小さな喧嘩
金曜の昼間。原稿の受け取りの為に折原さんの家に顔を出していた。
パラパラと今後の予定表を見るとウッカリ午後からの柚木先生の家の訪問を見落としていた。
「あっ!すいません。ちょっと出かけてきます」
「どうした?」
「柚木先生の家に行くの忘れてました。今日は特別なコメントをいただくことになっていたので、ちょっと行ってきます」
「FAXじゃダメなのか?」
「その場での校正もあるので直接じゃないと・・・」
「そうか。分かった」
急いで柚木先生の家に行き原稿を受け取った。
「すいません。ウッカリ時間をオーバーしてしまって」
「大丈夫だよ。今日は予定に無い日だしね、真羽ちゃんも忙しいんだもの仕方無いよ」
「いいえ。本当にすいませんでした」
深くお辞儀をして頭を下げると柚木先生はそんな私を見て笑っていた。
「うん。本当に申し訳無いことをしてくれた」
「えっ!あ、、はい。すいません」
「バツとして今日は食事に付き合ってもらおう!」
「え?」
「な~んてね。バツは嘘としてどう?」
なんだか今回ばかりは断ることができず、その誘いを受けた。
柚木先生の家から戻り折原さんの家に行くとまだ原稿はあがっていなく、それでも焦る表情など微塵もない折原さんに呆れた顔をした。
「もぅ・・・遅れないって約束ですよ」
「分かっている。遅れてはいないだろう。まだ時間はある」
「まぁ、、そうですけど」
時計をチラッと見ると柚木先生との約束の時間まで2時間と迫っていた。
「何か予定があるのか?」
「あ、、いえ。ちょっと」
「ちょっとなんだ」
「その、、、柚木先生の所に行く予定になってるので1時間以内には会社に戻らないといけません」
「さっき行っただろう」
「それとは別件です」
お互い目が合いちょっとだけ後ろめたくて目を逸らしてしまった。
「そうか。じゃあ俺の原稿は夜までにお前のパソコンに送っておく。それで大丈夫だろう」
「まぁ、、、そうですけど」
「なら帰っていいぞ」
(え・・・そんな冷たく言わなくても~)
「じゃ、、じゃあ、、、今日は失礼します」
「あぁ。後、明日はどうする?」
「明日ですか?あぁ忘年会ですね。えーと、、、3時頃にここに来ます」
「そうか。分かった。じゃーな」
あまりにアッサリな言い方にちょっと寂しくなりながらも家を後にした。
(ちょっとくらい止めるとか、、してくれてもいいのに)
止める理由なんか無いのは分かっている。彼は私に恋愛感情なんか無いのだから。
その現実は分かっていても態度に出されると寂しい。結局は報われないのだろうと鼻から分かってスタートしたことなのに、どこか彼の行動に期待をしてしまう。
暗い顔をしたまま柚木先生の家に行くとそんな私の顔をおどけた感じで覗き込んだ。
「なんだかノリ気じゃありませ~んって顔だね」
「えっ、、いいえ。そんなこと無いですよ」
「本当に分かりやすい人だよね。バカがつくくらい」
「ちょっ!バカて!」
「人間素直が一番!いいと思うよ」
ニコッと微笑み上着をきて外出する用意をする柚木先生の言葉がなんだか頭に残った。
(素直が一番かぁ・・・)
もっと前の私はこんなんじゃなかったような気がする。
たぶん海人と付き合ってからかな。自分の気持ちを押し込めて嫌われないように言いたいことを隠してしまうようになったのは。
そして、、、もう大事だと思う人を自分の前から失うことが怖くて仕方無い。
例え相手が自分を大事にしてくれなくても。
そんな恋のどこが幸せなんだろうって本当は分かっている。
けど、折原さんのあのどこか寂しそうな顔を見てしまうと側にいてあげないといけないような気もする。
本人に言えば「余計なお世話だ!」って言われそうだけど。
柚木先生のいう食事はこの前ような気取ったレストランだと思っていたのに、今回は庶民的な感じの店だった。
(へぇ・・こんな所も来るんだ?)
ちょっと意外だなと思いながら席に着くと私のほうを見てニコッと笑った。
「こんな所のほうが好きなんでしょ?」
「え?どうしてですか」
「なんとなくそう思ったから」
この前の私のオドオドした態度を見て気を使ってくれたんだなと感じた。
「柚木先生なら素敵な人がいくらでもいるんじゃないですか?そんなに気が利くなら」
「フフフ・・・」
怪しい笑いをしながら小さい声で「それがぜ~んぜんモテないの。ビックリするくらい」と笑った。
なんだかその言い方が可笑しくて二人でクスクスと笑っていた。
「俺ってそんなに堅苦しいかな?」
「え?う~ん・・・そんなこと無いと思いますけど」
「なんだか分からないけど、付き合う子みんなに最後はフラれちゃうんだよね」
「えー!なんかちょっと意外」
「俺も意外」
(俺もて・・・)
「で、原因を考えてみたんだ」
「で。何が原因でした?」
「それが全然分からない。それなりに優しくしていると思うし、相手のことだって考えてあげているし。まったくもって分からない。なんで?」
「さぁ・・どうしてでしょう?」
不思議な顔をする私に柚木先生は真剣に悩んでいる顔をしてグラスのビールを飲み干した。
「じゃあ違う方向から聞いてみよう。真羽ちゃんはどうして俺のこと好きになれない?」
「えっ!それは角度が全然違うと思いますけど」
「いやいや。同じことだよ。ちょっと言い方が違うくらいで」
「えーと・・・それは、、、さぁ?」
曖昧な返事をする私に柚木先生は意地悪そうな顔をして笑っていた。
「素直が一番って言ったでしょ?和馬が好きなんだろ」
突然そんなことを言われると思っていなかったのでビックリした顔をして柚木先生を見ていた。
「どうしてなのかなぁ?あんな無愛想でズケズケ言う男が今は流行なのかなぁ?」
「いやっ!その、、、」
「でもね。傷つきそうなら引き返すことは悪いことじゃ無いと思うよ」
「それは、、、どういう意味ですか」
「それは真羽ちゃんが分かっているんじゃない?」
何かを知っていそうな雰囲気の柚木先生にどう聞けば良いのか分からずに言葉が詰まった。
私と折原さんの契約の話を知っているのだろうか。
とても恥ずかしいことを知られてしまったかのようで無言のままグラスを口に運んだ。
「和馬ってさ。昔から好きな人がいるんだよ」
「あの、、お兄さんの奥さんですよね」
「あ。知ってるんだ」
「はい。なんとなく」
「アイツはその人のことをこれからも忘れない。そんな奴だから」
「でもっ!もう終わったって言ってました」
「口では何とでも言えると思うよ。でも、俺は昔からアイツを見ているからね。彼女が好きなクセにそれを紛らわす存在の女の人達も。だから和馬に遊ばれるようなことにはならないようにね」
ヤンワリと優しい口調でも内容は警告だった。
たぶん私と折原さんの関係を柚木先生は気がついているのだろう。
「柚木先生・・・」
「ん?」
「人は変われないんでしょうかね」
自分が言った言葉に泣きそうになるのをグッと堪えた。
「人を変えるなんて思っちゃダメだよ。すべては許せるか許せないか。それだけじゃないかな」
「許せる・・・ですか」
「あぁ。よく恋愛当初は熱くなって「俺の思うような女にしてやる」とか寝言を言う奴がいるじゃない?でも結局は無駄な努力。人の根本的な所は本人以外には変えることはできないと俺は思うよ。変われるほどの人に出会えてこそ変わるものだと思う」
「変われるほどの人かぁ・・」
「それを目指しちゃう?」
「私なんか、、、無理ですよ」
「それは俺には分からないけどね。でも何事も最初から諦めちゃ結果は見えていると思う。無理なことを可能にする楽しさってのもあるけどね」
ニコニコと言う柚木先生に落ち込んだ顔をして皿の上のポテトをフォークで転がした。
「府に落ちないって顔だね」
「そんなこと無いですけど・・・」
「じゃあやってみるといいよ。和馬に体当たりしてみな」
「そんな簡単に言わないでくださいよ」
「アイツはね。小さい頃にお母さんを亡くしているんだ。だから人への甘え方を知らない男なんだ。それもあってレイさんは和馬が初めて心を許した女の人だったんだと思う。思い入れが違うんだよ」
「そうなんですかぁ」
「でも人それぞれ「この人がいい」ってポイントなんか違うものだしね。もしかしたらレイさん以上のモノを真羽ちゃんに感じることもあるかもしれないし。そんなのやってみなきゃ分からないことだもの」
「柚木先生・・・応援してくれているの?私のこと」
「ううん。ぜ~んぜん」
悪びれもせず笑う顔にヒクッとした顔で「そ、、そうですか」と引きつり笑いをした。
「俺は真羽ちゃんが和馬にガツンと振られるの待ってるの。そのほうが手っ取り早いみたいだし」
「なんですか!それ」
「だって一度誰かを好きになると余所見ができない人でしょ。不器用そうだし、バカ正直だし。失恋の弱みに付け込むのって最高に手軽なんだよ~知らない?」
「知りません!」
子供でもからかうように笑う柚木先生に敵なのか味方なのかまったく分からずため息をついた。
(体当たりかぁ・・・)
いったいどうやって彼の気持ちを変えることができるのだろう。
私なんかがレイさんに勝てる要素が無いのは最初から分かっているのに。
早めに食事を終わらせて家に送ってくれた柚木先生にお礼を言って別れた。
きっともう柚木先生が私を個人的に誘うことは無いだろう。
頭の良い人だもの、負け戦に足を運ぶ人では無さそうだし。
「はぁ・・・なんか凹む」
ボソッと呟き部屋の前に行くと誰かが私のドアの前に座っているのが見えた。
(わっ!酔っ払い?それも私の家の前って!ちょっと~警察に電話しようかなぁ)
様子を見ながら近づくと私の足音にその人はスッと立ち上がりこっちを見た。
酔っている風にも見えず・・・
(じゃあ変質者?いや、痴漢?)ともっとビクビクしながらその人を見た。
「遅いぞ」
「え?折原さん」
「夕方に間に合わなかったから直接持ってきた」
「え?なにを」
「原稿だ!」
「だってパソコンに送るって言ったじゃないですか」
「お前、、俺に教えたアドレス間違って無いか?エラーで戻ってきた」
「嘘っ!そんなはずは、、、」
紙に書かれたアドレスを見ると・・・一文字スペルが間違っていた。
「あ・・・」
「「あ」じゃない。現にエラーで戻ってきたと言っているだろう」
「すいません!あの、、お茶でもいかがですか?」
「もっと早く言え!」
ズカズカと家に入っていく後ろ姿を見ながら、私が戻るまで待っていてくれたことがちょっとだけ嬉しかった。
「正也との食事は楽しかったか?」
「まぁ、、、そこそこです」
「偉そうに」
「別に普通に答えただけですよっ!」
ソファーに座り私の格好を上から下にジロ~と見た後に「ふんっ」と鼻で笑い目を逸らした。
「ちょっ!なんですかその嫌な笑いは!」
「随分とめかし込んで行ったもんだなと思ってな」
「そんな事ないですよ。スカートくらい履きますよ私だって!」
「香水だっていつもよりも高級じゃないか」
「たまには違うのつけてもいいじゃないですか」
「はぁ~ん。俺との食事とは気の使いようが違うよな」
いちいち食ってかかる折原さんにこっちも負けないように言い返した。
「自分だって!」
「俺がなんだ」
「私の前じゃボサボサ頭でヒゲもそのままなのに、レイさんが来ると急いで綺麗にするじゃないですか」
「この前は寝起きだったからだろう」
「私にコーヒーを入れてくれたのだって初めて家に行った時くらいなのに、レイさんにはいつも急いで持ってくるし、この前なんかコッソリとノンカフェインとか買ってたくせに」
「妊婦にカフェインはダメだろう」
「なんだかんだ言っても来てくれるの待ってるくせに!」
そこまで言う気は無かったのに・・・
コーヒーを新しく買っておいてくれたんだと思って手に取ったのがノンカフェインだったことに、私の中の嫉妬心が燃えたのは確かだった。
「べ、、別にいいけど。折原さんが何を買おうと私には関係無いですから」
「当たり前だ。お前にアレコレ言われる筋合いは無い」
シーンとした空気が思ったよりも重くどうしようかと内心焦っていた。
「じゃあ、俺はこれで失礼する」
「あ・・・お茶、、、」
「こんな雰囲気で楽しくお茶なんか飲めるか。帰る」
さすがにそれは私も思ったが、このまま喧嘩のような別れ方をしたほうが明日もっと会うのが気まずいのに。
ドアの外に見送りもしないで私は黙ってその場に立っていた。
車のエンジンをかける音が聞こえ、間もなく走り去る音が聞こえた。
こんな喧嘩をしたい訳じゃないのに。
どうしてもレイさんが絡むと平常心を保てなくなる自分がいる。
さっきの柚木先生の言葉がまた頭に甦る。
<和馬はこれからも彼女を忘れない>
どこにぶつけていいのか分からない嫉妬心が胸の中でモヤモヤしていた。