踏み込む足跡
数日後。いつものように柚木先生の家にお邪魔して原稿の打ち合わせをしていた。
なんだかあのチーフの言葉に前以上に張り切って仕事に打ち込めた。
「恋する女は強くなるね」
「え?」
「体当たりしてみたんでしょ?」
「あ、、いや、、そうじゃなくて、、、でも、、そんなもんです」
照れて顔を伏せる私に柚木先生は笑っていた。
「まぁ、、残念といえば残念だけど、それも仕方無いことだよね。好きな人には幸せになって欲しいもの」
本当に柚木先生は大人だなって感じた。
私はきっとそんな気持ちになれないかもしれない。昔も今も自分のことばかり考えている。
「柚木先生は大人ですね」
「あれっ!子供だと思ってた?」
「いや、、そうじゃなくて!私なら、、きっとそんな風に思えないんじゃないかなって。自分が好きな人が他の人と幸せになる姿を見て心から祝福なんかできないかもしれない。私、、、性格悪いんですよ」
苦笑いをして言う私に柚木先生は笑っていた。
「真羽ちゃんてさ・・・鈍感って言われるでしょ」
「えー!なんですか急に!」
「男はね。格好をつけるプライドの塊みたいな生き物なんだよ。そのくせちょっとのことでビクビクしてみたり、小さいことで有頂天になってみたり。ほんと、、、馬鹿なの」
呆れた顔をする柚木先生に(ふ~ん、、、)という顔をして話を聞いていた。
「ここで俺が「早くダメになればいいのに~!」なんて言ってなんの得があると思う?」
「あ、、いや、、無いかも、、、」
「でしょ?なら器が大きいフリをして「何かあったら僕の胸に飛び込んでおいで」って顔をしていつでも両手を広げているほうが良いことあるかもしれないでしょ」
「フリって、、、」
柚木先生の話に二人でクスクスと笑っていた。
「でも、何かあったらってのは本当だよ。辛いと思ったら気軽に相談してね」
「ありがとうございます」
「ほら、、、そこから俺にチャンスがあるかもしれないでしょ?」
軽くウインクする柚木先生に「無いですって」と笑った。
柚木先生が心配してくれるようなことは今の所無いくらい折原さんとの間は順調だった。
チーフの件で気持ち的にも強くなれたし、仕事の面でも問題が無い。
あるとすれば、、、、年明けに発売される例の週刊誌と海人のことくらい。
週刊誌の件は折原さんも「別に無視しておけ」とあまり興味が無いような返事をしていたが、どこかでそれなりに名が売れた自分と関わったからという気持ちがあるのかもしれない。
あまり私が気にする素振りをすると逆に気を使わせてしまうような感じがして、あまり心配していないフリをするしか無かった。
海人の件は、、、、私がどうすることもできないし、すでに過去のことだとお互いが納得していれば間違ったことも無いだろう。
少なくとも私はそんな気持ちでしか彼のことを見ていないし、自分から複雑にしようとも思わない。これから折原さんと一緒にいるならば嫌でも海人との接触はあるだろうし。
「じゃ、今年の仕事は今日までなのでまた来年よろしくお願いします」
「そっか。もう今年は真羽ちゃんに会えないのか~。寂しいな~」
「柚木先生って冗談なのか本気なのか分かりませんね」
クスクス笑いながら言う私に「いつでも本気だよ~!」と笑いながら送り出してくれた。
「今年もお世話になりました」
「こちらこそ」
笑顔で柚木先生の家を出て今年最後の原稿を受け取った。
(よ~し。後は折原さんから原稿を貰えば今年の仕事は終わりだ!出来ているかな~)
足取り軽やかに折原さんの家に行きインターホンを押すとモニターには折原さんじゃなく海人が映った。
「あっ、、、こんにちは、、、」
「仕事かい?それともプライベート?」
「あ、、、仕事ですけど、、、折原さんは?」
「今、ちょっと外出してる。俺は留守番だから」
「じゃあ、、、また時間を改めます。失礼しました」
慌ててその場から逃げようとする私を海人は引き止めた。
「すぐに戻るくらいの用事なんだよ。30分もしたら帰ってくると思うから。それに真羽が来るからってことで俺が留守番を頼まれたんだから、帰したなんて言えないだろう」
スーと自動ドアが開きどうにも逃げることができない状態だった。
家に入ると普通な感じでソファーに座る海人を見てちょっと離れた場所に腰を下ろした。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ」
「あ、、いえ。そんな意味じゃないです」
「すっかり嫌われちゃったみたいだな~俺」
「そうじゃないです。ただ、、」
「ただ?」
「いえ、、別に」
もう昔のことなんだから、距離を置いても問題無いじゃない!なんて子供みたいなことを言って喧嘩を吹っかけるのもどうかと思い黙って書類を見ているフリをした。
そんな私の姿を黙って見ながらタバコを吸う海人の視線を感じていた。
「あの、、、」
「ん?」
「お仕事なんじゃないですか?私、、、代わりにお留守番してますから、もうお引取りになって大丈夫ですよ」
「あぁ。今日は別にそれほど忙しく無いから問題無いんだ。てゆうか、そんなに俺と二人でいるのが苦痛?」
「いえ、、そういう意味じゃないですけど」
「ずっと敬語なんだね」
「あ、、、まぁ、、、」
「本当は俺のこと恨んでる?」
顔を上げ海人を見つめた。きっと少し前ならそんな気持ちにもなったのかもしれない。
涙すら出ないくらい認めたく無かった別れだもの。
「いいえ。そんなこと無いです」
「思い出すのも嫌なくらいの思い出になっちゃった訳だ」
オドケタ言い方をした海人はギュッとタバコを消しスッと立ち上がった。
「男は上書きしかできないけど、女はフォーマットってのは本当だね」
「え?」
「女の方が切り替えが早いってこと。もっと俺のこと待っていてくれているのかなって思ってたのに」
もう気持ちは無いけれど、、、けど、そんな言い方って無いと思う。
どれだけ切り替えようとしても出来なかったのに。
どれだけ辛かったとか知らないくせに。
下を向いて手をギュッと握り唇を噛み締めた。
「新しい男が出来ると俺なんか用無しって訳だ」
怒りが湧いてくるのを必死で押さえ海人と目を合わせないようにした。
私の目の前に立ち下を向いている顔をスッと上げ海人と目が合った。
「俺は本気だったのに」
スッと顔を近づけてくる海人に瞬間的に顔を逸らし、その場から逃げようと立ち上がろうとしたが腕を捕まれ動けなくなってしまった。
「やめてください!」
「和馬がこのこと知ったら、、、どう思うのかな」
海人の口から漏れた言葉に体が固まった。
後ろから私の髪に顔を埋める海人に言葉が出ないまま立ち尽くしていた。
「レ、、、レイさんにだって知られたら困るくせに!私だけじゃないんだから!」
「俺はいいよ?別に知られても」
「自分から、、、連絡を絶ったくせに!いまさら都合の良いこと言わないでよ!」
腕の中から逃げようとバタバタしたが、ガッチリと抱き寄せられ逃げることができなかった。
「折原さ、、、和馬さんが帰ってきます!離してください!」
「帰ってきてこんなの見たらどう思うかな」
「いい加減にしてください!」
私の怒った声が響いた後、玄関のドアが閉まる音が聞こえた。
「真羽来てるのか?」
玄関から折原さんの声が聞こえた。慌てて海人の手を振りほどこうとしたが、一向に解いてくれる気配は無く怒った顔をして海人を睨んだ。
「どんな顔するか見てみようか?」
ニヤッと笑う顔に怒りがこみ上げた。
パタパタと響くスリッパの音がどんどんコッチに近づいてきているのを感じ、焦る気持ちと怒りが入り混じっていた。
必死に振りほどこうと力いっぱい海人の腕を引き離そうと慌てていると、扉が開く瞬間にパッと私の体を離した。
「悪かったな。待たせたか?」
ドアを開き目の前に立っている私に折原さんは普通に話しかけてきたが、動揺しすぎて上手く反応ができないくらい慌てていた。
「あ、、、はい。いいえ!そうでも無いです」
「どっちなんだよ」
ポンッと持っていた書類ですれ違いざまに私の頭を軽く叩き、何も無かったかのように今、外出していた話をする折原さんの言葉はまるで頭に入ってこなかった。
「どうした?」
「えっ、、なにが?」
「顔が強張ってる。兄貴に何かされたか~?」
冗談ぽい言い方をする折原さんに「ま、、まさか~」と笑って誤魔化した。
「酷い言い方するなぁ。じゃ、俺はそろそろ失礼するよ。またな」
「あぁ。悪かったな。忙しいのに」
「い~や。ユックリ彼女と話ができて楽しかったよ。じゃ、またね」
悪びれもせず私に軽く手をあげ挨拶をする海人に小さく頭を下げた。
まだ心臓がドキドキして体にジンワリと汗をかいていた。
玄関に海人を送りに行く折原さんの背中を見ながら、動揺をなんとか押さえようと必死になっていた。
「じゃ、サンキュ~」
「おぅ。じゃあ来週な」
「あぁ。適当な時間に行くよ」
リビングに戻ってきた折原さんは少し青ざめた顔をする私を見て顔を覗き込んだ。
「お前、、、具合悪いのか?」
「えっ!いいえ、なんでも無いです」
「そっか。ならいいけど。あ、来週兄貴の家に行くんだが大丈夫か?」
「どうしてですか?」
「どうしてって、、、新年の挨拶っていうか、、、まぁ、、、砕けて言うと飲みにって所かな」
「私、、は遠慮します。行ってきてください」
回避できるものは回避しなければ。
付き合いが悪いと思われそうだったけれど、できるだけ海人との接触は控えたい。
「はは~ん。また勘ぐってるな?」
「え?」
「もう心配するなと言っているだろう。彼女に会ってもなんとも思ってない。気にするな」
折原さんはレイさんのことだと思っているみたいで笑いながら私の断りを却下した。
「いえっ!違うんですってば!」
「はいはい。ったく、、、お前は子供だな~。いつまでヤキモチ妬いてるんだ。ば~か」
「だからそうじゃないですってば!」
「そうじゃないならなんだ?」
そうじゃないなら・・・・
本当の事は言える訳も無く。「えーと、、」とか「あ~」とか説明できない返事しかできず、結局は「運転手が居ないと帰りが困るだろ~」となんの疑いも無い折原さんは行くことを決めてしまった。
(どうしよう、、、できるだけ会いたく無いんだけどな・・・)
パソコンに向かい仕事をしている折原さんの背中を見ながら、なんとか上手い言い訳は無いかと考えたが、折原さんは私が行きたく無いという理由をレイさんのことだと決め付けていた。
なんだかもう今になってはそんなことどうでも良い。
さっきの海人の行動にいつか口を滑らせてしまわれるんじゃないかって不安で仕方無かった。
「二人でいても盛り上がらないから来てくれって事だ。いいだろ?」
「あ、、、はい、、、」
「そんな付き合いは嫌か?」
そうじゃない。相手が海人じゃないならば、全然問題無いのに。
断ることで折原さんが嫌な思いをするのではと思うと、それ以上断ることができず了承する他無かった。
「ありがとな」
微笑みながら抱きすくめる折原さんにニコッとする事しかできなかった。
そんなことがこの人を騙しているような気がして胸がモヤモヤしていた。
いつかバレてしまったら・・・
折原さんが最低だと思った相手が私だと知ってしまったら・・・
でもいつまでこんな風にヒヤヒヤしなければならないのだろう。
もう忘れたいのに。
年が明け新年早々、海人の家に行く日が来た。
内心行きたく無い気持ちだったけれど断る理由を言う訳にはいかず折原さんの車に乗り海人の家に向かった。
(何もありませんように・・・)
家に着くと海人が玄関に出てきて中に案内してくれる姿を見ながら、できるだけ目線を合わせることはしなかった。
「あれ?レイはどうした」
折原さんの声に部屋の中を見渡したがレイさんの姿は無かった。
「なんだかここ数日調子が悪いみたいでな。ツワリってやつだ」
「へぇ・・・じゃあ今日は挨拶だけで帰るよ」
「いいって。お腹の子が順調だって証拠だよ。気にしないでって本人も言ってるし、早々に帰るとアイツも気にするだろうし」
「あぁ・・・」
レイさんの具合が悪いなら、、、
キッチンに行きお酒の用意などを手伝おうとすると海人が一緒に運ぶのを手伝ってくれた。
「あ、これ持っていってくれる?」
「はい」
「なんか久しぶりだな。こんなの」
リビングにいる折原さんに聞こえないように小声でそんなことを言う海人を無視してグラスを運んだ。
飲み始めて数時間が経つと折原さんも海人も少し酔いが回り砕けたように話が盛り上がっていた。私はなんだか居心地が悪くちょっとだけ食事をしてはTVに視線を移し早く帰る時間にならないかとソワソワと時計を見ていた。
「真羽ちゃんは和馬と付き合う前はどんな人と付き合っていたの?」
海人の質問にどう返事をしたらいいのか分からず折原さんを見た。
「そんな話題面白く無いだろう」
興味無さそうな顔でグラスを傾ける折原さんに「そうですよ」と同意したフリをしてまた視線をTVに向けた。
「そう?気にならないのか。昔はどんな男と付き合っていたのかな~って。俺なら気になるな」
「俺は別にいい。聞いた所で何も変わらないからな」
折原さんと海人の間で何かピリピリした空気を感じ、海人を見ると不敵な笑いを浮かべていた。
何か口を挟むと知られたく無い事が漏れてしまうようで無言で海人の目を見ていた。
「人にモノを聞く時はまず自分からか。じゃあ俺の話をしようか」
不適な笑いが一段と深まりながら海人が口を開きだした。