涙の理由
翌日、まだ寝ている折原さんの顔をジッ・・と見ていた。
普段はムスッとして眉間に入るシワも寝ている時は消えている。
「怖い顔をしなきゃ、もっと格好いいのになぁ・・・」
小さく呟き眉間を指で触った。
窓にかかるカーテンが光を吸い込み、外の天気を教えてくれていた。
「今日は晴れているんだなぁ・・・」
これから起きてどこかに行こうということになるのかな。
それなら・・・どこがいいかな。
もう彼女の存在が無いと聞かされ、私はちょっとだけ気持ちが軽くなっていた。
すぐには忘れることはできないだろうが、それでも側にいられるのは自分だけだとおもうと少しだけ嬉しかった。
まだ寝ている折原さんを起こさないようにベットから抜け出し、起きてからすぐに食事ができるようにキッチンに行った。
「簡単なほうがいいかな~。じゃあホットケーキにしよ!」
掌サイズの小さいホットケーキを何枚も焼き、コーヒーを落とし、簡単に部屋の掃除をして折原さんが起きるのを待っていた。
そこにインターホンが鳴り、私が出ていいのかオロオロとした。
「あの・・・折原さん。お客さんです・・・」
「ん・・・・」
「どうします?このまま無視しますか?」
「お前が、、、でろ」
「いやいやいや。それはマズいでしょ!」
「別にマズくは無い」
ガバッと布団をかぶりまた寝てしまう折原さんにドキドキしながらインターホンを繋げた。
そこに映ったのは・・・例の彼女だった。
「あ、、おはようございます」
「あら。担当さん。随分と早いわね」
「あ・・・はぁ・・・」
「和馬いる?」
「えーと、、、その、、、、具合が悪くて寝てます」
「そう・・・。ちょっと忘れ物があるの。いいかしら?」
「えっと、、、はい」
自動ドアを開け、彼女が来る前にと折原さんを急いで起こした。
「折原さん!起きて!お姉さんが来ます!」
「なんで・・・」
「忘れ物があるとか・・」
「じゃあ持っていかせろ」
布団から顔を出すことも無いまま玄関に彼女が来てしまった。
部屋に彼女を通し、ドキドキしながら様子を見ていた。
軽く部屋の中を見渡し、食事の用意をしているのを見てニコッとこっちを見て笑った。
「担当さん・・・お名前なんだっけ?」
「え?あ、、、風間です」
「下のお名前は?」
「真羽です」
「風間真羽さん。綺麗な名前ね。雰囲気にピッタリ」
フワッと笑う顔にやっぱり綺麗な人だなって思った。
「和馬のこと・・・よろしくね」
「えっ、、いや。そんなんじゃ・・・」
「いいのよ。姉として貴方なら合格!まぁ、、アノ子に文句が言える女の人なんか見たこと無かったから、お似合いだなって思ってたけどね。良かった・・・」
「あ、、、はぁ」
「いままで周りに女の人がいなかった訳じゃないけど、なんだかいつもチャラチャラした感じの人ばかりで姉としては嫌だったの。二人の雰囲気凄くいいから、貴女とそんな仲になってくれたらいいな~って思ってたんだ」
彼女を作らなかったのは・・・貴女のことが本当に好きだったからなのに。
でもこれだけ長い間一緒にいても、それに気がつかないくらい折原さんは彼女に気持ちを隠していたんだと思うと複雑な気持ちになった。
「あの、、忘れ物ってありましたか?」
「あ~ぁ。和馬の具合ってどう?」
「えっと、、、寝てるんですけど・・・・。起こしてきます」
「うん。お願い。和馬がいないと始まらないの」
寝室に入り、寝ている折原さんの手を引っ張りなんとか起こした。
「なんだよ・・・」
「お姉さんが忘れ物のことでお話があるそうです」
「ったく・・・」
寝癖をつけた髪のままリビングに行き、ソファーに座って煙草を吸おうとした折原さんだったが、彼女のお腹を見てまた煙草を箱に戻した。
子供のことを考えているんだなって・・・ちょっとだけ胸が痛んだ。
「で、なに?」
「ごめんね。寝ている所。で・・・彼と話をしたんだけどね」
ニコニコと話をする彼女とは逆にお兄さんの話題にもっと顔が険しくなる折原さんを見ながらカップにコーヒーをついだ。
「そろそろ仲直りをしたいらしいの。みんなで食事しない?私がOKを取ってくるって彼と約束をしてきたの。お願い!」
手を前でパンッ!と合わせ折原さんに微笑んだ。
「別にしなくても俺は構わない。食事なら二人ですればいい」
「もぅ~。せっかく二人きりの兄弟じゃない~。もう彼も心を入れ替えたって言うし、大丈夫だから。ね?」
「二人で仲良く夫婦の時間を楽しめばいい。俺は仕事が忙しいから」
「和馬~。私ね、本当に貴方には感謝してるの。貴方がいなければ、私達夫婦はきっと離婚してたと思う。この子にも会うこと無かったかもしれないし・・・」
大事そうにお腹を撫でる彼女を見て、ちょっとだけ折原さんの気持ちを考えると可哀想になった。きっと祝福はできないんだろうなって・・・
「あ!そうだ。真羽さんも一緒ってどう?」
「えっ?私は、、結構です!」
「どうしてよ~!せっかくだもの。もしかしたら家族になるかもしれないじゃない?ね?」
無邪気に微笑む彼女の言葉がとても残酷に聞こえた。
私の気持ちも知らないで・・・
「コイツも忙しい奴だし、食事の話は断る」
キッパリと私の出席を断る折原さんに当然だと分かっていても、なんとなくガッカリした。
お披露目をするほどの女じゃないのは分かっていたが、やっぱり言葉にされると悲しい。
「酷いですね~オジサンは・・・」
お腹の子供に話しかけるように拗ねる彼女に、折原さんは知らない顔をしていた。
「じゃあ・・・諦める。でもこれだけはお願いね。この子の名付け親になってね」
「あ?」
「アノ人と相談して決めたの。名前は和馬が決めて。専門職って訳じゃないけど、言葉の仕事しているんだもの、きっと素敵な名前を考えてくれるって二人で話し合ったの。この前の検診で男の子って言われたから、よろしくね」
彼女に悪気は無いのだろう・・・
けど、まだ気持ちがあるのになんて酷い仕打ちだろう・・・
折原さんの顔を見ることができずにキッチンに戻った。
「名前は二人で決めたほうがいい」
「どうしてよ~。一人しかいない叔父さんだもの、いいじゃない」
「・・・・・」
「あの有名な立花悠馬が名付け親なんて、この子凄いじゃない!ね?お願い」
もう・・・それ以上折原さんを追い詰めないで欲しい。
無邪気に笑えば笑うほど、私は段々彼女が嫌いになっていく。
「あの・・・」
つい横から口を挟んでしまった。もうこれ以上折原さんが傷つくことが耐えられなかった。
「どうしたの?」
キョトンとする彼女につい顔が強張る。
「折原さんは、、、言葉の仕事をしていたとしても名前はちょっと違う話だと思います。字画とか、色々あるし、、、やっぱりそれは二人で決めたほうが良いのでは無いでしょうか?一生を左右するモノですから・・・」
「だからこそ和馬がいいのよ。これからもきっと和馬にはお世話になるし、この子を通して家族みんなで仲良くしたいし」
「分かった・・・・」
ボソッという声で了解をする折原さんを黙って見つめた。
「本当?いいのぉ?」
「あぁ。まだ時間はあるだろうし、、なんとかする」
「ありがとう~!じゃ、そうアノ人に伝えるわね。それじゃ私はお邪魔だから失礼しま~す」
目の前の皿にあった小さいパンケーキを一つ手にしてパクッと食べ、
「うん。美味しい」と私にウインクをして彼女はドアを出て行った。
彼女が帰ったのを確認して煙草を一本取り出しユックリと煙を吐き出す折原さんの後姿を見ていた。
「あの・・・良かったんですか?」
「ん?なにがだ」
「名前とか・・・」
「別にいいだろう。アイツは一度言い出すと引かないからな」
「なんか・・・酷い」
なんでか分からないけれど、目がジワッ・・・としてきた。
「なにがだ?」
「だって・・・・」
ジワッとした目からポロッと涙が落ちてしまった。
一粒落ちると、もう止まらなくどんどんと出る涙に下を向いて顔を隠した。
「なんでお前が泣くんだよ・・・」
「だって、、酷いじゃない。いままで散々折原さんのこと振り回して、、、それで自分は上手くいったから子供の名前をつけろなんて・・・」
「仕方無いだろう。彼女は何も知らないんだし、俺が勝手にしたことだ」
「だって、、、それでも、、、」
「ば~か。お前が泣く必要は無い。俺はもう大丈夫だ」
ポンッと頭に手をやる折原さんだったけれど、その顔は全然大丈夫じゃないように見えた。
「朝から泣くと一日、目が腫れて大変だぞ」
自分の肩に私の顔を当てクスッと笑い彼に、また目が滲んできた。
「そんなに頑張らなくていいのに・・・」
「ん?」
「辛いなら辛いって言えばいいのに・・・。一人じゃ泣けないけど、誰かがいたら安心して泣けることだってあるのに・・・」
「俺が泣くと思うかぁ?」
「思う・・・」
「泣くか!ばか」
お互いの頭をくっつけ前を向いていたが、本当は今、彼は少しだけ泣いているかもなって感じた。
わざとそれを見ないように二人でいつまでも前を向いていた。
「風間・・・」
「はい?」
「ありがとうな・・・」
「え?」
「やっぱりお前を選んで良かったよ」
どんな意味でそう言ったのか分からないけれど、その言葉は嬉しくもあり、悲しくもあった。
カップの湯気がもう消えそうなのを黙ってみながら、いつまでも二人で頭をくっつけていた。
その日、初めて二人で普通の恋人のように外出をした。
少しでも折原さんの心の傷が癒えるならと、妙に明るく、バカみたいにくだらない話をして彼を笑わせた。
「風間・・・」
「はい?」
「忘れられない人を忘れるのはどうするのが一番良んだろうな」
夕暮れ時の赤い日差しを浴びながらポツリと呟く折原さんの顔を助手席から見ながらその悲しい顔が早く元気になるといいなって思った。
「一人でいないことじゃないですかね」
「そうか・・・。お前はもう忘れられたのか?」
「そうですね。一人でいる時間が最近は少ないですからね」
「そうだな。正也もいるしな」
ニコッと微笑む顔に(貴方がいるからです)といいたいのに、グッと言葉を飲み込んだ。
「優しくしてくれる人が側にいれば、きっと傷は思うより早く癒えると思いますよ」
「そうかもな」
この人の傷が癒えるまで。
私じゃダメかもしれないけれど、精一杯側にいて彼の支えになりたいなって思った。
でも、きっとそれは私じゃダメなんだろうな・・・
もっと会った瞬間から心を奪われるような衝撃を受けるような人。
そんな人が彼の前にいつ現れるのだろうと内心穏やかじゃなかった。
この人ならばそんな人に出会うことはたやすいだろう。
いつまで私の側にいてくれるのだろう。
そしていつか、私は笑顔で「良かったですね」って彼から離れる日が来るのだろう。
どうすれば彼の中で一番大きな存在になれるのだろう。
自分の無力さに今にも泣きそうになりながらも無理をして笑顔でいた。
今、私にできること。
何も分からない顔をして彼の傷を癒してあげること。
ただそれだけを考えて・・・
また少しずつ自分の傷を大きくして・・・
笑った顔とは裏腹に心の中で小さな傷跡がどんどんと広がっていった。