24、人の子(上)
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七歳の誕生日に、私は自分の杖を与えられた。異様なほどに大きく太く、ゆるいカーブを描くくちばしをした、ドードーの頭の杖を。
それは母と同じ杖であり、里の他の魔術師たちとは似ても似つかぬ杖だった。レティの杖も他の女の子の杖も、その柄は、かぎ爪のような鋭いくちばしをもち、大魔術師グエンダを象徴するトンビの頭だ。
私は母に、なぜ、と尋ねた。母の答えは、そういうものなのよ、というものだった。私は黙らなければならなかった。
母が私に口すっぱく注意したことがある。絶対に杖なしで魔術を使ってはならない、と。
まあそもそも、杖がなくて魔術が使えるわけがないんだけどね、と母はいつも苦笑いしながらつけ足していた。
それでは、あれは何だったのだろう。
ハインに殺されそうになった時、起こったあの出来事は。
私の杖はドードーの杖。ケーリーが確か、言っていた。
ドードーは、大昔滅びた、飛べない鳥。
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ゆるやかな坂の森には、人が二人並んで通れるほどの道が伸びていた。道といっても、きちんと舗装されているわけではなく、生い茂る草が倒れて歩きやすくなっているだけのものだ。長い時間をかけ、人の足で踏みしめられることによってできた道だろう。ディーラゴン山脈に比べればかなり楽に進める山だった。だがもっと違うのは、数えきれないほどの木々が頭上に高く豊かにそびえたっていることだ。
ハインが蔦の檻から解放されたとき、ケーリーがまっさきに、あなたは何なのかと尋ねた。そのときのハインの答えは、ある意味ではっきりしていた。
『わかんねえ。考えたこともねえよ』
北西の狩人の村へと向かう道すがら、ハインは語った。
『十二の夜、気がつけば俺は竜で、森で人を食った後だった。誰に教えられたわけでもねえのに、まるで歩くみてえに自分の意志で人に戻れた。……自分が怖くて、気持ち悪かった』
先頭を切って進むハインの背中は大きく、だが、細かった。
『夜に床について、気がつけば村から離れた場所で人を食った後で、こっそり床に戻る。そういうことが、月に一度か二度、起こるようになった。俺は怖くなった。そのうち俺は、村の仲間を食っちまうんじゃねえか、と思った』
ハインは、村を出ていくつもりで母にことを打ち明けた。母は自分を怖れ、これからここを去ろうという自分を黙って見送るだろう。ハインはそう思っていた。
しかし、母の反応はハインの予想を覆すものだった。
『西の孤島が、罪人の流刑地になってるのを知ってるか』
目を瞬かせるハインに、母は言った。
『もしお前が飛べるなら、そこへ行って罪人を食えばいい』
『えっ……』
言葉を失うハインに、母はたたみかけた。
『あそこに流されるようなのは、みんな死を待つばかりの大罪人だ。人を大勢殺したり、人様の大切なものを盗んだりした連中だ。人間じゃねえ。食っていいもんだ』
当たり前のような口調で、母は言いきった。
「それから俺はこっそり練習を重ねて、自分の意志で竜に変身できるようになった。二週間に一度、真夜中に島へ飛び、人を食い、村へ戻る。昼は普通の顔をして、村の狩人仲間と暮らす。そういう生活を、俺は八年間続けてきた。少なくともお袋は、俺を人間として扱ってくれてるし、村の奴らとも普通に生活してる」
足を止めぬまま、ハインはケーリーを振り返る。
「今ので、お前の質問への答えになったか?」
うなずいたケーリーは、かたい表情を浮かべながらも、躊躇うことなく尋ねた。
「月に二度、罪人の孤島に食事をしに行くのは、食べないといられないということなんですか?」
「そう……だな」
考えるように、ハインは眉間にしわを寄せる。
「何となく、腹が減ったって感覚があって……ああ、食わなきゃなって……それが、二週間に一度くらいだ。多分無理に我慢しようとしたら、十二の頃みてえに、気がついたら食ってたなんてことになるんじゃねえかな」
ハインの口調は、あくまで淡々としていた。さらに質問を重ねようとする様子のケーリーの肩に、シンディはそっと手を置く。こちらを向いたケーリーに対し、シンディは唇に人差し指を立てて見せた。
二週間に一度、人を、食わねばならない。
今のハインは表面上落ち着いているが、あまりにも重すぎる現実だ。踏み込みかたを間違えれば深く傷つけるだろう。好奇心旺盛なうえ年端のいかないケーリーに、これ以上質問をさせるのは危険なことに思われた。
納得がいかないと言いたげな顔をしながらも、ケーリーは押し黙る。
木の葉がさざめくなだらかな坂に、四人の足音がリズムを打つ。
シンディは、ケーリーからハインの背中へと視線を移した。
ホワイトとは、何なのだろう。
以前は、人に化ける能力がある竜だと思っていた。だがハインの話を聞く限り、事実はむしろ逆だ。竜の姿となる力を持ち、人を食わずにはいられない人間。ディーラゴンと何らかの関係はあるのだろうが、そこから先がわからない。
ハインは、そして他のホワイトたちは、どうしてそう生まれたのだろう。そう生まれなければならなかったのだろう。
いつしか、日が翳っていた。日没が近い。
「ここらはもう、俺の村の縄張りだ。あちこちに泊まり込みの猟のための宿が用意されてる。もう少し歩けば、そのうちの一つに着く」
ハインの言葉に、シンディは腰布の左から杖を抜くと呪文を唱えた。ドードーの両目から扇状に広がる白い光が発せられ、前方の木々と、その間を蛇のように抜けていく道が浮かび上がる。ハインが驚いた表情で振り返ったが、すぐに視線を前に戻した。
闇夜の下で、扇の光に守られた山道を、シンディたちはハインの後ろにひたすらついていく。頭上から鳥とは違うぱさぱさと乾いた羽音がした。少し落ち着かなげに、ケーリーの目が空を泳ぐ。その唇から、こうもり、と言葉が漏れた。
「見えた」
ハインが最後尾のシンディにもはっきりと聞こえる声で告げ、足を止める。上をにらみながら歩いていたケーリーは、ハインの背中に軽くぶつかり、慌てて謝った。
「気にすんな」
ぶっきらぼうに言ったハインは、道沿いにたたずむ小山ほどの大きさの藪に向き合うと、すっと身を屈めた。ピュー、ピュッピュッ、ピュー、ピュッピュッ、と一定のリズムを守って、空気にひそむような音量の口笛が鳴る。
一呼吸の間をおいて藪から顔をのぞかせたのは、一頭の犬だった。狼より少し小さいくらいの大きさの体は、ふさふさとした茶色い毛に覆われている。とがった耳をピンと立たせたその犬は、大きな黒い瞳でハインを見上げた。
「よーし、よし。いい子だ、ブラン。久しぶりだ」
地面に片ひざをつき、ハインは尻尾を振るブランの首を撫でた。甘えた鼻声で、ブランがハインに体をすり寄せる。ハインはブランが抜け出てきた藪を指さした。
「ここだ。暗くてわかりにくいだろうが、人が入れるようにしてある。こいつはこの宿の番犬だ」
腰を曲げて藪に目を寄せると、確かに、そこにはぽっかりと穴が空いていた。四つ足になれば、大人の男でもぎりぎりくぐれそうな大きさだ。中は空洞になっているのだろう。
ブランに待てと指示すると、ハインは穴の前にしゃがみこんだ。
「俺の後に続いて入れ。足元に気をつけろ。急な階段になってる」
ハインの姿が藪のなかに消える。迷いなくするりと入っていったケーリーの背中を見送り、イヴォンヌがつぶやいた。
「私、転びそうな予感がする」
「私が先に行きます。イヴォンヌさんがもし転んでも、背中で受け止められるように。山育ちですから丈夫ですよ、私は」
シンディが言うとイヴォンヌは、ごめんなさいね、と小さく口にした。後ろへずれたイヴォンヌと藪の間に入り、シンディは穴のなかに光を発する杖の先端を差し入れる。光のなかに、屋内の様子がくっきりと浮かび上がった。
入るとすぐ、土と木の枠でつくられた急な階段のトンネルが、斜め下へと伸びている。上に視線を向ければ、そこは枝葉の丸天井だった。階段の先にあるのは平らにならされた地面のようだ。もっと奥の方へ行っているのか、ハインとケーリーの姿は見えない。
低い天井に頭をぶつけないよう背中を丸めて、シンディは一段一段、階段をゆっくりと降っていく。わずかではあるが、藪の外よりも気温が高いようだ。後ろを振り返ると、イヴォンヌがおそるおそる、土と木を踏みしめ、踏みしめ、後をついてきていた。
やがて階段が終わる頃には、体を丸める必要はなくなっていた。両の足を地につけ、シンディは周囲をぐるりと見まわす。
そこは、土と木の四角い空間だった。土の壁を支えるように、何本もの丸太が一定の間隔を置いて、床から天井を貫くように立っている。床に敷かれた大きな絨毯は、おそらく熊の毛皮のものだろう。火が焚かれているわけでもないのに、外よりずいぶん温かい。
絨毯に身を投げたケーリーは、早くも眠りの世界に入ろうとしているようだった。シンディの後ろに立つイヴォンヌもあくびをかみ殺している。
うつらうつらとするケーリーに、ハインは鹿の毛皮のものと思われる毛布をかけると、こちらを振り向いた。
「お前らもすぐ寝るか?」
「ええ。……一つだけ、やることを終えたら」
疲れのにじむ顔で絨毯にぺたりと座ったイヴォンヌに、ハインが毛布を手渡す。ごにょごにょとお礼らしき言葉を言ったイヴォンヌは、懐から黄ばんだ紙の封筒を取り出した。一昨日の朝、ササクから受け取っていたものだ。
イヴォンヌが封書を開いて出てきたのは、三つ折りにされた、封筒と同じ材質の手紙だった。
包みをひざに、毛布をわきに置き、イヴォンヌは眠たげな目を手紙に落とす。
濃い疲労の色を映していた黒い瞳が、突然強く光った。今にも閉じそうだったまぶたが大きく見開かれ、食い入るような真剣なまなざしが紙面を走る。
「シンディ」
鋭く呼ばれ、シンディはイヴォンヌの横に両ひざをついた。差し出された紙を受け取ったシンディの耳に、イヴォンヌが囁く。
「あなたが読んで判断してちょうだい。この中身を、ハインとケーリーが知るべきか。そういう配慮が、私、駄目なの」
戸惑ったシンディだったが、言われた通り、紙の上にびっしりと敷かれた文字を追った。ところどころ不自然なアーデン語の文だが、丁寧に書かれた読みやすい文字だ。
文章の先へ先へと進むうちに、シンディの背中には鳥肌が立っていた。思わず背後を振り返り、ハインに見られていないか確認する。
ハインは後ろにいなかった。少し離れた、角度的にも手紙の内容が視界に入らない位置に腰を下ろしている。
安堵のため息をつくと、シンディはササクからの手紙に視線を戻した。
「これは」
ハインに聞こえないよう低めた声で、シンディはイヴォンヌの耳元に口を寄せる。
「少なくとも、ケーリーにはまだ早いと思います。ハインさんは……」
眉間にしわを寄せ考えを巡らせる。シンディの頭のなかでは、手紙の内容と、魔術師としての知識をもとに、二つの予測がたっていた。そのどちらが正しいのか、今の時点ではわからない。わからない状態でハインにこの内容を知らせるのは、いたずらにハインの心を乱すだけに思われた。
しばしの間を空けて、シンディは慎重に言葉をつむぐ。
「村に着いて、ハインさんのご両親にお話を伺った後がいいと思います」
イヴォンヌが何かを言いかけ、口をつぐむ。あごに手をあて、イヴォンヌは目線をじっと下に向けた。
「任せる、あなたに。これは多分、あなたの……魔術師の専門分野でしょうから。その手紙は、あなたが持っていてちょうだい」
イヴォンヌが、膝に置いておいた封筒を手渡す。シンディは三つ折りに戻した手紙をそのなかに入れ包みなおすと、自分が背負ってきた荷の奥にしまいこんだ。
手紙をシンディに託した後も、イヴォンヌは何やら考えこんだままだった。まるで彫像のようだと思い始めた頃、歩み寄ったハインがイヴォンヌの肩に触れた。イヴォンヌの体がびくっと跳ね、その顔がハインを見上げる。
「ハインさん……?」
「寝ろ」
強い語気で、ハインがきっぱりと言う。
「やることを一つだけやったら寝るって話だっただろ。寝ろ。あんたは疲れてる」
「でも……」
「寝ろよ」
有無を言わさぬ口調に、イヴォンヌは渋々といったふうで横になり、毛布をかぶる。すると、まるで糸が切れるかのように、イヴォンヌはこてんと眠りに落ちた。それを見下ろして、ハインはつぶやく。
「科学者だもんな。山道も旅も、慣れてはねえだろ」
「でしょうね」
相槌を打ったシンディは、改めてハインを見上げる。やり方が少し乱暴なのは狩人の村で育ったからだろう。だがきっと、心根は優しい人だ。
「……俺の親父も、学者だったんだ」
ぼそりと言ったハインに、シンディは、え、と声を漏らした。どこか暗い口調で、ハインは言葉をつむぐ。
「生物学者だった。研究のためにこの山に来て、お袋と一緒になって、この地に根を下ろしたんだと。ガキの頃は、学者になるのを夢見てたな。……十二までは」
シンディは目を伏せた。十二と言えば、ハインが初めて竜の姿となり、人を食べた年齢だ。
ふと引っかかるものを感じて、シンディは尋ねた。
「あの、学者だったって、過去みたいに言いましたけど……?」
「もう死んだからな」
さらっと答えたハインに、シンディの胸に冷たいものが走った。
「……そうですか」
できれば、ハインの両親と話をしたかった。ハインが何者なのか、ホワイトとは何なのか、はっきりさせるために。
実のところ、もう一つ気になることがあったのだが、それを口に出すのは、憚られた。




