消えてゆく自信
折原さんがレイさんの家にいるようになってから2週間が過ぎた。
いつもの週末ならば私は折原さんの家にいるのが当たり前になっていたのに、どうしても無邪気にレイさんの家に遊びにいけるほど私は心が広くないようだ。
こんな時なのだから折原さんがレイさんを心配しても何も問題は無いのに、どうしても素直にそれを受け入れられない。仕事の為に原稿を取りに行っても受け取るとすぐに帰ってきてしまう。
週末はいつも一緒にいるのが当たり前になっていたのに、ピッタリとそんなことは無くなってしまった。
どこかで折原さんが「お前も来い」と言ってくれれば、面倒臭そうな顔をしても内心喜んで会えることにウキウキと足を運ぶのだろうけれど、それさえも無い。
「二人でいるのが楽しいんだろうなぁ・・・」
一人で週末にポツリと部屋にいながらそんなことを考えていた。
もっと折原さんだって私にことを考えるべきだ。いつも一緒にいたのに、一人にして悪いなって少しでも思えばいいのに・・・
膨れた顔をしながら洗濯をし、それも終わってしまうと結局私は何もすることが無かった。
「なんか・・・前は一人でいるのが当たり前だったのに」
しばらく乗っていなかった自転車を物置から引っ張り出し、レンタルDVDでも見てこようかと夜の街に飛び出した。
週末に自転車に乗ってレンタルビデオ屋って寒い・・・と思いながらも自転車を走らせ、そしてちょっとした心配心でその足はレイさんの家に向かっていた。
「別に・・・ストーカーじゃないですよぉ~」
独り言を言いながら遠目にレイさんの家が見える所まで来ると明かりが点き、当たり前のようにガレージには折原さんの車が止まっていた。
レースだけ引いたリビングは中の様子がハッキリ見え、キッチンに並んでいる二人の様子が嫌でも見えてしまう。
楽しそうに笑っている折原さんを見て、あんな顔するんだな・・・ってどこか遠い人のような気がした。
私と一緒にいても料理を手伝ってくれたことなんか一度も無かったけれど、思えば折原さんはいつもレイさんのことは手伝っていたかもしれない。
「もぅ・・・帰ろうっと」
自転車を押しクルリと向きを変え歩いていると、すぐ横の道路に見たことがある車が停まっていた。
帽子を深く被っている運転手が私を見て慌てて顔を逆にしたのを見て、なんだか不思議でジッ・・・とその人を見てしまった。
「海人・・・?」
咄嗟に慌てて運転席の側に行くとバツが悪そうな顔をして「おぅ・・」と小さく手をあげた。
「どこに行ってたのよ!みんな心配してたのに!」
「こんな所で大きな声出すなよ。いいから乗れよ」
「だって自転車もあるし、、それよりすぐに帰ってあげて!レイさん凄く心配してて」
「いや、俺は帰らない」
「何言ってんのよ!もう子供だって産まれるのに」
「あの顔見ろよ。レイ、、幸せそうじゃないか」
海人の言葉にもう一度、家の中を見ると折原さんと二人で何かに笑っているレイさんが見えた。
ズキンと胸が痛くなった。
「真羽だって分かってるんだろ。和馬がレイのこと好きだってこと・・・」
「・・・・・・・・」
確かにレイさんは幸せそうな顔をしているように見える。
折原さんだって、、、
「勝手よ、、、」
「あ?」
「どうして今になってこうなるの!私の気持ちはいつも関係無いじゃない!」
「もっと落ち着いた所で話を・・・」
「貴方が帰るのはアソコよ!もう私の邪魔をしないで!」
こんな時・・・泣きながら走り去るほうが何倍も格好良いだろうなって思いながらも、私は自転車に乗ってその場から走り去った。
最近乗っていなかった自転車に足がパンパンになり、近くの公園のベンチでグッタリと体を投げ出しため息をついた。と同時に今の海人の居場所くらい聞いておくべきだったと後悔した。
どうして私はカッとなったら頭が働かないのだろう。
息を整え冷たいお茶を飲みながら、さっきの折原さんの笑顔を思い出した。
なんだか何もかもが嫌になる。
「結局、、、今、折原さんは幸せなのかもなぁ・・・」
ずっと好きだった人と一緒にいられるのは事実だ。
このまま海人が戻らないということは、レイさんは折原さんに頼るだろう。
きっと折原さんもそれを快く受け入れると思う。
火照った顔にペットボトルをあてているとバックの中の携帯がブーブーと何かを受信していた。
「あれ?柚木先生だ」
あまりメールなど送ってこない柚木先生にちょっと驚きながらメールを読んだ。
<お疲れ様です。えっと・・・確か今日締め切りの原稿があるはずなんだけど。もしかして真羽ちゃん忘れてない?電話したんだけど出ないからメールしておきます。読んだら連絡ください>
一気に悩んでいたことも吹っ飛び、柚木先生の原稿のことを思い出した。
「わー!そうだった!特別枠で一本無理に頼んだのがあったのに!」
折原さんのことで頭がイッパイだった私は仕事をスッカリと忘れ、今日中にあげてもらわないといけない原稿があったことを思い出した。
「もしもし!すいません!」
「やっぱり忘れてたな~」
「すいません!すいません!本当にすいません!」
その場で何度も頭を下げる私はとっても滑稽だったと思う。仲良く手を繋いで歩くカップルが私を見てクスクスと笑いながら隣を通っていった。
「で。今どこ?」
「えーと、、、家からちょっと離れた公園にいます。今からすぐに向かいます」
「公園・・・・。散歩でもしていたの?」
「いえ、、たまに自転車に乗ってみようと思ったんですが、運動不足で足が痛くなって休憩してました。けど、自転車ですぐに向かいますから」
「じゃあ家まで戻って。俺の家までなんて言ったら途中で遭難するかもしれないし。すぐに原稿を会社に持っていかないといけないでしょ?送るよ」
「いいです!そんなことまでしてもらったら迷惑ですし」
「大丈夫だよ。どうせ暇なんだから。じゃ、今から出るね。真羽ちゃんもこれ以上遅れないでね」
「あ、、、はいっ!」
慌てて電話を切り自転車に乗ったけれど足が思うように動かない。
「あぁ・・・やっぱり柚木先生の家までは無理だったかも・・・」
情けない顔をしてなんとか家まで戻ると、もう家の前に柚木先生の車が停まっていた。
「先生!今日はすいませんでした」
「てゆうか・・・大丈夫?ヘロヘロだけど。どうしてまた自転車なんて」
膝がガクガクしている私を見て柚木先生は笑いながらも心配してくれた。
きっと・・・レイさんの家にいる折原さんが気になったから。
歩いていくにはちょっと遠い距離も自転車ならば行けるような気がしたから。
その証拠に行きはまったく足の痛さなんか気にならなかった。もしかして今日は折原さんが私が来るかもって自分の家に帰っていたりするんじゃないかって期待したから・・・
グルグルと頭の中にさっきのことを思い出し、危なく泣きそうになった。
「真羽ちゃん?」
「あ、、いいえ!原稿すいませんでした!すぐに校正します」
「じゃあ送るよ」
「いいえ!いいえ!もう自転車は乗りませんから。まだ電車もあるし平気です」
「だから言ったでしょ?俺は暇なの・・・。じゃあ帰りがてらに送るよ。なら問題無いでしょ?」
時間的に無理もあったし、ここは迷惑のかけ通しだけど柚木先生の行為に甘えて会社まで送ってもらうことにした。
「珍しいね」
「え?」
「真羽ちゃんが仕事忘れるなんて」
言われてみれば・・・海人と別れてから私は必死に仕事に夢中になろうとしていた。
もう誰かを好きになんてなるもんかって意地になって。
お金があれば生きていける。その為には必要とされる人にならなければって夢中になって仕事に取り組み、お茶くみやコピーだけの毎日から抜け出した。
それなのに、また私は仕事のことを忘れて恋愛のことばかり考えている・・・
「私、、本当にダメですね」
「そこまで言わなくても~」
「ううん。本当にダメです。仕事でこんな風にご迷惑かけたり、自分のことばかり考えて人の幸せを妬んだり、、、おまけに、、、好きな人の幸せも願えないくらい小さい人間で・・・」
どんどん自分が小さく見えた。
「何かあったの?」
「いいえ・・・」
「和馬と何かあった?」
「・・・・・・」
もう一言でも言葉にしたら涙が出てしまいそうだ。こんな時に優しくされたら、愚痴を言ってしまいそうになる。
グッと涙を飲み込んで外の景色に意識を集中しながら、それ以上の会話をしなかった。
柚木先生は私の気持ちを察してくれたのか、会社に着くまで何も言わずにいてくれた。
「ありがとうございました」
「時間かかる?校正に」
「いえ。それほどじゃないと思います。でも帰りはタクシーチケットでますから!大丈夫です!」
無理に明るくVサインをして柚木先生に笑いかけた。
「そっか。じゃああまり無理しないで。暇つぶしに付き合ってくれてありがとうね」
「いいえ。こちらこそご迷惑かけてすいませんでした」
ニッコリ笑う柚木先生に頭を下げ私は走って会社に入っていった。
休みのはずなのに仕事を終えていない人達がポツリ・・ポツリと休日出勤をしているのが見えた。
私も確か数ヶ月前までは同じようにしていたのに・・・
休日出勤が当たり前のように仕事に集中していたはずなのに、折原さんと出会ってからの自分はまったく仕事に力を入れることが無くなってしまった。
(前は仕事があれば生きていけるって思ってたのに・・・・)
今の私は折原さんがいなくなってしまったら、もぬけの殻だ。
そしてそれはそう遠く無いかもしれない。
不安がこみ上げる中、私は今一度仕事に対しての気持ちを新たにした。
何か一つでも集中できることがあればきっと折原さんのことも、もっと気楽に考えることができるかもしれない。こんなに恋愛ばかりを考えている中身の無い女じゃ彼に追いつくことなんかできない。
不安を振りほどき仕事に集中した。
けど、、やっぱりフトした時に思い出してしまう。
楽しい思い出が多ければ多いほど、、、失ってしまう現実が怖くて気持ちがシュン・・としてしまう。
集中すれば1時間もしないで終わる仕事を私は結局2時間以上かかってしまった。
出来上がった原稿をチーフの机の上に置きため息をつきながら会社を出た。
(これから帰ってもまた折原さんのこと考えてしまうんだろうなぁ・・・)
もっと素直に不安だって言いたいのに、そんなことを言ったら嫌われてしまうんじゃないかって先入観で結局私は何も言えない。
こんな時なのに、お前はバカみたいにヤキモチを妬いているのかと怒られそうで言いたいことを言えない。
けど、これはただの嫉妬とは違う。私の悪い予感はいつも残念なことに良く当たる。
今回ばかりは当たって欲しくは無いけれど、状況が悪すぎる。
「結局、、待つしか無いんだよなぁ・・・」
折原さんからの連絡を待つしか私には術が無い。
パーパーパー!
クラクションの音にビックリして顔をあげると、さっきと同じ場所に柚木先生の車が停まっているのが見えた。
「お疲れさん!結構かかったね」
「先生・・・ずっと待っていてくれたんですか?」
「いや。ちょっと前に来たの。コンビニで買い物するの忘れてね。で、、、まだいるのかな~って思ってさ。ちょうど良かったね。ついでに送ってあげるよ」
「いいえ!そこまでご迷惑かけられませんよ!もう遅いですし」
「ついでだからさ。さ、乗って」
断ることもできずに車に乗り込み、「ありがとうございます」とお礼を言った。
ふと・・・灰皿を見るとタバコの吸殻が山のようになっていた。
会社に送ってもらう時、ガソリンが無いからと給油した際に灰皿を綺麗にしてもらっていたのを見ていたので、さっきの柚木先生の言葉は嘘なんだと気がついた。
(2時間も待っていてくれたんだ・・・)
「先生。ありがとう」
「いやいや。まだ家には着いてないから」
「ううん。待っていてくれたんでしょ?だって灰皿・・・毀れそうだもん」
灰皿を指差すと柚木先生はちょっと慌てたようにサッと灰皿を押し込み誤魔化すかのように下手な笑いをした。
「もぅ・・・真羽ちゃんは変な所に敏感なんだからな~。なんかさっきの無理して笑う顔見たらこのまま帰っても思い出しちゃいそうでさ。俺で良かったら何か聞いてあげることできるかな~って」
こんな時の柚木先生の優しさがいつも以上に胸に染み渡った。
「ごめんなさい。私、、どうしても顔に出ちゃうみたいで・・・。もっと大人にならなきゃって思うんだけど、どうしてもできなくて」
「それが真羽ちゃんの良い所でもあるんじゃないのかな。さて・・・じゃあ軽く食事でもしながら人生相談でもしようか!」
きっといつもの自分なら全部を話すことはしなかっただろう。
けど、もう溜め込んでおくことがギリギリな状態で、私は自分の中にあるドロドロとした得体の知れないモノを吐き出すかのように柚木先生にすべてを話した。
普通、過去に不倫をしていたなんて人に言うのはバカだと分かっている。
けど、そこを説明しないと私の話は始まらない。
全部をきき終え柚木先生は「う~ん・・・」と難しい顔をしてタバコに火をつけた。
きっと・・・私のことを軽蔑しただろう。もう優しくしてくれないかもしれない。
それでも誰かに聞いてもらえたことで少しだけ気持ちは落ち着いたような気がした。
「なんだかドラマをワンクール見たような気持ち」
柚木先生の口から出た言葉に私は思わずクスッと笑ってしまった。
「本当ですよね・・・。けどこのドラマ視聴率悪そうですよね」
「本当だ」
二人でクスクスと笑い、一笑いした後にお互い黙り込んでしまった。
「で。真羽ちゃんはどう思うの?」
「え?」
「もしもこのまま和馬がレイさんと・・ってなったら納得いく?」
その質問に何も答えられず黙って俯くことしかできなかった。
「俺はね。ずっと昔から和馬を見てきたから、簡単に「大丈夫だよ」なんてこの場を明るくする台詞は言えないな。言ってあげられたらきっと真羽ちゃんは安心するんだと思うけど、それじゃなんだか俺のほうが気持ち悪くなっちゃう」
「・・・・・・・」
「ごめんね。追い討ちをかけるみたいで」
「いえ・・・。そんなこと無いです」
優しい言葉なんか嘘でも言える。けど、この場でハッキリと本当のことを言ってくれる柚木先生は逆に本当に優しい人かもしれない。
偽善で「今だけだよ」とか「すぐに真羽ちゃんの元に帰ってくるよ」なんて言葉いくらでも言える。
けど、あえて言わない柚木先生は私よりもずっと昔から折原さんとレイさんを見ているからこそ言えるのだろう。
「どうすることが、、、一番折原さんには良いと思いますか?」
「そうだなぁ。今の気持ちを素直に和馬に言うことかな。俺の考えはあくまで俺の考え。真羽ちゃんの考えもあくまで真羽ちゃんの考え。本当のことは和馬にしか分からないことだからね。このまま何もしないでグズグズするのは真羽ちゃんらしく無いと思う」
「そうですね・・・。先生今日はありがとうございました」
「どういたしまして」
帰りの車の中で柚木先生はもう折原さんの話には一切触れることはしなかった。
ただ最後に車を降りる時、ちょっとだけ真面目な顔をしてポツリと言った。
「人を好きになるってことは我慢をすることじゃないんだよ?自分らしく素直になって相手に自分の想いを伝えることが大事だと思う。何かあったら連絡して。いつでもいいから」
それだけ言っていつもの笑顔に戻り手を振って車は発進した。
「自分らしく・・・素直になって・・・」
消えていく車のテールランプを見ながら、素直な自分ってなんだろうってことを考えていた。