22、運命(上)
空にはいつの間にか雲がかかっていた。太陽の位置はわからない。明るさからして、日が落ちるまでまだ時間はあるだろう。
動きやすいからと言ってケセト族の服を着たままのイヴォンヌは、無表情で宙をにらんでいた。
「つまり私たちは、ホワイトと戦わなければならないのかもしれないのね?」
首をたてに振ったシンディの服の裾を、ケーリーがぎゅっと握る。それを一瞥して、シンディは言葉をつむいだ。
「どうしても付き合ってほしいとは言いません。私の問題ですから。イヴォンヌさんも、ケーリーも、本当なら関係のない話です」
「関係なくない」
さえぎるように、イヴォンヌは言った。
「私たちは、知り合ったんだもの。理由はそれだけで十分」
「ぼ、僕もです!」
ケーリーが声を張り上げる。
「シンディさんのおかげで、僕は道が開けたんです。今度は、僕がシンディさんを助けます!」
ケーリーの顔は真剣だった。だがシンディは、その青い目に迷いの色が浮かんでいるのを見逃さなかった。
ホワイトへの恐怖とはまた違った理由のようだ。恐らくケーリーを迷わせているのは、戦わなければならない相手が恩人――自分に学院のことを、世界は広いのだということを教えてくれた人――であることだろう。
「ケーリー」
シンディは、ケーリーの前に膝をつき目線を合わせた。
「本当に大丈夫? 大丈夫じゃないなら、迷いがあるのなら言って。ケーリーのためにも、私のためにも、イヴォンヌさんのためにも。大丈夫じゃなかったり、迷いがあったりする一人が仲間を傷つけてしまうということが、世の中にはたくさんあるの」
ゆっくり、できるだけ優しく、シンディは言った。しばし黙ってこちらを見つめていたケーリーが、おそるおそる問う。
「シンディさんは……あの人を、どうしようと考えているんですか?」
「え?」
「もしシンディさんが、盗人だから容赦なく殺す、という考えだったら、その……すごく、正直に言うと、その場にいたくない、です」
目をそらしたケーリーを前にして、シンディははっとする。
自分は盗人をどうしようと考えていたのだろう。ご神体を取り返す。本当にそれだけしか頭になかった。
ケーリーの問いに答えようと口を開きかけ、押しとどめる。
相手が人間だったらそう言えた。ご神体を取り戻せさえすればいい、殺す必要などない、と。
だが、相手はホワイトだ。
「あのね、ケーリー」
シンディは、ケーリーの小さな手を両手で包み込むように握った。
「わかってるだろうけど、相手は人間ではなくて、ホワイトなの。極端な言い方かもしれないけど、殺すつもりでいかないとやられるかもしれない。そういう状況なの」
沈黙が流れた。ケーリーの顔が、泣きそうに歪む。
「すみません」
ケーリーは、涙声で歯を食いしばった。
「僕は……僕は、手伝えません」
「いいの。それでいいの」
シンディは、きっぱりと強く断言した。
「ケーリー。あなたの戦う時は、きっと今じゃない。あなたは立派な学者になる。いつかあなたは、学者として戦う時がくる。今戦わないことは、あなたにとって恥でも何でもない。絶対に」
唇をぎゅっと結び、ケーリーは、こくりとうなずいた。
しばし考えを巡らせた後、シンディは立ち上がりイヴォンヌに目を移す。
「イヴォンヌさん。ケーリーを、お願いします。私がホワイトと戦っている間」
「それはどういう意味?」
ほんのわずかではあったが、イヴォンヌの眉が上がった。不快感を表すイヴォンヌに、シンディは落ち着いて説明する。
「イヴォンヌさんは科学者です。戦士ではありません。攻撃されて、よける、防ぐ、反撃する。そういうことに、慣れてはいないですよね?」
「……ええ、残念ながら」
「私は慣れています。さっきお話ししたように、私は里でご神体を守る役割でした。いざという時のための戦いの訓練を受けています。魔術師として、悪霊退治や魔物を追い払う仕事に関わったこともあります。前線に立つのは私一人、イヴォンヌさんには、少し離れたところでケーリーを守っていただきたいんです」
「私はついさっき、あなたの戦いに付き合うと言ったはずだけど」
イヴォンヌは強気に言ったが、しばしの間を置いて、短くため息をついた。
「……でも、そうね。そうなのよね。自分で言ってはなんだけど、私、機械以外のこととなると本当にとろいの。あなたと肩を並べてホワイトの前に立っても、足を引っ張ることは目に見えてる」
「普通のことですよ、それは。イヴォンヌさんは科学者で、私は戦士なんですから」
一瞬だけ微笑みを浮かべるも、シンディはすぐに表情を引き締めた。
「ホワイトは夜に力を増すといいます。接触するなら、日が落ちる前です。それに多分……これは私の推測ですけど……相手は今夜、私を襲いに来ます」
「えっ?」
ケーリーの声が裏返る。イヴォンヌは顔色を変えずに尋ねた。
「根拠は?」
「一昨日の夜は、相手の方から襲ってきましたよね。昨日の夜何も起こらなかったのは、ホワイトを御する力を持つススクさんがそばにいたからだと思うんです。でも、今はいません」
「そういう恐れはあるでしょうね、確かに。襲ってくる理由は……何かしら? 腹を満たすためではない、のよね?」
「それはありません」
即座に否定したのは、ケーリーだった。
「肉を食べる獣が狙うのは、弱そうな獲物です。狼が鹿の群れを襲う時にまず狙いをつけるのは、子どもや老いたもの、怪我をしているものと決まっています。ただ食べ物を得るためだけに、初めて見る銀色の機械を襲うということは、ないと思います」
いつになくなめらかな口調で語るケーリーに驚きつつも、シンディはうなずき、イヴォンヌの方を向いた。
「直感ですが、ホワイトが狙っているのは私ひとりです。あの夜、ホワイトが襲ってきた夜、あれは確かに私を見ていました。そしてケーリーの言う通り、目的は食べることではないと思います。何か理由があるんです。人に化け、そのうえ、ケーリーにアーデンの地のことを、学院のことを教えたということは、ホワイトには人間に引けをとらない知性があるということです」
「謎が深まるばかりね」
イヴォンヌはぽつりと言うと、ケーリーの肩を抱いた。
「それで、私とケーリーはどうすればいいの」
「ここにいてください。私は水晶の指す方に進みます。ことが終われば合図を送ります。空に緑の光が打ちあがったら、光の方に来てください」
「わかった」
しっかりと首をたてに振ったイヴォンヌは、自らの腰の噴射器に手をあて言葉を続けた。
「危なくなったら、赤い光を打ち上げてちょうだい」
「はい」
シンディは杖を抜くと、北西の大地に延々と広がる森を見た。
この先に盗人が、ホワイトがいる。
覚悟はできているし、考えもある。
グエンダ川を越える前にホワイトの気配を感じたときは、ひたすら身を隠すしかなかった。だが今の自分には、杖のほかにもう1つ、頼れる武器がある。
右手にドードーの頭の杖を握り、シンディは水晶が指した方角へと一歩を踏み出した。
†
うすら寒い小さな小屋の床には、ろうそくの火を軸として、3つの黒い人影が伸びていた。そのなかで1番小さな影の主であるイーニッドが、椅子に深く座りなおす。レティはヒューイの傍らに立ち、その唇が開くのを固唾を呑んで見守っていた。
イーニッドは、この地では滅多に見ない灰色の瞳に、赤毛の兄妹の姿を映し、語り出す。
「あたしが産まれたのは、アーデンの地のディーラゴン山脈……七十二年前のことだ。山脈の名の由来は、そこに棲む山羊の名だった。ただの山羊ではない。その体は馬よりも大きく、二本の角は漆黒の剣のよう、毛並みは真冬の雪原。まことに、まことに美しい生き物だった」
イーニッドの目は光を宿していた。まるで今この瞬間、ディーラゴンという美しい生き物を見ているかのように。
「昼の姿も良かったが、夜はさらに見事だった。ディーラゴンは、夜に竜と化す。真珠のような鱗と鋭い牙を持ち、たくましい四本の脚で宙を駆ける姿は、何度見ても、まるで夢のなかにいるかのような心地だった」
灰色の瞳の光が翳る。一度まぶたを閉じて深呼吸をした後、イーニッドは再び口を開いた。
「だが十六の時、あたしらケセト族の土地にアーデン人が攻めてきた。あたしらは戦った。大勢死に、大勢殺した。奴らは狡猾だった。ケセト族の力である魔獣ディーラゴンがその本当の力を発揮できるのは、竜となる時……夜であることを知っていた連中は、夜明けとともに押し寄せてきた。それも夏至、太陽が出ている時間が1年で1番長い日に。日が高いうちに、敵の魔術師と兵士と、兵器によって、たくさんのディーラゴンが死んだ。そして夕刻、あたしは父から、一頭のまだ子どもだった雄のディーラゴンを手渡されて言われた。逃げよ、と。父の目は血走っていた。この山のディーラゴンを、〈魂ノ守り仔〉を、滅ぼさせてはならぬ。ここ以外で、どこかに、ディーラゴンの棲みたる土地ありと聞きしことあり、そこを探せ。その仔の血を、この山脈のディーラゴンの血を絶やしてはならぬ、と。我は父を、母を、ササクを……幼い弟を残して、行かねばならなかった。1頭のディーラゴンを連れ、我は父が言いしディーラゴンが棲むどこかを探し、アーデンの地をさまよいき。……だが二年後、悲劇が起きた」
イーニッドはテーブルに両肘をつくと、祈るように、あるいは詫びるように、両手のひらを合わせた。
「覚えている。今でもはっきりと、あの光景を。戦場となった山脈から逃れて二年、十八の春の夜。我がスピロと名付けしディーラゴンが、初めて竜の姿となった。ディーラゴンが生まれてから初めて竜となるのは、体が大人になった時、恋の相手を求める時だ。スピロは相手を探し、春の夜空をさまよった。だが当然、見つからなかった。するとスピロは、不思議な行動に出た」
「不思議な行動?」
聞き返したレティを、しっ、とヒューイがさえぎる。そのやりとりが全く聞こえていないかのように、イーニッドは言葉を継いだ。
「それまで相手を探し右往左往していたスピロが、ゆっくりと、夜空に大きな弧を描き始めた。真珠の鱗の体から、雪のような、ほうしのような、白銀に光る小さな何かを降らせながら。そしてそのまま、引きとめようと声を限りに叫ぶ我を無視して、遠くへ去ってしまった」
息を詰めて聞き入るヒューイの横で、レティは想像する。
月と星が輝く夜空に、白銀の鱗をきらめかせ、大きく、大きく旋回する竜スピロ。
仲間がいないことを、自分が孤独であることを悟った彼は、何を思ったのだろう。
「我はそれから、アーデン中を駆けまわって調べた。スピロの行方、それにあの夜のスピロの行動の意味を。スピロの行方は全くといって良いほどわからなかった。だが十三、四年が経ち、ホワイトという化け物の情報が出回り始め数年過ぎた頃、我は一つの推測を立てき。ホワイトは、スピロの子なのではないかという推測を」
「えっ!」
驚きの声をあげたレティとヒューイに対し、イーニッドは身を乗り出した。
「あの春の夜、ともに子を成す相手のなきことを悟りしスピロは、地上に自らの種をばらまいたのではないか。その種を不運にも浴びてしまった女人から産まれるのが、ホワイトなのではないか。我は、二十年近くかけて集めた情報から、そう推測しけり」
「つまり」
動揺をあらわにしたヒューイが、おずおずと口にする。
「ホワイトは……人と竜の相の子、ということですか?」
「少なくとも我は、そう考えたり」
イーニッドは、頭を垂れた。
「ホワイトとは、あまりにも……あまりにも、不憫な生き物なり。あの若きホワイトが魔術師の手にかかりて殺さるるを怖れし我は、痕跡を消し、嘘をつき、ホワイトのいけることを隠そうとしけり」
老女は、肩を震わせ嗚咽を漏らした。その姿に、レティは影を見た。竜の子の生き残りを託され、頼る人もなくアーデンの地をさまよった、十六歳の娘の影を。
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