表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/41

消えない過去



「俺の好きになった女はさ・・・」


海人の口元を見ながら吸い込む空気が鉛のように重く感じ息ができなくなりそうになった。

吸ったはずの空気が肺に入っていかず、途中で止まってしまったかのように息苦しくなり顔がどんどんと青くなった。


隣に座る折原さんの腕を自然と掴んでいた。


(苦しい・・・やめて。それ以上話さないで・・・)


「真羽?どうした」

折原さんの声が薄っすらと聞こえる。自分の体がどんどんと冷たくなり、水でも吸い込んだかのように苦しい。


「おいっ!どうしたんだよ」

「い、、き、、、」

「大丈夫か!」

「でき、、、な、、」


自分の声が出ない。意識が遠のく・・・

消えそうな意識の中で折原さんと海人の会話が聞こえていた。


「和馬!過呼吸だ!」

「ど、、どうするんだよ!救急車!114!いや110か!えっと、、117?」

「慌てるな。何か袋持ってこい!」


バタバタとする足音が聞こえ、急に呼吸が楽になってくるのを感じた。冷え切った自分の手先に血が流れるような温かさを感じユックリと目を開いた。


「大丈夫か!」


慌てる折原さんの顔が見え小さく頷きまた目を閉じた。


しばらくソファーに横になり側で心配そうな顔をする折原さんの手を握っていた。

目を瞑り半分寝たフリをしながら、今自分に起きたことに驚いていた。

隣で折原さんと海人の話し声がするのをボンヤリと聞きながら、体を休めていた。


「真羽ちゃん過呼吸なんかあったんだ」

「俺もこんなの初めて見たから、、ちょっとビックリした。けど、コイツ以外と弱い所あるからな~」

「そうかもな・・・」

「たぶん、、仕事のこととか、俺のことでストレス溜めているのかもしれないな。顔には出さないけど来週発売になる週刊誌のこととか、もしかしたら俺が乗り込んだ後に会社で嫌な事があったりするのかもしれない。けど、、コイツ言わないんだ俺に。全部自分で溜めこむんだよなぁ・・・」


フワッと頭に手が乗り髪を撫でる仕草に心の中で折原さんに謝った。


(ごめんね、、、心配かけて・・)


「お前が他人を心配するなんて聞いたこと無かったな」

「そうかもな。けど、コイツはいつも俺のこと心配してくれてるんだ。俺以上にな・・・」

「和馬・・・。彼女のこと好きか?」

「何言ってんだよ今更」


海人の質問にちょっと笑いながら、撫でていた手を止めたのを感じた。


「彼女がお前の思っているような女じゃなかったらどうする?」

「意味がわからん。それに俺はコイツのすべてを全部知っている訳じゃない。まだそれには時間が足りないって思ってる。もっと一緒にいて、色々知って。たぶん喧嘩もするんだろうな・・・。それでも今はコイツと一緒にいてみたいって思う。ずっと笑っていられるようにな」

「もし他に誰かが彼女を奪いに来たらどうする?」


二人の会話を聞きながら心臓の鼓動がどんどん早くなるのを感じた。

もうこの話が終わって欲しくて寝ているフリをやめようかと目を開けようとした時、折原さんがポツリとつぶやいた。



「誰が来ても平気だ。コイツは俺を裏切らない」

「たいした自信だな。どこからそんな自信が出てくるんだよ」

「自信なんか無いよ。コイツな・・・こんな子供みたいな顔して昔、不倫してたんだってさ。笑っちゃうだろ」


(いや・・笑えないから。今それ言うの・・・)


よりによって言う相手がその不倫相手だってことにドキドキしながら二人の会話を聞いていた。


「へぇ・・・。ちゃんと昔のことは話てるんだ。で、お前はそれ聞いてどう思ったんだ?不倫なんか大嫌いなお前が」

「兄貴の話は正直ムカついた。けど、コイツの話はアリかもなって感じた」

「は?」

「俺は兄貴の話を聞いた時、どうせバカな女に騙されてって思ってた。けど、真羽はそうじゃない。コイツは遊びで誰かを好きになるような女じゃない。その男に騙されたんだよ。上手いこと言って真羽の気持ちを縛っていたんだろうなって。全部溜め込む奴だから、不満も我慢も全部自分のせいにして苦しかったんだろうなって思った。俺はもうコイツにそんな思いはさせたくない」


「随分綺麗にまとめたな」

海人の冷たい言い方に今、折原さんが言ってくれた言葉に喜んでいた気持ちが一瞬にして冷めた。


「どういう意味だよ」

「不倫なんかな、、、最初から分かっている付き合いなんだよ。相手が自分のモノにならないから気持ちが強くなる。悪いことをしているって気持ちが自分を追い込むだけの話だ。酔ってたんだ、、私は可哀想な女だってことに」

「お前の付き合っていた女はそうかもしれないがコイツは違う!」

「同じだよ。ば~か」


「コイツはな、、、2年もその男のこと忘れられなかったんだ!突然音信不通になった相手をずっと信じて泣くことも我慢して、、、いつか迎えに来てくれるって信じてたんだ!遊びでそんなこと思えるか!」


折原さんの怒鳴り声を聞きながら自分の心臓の鼓動を押さえるのに必死だった。

今、その話を聞いた海人はどんな顔をしているのだろう。顔を見たいけれど、見ることができずジッと目を瞑っていた。


「悪かったな・・」


静かな海人の声を聞き、額にまた折原さんの手の感触が戻った。


「コイツはな、、、不器用だけど俺には真正面から向かってきてくれる。損得無しに俺のこと信じてくれている。俺もコイツみたいに素直に生きてみたいなって思ったんだ。コイツは絶対俺を裏切ることはしない。俺はそう信じている」


閉じているのに目がジワッとしてきた。誰かにこんな風に想ってもらえることが嬉しくて、そしてこの人を好きになって良かったって本気で思えた。

シーンとした空気の中、パッと目を開けるとそれに気がついた折原さんが心配そうな顔をして覗き込んでいた。


「大丈夫か?」

「ごめんなさい・・・もう大丈夫だから」

「そうか。そろそろ帰ろうか。今日はユックリ寝たほうがいい」


体を起こし目の前に座る海人を見つめた。

「大丈夫かい?」

「はい・・・ご迷惑かけました」

「いや。帰ってユックリ休むといいよ。今日はありがとう」


小さくお辞儀をして玄関でもう一度海人に頭を下げていると奥の部屋のドアが開いた。

「もぅ帰るの?」

ちょっと青い顔をしたレイさんが顔を出し玄関まで見送りに出てきた。


「具合どうですか?」

「うん、、、せっかく来てくれたのにごめんね。今はだいぶ落ち着いたわ」

「そうか。大事にな」


ちょっとフラつく体を壁に手をつき支えている姿が痛々しかった。すぐ横に立っている海人は気がついていないのか、ただこっちを見て笑っている様子がなんだか可哀想に見えた。

さっきの話を聞いて海人はどう思ったのだろう。少しは私に対しての罪悪感を覚えたのだろうか。

それとも、、、バカな女だなって再確認しただろうか。


でも、もうそんなことどうでもいい。さっきの海人の台詞に私は騙されていたんだって気がついた。

どこかで彼の態度や言葉にまだ私のことを好きなんじゃないかって思っていたけれど、それもすべて彼の遊びに過ぎなかったんだ。


「ツワリって大変なんだなぁ」

「そうみたいですねぇ。普段でも痩せているのに、もっと痩せちゃって可哀想」

「せめて兄貴がもう少し優しかったら良かったのになぁ」


折原さんも同じようにさっきの海人の様子を感じたのだろう。ほんの少しだけでも支えるとか、声をかけてあげるだけで気分も違うのに・・・

私が昔見ていた海人の優しさは全部嘘だったのだろうか。恋をするとその人のすべてが最高に見えるから、あれはただの幻だったのだろうか。


「真羽・・・」

「ん?」

「ちょっと聞いていいか?」

「なに?今聞いてるじゃない。変なの~」

「お前、、俺に何か隠していることないか?」


いつもの冗談を言うのかと思っていたのに、折原さんの口から出た言葉にドキッとしながら運転席を見た。

こっちを見ないで正面を向く顔に何か察したのかと顔が自然と俯いてしまった。


「俺の変な想像かもしれないけど、、、いや、、なんでもない」

「想像って?」

「いや、、本当にくだらないことだ。バカだな、、俺。そんなことある訳無いのにな」


<ある訳がない>の言葉にどこかで折原さんが私と海人のことに気がついたんじゃないかって知らないうちに手に汗がジンワリとしているのを感じた。


「さて。そろそろ真面目に仕事でもするか~。また締め切りが遅れたら何を言われるか分からないからな」


明るく振舞う彼の態度にどんな顔をしていいのか分からないまま車は家に向かっていた。

ずっと隠し通すことが正しいのか。それとも正直に話して気持ちをスッキリさせたほうが良いのか。

嘘を隠し通せるほど私は芝居が上手だとも思えないけれど、もしも聞いてしまった後に折原さんが私を許してくれなかったら、、、もう私には何も残らないような気持ちになった。


過去を消せる消しゴムがあるなら、、、、例えどんなに高値でも私は手に入れたい。

こんな不運なめぐり合わせがあると思わなかったから、あの海人との日々が何よりも大切だと思ったのに。

今となっては思い出したくもない思い出になるなんて。



翌週。忘れていた訳じゃないけれど、例の週刊誌が発売された。

数人のデスクの上にその週刊誌が置かれているのを目にしたが、誰も私に何かを問うことはしなかった。

けど、、、やっぱりコソコソと陰口を言われている感じは否めなかった。


お昼休みにコーヒーを入れに給湯室に入ろうとした時、中から声が聞こえてきた。


「ね!見たぁ?あの本」

「見た見た!風間さんやるね~。あの立花悠馬だよ?すごくな~い?」


自分のことを話していることに足がそこから動かず、その場を引き返そうとしたが動けなかった。


「あんな風に真面目そうな人こそ何をするか分からないってことだよね~」

「うんうん!でもさ、私彼女が柚木先生と食事してるってのも聞いたことあるんだ~。私の知り合いのレストランに二人で行ってたらしいよ?」

「嘘ぉ~!有名人大好きってことぉ?でも、私も柚木先生ならOKかな~」

「私は立花先生かな。でも、あんな風に週刊誌に出ちゃったら、もう柚木先生は無しじゃない?」

「凄いわよね~。有名作家を手玉にとって両天秤なんて・・・呆れちゃうわね」


きっとこれがみんなの正直な気持ちなんだろうなって思った。中に入ることができず、自分のデスクに戻ろうとした時、私のすぐ後ろに立っている人に思い切りぶつかった。


「あ、、、すいません」

「女の僻みって怖いよね~。おまけに俺は天秤から落とされたみたいな言い方だしぃ~」

「え?」


顔を見ると柚木先生がニコッと笑って立っていた。

その声にカーテンの向こう側にいる人達も慌ててこっちに顔を出した。


「あ、、、風間さん、、、どうぞ。コーヒーなら入ってます」

「あ、、ううん。いいの」

その場から逃げるように去ろうとしたが、柚木先生が彼女達に声をかけた。


「じゃ、俺にコーヒーくれる?魔性の真羽ちゃんはいらないの?」

「魔性って・・・」

「人の噂も75日って言うでしょ?気にしてたら仕事にならないよ。あ、ミルク入れてね」


平気な顔をして彼女達からコーヒーを受け取り私の後ろをついてくる柚木先生に小さくお礼を言った。


「あの、、、ありがとうございます」

「なにがぁ?」

「さっき、、、彼女達の前で・・・」

「もっと強くならないと和馬となんか続けていけないよ?まぁ~ボロボロになって俺の所に転がりこんで来てくれるのも悪くないけどね~」


「ほんと柚木先生は私を何度も助けてくれますね」

「だって俺、正義の味方だもん。どう惚れた?」

「惚れません」

「負けるな俺!」


冗談を言って笑わせてくれたおかげで少しだけ気持ちが楽になった。

応接室に行く途中、さっきの彼女達が私と柚木先生をチラチラ見てすぐに目をそらした。

柚木先生との打ち合わせを終え、玄関まで見送りエレベーターに乗り込むと、ちょうどチーフが乗り込んできた。


「どうだ?有名人になった気分は」

「ぜんぜん最悪です。陰口バンバンだし、遊び人のレッテル張られてなんだか息苦しいですよ・・・」

「けどそれも仕方無いな。お前が自分で蒔いた種なんだから。自分のことは自分で責任とらないとな~」

「そうですね」


自分の蒔いた種かぁ・・・

本当に私は後先を考えずに目の前のことにすぐ飛びついて行動してしまう。折原さんが有名人なんだから、こんな風になるかもしれないって少しは考えれば良かったのに。


「これからは今まで以上に自分の行動に気をつけるんだぞ」

「え?」

「立花悠馬が落ち目作家なら別に問題は無い。けど、今彼は注目株の一人だ。何を書いても世間が注目する人物だということを忘れるな。そんな人と本当であれ嘘であれ、写真を撮られた事実をキチンと受け止めろ。その証拠に発売された週刊誌はいつもよりも売り上げがいいそうだ。当然、お前のことを調べる奴も出てくるだろう。先生に迷惑をかける行動はするなよ」


「分かってます。それに、、私結構地味な生活なんですけど・・・」

「地味なら柚木正也と食事に行かないだろう。全部耳に入ってるんだぞ」

「なにそれ!」

「壁に耳あり障子に目あり。どこで誰が見ているか分からないんだぞ。お前と柚木先生の後ろの席に座っていたのは俺の知り合いの出版社の部長だ。柚木先生の顔も知っていたし、お前のことも知っていた」


世間って怖い・・・・

「はい」と小さく返事をしてエレベータを降りた。


その日、何度か私宛に無言電話がかかり、思っていた以上に立花悠馬に女性ファンがいたんだなって感じた。中には(ばーか!)とだけ言って切れたりする電話もあり、段々と気持ちがへこんできた。


もしかすると今日も折原さんの家にカメラを持った人が張り込んでいるかもしれないと感じ、私は大人しく自分の家に帰ることにした。

仕事に没頭しているのか、折原さんからも連絡が無く久しぶりに部屋の掃除をしたり、一人の時間を満喫していた。


ピンポ~ン♪


誰かが来たことを知らせる音にドアの窓から外を見たけれど、誰も人影は無く「どちらさまですか?」と声をかけたが返事は無かった。


(もしかして・・・折原さんかも!)


「また隠れて!分かってるんですよ」

ドアを全開にあけきっと扉の横に隠れているであろう折原さんに向かって顔を出すと、そこにはビックリした顔をした海人が立っていた。


「え・・・」

「あ、、、ごめん突然。体調はどうかと思って。この辺りで仕事があって部屋の電気が点いていたから、、ちょっと気になって」

「あ、、、はい。もう大丈夫です」


「中、、、入っちゃマズイかな」

「あ、、、それは、、、ちょっと、、、」

「だよな。その、、、ちょっと話があってさ。じゃあ外でも」

「あの、、、」


モジモジとどうしていいのか分からず、ドアの前でなんて返事をしようかと思っていると、足音が聞こえた。


「兄貴?」


声のするほうを見ると折原さんが二人を見て驚いた顔をしていた。


「なんで兄貴がここにいるんだよ」

「いや、、、ちょっと仕事で近くに来たから調子はどうかなと思って」

「どうして真羽の家を知ってる?」


低い声で海人にそう質問をして答えを聞く前にチラッと私を見て折原さんは背を向けた。


「折原さん!」


慌てて声をかけ、誤解を解こうと思ったけれど折原さんは何も言わず、振り返りもしないで階段を下りていってしまった。


追いかけなきゃいけないって思うのに、どうしていいのか分からなかった。

もしも追いかけてさっきの質問をされたら、私はなんて答えたら良いのだろう。アレコレと弁解しようと思ったけれど、どう考えても海人が私の家を訪ねる口実が浮かばなかった。


「ごめん・・間が悪かったな」


謝る言葉を言ったけれど、海人の顔には謝罪の気持ちは見えなかった。むしろ私達が喧嘩をする口実ができたことに少し満足そうにも映った。


「もぅ・・・ここには来ないでください!」

思い切りドアを閉めようとしたが、ギリギリの所で足を入れドアが閉まることは無かった。


「俺は諦めが最高に悪くてね。どうしても手に入れたい物は自分の側に置きたい主義なんだ。それには和馬が邪魔なんだよね」

「なんですかそれ!」

「そのうち分かるよ。じゃ、またな」


怖いくらい薄い笑いに私は海人の足音を聞きながらドアを閉め切ることができないままでいた。


折原さんに誤解されたままでこの状況をどうしよう・・・そればかりが頭の中を渦巻き、でもなんて弁解すれば良いのか分からずただ立ち尽くしていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ