事務的に淡々と仕事の話だけをして切られる電話に、どんどんと気持ちは焦っていたが謝るきっかけも無ければ、何をどう謝ればいいのかすら分からなかった。
ただ時間が経てば経つほどこの小さい溝はどんどんと広がっていくような気がした。
気持ちだけが焦り、けどどんな行動をすれば良いのかまるで分からないまま数日が過ぎた。
その間、運悪く原稿を取りに行くという作業は無く、仕事と偽って折原さんに会いに行く口実さえも無かった。それでも無理に押しかけてまた喧嘩にだけはなりたくないと、少し時間を空け次の仕事で折原さんに会う日まで我慢をすることにした。
一週間後、ようやく原稿の引き取りで折原さんに会う口実ができたが、もうレイさんが退院し、また折原さんはレイさんの家で仕事をするようになっていた。
待ったことが良かったの・・・悪かったのか・・・
倍に気まずい感じがしながらもレイさんの家に足を運んだ。
玄関を開けると微かに赤ちゃんの鳴き声がし、リビングはバタバタとした様子に感じた。
しばらく玄関に立っているとレイさんが顔を出した。
「ごめんね~真羽ちゃん!どうぞ入って~」
顔だけをヒョコと出し、すぐにレイさんはまたリビングに戻っていった。なんだか居心地が悪い中リビングに足を運ぶと小さなベビーベットにいるフニャフニャとした小さい赤ちゃんを囲みレイさんと折原さんの姿が見えた。
なんとなく・・・そんな後ろ姿がお父さんとお母さんのように見えた。
「あの、、、原稿いいでしょうか?」
折原さんに声をかけバックから書類を出している私を折原さんはチラッと見てから、こっちに歩いてきた。
「お前・・・子供嫌いなのか?」
「えっ?」
「普通、生まれたばかりの子供を目の前にしたら「抱かせてください」とか「可愛いですね」とか女なら側に寄って大騒ぎするんじゃないのか?」
「・・・・・・」
別に子供が嫌いな訳じゃないけれど、なんとなく私が触れてはいけないような気がした。
何を言われても折原さんの言葉にトゲがあるような感じがする。
「ごめんね真羽ちゃん・・・」
レイさんの言葉に二人で顔をあげた。
「なにがですか?」
「私がずっと和馬を独り占めして・・・。もう大丈夫って言ってるんだけど、和馬ったら心配症で」
「いえ。別にそんなこと全然気にしてませんから」
笑顔でレイさんにそう言ったが、なんだか引っかかるような言い方に感じた。
「お前がしばらく実家に戻るというなら俺も自由にできるが、そうもいかないし。俺にだって責任がある」
「本当に頑固なんだから・・・」
呆れたような言い方をしたレイさんだけど、その顔には自信があった。
もう今の私は物事を真っ直ぐには見れないだろう。何を見てもレイさんは計算をしているように思えてかけてくれた言葉すら嘘に感じる。
「そんなに私とこの子にベッタリになるなら、いっそのことお父さんになってもらっちゃうわよ?」
クスクスと笑うレイさんの冗談に私は笑うことができなかった。
黙っている私に折原さんは「ほら」と今日の分の原稿を手渡し、何か言いたげに目を見つめていたが私はその視線を感じながらも目を反らし、忙しそうなフリをして帰ろうとした。
「真羽。明日は何時に終わる?」
「明日は・・・いつも通りですけど。どうしてですか?」
「仕事の資料も持って来なければいけないし、明日は一旦家に戻る。来れるか?」
折原さんの言葉にちょっと嬉しそうな顔をして「はい」と返事をした。そんな二人を黙って見るレイさんの視線を感じ、フッ・・とレイさんを見た。
私の勘違いかもしれないけれど、、、なんだかその顔つきは怒っているように一瞬見え、私と目が合ってすぐに慌てて笑顔に戻したように見えた。
「たまには二人でゆっくりして。私なら大丈夫だから」
「あぁ。何かあったら連絡をくれ。じゃ、真羽。明日な」
いつものようにポンッと私の頭に手を置きニコッと笑う顔に一緒に笑った。
気を使ってくれたことも嬉しかったけれど、レイさんの目の前でこうして行動してくれることにちょっとだけ安心した。
これで少しずつできた溝が消えていけばいいな・・・って単純だけど私は折原さんの気持ちが嬉しくて久しぶりに笑顔で会社に戻っていった。
家に帰り久しぶりの一緒にいられる時間を想像しながら翌日の洋服などを用意し、少しだけ気持ちがワクワクしていた。きっといままでの心配は私の過剰な勘違いだったんだと思いたい。
自分だけが焦っていたけれど、本当は何も前とは変わりないって思いたい。
翌日、少しだけ仕事を早めに終え、久しぶりに折原さんに手料理を作ろうとアレコレ買い物をしてマンションに足を運んだ。使っていいと言われていた合鍵を見てもつい笑顔がこぼれてしまう。
「もっと大人にならなきゃな・・・」
カシャと鍵を開け部屋の中に入るとそこには本棚に向かい資料を探す折原さんの姿があった。
二人きりでいられることが嬉しくて荷物を投げ出し、折原さんの背中に抱きついた。
「わっ!なんだ!」
驚いた顔をして振り返り抱きつく私を見てニコッと笑い、「へそ曲がりの甘えん坊が来たのか」と意地悪そうな顔をした。
「ごめんな・・この前は」
先に謝られて妙に照れくさくなり小さく頭を振った。けど、、、私にだって当然否は嫌というほどある。
「私も・・・ごめんなさい。子供みたいなこと言って迷惑かけて」
「最初からずっと子供みたいなもんだろう。それは仕方が無い」
「ちょっと!私だって!」
「俺は人と付き合うことがよく分からないなってたまに思うんだ。だから知らない間に相手を傷つけてしまっていたり、気がついた時には修復が不可能になっていたり・・・だからいっそそんな関係は面倒だって正直思っていたりもする。けど、思ったことを例え間違っていても言葉にすることは必要だなって思った・・・。そうやってお互いを分かっていくもんだろうしな」
折原さんの優しい言葉が心に染みた。
一人でイライラして考え込んでいたことは、きっと彼には伝わっていなかったのだろう。
けど、やっぱりどんな形であれ言葉で伝えたからこそ、今こうして二人でこんな話ができる時間が持てたんだ。素直になるって大事なんだな・・・
「またしばらくお前を一人にする時間が多くなるだろうけれど・・・いいか?」
「うん。大丈夫!」
気持ちは見えないから・・・信じることしかできない。
けど、信じなかったら何も始まらない。
「ずっと一人にされていた分、今日は嫌っていうほど甘えるんだから」
「そんなに体がもつかなぁ・・・」
「そっちじゃない!」
いつものような冗談を言いながら、久しぶりの二人きりの時間を満喫した。会っていなかった間に起きた事をお互いわれ先にと、いつまでも時間を忘れたかのように話をした。
柚木先生の話をした時、ちょっとだけ不機嫌な顔をして「アイツ・・・俺のいない間に」と悔しがる顔に少しだけ嬉しい気持ちになりながら、こうしてチョットだけだけれど素直になれたのは柚木先生のおかげかもなって思いながら目の前の笑顔を見ていた。
今は折原さんを信じてみよう。
またこんな風に一緒に笑いたいから・・・
ずっと一緒にいたいから・・・
この人の一番大事な人になりたいから・・・