自分のポジション
翌日。なんだか気まずいながらも折原さんの家に行くと、昨日のことは何も無かったかのようにいつも通りの澄ました顔をしてパソコンに向かう折原さんがいた。
「お疲れ様です」
「あぁ・・・」
いつもよりも少し他人行儀な会話をしつつ、原稿の進み具合をチェックし、リビングのテーブルで予定表を見ていた。
「風間・・・」
「はい?」
「まだ週末、俺と出かける気はあるか?」
「えっ、、、その、、、」
「嫌なら嫌だと言ってくれても構わない。俺と二人きりだし、また怖がらせることをになるかもしれないからな」
一瞬、昨日のことを思い出しが、それと同時にあの悲しい顔が浮かんだ。
「大丈夫です。行きます」
自分の口から突然飛び出した言葉に自分でも少し驚きながら折原さんを見ると、同じようにちょっとビックリした顔でこっちを見ていた。
「そうか・・・分かった」
「はい・・・」
(ヤバい・・・。なんか誤解されたか?)
「あのな、風間!」
「あのね、折原さん!」
同時にかぶった言葉にお互い「お先にどーぞ」「いや、お前から言え」と変に譲り合いいつまでも話が進まないままだった。
突然鳴ったインターホンに二人ともビクッとしながらカメラに映った映像を見た。
そこに映っていたのは例の彼女だった。
ドキッと痛む胸と少し動揺している自分がいたが、できるだけ平然を装いながら帰り支度を始めた。
「じゃ、、、お邪魔しました」
「おぃ。まだ話は終わってないぞ」
「でも、お客さんだから」
「いいんだ。お前はそこにいろ」
彼女が部屋に来るまでの間、体の中の血液がどんどんと冷えていくような気がした。
二人が目の前で微笑ましく会話をするのを見たくない。
優しく彼女を見る折原さんを見たくない。
そんなことを考えている自分に気がつき胸の苦しさがどんどん強くなっていた。
「ごめんね。仕事中に」
外見と比例するくらい綺麗な声が部屋に響き、私は自然と体が小さくなっていた。
「あら。担当さんもいたのね。こんにちは」
ニコッと微笑む顔に慌てて会釈をしたが、折原さんのほうを見ることができなかった。
フンワリとした雰囲気の彼女に私は何一つ勝てる所は無いように感じた。
義理の姉だと言った折原さんの言葉を信じているつもりなのに、変な所に女の勘が働いた。
(やっぱり・・・ただの義理の姉と弟じゃない)
どう見ても男と女という空気が漂っている二人の姿を見ながら、私は黙って仕事をしているフリに徹した。時折聞こえる笑い声に胸が痛んだ。
「今日は・・・・出られる?」
私に聞こえないように小さく囁くように折原さんに問いかける声に心臓がドキッとした。
その問いに折原さんは何も答えず、きっと仕草で示したのだろう。
彼は首を縦に振ったのか・・・
それとも横に振ったのか・・・
知らないうちに手をギュッと握り、体の体温がどんどん下がっていくくらいの寒さを感じた。
「すいません。失礼します」
もうその場にいれられなくて、折原さんの言葉も彼女の言葉も聞かずに部屋を飛び出した。
ハァハァ・・・と息が切れるほど走り、もう走れないというくらいまで走って足が止まった。
走りすぎて胸が苦しいのと同時に、いつの間にか折原さんのことをこんなに意識していた自分を始めて知った。
もう誰かのことを想っている人なんて絶対好きになるもんかって決めたのに・・・
まだ息が整っていないうちに私のバックの中の携帯が鳴り出した。
発信者は折原さんだった。
出たくないけれど、プライベートと仕事は別だ。
何もなかったように平然とした態度で電話に出た。
「もしもし。風間です」
「仕事の途中で突然帰るな」
「すいません・・急ぎの仕事を思い出したので」
「そうか。なら仕方無いな。それとな、、、ちょっと相談なんだが」
「はい」
「週末の温泉なんだがキャンセルしてもいいか?」
瞬時に頭の中できっと彼女がこのキャンセルに関係していると思った。
でも、今の自分の立場からして「嫌です」なんて言える訳が無い。
グッ・・・と重いものをお腹に感じながら、元気な声で返事をした。
「はい!大丈夫です」
「そうか・・・。ちょっと親戚に入院した奴がいるようで、週末は見舞いに行かないとならないらしいんだ。悪いな」
「いいえ。全然平気です」
「また近いうちに、どこか探しておくから。じゃ・・・」
切れた電話を耳にあてたまま、どうにもできない寂しさでイッパイになった。
きっと折原さんは週末、彼女と一緒にいるのだろう。
私よりも彼女を選んだのだろう。
そりゃ・・・そうだよね。
でも、義理のお姉さんってことは、自分のお兄さんの奥さんってことだよね。
それってお兄さんは知らないのかな。
二人ともある意味凄い関係だなってボンヤリそんなことを考えながら、
家に戻り準備途中の旅行バックの中からつめた物を元に戻した。
昨日あんなにウキウキして用意した物達は今日はどんよりした顔をした私に次々と出され、いつのも場所に戻されていった。
翌日は会議の為、外出をしないまま一日が過ぎた。
たった一日顔を見ないだけで、なんだか折原さんが懐かしく感じた。
金曜日、私はいつものように原稿の回収の為、折原さんの家に行きインターホンを押した。何度押しても出てこない折原さんに寝ているのかと思い、電話をかけた。
数回鳴った電話に出たのは・・・折原さんじゃなく女性の声だった。
ビックリしながらも、動揺を隠して挨拶をした。
「あ、、すいません。折原さんの携帯ですよね?私、カスタネット文庫の風間と申します」
「あぁ!担当さんね。こんんちは。ちょっと待っててね」
電話に出たのは例の彼女だった。
電話の向こうで聞こえる二人の会話に自然と耳が集中する。
「和馬、担当さんから電話。もしかして言ってなかったの?今日、温泉に行くってこと」
温泉?
ズキッと痛む胸にこのキャンセルは私じゃなくて彼女と行きたい為のキャンセルだったのだと分かった。
「貸してくれ」
「は〜い。ねぇ、あとどれくらい?」
ガサガサと音がした後、電話の向こうに折原さんが出た。
「もしもし」
「あ、、風間です。外出なんですね・・・」
「あぁ・・・。悪いが原稿は月曜日でいいかな」
「はい。大丈夫です」
「ちょっと出発が一日早くなって、、、」
「分かりました」
その後の折原さんの言葉を聞かずに私は急いで電話を切った。
自分の置かれているポジションがあまりに軽すぎて、そして思ったよりも傷ついて、
体の力が抜けていった。
その日の夜。私はフトした時に折原さんと彼女を思い出した。
今頃、二人で楽しく温泉で話をしているのかな。
お風呂が凄いとか、エステが凄いとか、そんなことで笑いあっているのかな。
時間がどんどんと過ぎ、夜になるにつれ頭の中の二人は親密度を増した。
「いまごろ・・・」
考えたくないと思っても勝手に想像してしまう。
私にしたようなあのキスをきっと彼女は今、されているのかもしれない。
胸が熱く、胃が痛くなり、どうすることもできなかった。
このモヤモヤと苦しさから逃げたしたくて、私は無意識に電話をかけた。
<柚木正也先生>
3回目のコールにいつもと変わらない明るい声が聞こえた。
「もしもし。珍しい人から電話だね。それもこんな時間に」
「すいません。お仕事中でしたか?」
「まーね。でもちょうど詰まっていた所〜。どうしたの?」
「いえ、、、進み具合はどうかなって。ごめんなさい。こんな時間に」
一度だってそんな電話をかけたことなど無いくせに、今は誰でもいいから誰かの声が聞きたくて、つい柚木先生に甘えてしまった。
「真羽ちゃんからの電話ならいつでもOKだよ。さて、なんの話をしようか」
優しくされると泣きそうになる。
胸の痛みが急激に大きくなり、息がグッと詰まった。同時に目に涙が潤み、小さく唇を噛んだ。
「あれ?どうしたの」
「い、、いいえ」
少しだけ涙声な私を感じたのか、柚木先生は少しだけ間を空けた。
「真羽ちゃん。明日って休みだよね?」
「はい・・・」
「どこに住んでいたっけ?」
「え?」
「これからパーと遊びに行こう!もうさ〜アイデアが出ないんだよ〜。一度気持ちを切り替えると抜群に進みが速くなるんだ。付き合ってくれる?」
「あ、、、はい」
柚木先生はすぐに迎えに行くとだけ言い、電話を切った。
家の場所を明確に説明することができなかったので、近くのコンビニの前で私は柚木先生を待つことにした。
コンビニの中に入り、コーヒーでも買っておこうとドリンク売り場に行っても、いつも折原さんが飲むコーヒーが一番に目に入る。
また頭の中で嫌なことを想像する。
わざとその隣のコーヒーを手に取ろうとした時、横から
「こっちがいいかな」と声がした。
その声に顔をあげると柚木先生がニッコリと微笑んでいた。
「あ・・・はい。分かりました」
「真羽ちゃんはどれがいい?」
「私は、、、これで」
手に取ったコーヒーを二缶スッと取り上げ、レジカウンターでお金を払いそのまま手に持ち柚木先生はコンビニを出て行った。
慌てて後ろを追いかけ、店を出た。
「さ〜て!どこに行こうかな〜!真羽ちゃんどこ行きたい?」
「どこって・・・。どこですか?」
「こんな時間だしね。じゃ、取り合えず車だそう!」
柚木先生の車に乗り、どこと決めずにドライブが始まった。
私が考え込む前に柚木先生はどんどんといろんな話をして、私は笑わせさっきの暗い気持ちは消えていった。
「真羽ちゃん。あれ乗ってみようか?」
車の乗りながら指を指したのは街中に光輝く大きな観覧車だった。
「わぁ・・・夜になると綺麗ですね」
「乗ったことある?」
「いいえ。無いです」
「じゃあ決まり!初めては俺ってことだね。もうあの観覧車見たら、俺のこと思い出すよ〜」
悪戯っぽい顔で笑い、柚木先生はそこを目指して車を走らせた。
夜の観覧車にはカップル達が嬉しそうに並んでいた。
みんな手を繋いだり、微笑みあったり・・・・
そんな人達を見て、忘れていた折原さんのことを思い出した。
知らないうちに顔が少しだけ曇っていたのか、突然柚木先生は私の肩を抱き
自分に引き寄せた。
「えっ!」
「だって周りを見てみなよ。俺達だけだよ?妙に離れてるの」
「あ、、そうですね」
「次の一歩から観覧車を降りるまで俺達は偽装カップルね」
小さくウインクをして笑い、柚木先生は前を向いた。
きっと私の様子を察知したのだろう。
肩に回っていた手がとても暖かかった。
順番が来て乗り込んだ観覧車に当然向き合って座ると思ったのに、柚木先生は私の隣に腰を降ろした。
少しだけ片方に集中して傾いているように感じたけれど、何も言わなかった。
「うわ〜。凄い綺麗!」
子供のようにハシャギながら窓の外を見る私を柚木先生は笑いながら見ていた。
「先生見て!あれってなんだろう?」
「どれどれ?」
少しだけ近くなった顔にドキッとしながらも、窓の外を指差した。
「真羽ちゃん・・・」
「はい?」
「辛い時はこれからも俺を利用していいからね」
「えっ?」
振り返ると柚木先生は微笑んでいた。
「嫌なことあったんでしょ?」
「どうしてですか?」
「そうじゃなきゃ俺に電話なんかしてこない子だもの。それくらい分かっているよ」
「利用なんて・・・」
でもこれはまさにその言葉がピッタリなことなのかもしれない。
「ごめんなさい・・・」
「どうして謝るの?」
「だって、、柚木先生忙しいのに。担当として失格ですね私」
「今は仕事から離れているんだから担当とか作家とか関係無いよ。だって今は偽装カップルだも〜ん」
おどけた言い方に二人で笑った。
そして、本当にこの人は優しい人なんだなって感じた。
「先生。ありがとう」
「どうしてありがとう?」
「私、、ちょっと嫌なことがあってつい先生に甘えちゃいました」
「どんどん甘えてよ。真羽ちゃんなら大歓迎だよ」
ポンッと頭に乗せた手につい目が潤んだ。
「カップルはこんな時、どうすると思う?」
微笑みながら言う柚木先生に、少し困った顔をして目を見つめた。
「キスしてもいい?」
空気が読める大人ならきっと頷くべきだと思ったけれど、私は相変わらず困った顔をしたまま少しだけ下を向いた。
「好きな人がいるんだね」
その声に顔をあげた。
「普通の人ならここで目を瞑るだろうね。別に奢っている訳じゃないけれど、それなりに名前が知れた俺と既成事実を作っておきたいって女は沢山いる。あわよくば彼女になってやろうとする奴だって。でも、君はそんな子じゃないって思ってる」
「すいません・・・」
「でもね。俺、ダメだと思うと俄然気合が入るタイプなの。絶対俺に振り向かせてやろうって張り切っちゃうな。覚悟してね」
「覚悟って」
「俺のこと好きになってくれたら、そんな寂しそうな顔させないよ。いつも笑っていられるようにしてあげる。大事にされているなって心底思わせてあげる」
ソッと背中に手を回し、ゆっくりと自分の胸に私の顔をつけた。
「好きになってみようか?俺のこと」
「急に言われても・・・」
「じゃあ催眠術をかけてあげよう。段々俺のことが好きにな〜る・・・・」
笑いながら言う柚木先生についクスッと笑ってしまった。
「和馬はやめておいたほうがいい・・・」
静かに言う柚木先生の声を黙って聞いていた。
「アイツのことを悪く言うつもりは無いけれど、真羽ちゃんには合わない。
今ならまだ引き替えすことができるんじゃないかと思ってね・・・」
聞きやすい低音の声に何も答えられないまま観覧車はもうすぐ終わりに近づいていた。
柚木先生はどうしてそう思うのだろう。
彼の何を知っているのだろう。
忠告をされても、私は素直にその言葉を受け入れることができないような気持ちのまま少しずつ動く観覧車の揺れに窓の夜景を見ていた。