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空へ  作者: 上田謡子
17/29

17、残された者(上)

 レティとヒューイがアギソン村の南の森の土を踏んだのは、西の地平線に日が落ち、太陽の気配が完全に消えた時刻だった。


 村は〈月刀ノ里〉の魔術師たちの手によって作られた柵に周囲をぐるりと囲まれており、北と南に、出入り用の門が設けられている。そのうちの一つ、南の門の前に、約束の人は立っていた。


「力を貸してほしい、里の者を二人寄こす、と文で受け取ったが」


 松明をかかげた老女が、自らの前に立ったレティとヒューイを、鋭い灰色の瞳で交互に見やる。


「思っていたより、ずいぶん若いね」


「あなたに迷惑をおかけすることが決してないよう、努めます。〈灰ノ女〉……イーニッド殿」


 ヒューイが深く頭を下げ、それを見たレティが慌ててヒューイに倣う。

 イーニッドは、あごでくいっとある方向を指した。


「ついてきな」


 見た目に似合わないしっかりとした足どりで、松明を持った老女は夜の森に躊躇なく分け入っていく。その後ろに続いたヒューイの背中を、レティは足元の木の根や窪みに二、三度躓きそうになりながら追いかけた。背の低い草葉の先が脹脛を撫で過ぎ、昼間より幾らか冷えた夜の大気が二の腕に伝う。


 やがて、木々と闇夜の狭間から松明の炎のもとに現れたのは、一棟の小屋だった。木こり小屋と見受けられる小さな木造建てだ。


 イーニッドはヒューイに松明を持たせると、懐から取り出した小振りの銀の鍵で小屋の扉を開けた。真っ暗な中に松明の灯が差し、色褪せこそしつつもよく磨かれた床と、テーブルと、二脚の木の椅子が浮かび上がる。


 松明を消し、代わりにテーブルの上の蝋燭に火を灯すと、イーニッドは奥の方の椅子に腰かけた。扉から見て手前の方の椅子を示し、ヒューイに座るよう促す。


「そこの娘は、じっと座っているよりうろうろ歩いてでもいる方が落ち着くたちだろう。二人とも、名前は?」


「ヒューイです」


「レティです」


 二人の名乗りに、イーニッドは「そうかい」と鷹揚に相槌を打った。


「手紙は頼み通り焼いておいたよ。村の者は誰も、手紙がきたことさえ知らない」


「ありがとうございます」


 礼を述べたヒューイは手前の椅子に座ると、怪訝な顔でイーニッドを窺った。


「今レティを、座っているよりうろうろ歩いている方が落ち着くたちだろう、と仰いましたが……?」


「違っていたかい?」


「いえ、合っています。小さい頃からじっとしていられないおなごで」


「そうだろう。あたしは、人を見る目はあるつもりだよ。ついでに当ててやろうか。例のあれを貸してほしいという話だが、それは金の瞳の娘が関わってるんじゃないかい?」


 顔を見合わせたレティとヒューイに、イーニッドは言葉を続けた。


「うちの村を通り抜けて北西に去ったよ、あの娘は。きっと川を越えたことだろう。あの金の瞳はこの大陸の色じゃない。今は亡き大国の色だ。あの娘か、あるいはその子孫が、いずれあるべき場所に帰ることになる。あの娘の旅立ちは、その始まりだろう」


 どう反応すれば良いかわからず無言でいる二人に、イーニッドは小さく笑った。


「わからないだろうね。無理はない。なに、今すぐ理解できなくともいいことだ。さて本題だが、例のあれを使うのは少し待っておくれ。あたしはもう歳なものでね。操るのは難しいんだよ。じき、跡継ぎの若いのが来る」


「それでしたら、今、お聞きしたいことがあります」

 姿勢を正したヒューイは、イーニッドをひたと見据えた。


「母から……里の長から申し付けを受けました。イーニッド殿から、かの白き人食い竜ホワイトについて、出来る限りの情報を得てくるように、と」


 イーニッドの顔がこわばる。レティは、深いしわの刻まれたその手が、びくりと震えるのを見た。


 長く重い沈黙の後、イーニッドは口を開いた。


「断りたいね」


 ヒューイが険しい表情を浮かべる。イーニッドは、暗い面持ちで目をそらした。


「わかっている。あたしには、あの子らについて話す義務がある。あの子らは、ホワイトはみな……あたしが生み出したものなのだから」


 ヒューイは眉を顰め、続きを待つようにイーニッドの唇に視線を注いだ。そのかたわらに立つレティの脹脛に、突然鋭い痛みが走る。


「痛っ!」


 跳び上がって下を見ると、レティを見上げ唸っているのは一頭の真っ白な狐だった。赤と白のしましまの縄が首に巻かれており、そこから一枚の細長い木の板が提がっている。やや黒ずんだ板の表面には、見たことのない黒い文字がびっしりと並んでいた。


「こら、ゴン、引っかくんじゃない。お客様だよ」


 イーニッドに窘められ、ゴンと呼ばれた狐は渋々と部屋の隅へと退却し、こちらに背を向けて体を丸め横になった。不服そうな黒い瞳がちらちらとレティたちを窺っている。


「悪いね。あたしと弟子以外にはまともに懐かないもんでさ」


 イーニッドはレティを一瞥すると、ヒューイに視線を戻した。


「あたしが一番最近でホワイトと会ったのは、あの金の瞳の娘が来る前の晩のことだ。……ずいぶん若い、ホワイトだったよ」


両肘をテーブルに落ち着け、イーニッドが語り始めたのは、新月の次の晩の出来事だった。


 古びた色の木の床に、蝋燭の灯に照らされて、老女の影が黒く長く伸びている。その影の持ち主である一人の女の灰色の瞳は、暗くざらついた風合いを帯びていた。


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