二人の関係
翌日、カーテンから差し込む明かりに目が覚めると私の背中には薄いブランケットがかかっていた。
寝ている折原さんを見るともう熱が下がったのか気持ち良さそうな寝息をたて
スースーと穏やかな顔をしていた。
(熱下がったみたいだな・・・。起こさないように帰ろうっと)
コッソリと寝室を抜け出し、エレベーターで下まで降りていくと開いたドアの向こうには例の彼女が立っていた。
「あ・・・おはよう、、、ございます」
一瞬、私の姿を見て明らかにムッとした表情をした彼女に慌てて昨日のことを説明した。
「違うんです!昨日あれから先生が熱を出して、いままで付き添っていただけです。
本当に何も無いので誤解しないでください!」
別にそんなに慌てて弁解をしなくても良いのかもしれないが、もしも恋人ならば折原さんに迷惑がかかる・・・
って、、あの契約自体迷惑な話だろうけど。
「そうなの・・・。でも和馬が女の人にそんなこと頼むなんてね・・・」
「いえ、頼まれてないです!ただ、心配だったので」
「そう・・・ご苦労様」
冷たい感じでそれだけ言って彼女はエレベーターのドアを閉めた。
閉まったドアの音が妙に冷たく感じながらも、私は出勤する為に急いで家に向かい
いつも通りに出社した。
でも、頭の中には(アノ後、、、大丈夫だったのかな)といつまでもそれが浮かんだ。
会社に到着するなり雅チーフが慌てたように私に駆け寄り
「立花先生の様子は大丈夫なのか!」と聞いていた。
「え、、どうして知ってるんですか?」
「今さっき先生から電話があった。お前が出社しているか心配している様子だった」
「あ、、、そうなんですか。でも大丈夫です。ちゃんと熱が下がったのを確認してから
帰ってきたので。電話の様子はどうでしたか?」
「まぁ・・・いつも通りに無愛想だった」
「それは・・・・そうですね」
折り返し電話をしようかと思ったが、彼女がいたら迷惑がかかりそうで電話をすることを止めた。
なんとなく最初に会った時の彼女の会話からして、結婚している人なんじゃないのかなって気がした。もしもそうなら夕方なら彼女が居合わせることは無いのでは・・・と
勝手に想像し、退社の時間まで折原さんに連絡をすることはしなかった。
(辛い恋って・・・もしかして不倫してるのかな・・・)
ボンヤリとそんなことを考えながら退社時間に玄関に出ていくと、見覚えのある車が目の前に止まっていた。
「あっ!折原さん」
「一言いってから帰れ。ビックリするだろう」
「いや、、そうですけど、、っていうか!ダメじゃないですか!まだ出て歩いちゃ!
何やってるんですか!すぐ帰って寝てください」
「もう大丈夫だ。熱も下がったしどこかで飯でも食おう。そう思って迎えに来た」
「ダメったらダメ!すぐに帰って寝なきゃ!ほら、早く車に乗って!こんなに寒いのに何してんですか!まったくもう!」
無理矢理運転席に折原さんを押し込め、怒った顔をしたまま助手席に乗り込んだ。
「だって、、お前仕事終わったばかりだろう。腹減ってるんじゃないのか?」
「そんなのなんとでもできます!ったくバッカじゃないの!」
「お前誰に向かってバカとか言ってんだ!」
「ここに座っている風邪っぴきにですよ!ほら!早く家に帰りますよ!」
怒った顔で折原さんを見ると、少しだけ笑い「ハイハイハイ・・・」と車を発進した。
横目でチラッと顔を見るとなんだか今日は機嫌が良いのかいつもよりも穏やかな顔をしているように思えた。
(あ・・・そういえば。アノ後大丈夫だったのかな・・・)
聞いてみたいような、でもまた聞くと怒らせるような。
そんな気持ちのまま結局彼女のことを言い出せずに折原さんの家に着いた。
駐車場に車を停めエントランスの前まで一緒に来て、そこで失礼すると告げた。
「じゃあ、もう寝てくださいね。私はこれで失礼しますから」
「ちょっとくらい寄っていけ」
「熱が下がったといっても油断はダメだって和江が言ってました。体力が落ちているからちゃんと食事して早くに寝てくださいね」
帰ろうとする姿を見て、不満そうな顔をしてブツブツと小さい声で文句を言い出した。
「あ〜ぁ。家に帰っても飯は無いし、このまま外で何か食ってこようかな〜」
「だーかーら!寝てなきゃダメだって言ってるじゃないですか!」
「コーヒーとビールしか俺の冷蔵庫には入っていない」
それは何自慢ですか?というくらい大いばりで言う顔に、呆れて何も言えなかった。
「もぅ・・・。じゃあ何か買ってきますから、先に部屋に行っててください」
「俺も一緒に行く。歩きよりも車のほうが早いだろう」
「ダメ!ちゃんと寝ていてください!」
「ったく・・・この頑固者!分かったよ。寝ていればいいんだろう。ハイハイハイ・・・」
「ハイは一回!学校で習いませんでしたか!」
「ハ〜〜〜イ」
バカにしたように笑い、後ろ手に手を振りエレベーターに乗り込んだ折原さんを確認してから近くのスーパーで簡単な材料を買ってマンションに戻った。
ちゃんと寝ているかと思いきや・・・・ソファーに横になりTVを見ている姿に、
目を吊り上げて手を引き寝室に連れて行った。
「どうして言うことを効かないんですか!ちゃんと寝ていてください!」
「分かったってば。寝ていればいいんだろう」
ヤレヤレ・・・という顔をしてベットに入り、近くにあった本を取り上げ横になった姿を見てキッチンに戻った。
一応病人ということでお粥という定番を作り、ベットに運ぶと急に病人気取りになり本を閉じて上を向いた。
「急に芝居してもダメですよ・・・。はい、ちゃんと食べてから薬飲んでくださいね」
「突然体がダルくなった」
食わせてくれと言わんばかりに口を開け病人ぶる姿に呆れながら隣に座った。
「まったくもう・・・」
一口すくい口元に持っていった。
「俺は熱いのはダメだ。冷やしてから」
顔がヒクヒクするのを我慢してお粥を冷やし一口食べさせた。
「しかし、、ベタだな。病人にお粥・・・。リゾットとかでも良かったんだが」
「うるさい!黙って食べてください!」
小さく舌打ちをしたのを聞きジロッと睨みつけると、慌てて微笑んでまた口を開けた。
親鳥が雛に餌をあげる図を頭に浮かべながら、アッという間に全部平らげた折原さんに薬を飲ませ、胸元まで布団をかけた。
「じゃあこれで今日はもう眠れますね?私帰りますから」
「もう帰るのか?」
「当たりまえです。私ここ数日まともに家に帰ってませんから」
「まぁ・・・そうだな」
また少しだけ寂しそうな顔をする折原さんに、ちょっとだけ可哀想かなって気持ちが出たが、さすがに今日は帰ろうと決めた。
「後から電話します。もし寝ていたら出なくていいですから。もし体調が悪くなったら何時でもいいんで連絡ください。分かりましたか?」
「あぁ・・・」
「それじゃ、失礼します」
「あ。送って・・・」
「結構です!」
キッ・・・と睨みつけると、「分かった・・・」と小声で返事をし、ベットから目だけ出した状態で見送られた。
家に着き、ここ数日の洗濯を終え、時計を見ると23時を少し回っていた。
(折原さん・・・もう寝たかな)
起こすのは悪いかと思ったが、あの先生のことだからまた起きだしてチョロチョロしているのでは無いかと一応電話をしてみることにした。
数回の呼び出し音の後、いつもの無愛想な声が電話の向こうから聞こえた。
「もしもし。風間です。おとなしく寝てましたか?」
「あぁ。うるさい担当がいるからな。ちゃんと寝ている」
「そうですか。具合どうですか?」
「大丈夫だ。薬も効いているのか熱ももう無いし、寝ているのが勿体無いくらいだ」
「取り合えず2〜3日は外出禁止ですからね。分かりましたか」
よっぽど暇だったのか、折原さんはなかなか電話を切ってくれず、いつの間にか電話の会話は知らないうちに例の彼女のことに流れてしまった。
どこでどうそんな話になってしまったのかは分からないが、いまさら話を変えることができず、相槌を打ちながら話を聞いていた。
「アイツ、俺とお前のこと誤解していてな。なんだか機嫌が悪くて参ったよ」
「あ・・・やっぱりですか。なんだか不機嫌だなって感じたんですけど、、、それなりに本当のことを説明して誤解が無いようにって思ったのですが・・」
「まぁ・・・誤解も何も。俺とお前の契約内容自体、誤解もあったもんじゃないけどな」
笑いながら言う折原さんにちょっと不思議な気持ちになり、ついあの契約の
意図を聞いてみたくなった。
「あの・・・。ちょっと聞いていいですか?」
「なんだ?」
「えーと、、その。どうして彼女がいるのに、、、あんな契約をしたんですか?」
カチッというライターの音とフゥ・・・という煙を吐き出す音を黙って聞いていた。
契約上、こんな立ち入ったことを聞いてはいけないのに・・・
「聞きたいか?」
「まぁ・・・おしえてくれるなら、、、そりゃ、、、でも、言いたく無いのなら、それは
仕方の無いことだしぃ、、、まぁ、、、はい」
「それは俺達の契約が本契約になった時に教えてやる」
「本契約?」
「あぁ。お前が俺の家に泊まった朝に教えてやる」
「それって・・・」
「そういうことだ」
電話の向こうの顔は見えないけれど、きっと意地悪そうに笑っているのだろうと思うくらい小さく笑い声が聞こえた。
「別に聞きたくありません!」
「なら、教えないまでだ。そろそろ寝るかなぁ。明日なんだが、、、」
「あ、、、私、、明日は夕方から用事があって、、、」
「用事?仕事か」
明日というか・・・もう0時を過ぎているから今日なんだけど・・・
私の30回目の誕生日だった。
柚木先生との食事のことを素直に言えばいいのに、なんだか言えず適当に私用だと話を誤魔化した。
「そうか・・・。取り合えず一回は顔を出すだろう?」
「はい。早い時間に一度行きます。何か買っていくものとかありますか?」
明日の話にはできるだけ触れずに電話を切った。
別にお互いのプライベートは自由なんだから、私が何をしようと、誰とどこに行こうと関係は無いのに、、、なんだか言えなかった。
翌日、折原さんの家に顔を出す前に柚木先生の所に原稿を取りに顔を出した。
「風間さん、今日は何時まで?」
「あ、、、一応定時には帰れる予定です」
「そっか。じゃあ会社に迎えに行くよ」
「いえっ!それは結構です!そんな柚木先生に迎えに来てもらうなんて、滅相もありません!場所を言ってくれたら行きますから」
これ以上・・・会社での評判を落とす訳にはいかない!
立花先生と何かあると誤解されているのに、柚木先生までとなったら、、私はきっと裏では最低な女だと孫の代まで語り継がれてしまう。
「でも、、移動大変じゃない?」
「いえいえ!ぜっんぜん大丈夫です!」
「そう・・・」
慌てている私を見て不思議そうな顔をする柚木先生にニコニコと愛想を振りまき、取り合えず6時に指定された場所に行くと約束をして家を出た。
(ふぅ・・・。でも、、柚木先生と二人きりで食事なんて、、何を話せばいいんだろう。
いつもは仕事の話しかしてないしぃ。なんとなく突っ込めないんだよなぁ・・・)
ブツブツと夜のことを考えながら折原さんのマンションに着いた。
また例の彼女がいるかもしれないと思い、インターホンを押す前に電話をかけた。
「なんだ」
いつも通りに無愛想な声にできるだけ愛想良く挨拶をした。
「こんにちは。風間です。今、マンションまで来たんですが・・・大丈夫ですか?」
「なにが大丈夫なんだ」
「いえ、、その、、、イロイロと」
モゴモゴいていると目の前のドアが開き、急いでエレベーターに乗り込み部屋の前に行った。
ドアを開けようと手を伸ばしたと同時にドアが開き、折原さんが顔を出した。
「あ、、、おはようございます。体調はどうですか?」
「もう大丈夫だ。それと・・・」
「はい?」
「くだらない気を使うな」
「はい・・・」
私の考えていたことなんか、きっと見透かされているのだろうと思いつつ後ろを着いていき、薬をキチンと飲んでいるのが残量を確認した。
「あー!薬飲んで無いじゃないですか!」
「食後と書いてある。今日はまだ何も食べていないから飲んでいないだけだ」
「えー!じゃあ朝も昼も?」
「あぁ。そうだな」
まるで他人事のように言う顔に呆れながらキッチンに行き、簡単な食事を作ってテーブルに並べ、飲む予定の薬を説明通りに並べていた。
何も言わずに私の様子を見ながら折原さんは食事をしていた。
食事も終え、薬も飲み終えたのを確認して早めに帰ろうとすると、そんな私の行動を見て折原さんが声をかけてきた。
「おぃ・・・」
「はい?」
「お前、、、今日の用事って仕事じゃないな。男だろう」
「なっ!何を根拠にそんなこと言うんですか。違いますよ」
ジロ~と人の顔を見て、クィと顎に手をやり上を向かせた。
「別に俺に気を使うことは無い。誰とどこでナニをしようとも何も言わない。ただ、嘘はつくな」
「・・・・」
ジッ・・・と見つめる視線に、瞬間的に目を逸らし横を向きながら
「わ、、、かりました」とだけ答えた。
「で。誰とどこに行くんだ?」
「それは、、その、、、」
モゴモゴとしている私の顔をもう一度自分の方に向かせ、いつものムスッとした顔で見下ろしながらジッと目を見ていた。
「言わないのか?」
「・・・・・・」
別に言ってもいいのに・・・
怒られるような関係じゃないのに・・・
でも、どこかで柚木先生とのことを誤解されたくないと思う自分がいたのかもしれない。
黙ったままの私を見て、スッと顔を近づけたと思った瞬間、もう唇が繋がっていた。
煙草の匂いがユックリと口の中に広がるのを感じながら、頭の中では
(咳が止まるまで煙草はダメって言ってるのに・・・)そんなことが浮かんだ。
抵抗しようと思えばいくらでもできるのに、、この人のキスは体の力を全部奪っていく。
自然と目が閉じ、ゆっくりと抱かれる手つきに体が負けてしまう。
静かに唇を離し、スッ・・頬を撫でもう一度小さく唇を重ねると折原さんは肩に置いていた手を離した。
「じゃあ・・・また明日な」
それだけ言って寝室のドアを閉める折原さんに、何も言えなくて黙っていた。
聞かれると答えられないくせに、、、アッサリと引かれると淋しい。
勝手な自分の気持ちに少しだけイラつきながら折原さんのマンションを後にした。
アノ人にとってキスは挨拶みたいなことなのかもしれないが私は違った。
重ねる度にどんどんと気持ちが変化している。
たったこの数日だけのことなのに・・・
一週間前には顔も知らなかった人なのに・・・・
もしも彼に「行くな」と言われたら・・・
私はきっと行かなかったかもしれない。
けど、そんなこと彼は言わないだろう。
たぶん、私は彼女の身代わりだから・・・
私の中の勝手な想像だけだけど、どうして折原さんが私にあんな契約を持ちかけてきたのか自分なりに考えてみた。
きっと例のあの人は折原さん以外にも誰か男の人の存在がある。
それは折原さんも承知の上で彼女のことを好きでいるような気がしていた。
今回のように病気になっても彼女に頼らないのはきっと彼女が・・・結婚している人だから。
夜中に家を抜け出すとか、泊まるとか、きっとそんなことができない状態の人なんだろう。日曜は祝日も外出ができない人で、自由に動けるのは平日の夕方まで。
う〜ん・・・我ながら名推理だ。
ブツブツとそんなことを考えながら気がつくと柚木先生との待ち合わせ場所はすぐ目の前だった。
(今日・・・柚木先生と食事だと素直に言ったら、、、彼は少しでも気にしてくれたのかな・・・)
この変なモヤモヤが「好き」という気持ちに繋がっているのかもしれないと分かっていても、素直にそれを認めたくなかった。
また・・・好きになって辛い想いをしそうな関係になりそうで。