21、未来(下)
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踏みしめる地面は、あちこちがくぼんでいたり盛り上がっていたりした。膝ほどの丈の草が生い茂っているために、目で見ただけではどこがでこぼこしているのか判然としない。
シンディの前を歩くイヴォンヌの体が傾く。穴か何かにつまずいたのだろう。シンディはとっさに両腕を伸ばしてイヴォンヌを支えた。
「ありがとう。ごめんなさいね」
体勢を立て直したイヴォンヌが振り返り、眉を下げる。転びかけたのは疲れもあるだろう。ササクたちの元を発ってから一日以上が経過していた。真っ青な空の南東から、温かな陽光が降り注いでいる。
シンディは、イヴォンヌの黒い瞳をじっと見つめた。
「表情を作らないで、楽にいてください。ただ、歩くことに集中してください。私もケーリーも、そして多分ススクさんも、気にしませんから」
一瞬驚いた様子を見せたイヴォンヌだったが、やがてその褐色の肌の顔から、すっと表情が消えた。
「ほれ」
前方からススクの声が響く。目をやると、ケーリーをそばに控えたススクがこちらをにらんでいた。ススクたちとシンディたちの間に間隔が空いている。今の会話の間に離れてしまったようだ。
自分の分の食料と水と一緒に、イヴォンヌが出発の時マリアンから渡された黒い四角い鞄も背負ったススクは、不機嫌そうな仏頂面をしていた。
「早よう来たれ」
短く言うと、ススクはこちらに背を向け再び歩き出した。その後を、シンディとイヴォンヌは小走りで追う。
二人が追いつくと、ススクはこちらを見もせずに言い放った。
「黒き女。我は、ぬしが嫌いなり」
サッと空気が凍る。シンディが背後からイヴォンヌの顔をのぞくと、注意して見なければわからないほどのしわが眉間に寄っていた。
「それは、なぜ?」
無機質な声でイヴォンヌが尋ねる。迷いのない口調で、ススクは答えた。
「アーデン人であるがゆえ。我らから平穏と力を奪いし者ども。ササじいは甘きゆえ、今生きたるアーデン人を責めても仕方がのうとおっしゃるが、我は異なり。赤き髪のおなごと金髪のわっぱは、アーデン人ではあらぬであろう。ササじいがおっしゃりき。確かに、雰囲気も異なり」
不意に、ススクは立ち止まった。それに合わせて、すぐ後ろを歩いていたケーリーも、イヴォンヌもシンディも、歩を止める。
振り返ったススクの口元は、歪んでいた。
「適当なところで、アーデン人のみ突き落とすも可能なり。山は危なし場所でおはする。移動の途中で女が一人いなくなるくらい、不自然ではあらぬ」
「なっ……!」
シンディは右手を杖に一歩踏み出していた。おどけた仕草で、ススクは両手を上げて見せる。
「冗談、冗談。ササじいの、最後まで案内をせよとの言いつけは守らねばならぬ。それに、魔術師相手に勝てるわけがあらぬのでな。ここに強き魔獣がいれば別であれど。たとえば、昨日のホワイトがおれば」
「黙りなさい!」
シンディが吠えるも、ススクは動じる様子もなく薄ら笑いを浮かべるばかりだ。
道は険しくも空は青く、周囲は穏やかに灯る緑だった。緑の合間には、白、紫、黄などの色の花の姿もちらほら見える。風が通りがかり、花の香りがふわりと踊る。
そんな平穏な光景のなかにあって、四人を囲う空気は重く冷たかった。それを背負ったまま、ススクはぷいっと再び前を向き、無言で歩き出す。
その背中を、ケーリーが引き止めた。
「ススクさん」
ススクは止まらなかった。ケーリーは、追いかけるように声を張り上げる。
「どうして昨日、僕たちを助けたんですか? アーデン人が嫌いなんでしょう? あの銀の乗り物を見て、乗ってるのはアーデン人だろうとは、思わなかったんですか?」
「助けたわけではあらぬ!」
突然声を荒げたススクの怒号が、空を貫いた。
「我はホワイトを見るのが初めてでありき。我の力で操れるのかどうか、試したかっただけなり」
歩を止めたススクににらまれ、ケーリーが怯えた様子でシンディの後ろに隠れる。シンディはその頭に手を乗せ、ススクに目をやった。
嘘だ、とシンディは思った。もし自分がアーデン人に対して憎しみしかなく、ホワイトに襲われているアーデン人を見かけたら。
力を試すのと復讐と、その両方のために、ホワイトをさらに煽っただろう。
「アーデンの女」
ススクの刃の視線がイヴォンヌを刺した。
「我らケセト族に詫びの心ありと言うならば、あの坑夫どもを追い出せ。この山に、ディーラゴンを返せ」
イヴォンヌは黙っていた。言葉が見つからないのだろう、と心の中でつぶやいたシンディの前で、イヴォンヌは、姿勢を正した。
美しかった。胸を張るトンビの如く立ったイヴォンヌは、祭司が神に捧げものをするような仕草で腰を曲げ、沈黙のうちに、深く頭を下げた。
それは謝罪のようにも、感謝のようにもとれた。
シンディの両の腕の鳥肌が立つ。初めてだった。人が気持ちを表す姿に、これほど心を打たれたのは。
同時に「なぜ」という疑問が胸にわいた。イヴォンヌは美しいけれど、本当に頭を下げるべき人間は、イヴォンヌではなくアーデンの王ではないか。
シンディは、改めてススクを見た。どう反応すれば良いのかわからない、という顔だった。
逃げるように目をそらしたススクが、投げやりな口調で言う。
「……行くぞ。もうこの話は終わりじゃ。アーデンの人間がどうしようが、ササじいがおっしゃった、あのお方が……イニカ殿がお帰りになれば、状況は変わる」
「イニカ……殿?」
シンディが聞き返したのを無視して、ススクは歩き出す。イヴォンヌはゆるやかな動きで面を上げると、その後を追って足を踏み出した。
背中に隠れていたケーリーの手を、シンディは引く。ケーリーに何かを言うべきなのかもしれなかった。だがシンディには、言葉が見つからなかった。
やがて四人の歩く山肌が下り坂になってきた頃、木々の姿が見えた。南西の空に太陽が光るなか、傾斜を降った先には、鬱蒼とした森が延々と広がっている。
もしかして、というシンディの予感は当たった。
「ここからはアーデン人の土地なり。我の案内は終わりなり」
山肌を覆う草原と、北に広がる森の境目で、ススクは足を止めた。イヴォンヌが礼を言う。
「ここまでありがとう。ササクさんやシシカさんに、よろしく伝えておいてちょうだい」
「承りき」
ぶっきらぼうに答えたススクは立ち去る素振りを見せたが、思い返したようにくるりとこちらを向いた。その灰色の瞳が、イヴォンヌをくっきりと映している。
「イヴォンヌ、といったな」
「ええ」
「聞くが、ぬしはこの山脈がいずれ我らのもとへ返ってくると、思うか?」
「……できることはある」
イヴォンヌはあごに手をあてた。
「手段は二つ。まず一つは、少ない量の熱魂石柱で機械を動かせるように、技術を進歩させること。もう一つは、熱魂石に代わる新しい資源を見出すこと。大量の熱魂石が必要なくなれば、山はあなたたちのもとへ返る。時間はかかるでしょうけど、全力を尽くす」
「……そうか」
相槌を打ったススクは、イヴォンヌと視線を合わせたまま口にした。
「我らにできることは、何であろうか?」
「それは自分で考えること。でも、そうね。一つ言うとしたら、あなたは山脈の外に出てみてもいいかもしれない」
ススクは驚いたように目をぱちくりさせた。そんなこと、今まで考えもしなかった、という顔だ。それにたたみかけるように、イヴォンヌは平坦な口調で語る。
「どんな方法をとるにせよ、アーデン人を相手にしなければならないことに変わりはない。それにはまず、アーデンを知る必要がある。閉じこもって恨みをつのらせるばかりでは、何も進まない。尤も、アーデン人の私がケセト族のあなたに対して偉そうに言うことではないのだけれど」
ススクの視線が揺らぐ。何かを迷っている様子だ。しばしの沈黙の後、ススクはおずおずと尋ねた。
「もしもこの先、我が山から出ることになりし時には、イヴォンヌ殿を訪ねても、よいか?」
「もちろん」
イヴォンヌは即座に首をたてに振った。
「その時は、グエンダ川沿いのシメオンタウンのそばの、ジェファーソン工学研究所に来てちょうだい」
「心得き」
意志の灯った目でしっかりとうなずいたススクは、イヴォンヌに向かい軽く頭を下げた。そのまま踵を返して、ススクはもと来た山道を登っていく。その足どりは、シンディたちを引き連れている時よりもずっと速く軽やかだった。まるで牡鹿が傾斜を駆け上がっていくかのようだ。その小さくなっていく背中を見送りながら、イヴォンヌがつぶやく。
「進まなくてはね」
イヴォンヌの眼差しは強い光を宿していた。だが同時にその光は、険しさも帯びていた。
「ケセト族に土地を返すためには、工学の研究や別の資源の確保だけでは足りない。熱魂石柱には、利益と権力もからんでいる。進んで、そして、戦わなくてはね。私も、ススクも」
「戦うって、何とですか?」
ケーリーの質問に、イヴォンヌはよどみなく答えた。
「国と」
迷いのない横顔だった。シンディはそれをすぐ隣から見上げ、思う。
イヴォンヌが戦うことになるとしたら、それはまだ少し先のことだろう。自分はその頃、どこで何をしているのだろうか。
ご神体を取り返して里に戻ったら、自分は二度とグエンダの地から出ず、イヴォンヌの研究や戦いの行方はどうなったかと、ケーリーは学院でどう過ごしているのだろうかと、ただ思いを馳せ続けて、日々を過ごすのだろうか。
――それは、嫌だ。
腰布に挿した杖を強く握る。嫌と思う自分に驚いた。以前は里のために、母のために、〈女神ノ守り人〉としての任を全うできれば、それだけで良かったはずだ。
――ご神体を取り返したら。
この先の身の振り方を考えなければならないだろう。できれば、グエンダ自治区に帰る前に。そこまで考えたところで、母の金の瞳が脳裏をよぎり、胸がちくりと痛んだ。
もし母が生きていたら、この変化を喜ばないだろう。
腹の底に沈む泥から目を背けるように、シンディは首飾りのひもの部分を持ち上げた。
「約束を守る姫、心を欲する姫、全能の姫、あなたを追う者に、あなたの居場所を示されよ」
槍の穂先の水晶が意思があるかのように動き、北西を示す。光の色は、青緑だ。
馬ですぐの距離よりも近い。
ケーリーが驚いた顔をしているのに気づき、シンディは首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや、あの……シンディさんがその水晶の魔法を、人の前で普通にやってたので。今まで、隠してたじゃないですか」
「えっ……あ」
言われて初めてシンディは、自分が二人の前で呪文を唱えることに躊躇わなかったことに気づいた。
してはいけないことをしてしまったはずなのに、恐怖も後悔もなかった。それどころか、もっと早くにこうすべきだった気がする。
「ケーリー、イヴォンヌさん」
シンディは、ある決意をして、水晶を手に持ったまま二人を呼んだ。
共にここまで来た二人に、話そう。
私が何のために、何を追っていて、何と戦わなくてはならないのか。




