繋がっていた糸
数日後。仕事の様子を覗きに行くといつもよりも真面目な顔をしてパソコンに向かう折原さんの後姿を見て
(ほぅ・・珍しく真面目だ!)と少し驚きながら部屋の中に入った。
私が来たことも気がつかないくらいパシパシとキーボードを叩く音に
(やっと本気を出してくれたか)と感動しつつ隣に立ち画面を覗き込んだ。
「えっ・・・」
「あ?来てたのか」
「あ、、はい。てゆうか、、これ、、、」
「どれがいいと思う?こっちか?それともこっちか?」
真剣な顔つきの真相は例の子供の名前のようだった。
少しだけ呆れた中にちょっとだけ嫉妬の炎が湧き上がるのを感じつつも顔に出さないように目を逸らした。
「どれも素敵ですね。さすがです」
「こっちは字画がいまいちなんだよ。けど響きは良いと思うんだが」
「折原さんが良いと思ったのでいいんじゃないですか」
「そんな投げやりな言い方するなよ。他人の意見も聞きたいだろうが」
(他人・・・)
当たり前な言葉なのにどうしてか胸がドキッとした。
私だけが入れない身内という見えない壁に一人だけ取り残された気分でいっぱいになった。
「さ、、さぁ。私はそんなセンス無いんで聞かないでください」
なんだかこれ以上この話をすると、どんどんと寂しい気持ちになってしまいそうで会話を終わらせようとパソコンの側を離れソファーに腰を下ろした。
そんな私を見て折原さんは椅子をコロコロと転がし私の目の前に滑りこみ、まだ真剣に話の続きを始めた。
「こんなのは女のほうが得意じゃないか。お前の意見も参考にしてやるって言ってるんだから・・・」
「結構です!別に参考になんかしてくれなくていいです」
ムキになる私を見て折原さんは無表情な顔をしてジッ・・・と見た後に意地悪そうな顔をしてニヤッと笑った。
「なんですか、、その顔は」
「お前は分かりやすいな」
「なにがですか!」
「もう終わったことだと言っただろう。変な感情を抜きに聞いているんだ。一人の人間の人生を左右することなんだから俺には荷が重過ぎると思ってな」
一番衝かれたく無いポイントを指摘され何も言えずに書類を見て知らない顔をした。
「まったく・・・協力的じゃないなぁ~」
また椅子をコロコロさせパソコンに向かう背中を見て(仕事すれよ・・・)とボソッと呟き書類に目を戻した。
「あ、そうだ。お前来週の土曜明けておけよ」
「来週ですか?」
「あぁ。例の食事会にお前も連れて行くことにした」
「ちょっ!それ嫌です!どうして私もなんですか」
「上手く話しを続けられるか自信が無い。間が持たないと困るからだ」
「そんなの知りませんよ!」
「俺が可哀想だろう!」
「それこそ知りませんよ!それに、、私のことなんて説明するんですか!ただの仕事の担当がわざわざ家族の食事会になんか行くのは変だし、「契約上の女だ」なんて言える訳無いじゃないですか」
「馬鹿か・・お前は。そんなこといちいち言わなくてもいいだろう。俺の彼女だということにしておけばいい」
「それは、、、」
「あっちもそう思っている。別に本当のことを教えなくても誰も詮索はしない」
改めて彼女という存在では無いとハッキリ言われ、分かっていることなのに気持ちが落ち込むのを感じた。
ちょっとずつでも彼の気持ちが私に傾いているんじゃないかって勝手に思い込んでいたのは私だけだったんだなって・・・
「やっぱり嫌か?」
「あ、、、えーと、、、」
「頼む。俺がこうして頭を下げるなんて首が痛い時と眠い時くらいしか無いんだぞ」
「どっちもどうでも良い時じゃないですか!」
「よろしく頼むぞ!」
ニコッと微笑み軽く触れる程度に唇を重ねる彼の行動にそれ以上何も言えず黙ってしまった。
彼女の前で堂々と私を恋人だと宣言してくれることは少しだけ嬉しいかもしれない。例えそれが嘘であったとしても今後、彼女と折原さんの間でモヤモヤすることは無くなるのかもしれない。
そして・・・折原さんの目の前で旦那さんと仲良くする彼女を見れば折原さんの気持ちもこれ以上加速することは無いのかもしれない。
すべて自分に都合の良いことばかりを考えてしまった。
「何時からですか?」
「ん?あぁ・・・食事会か。7時くらいと言っていたな。兄貴の仕事がそれくらいまでかかるそうだ」
「分かりました」
その日。自分にできるだけの精一杯のお洒落をイトコの由紀菜さんに手伝ってもらった。
「真羽ちゃん最高!」
「本当?本当にそう思う?」
「うん。私が言うんだから間違い無い!和馬を唸らせてきなよ!」
バシッと肩を叩かれ笑顔で店を出た。街角のウィンドウに映る自分の姿にちょっとだけ自信をつけながら指定の場所に顔を出した。駐車場にはまだ折原さんの車は見当たらなかった。
(うわぁ・・まだなんだ。どうしよう)
入り口でウロウロしていると後ろから突然声をかけられビクッとして振り返った。
控えめなお洒落でも私よりも十分に輝いているお姉さんがいた。
「真羽さん今日はありがとうね」
「あ、、はい。こちらこそお招きいただいてありがとうございます」
「ううん!真羽さんが来ないって言ったらきっと和馬は来なかったかもしれないもん。助かっちゃった」
「あ、、はは、、、」
「まだ来てないんですね、、、折原さん」
「そうね。じゃあ先にテーブルに行きましょうか」
「あ、、えーと。その、、、」
「うちの素敵な旦那様を紹介するわ。格好良いから好きになっちゃダメよ」
ニコッとウインクをして手を引かれ中に進もうとした時、駐車場に折原さんの車が入ってきた。
「あ、私一緒に行きますから」
「そう・・・。じゃあ先にテーブルについてるわね」
なんだかあんなに幸せそうな顔を見ると、自慢の旦那さんを紹介された後虚しくなりそうだった。
何もかも手に入れている彼女と何も無い私・・・
ここに立っているだけでも惨めなのに・・・
車から降りてきた折原さんはいつもと違いピシッとスーツを着ていた。
「お。早かったな」
「はい・・・」
「なんだ?その顔は。俺の格好が変か?」
「あ、、いいえ。その、、ちょっと見慣れないから」
「見慣れないからなんだ」
「いえ。ちょっと不覚にも素敵とか思っちゃいました。きっと私疲れてるんだと思います」
私の言葉にヒクッと口元を上げスカートの上から小さくお尻を抓られた。
「いたっ!」
「ふん!孫にも衣装のくせに!」
お互い憎まれ口を叩きながら中に入ると奥のテーブルで彼女が手を振っているのが見えた。
遠くから見てもやっぱり綺麗だなって思った。そんな彼女を隣にいる人はどんな目で見ているのだろう。
そう思うだけで折原さんの方を見ることができず、少しだけ俯いて一歩だけ後ろに下がり後をついていった。
「久しぶりだな。和馬」
「あぁ。元気そうだな」
彼女の奥に座っていただろうお兄さんとの会話に前に出した足が止まった。
聞き覚えがある声だった・・・
(嘘・・・、そんなはず無いよ)
「今日は和馬の彼女が見れると思って朝から気になってな」
「ふんっ・・・」
私を紹介しようとスッと体を横にずらしたと同時に私の目の前に信じられない光景が広がっていた。
二年間の空白が一瞬にして埋まった。私の目の前にはあれほど逢いたかった海人が座っていた。
私の顔を見て少しだけ驚いた顔をしたが、慌てて顔を戻し海人は席を立ち手を差し出してきた。
「はじめまして。和馬の兄の二ノ宮海人です」
言葉も出ずただ黙って海人の顔を見つめていると隣で折原さんが小さく声をかけてきた。
「握手くらいしてやってくれないか?うちの馬鹿兄貴と」
「えっ!あ、、はい。すいません」
慌てて握手をするとなんだかその手の暖かさすら懐かしく、また視線は海人に戻ってしまった。
軽くしていた握手は周囲に分からないくらい、ほんの少しだけ力が強まった気がした。
その力の変化に海人を見ると何か言いたげな目をして私を見ていた。
あまりに驚きあれほど彼に逢ったら言いたいことが山のようにあったはずなのに、何一つ頭には浮かばなかった。
あんなに怒っていたはずなのに・・・
どれだけ泣いたか分からないくらいだったのに・・・
「いつまで握手してんだよ」
折原さんの声に二人とも我に返り慌てて手を離した。
「ごめん。ごめん。久しぶりにこんな可愛い人と握手なんかしたからボーとしちゃって」
海人のジョークにあからさまに嫌な顔をしたお姉さんに海人は笑いながら席を引いた。
「嘘だってばレイ。そんなに怒るなよ。子供じゃないんだから」
「もう~嘘に聞こえないわよ!ジィーと見ちゃって」
レイ・・・・
何度も聞いた名前。何度も想像してどこにぶつけていいのか分からない嫉妬をした人が彼女だったなんて。
俯いて席に腰を下ろし黙ってテーブルにあったお皿を見つめていた。
こんな偶然、なんて残酷なんだろう。
「大丈夫か?」
折原さんの声に「はい・・」と小さく返事をして強張った顔をできるだけ戻そうと必死で笑った。
目の前で感じる海人の視線をできるだけ感じないように顔を折原さんの方に向け正面を見ないように顔を背けていた。
「真羽さん大丈夫?顔色悪いけど」
レイさんの声に笑顔で「大丈夫です」と答え少しだけ笑った。
が・・・さっきとは彼女を見る目が全然違う自分を感じた。今は嫉妬とは違う。なんだか後ろめたく彼女を苦しませたのが自分なんだと思うとこの場から逃げ出したくなった。
私の心の中の葛藤を他所に目の前の三人は楽しそうに談笑をしながら食事を始めていた。
(笑わなきゃ・・・)
頭では分かっているのに、どうしても笑顔でつくりだせない。
背中に変な汗をかきながら何を口にしても味がしなかった。
どれくらい時間が経ったのだろう。目の前に運ばれてくる食事がデザートに変わる頃、もう我慢できなくてお手洗いにと告げその場を後にした。
洗面所の鏡に映った自分の顔が真っ白で血の気が引いているのが分かった。
ドキドキとする心臓は収まることを知らず、なんだか吐き気がしてきて個室に飛び込んだ。
何がなんだか分からず頭が真っ白になったまま、口に手を当て立ちすくんでいた。
コンコン・・・
ノックの音に慌てて中からもノックをするとドアの向こうから声がした。
「真羽さん大丈夫?具合悪いの?」
レイさんの声に「大丈夫です」と答え慌ててトイレの外に出た。
「顔、真っ白じゃない。貧血?」
「あ、、いいえ。ちょっと緊張しちゃって。ごめんなさい」
「どこか休む場所聞いてみましょうか?」
「もう大丈夫です。心配しないでください」
「そう・・・。別に緊張なんかしないでよ。気楽にして?ね」
「はい・・・」
一緒にトイレを出て席に戻る少しの間にもまた心臓がドキドキしていた。
「うちの旦那さんが格好良すぎてクラクラしちゃった?」
ニコニコと微笑むレイさんに少しだけ笑い後ろをついていきながら「うちの旦那さん」という言葉を噛み締めていた。
(私は結局この人に勝つことはできなかったんだな・・・)
後姿を見つめながらそんなことをボンヤリと思った。
当然といえば当然かもしれない。私はこんな風に女らしい雰囲気も無いし、綺麗でも無いもの・・・
あのまま奥さんの存在なんか知らないほうが良かったのかもしれない。
席に戻ると折原さんと海人が何かを話しながら笑っているのが見えた。
そんな海人の笑顔を見て、胃がムカムカするのを感じた。
(こんな時にあんなに余裕で笑っていられるなんて・・・)
取り乱すことのほうができないのはわかっているけれど、何事も無かったような顔を見てしまうと正直腹が立つ。
席に戻りケーキを口に運びながら海人と折原さんの会話を聞いていた。
「和馬もやっと彼女を紹介するくらい大人になったんだな」
「まーな。そっちも円満でなによりだな」
「そうかもしれないな。これからはこんな風にみんなで食事なんかできるといいな」
「子供が生まれたらそんな流暢なこと言ってられないんじゃないのか?」
「俺が父親だなんてな・・・想像もつかないよ」
目の前の海人は私が知っている海人じゃなかった。
これから生まれてくる子供の話をニコニコしながら話すような家庭的な人じゃなかったのに・・・
いつも仕事の話で頭を悩ませていた姿しか浮かばなかった。
「で。どこで知り合ったんだ?」
海人の話に折原さんがチラッとこっちを見た。
一瞬だけ、お見合いパーティーでなんてことは恥ずかしいと感じたがきっと折原さんのことだから隠すこと無く話してしまうのだろうと諦めていた。
「たまたま俺の担当になったんだ。それで知り合った」
「そうなのか。いいのか~仕事関係の女の人に手を出して~」
「別に問題は無い。俺はその会社の社員でもなんでも無いからな」
「付き合って長いのか?」
「まだ一ヶ月程度だ」
「へぇ~。一番楽しい時だな」
「そうかもな」
二人の会話を聞きながらレイさんはニコニコと海人を見つめていた。その二人の雰囲気にやっぱりなんとも言えない感じがして無口になったまま下を向いた。
「今度、うちに遊びに来てくださいよ」
そんなことを言い出す海人に引きつり笑いをして頭を下げた。
私にはとても残酷な誘いにも聞こえた。
「そうね。今度みんなでお庭でバーベキューとかしましょうよ!春になったら桜の下で花見しながら」
嬉しそうにそんな話をするみんなの中、一人だけ心から楽しめない気分で頷いていた。
もうこれ以上ここに座っているのが苦痛でチラチラと何度も腕時計を見てしまう。
でもさっきと時間は何も変わっていなくたった5分も動いていなかった。
「これから何かあるのか?」
折原さんの声に顔をあげ「いいえ・・・」と小さく答えた。
「真羽さんなんだか具合が悪いみたいなの。さっきから顔色が悪いし」
レイさんの声にみんなの視線が集まり「大丈夫です」と答えなんとか笑顔を取り繕った。
「そういえば・・・なんだか青いな」
「ちょっと、、緊張しちゃって」
「じゃあ俺達はもう少ししたら失礼しようか」
「あ。はい・・・」
やっと開放されると思うと少しだけ気分が軽くなった。もう自分の指先の温度も分からないくらい冷たくなり、頭がなんだかクラクラしていた。
「真羽さん。ちょっとお願いがあるんですが」
突然海人に話しかけられドキッとしたまま顔をあげると小さいメモ用紙にサラサラと何かを書き込んで私に渡してきた。その用紙を見ると海人の携帯番号とアドレスのようだった。
「今度仕事で出版関係のことをお聞きしたいのですが都合の良い時に連絡いただけませんか?」
「あの、、」
「簡単なことです。私はそっちの関係には素人なのでちょっとお聞きしたいことがありまして。和馬の知り合いなら気軽に聞けると思ったんでダメですか?」
どう答えていいのか分からず折原さんの顔を見た。
「まぁ・・・お前が分かる範囲ならいいんじゃないか?」
「あ、、はい。そうですね」
そんな海人の行動をレイさんはあまり良く思っていないのか横から口を挟んできた。
「仕事とプライベートは別でしょ。そんなこと頼まれたら断れないじゃない。失礼よ」
「いや、無理にとは言わないんだが、、ちょっと仕事で必要だったから」
「真羽さん。面倒なら断ってくれて結構だからね?無理しないでね」
「あ、、はい。分かりました」
きっと海人の話は嘘だろう。そして、、、堂々と奥さんの目の前で私にそんなことを言える彼の態度に不信感を持った。今の私は彼の弟の彼女という立場なのに・・・
自分の奥さんの目の前で堂々と携帯番号を渡すなんて。
「じゃ、そろそろ失礼するか」
「はい」
慌てて席を立ち二人に頭を下げた。
「和馬今日は悪かったな」
「いや。別に問題は無い。じゃ、また」
「あぁ。今日は本当に良かったよ。お前とも話ができて、おまけに彼女まで紹介してくれて」
スッと手を上げ帰る挨拶をした折原さんの後ろを慌ててついて行った。背中に痛いほど海人の視線を感じたが、
振り返ること無く一目散に外に出て深呼吸をした。
「大丈夫か・・・お前」
「はい。すいません」
「じゃ送っていく」
助手席からレストランの中を見るとこっちを黙って見ている海人が見えた。
いろんなことが不安だった。
折原さんやレイさんに私とのことがバレるんじゃないだろうかとか、
また彼に会ってしまうことがあるんじゃないかとか・・・
口数が少ない私を見て折原さんが少しだけ心配そうな顔をしてこっちを見た。
「なんだか悪かったな。お前なら人見知りしないかと思ったんだが・・・」
「いえ。ちょっと緊張しただけです。なんだか家族に紹介なんてそうそう無いんで」
「そんなに堅いもんじゃないんだが、、、そんなに緊張するとは思っていなかったから」
「あ、、はい。すいません」
自分で触った手が異常なほど冷たく知らないうちに体が震えていた。
左のポケットの中にはさっき海人に貰ったメモ用紙が指に触れていた。
それを小さく握りもう一度だけ海人を見ると黙って私達を見つめているのが見えた。
この一枚の紙からまた私の生活が大きく変わってしまうのだろうか。
私は彼に連絡をするのだろうか。
今は何も考えられなく視線を彼から外し前を向いた。
けれど心臓のドキドキと冷たい手先は一向に変わることは無かった。