心の穴
翌日。とっても気が重いまま約束の時間の10分前に折原さんの家の前に立っていた。
たった数センチ先のインターホンがなかなか押せず、いつまでも葛藤していた。
「頑張れ!あんな喧嘩いつものことだし~。それほど気にしてないってば」
自分を励まし押そうとした瞬間、誰かが出てきてオートロックのドアがガーと開いた。
(あ・・・取り合えずドアの前まで行こうかな)
ちょっとでも時間を稼ごうと開いたドアに進もうとするとすれ違った人はレイさんだった。
「あら真羽ちゃん。和馬待ってたわよ」
「あ、、、はい」
「今日はバッチリ決め込んでいたわよ。私が髪のセットしてあげたの」
彼女が折原さんの髪に触れたことを想像するとまた胸がモヤモヤした。
「そ、、そうなんですか」
「もっとちゃんとすれば素敵なのに、いつも適当なんだから困った人よね。じゃ、楽しんできてね」
笑顔で手を振られ私も笑顔で同じ仕草をしたが、たぶん目が完全に笑っていなかったような気がした。
部屋のインターホンを押すと中から折原さんの声が聞こえた。
「どうした?忘れものか」
「いえ、、、風間です」
「入れ」
最初と「入れ」と言った声のトーンが明らかに違いちょっとムッときた。
ドアを開け中に入るといつもよりもキチンとした髪にセットされている折原さんがいた。
悔しいけれど、その髪型はいつもよりも素敵に見える感じがした。
「じゃあ、、行きましょうか」
「あぁ・・・」
クルッと背を向け今来た廊下を戻ろうとすると折原さんが声をかけてきた。
「変か?」
「なにがですか?」
「今日の髪型。いつもとちょっと違うんだが」
「普通です」
素っ気無い言い方をしてスタスタと歩く私に後ろからため息が聞こえた。
こんな風に昨日の嫌な空気を長引かせたいなんて思っていないのに。さっきまでは素直に「昨日はごめんなさい」って言おうと思っていたのに、レイさんとさっきまで二人きりだったことに余計な嫉妬をしていた。
タクシーに乗りこみ到着する間も二人の間に会話は無く、シーンとした重い空気が更に追い討ちをかけるような気分だった。
お店に着き店内を見渡すと明らかにうるさいグループがもうギャーギャーと騒いでいるのが見えた。
そんな光景にちょっとだけ気持ちがホッとした。
「店員に聞くまでもないな・・・」
「まったくですね」
やっとそんな砕けた光景を見て二人で目を合わせクスッと笑いみんなの輪の中に入っていった。
「おぅ!おつかれ~ぃ!」
「遅い!座る前に飲め!」
何時から飲んでいたんだよってくらいの盛り上がりに折原さんは空気を読んで和江のビールをイッキ飲みし、その場の雰囲気に潜り込んだ。
久しぶりに会ったこともありみんなの会話は止まることは無く楽しく宴会は続いていった。
和江と内田さんは結構頻繁に遊んでいるようで、もう半ば付き合っていると言ってもおかしく無い状況らしい。真紀と吉沢さんは残念ながら、なんとなく合わないのかメール友達程度ということだった。
「で。アンタは?」
隣の折原さんに聞こえないように和江が耳打ちをしてきた。
「べ、、別に。私達は作家と編集者という関係だよ」
「そんなつまんない答えを聞きたい訳じゃねっつーの。本当の所は?」
「だーかーらー!何も無いってば!」
「へぇ~。日曜の朝に二人でマンションから出てきても?」
ニヤッとした和江の顔に「えっ!」と大きな声を出した。
「この前さ~。見ちゃったんだよね~。二人でニコニコと買い物に出かける所~」
「いや、、それは。その、、、」
「別にいいじゃん。隠さなくても」
「あ、、まぁ、、、うん」
この関係をどう説明すれば良いのだろう。隣を見ると途中から絶対聞こえているはずなのに折原さんは澄ました顔をしてタバコを吸っていた。
「折原どうした?その髪型。イメチェン?」
目の前の内田さんの言葉に折原さんはニヤッと笑って髪を触っていた。
「変かな?」
「まぁ。普通かな」
「お前もかよ!」
明らかに今日の髪型を折原さんは気に入っているのだろう。なんだかそんな笑顔を見るのが嫌で和江のほうを向いた。
「ねぇ。真羽ちゃん。そういえば昨日って夜どこにいた?」
突然吉沢さんに話しかけられた。
「えーと・・・昨日は」
(あ。柚木先生と一緒だったんだ)
「仕事関係の人と食事をしてました」
「仕事関係だったんだ?なんか良い雰囲気だったから声をかけるの遠慮したんだよね。あれってさ柚木正也だよね?」
「あ、、、はい。そうです」
「ちょっと!真羽ってば立花悠馬じゃ飽き足らず柚木正也にまで手を出してんのぉ?」
和江のブラックジョークに悪いが今は乗れない雰囲気だ。
「変な言い方しないでよ!」
慌てて怒る私に隣の折原さんは涼しい顔をしていた。
「俺は関係無いぞ。本命は正也だ」
折原さんの言葉に体がビクッとした。
「折原さんまでくだらないこと言わないでください」
「本当のことだろう。正也はお前を狙っているんだから。後はお前が落ちるか落ちないかに懸かっているんじゃないか」
折原さんの言葉にみんなは「おぉぉぉ!」と盛り上がっていた。
「ちょっと凄いじゃない!柚木正也ってイケメンだし!」
「そうそう!私も大好き!本は読んだこと無いけど」
大騒ぎする真紀と和江を「うるさい!」と怒りつけながらも、私の心の中ではその事実を軽く笑顔で言える折原さんの行動のほうがショックだった。
「で?で?、真羽ちゃんはどうするの」
内田さんがふざけてはやし立てるのをキッと睨みつけ、
「だからそんなんじゃないんです!」と大きな声で文句を言ってビールのジョッキをグィと飲み干した。
「でも折原さんはいいのぉ?真羽を取られちゃうよ~」
和江が折原さんにニヤニヤと話しかけると折原さんは鼻で笑いながらタバコを吸っていた。
私はその後の折原さんが何て言うのだろうと、ちょっとだけ期待をしていた。
「いいんじゃないか?俺よりも正也のほうが」
「どうして?」
「俺はそんな気は無いから」
折原さんの言葉に和江は一瞬、聞いてはいけないことを聞いてしまったという顔をして私を見て自分の席に座った。
なんだか妙にその場が重くなり、みんなのテンションがちょっとだけ下がったのを感じた。
当然私は・・・これ以上無いくらい落ち込んだができるだけ顔に出さないように笑うしか無かった。
みんなそれ以上はその話に触れること無く、もう目前に迫ったクリスマスのことを話したり、来年のお正月はどうしようなんて話でワイワイとしていた。
さっきの折原さんの言葉に本当は今にも倒れそうなくらいショックを受けている私はいまいち会話に入りきれず、グイグイとビールを飲み黙々と焼き鳥を口に運んでいた。
「相変わらず食うな・・・」
隣で呆れた顔をしてこっちを見る折原さんに「おかげさまで」とボソッと言いジョッキのおかわりを頼んだ。
ちょっとでも気を許すと目から熱いモノがこみ上げてきそうで、必死に食べることに意識を集中した。
それでも頭の中ではいままで折原さんと過ごした日々がグルグルしていた。
二人で買い物に行ったり、部屋でワイワイと楽しく過ごしたり、子供の名前のことで泣きそうな彼を抱きしめたり・・・
思い出せば思い出すほど、もう我慢しきれなくなりポロッと涙が零れてしまった。
慌ててそれを隠そうと手でグイッと顔を拭き、またビールを飲み干した。
「おぃ。ちょっと」
そんな私を見て隣の折原さんが声をかけてきた。
「なんですか」
「ちょっとこっちに来い」
クィと外を指差しその場から立ち上がった。そんな姿を見て私は無視をしてまた口を動かしていた。
「ちょっと外に来てくれ」
「いやです~」
「いいから来い!」
私の声に負けじと大きな声を出す折原さんに一瞬みんなの動きが止まった。
みんなの視線を受けて折原さんはニカッと笑い、
「ちょっと数分コイツ借りるから~」と冗談めいた顔をして私の頭を鷲掴みした。
そんな仕草にあの数ヶ月前のお見合いパーティーを思い出した。
あの場だけで終わっていたら・・・
こんなに苦しい気持ちになんかならなかったのに。
「どーぞどーぞ!いってらっしゃ~い」
酔っ払いの塊はヒューヒューと二人を囃し立て、何も無かったようにまた大騒ぎをしていた。
外に出るまでの間、あの時のように繋がった手が今は悲しかった。
外に出ると冷たい風に熱くなりかけていた目が適温になったような気がした。
「うわ。さむっ!」
身を縮めながら前を向くと目の前にヒラリと何かが落ちてくるのが見えた。
「あ・・・雪だ」
手を広げ上を見上げると白い粉雪が空全体に広がって舞い降りてきていた。
「今年は早い初雪だな」
「本当だぁ~凄い~」
今年初めての雪をこの人と見られたんだな・・・ってこんな時なのに思っていた。
「風間。もういいぞ」
「え?」
折原さんの言葉に振り返ると、あの寂しげな顔をして少しだけ微笑んでいた。
「もう俺は大丈夫だ」
「何が、、、ですか?」
その顔を見てなんだか嫌な予感がして胸が苦しくなった。
「もうお前を苦しませるのは終わりだ」
「どういう意味ですか?」
自分のマフラーをスッと外し私の首に巻きつけ微笑む折折原さんに胸がドキドキしていた。
「契約はここまでだ」
暖かいはずのマフラーも感じないくらい体が凍りつくのが分かった。
「嫌だ」と言いたいのに、言葉が出ず黙って折原さんを見つめていた。
「俺達はどうやら近づきすぎたみたいだ。これ以上はお前を悲しませることになる。いまここで契約は終わりにしよう」
「でも、、、」
「正也はいい奴だぞ」
ポンッと頭に手を乗せ雪を払ってくれたが、同時に私の目からどんどんと涙が溢れてきた。
「折原さ、、、ん」
「風間。お前は俺なんかじゃなくてもっと良い奴を選べ。お前ならきっと大丈夫だ」
ニッコリと微笑み背中を向け歩いていく折原さんを止めることもできず、初雪の中ただ立ち尽くして泣くことしかできなかった。
私があんな態度をしたから嫌気がさしたのかもしれない。
詮索をするなと言われたのに、レイさんのことで怒ったような態度をしたからかもしれない。
思い当たることがありすぎて、もうどうしていいのか分からなくなっていた。
今年初めての雪の日。
私は好きな人に振られてしまったようだった。
苦しいほどの想いを何一つ告げられないまま、ただ小さく消えていく背中を見つめることしかできなかった。
あの場に戻るにはバツが悪すぎて私もこのまま家に帰ることにした。
きっと戻れば帰ってこない折原さんのことを聞かれるだろう。そしてみんなの前で折原さんの名前を出されるだけで、今は簡単に泣けてしまいそうだった。
家に戻りコートを脱ごうとした時、自分の首に巻きついている折原さんのマフラーに気がついた。
途端にポロポロと涙が零れその場に座りこんだ。
こんな風に傷つく結果になるならば、もっとハッキリと契約の話が出た時に断れば良かった。まだレイさんと折原さんが二人でいても平気な顔をして「誰だろ?」って思っている頃ならば・・・
言い訳をしても結局傷つくということは分かっていたはずなのに。
それでも彼の側にいたいって思ってのは自分なのに。
そして・・・報われないって分かっていたのに。