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空へ  作者: 上田謡子
16/29

16、夜(下)

 居間の窓の外は夜の帳が降ろされ、まもなく真っ暗になろうとしていた。テーブルの中央に置かれた蝋燭に、ほとんど音もなく湧き出るように火が灯る。母のゲイルはレティに物心がつく前から、魔術で火を静かに灯すのが上手かった。部屋の静寂を保ったまま湧き出た火に、テーブルの濃い茶色の木目や、亜麻と羊毛で椿色を基調にして織ったタペストリーや、緩く曲がりながら足元に並ぶ床板が鈍く光る。母が手の仕草で促し、レティはヒューイと肩を並べてテーブルについた。レティの向かいに母が、その隣に父が腰を下ろす。


 レティはふと、ヒューイがじっと父を見つめているのに気づいた。ヒューイと同じように髪を短く刈り、どこか影のあるしわを頬や目尻に忍ばせ、妻のそばに控える父を。


 その父に視線を注ぐヒューイの緑の瞳が暗い憂いを含んでいるように見えて、レティは何か、はっとした。


「さて。単刀直入に聞くが、大事な話とは何だ」


 低く問う母の声で我に返ったレティは、自分の正面に座す里の長を見た。


 母の後ろの壁には、一本の剣が掛けられている。弓なりに反った刀身に、獅子と冠の紋様が入った黒い柄と鞘の剣だ。ラッセル家の家宝だと聞いている。威厳を孕んだ獅子の瞳が、レティを睨みつけているかのようだった。


 レティが言葉を探しているうちに、先ほどまでの憂いの色を瞳から消したヒューイが滑らかに語り出す。桶を上手い具合に傾け、きれいに澄まされた水を淡々と必要な分だけ盥に移すように。


「……なるほど」


 ヒューイの口から説明を聴いた母は、くすんだ緑の目を細めた。


「それでお前たちは、〈灰ノ女〉の力を借りたい、というのだね?」


「はい」


 うなずいたレティとヒューイに、父が少しおずおずとして言葉を投げかける。


「それがどういう危険をはらむものか、わかっているのだろうな? グエンダの血族にはもちろん、他の里の魔術師たちの目や耳に入ることになれば、この里は、存続の危機に晒される。掟をいくつも破るのだから」


「承知の上です」


 強い口調で答えたのは、ヒューイだった。


「ですが、私の使命はレティを支えることです」


「妹のためなら、里を犠牲にしてもいいと言うのか。お前らしくないのではないか、ヒューイ」


「母上、父上」


 憶することなく、ヒューイは反論し続ける。


「六年前、私が成人の儀を迎えた時に仰ったでしょう。レティは必ず、これから先大きなことをやる、大きな人間になると。私は、ここがその始まりではないかと考えております。ただの傲慢だとお笑いになるでしょうが、レティの行動力と私の思慮と知恵とで、必ず、上手くやってみせます」


「しかしだな、ヒューイ……」


 父は諭すように言いながら、同意を求めるように隣の伴侶を、この里の長を見た。レティもまた、正面に座る母を見つめる。ひざの上に握った手のひらに、じわりと汗がにじんだ。


 考えこむようにじっとうつむき加減でいた母が、顔を上げた。母の瞳とレティの瞳が、まっすぐな線を結ぶ。その乾いた唇が、動いた。


「レティ。お前は、姉に似たな」


 母をのぞく三人に、動揺の色が浮かんだ。それとは対照的に、母は平然と言葉をつむぐ。


「本当に似た。そのつり目も、落ち着きのなさも、突拍子がないところも。私が十三の時家を飛び出していった姉と、本当によく似ておる。当時は呆れたがな。長の座を継ぐべき長子が家を飛び出すなど、と。だが今や姉は〈十三輝ノ星〉だ」


「〈十三輝ノ星〉!?」


 思わず、レティはすっとんきょうな声を上げた。隣のヒューイも口をあんぐりと開けている。


 グエンダの地の政をとりしきっているのは〈十三輝ノ星〉と呼ばれる組織だ。十三人の魔術師からなり、そのほとんどはグエンダの血を引く者で構成される。グエンダの血族でもなく〈十三輝ノ星〉の任に就くのは至難の業だ。


 普段通りの落ち着き払った口調で、母は淡々と続ける。


「姿を消してから九年後、私が二十一の時、姉がひょっこり戻ってきた。〈十三輝ノ星〉の一人、ポーリーンの弟子になったのを報告しに来たと。文ではあったが、〈十三輝ノ星〉に就任したという知らせが来たのが六年前だ」


「なぜ、それを」


 ヒューイが怒気をはらんだ声で、疑問を口にする。


「なぜそれを、私たちに話してくださらなかったのですか。姉は家を飛び出し、ふらふらと流れの魔術師をやっている。そう聞いておりましたが」


母は黙っていた。自らの子ども二人に向けられていた視線が、テーブルの木目に落とされる。


「……私の身勝手さ」


 暗く低めた声を、母は漏らした。


「話せばお前たちが、姉に憧れ、姉のようにここを出ていく。私は、それを怖れた」


「身勝手などではないだろう?」


 父が口を挟む。


「里を思っての判断だ。ゲイルの姉の時は、長を継ぐことのできる娘がほかにいたから良かったが、次の代の正当な跡継ぎはレティ一人だ。いなくなられては、里のみなが困ることになる」


「本当にそうか?」


 母が木目を見つめたままつぶやく。


「北西の山の向こうのアギソン村も、村長は代々女だ。だがその慣習を破って、今は男が村長をやっている。良く思わない村人もいないわけではなかろうが、これといって問題が起こった、という話は聞かぬ」


 口を閉じた父に、母は普段より幾らか穏やかな声で畳みかけた。


「バート。お前が今言ったような考えも、もちろんあった。だがやはり、私が二人に姉のことを隠していたのは、私の怖れゆえだ。だが親は子を止められるものではない。母が姉を止められなかったように。レティは自らの意志と判断で、ヒューイの力を借り、〈灰ノ女〉の存在にまでたどりついた。私たちの都合に関係なく、この子はどこまでも行く」


 母は顔をこちらに向けた。その若葉の瞳が、レティとヒューイをはっきりと映している。


「〈灰ノ女〉のもとへ行っておいで、レティとヒューイ。私は、私の子どもたちを信じよう」


「ゲイル」


 やや咎めるような口調で身を乗り出した父に、母は「すまぬ」と眉を下げた。


「お前が里を思う気持ちもわかる。だが、ここは長の決断が絶対だと思って我慢してくれ。私は今までずっと長として里を守ってきたが、一度くらい、心に従わせてくれよ」


 しみじみとした声で語る母に、父の瞳は揺らいだ。何かを探すように、求めるように、泳ぐ瞳がレティを見、ヒューイを見る。


「……失敗は、許されないからな」


 父がぼそりと言ったのを追うように、母が早口で言葉を紡いだ。


「絶対にグエンダの血族にばれてはいかん。他里の魔術師はもちろん、この里の者にもだ。この四人と、〈灰ノ女〉だけの秘密だ」


 ヒューイが力強く、はい、と返事をする。その隣で、レティは信じられない思いで母と向かい合っていた。こんなにも簡単に許可をくれるとは――母が里の安泰よりもレティの思いを優先してくれるとは、思わなかった。


「それとヒューイ。〈灰ノ女〉のもとへ行くなら、一つ頼みたいことがある」


 手招きをした母にヒューイが席を立って耳を寄せると、母が小声で何事かを耳打ちした。一瞬怪訝そうな表情を浮かべたヒューイだったが、すぐにそれを引っ込め小さくうなずく。


頼んだぞ、と囁いた母は、誰にともなくつぶやいた。


「そろそろ我々も、あれに手を打つことを考えねばならん。……仲間を食われるわけにはいかぬ」




                  ✝




 槍の穂先の水晶が、透明な内部にうっすらと水色が混じっているような色で夜空を背に光っている。その鋭い先端が指しているのは、雲の合間に垣間見える獅子座、西北西の方角だ。


 イヴォンヌの予測通り、盗人は山脈を迂回して進んでいるようだった。


 ほっと胸を撫で下ろすも、シンディは、機体を操作するイヴォンヌの頭の向こう、自分たちの進行方向を見据えた。


 陽蓄機が使われているのだという機体の前方部から発せられる強い光には、遠目ながら、異様な光景が浮かび上がっていた。


 鉱山地帯の出入り口での、あの兵士のセリフが脳裏によみがえる。


『本当に、通り抜けるおつもりなのですか? 北西の端まで? 途中までは整備が進んでいますが、その先は……かのお方、パトリック王さえどうにも出来なかった地ですよ』


 途中までは整備が進んでいるとは、こういうことだったのだ。


 ここまでの道のりも、急な坂やでこぼこの激しい地面がひしめいていたが、採掘された鉱石を運ぶための鉄の線の道や、背の高い煙突から煙を吐き出す石の建物など、人の手が入っていることが窺えた。人間の姿もあった。


 しかしここから先には、それがない。あるのは、おうとつの激しい緑の大地だ。


 腰布から杖を引き抜くと、シンディは呪文を唱えた。人の目では、機体の灯だけが頼りの暗闇にしか見えない空間が、シンディの瞳のなかで真昼の世界のようにくっきりとした像を結ぶ。


 不思議な景色だった。まるで巨人がこの山脈に線を引いたかのように、裸の地と、緑の地とがくっきりと分かれている。


 緑といっても木々が繁っているわけではない。見渡す限り、苔のような、芝のような緑が、山という山、地面という地面を覆いつくしている。


「木はありません」


 魔術によって目が疲れてきているのを感じながら、シンディはイヴォンヌに向けて言った。


「芝のような、背の低い草があるだけです。この機体なら、進むのが難しいようには見えません。でも……異様です」


 今のシンディの言葉を受けてか、機体の速度が落とされる。限界を感じたシンディは己の目にかけた魔術を解くと、杖を腰布に戻した。


 まもなく、銀のしずくは土の地と緑の地の境界線をまたいだ。前の席のイヴォンヌが深呼吸する気配がする。


「一時間半よ」


 イヴォンヌは初めて、機体を操作しながらにして口を開いた。


「この速度でも……時速十九ジーイート(約三十・四キロメートル)でも、一時間半あれば山脈を抜ける。休憩はその後。うまく言えないけれど、ここで止まるのは……嫌な感じがするわ」


 隣では、ケーリーが小さな体を縮めている。シンディは腰布に杖を戻したが、ドードーの頭から手を離す気になれなかった。


 不気味な静寂と、濃厚な魔法の匂いが重く横たわる夜の緑の山。その斜面からほんの少し浮いて、機体は滑るように進んでいく。


 ここは、守られた場所だ。


 シンディの魔術師としての知識と感覚が、そう告げていた。


 おそらくこの山は、本格的な採掘活動が始まる前、豊かな緑に包まれた土地だったのだ。それをアーデン人が、草木のかげもない、剥き出しの土と岩の大地に変えてしまった。だが何者かが、山脈のごく一部だけは鉱石への欲に駆られた人間の手から守ることに成功したのだ。強い魔法によって。


 いったい誰が、と考えた時まっさきに浮かんだのは、サブロウから聞いたケセト族だった。かつてこの地に魔獣と共に暮らし、アーデン人に滅ぼされた一族。


 ケセト族がみな殺しにされたというのは、もう一人もいないというのは本当なのだろうか? もし少数でも、ひっそりと生き残っているとしたら? 

 このわずかに残された緑の地を守っているのは、ケセト族なのではないか?


 シンディの全身に、鳥肌が立った。


「あの」


 ケーリーがシンディの肩をつつく。その声は、震えていた。


「あれは……あれは……」


 ケーリーが指さす方向は、空だった。あるのは闇と、雲と、月と、星と、近づいてくる何かだ。


 背筋がぞくぞくと粟立つのを感じながら、シンディは杖を握り、呪文を唱えた。

 夜の帳に暗く覆われていた視界が、太陽の下にあるが如く、シンディの目にその姿を露わにする。

 

 空の影は、獣だった。


 がっしりとした太い四肢に、きらめく真珠の鱗、馬のような胴と首、山羊のような角、蛇のような尾。

翼がないにも関わらず、その魔獣は土を踏むように大気を踏み、地を駆けるように空を駆けていた。


その魔物の呼び名を、シンディは知っていた。里の古参の魔術師たちから聞いた通りの姿だ。


「ホワイト……!」


「何ですって?」


 イヴォンヌが裏返った声を上げ機体が傾く。イヴォンヌが慌てて手元の操作盤に意識を集中させる気配がした。不安定に揺らいでいた機体がバランスを取り戻すと同時に、速度をぐんっと上げる。ホワイトから逃げ切るつもりなのだろう。


 後ろへ流れていく緑の大地と、西北西の方角からまっすぐこちらに向かってくる白い竜とを見つめ、シンディは思った。


 追いつかれる。


 この機体より、ホワイトの方が圧倒的に速い。


 シンディは杖を強く握ったが、どうすれば良いのかわからなかった。怯えた顔のケーリーが、シンディの服の裾を握っている。


 策も何も浮かばないまま、時は、来た。


 ガンッ、と腹の底に響く衝撃が襲い、機体が上下に大きくぶれる。ホワイトが上に覆いかぶさるようにして機体に乗っかってきたのだ。乳白色の鋭い爪が、ガラスをしきりに引っかき、突き、銀に光る瞳がなめるようにガラスのなかを見回している。


 手の震えが止まらなかった。里で教わってきた数々の呪文が、脳裏を猛スピードで横切っていく。


 パリン、と嫌な音がした。ホワイトの爪の先が、イヴォンヌの頭上のガラスに穴を空けたのだ。


 刹那、ケーリーが、動いた。


 大きく身を前に乗り出し、前の座席のイヴォンヌの腰から鉛色の筒を抜き取る。その先端を、ケーリーはガラスの穴の向こうで爛々と輝く銀の眼に向けた。


 白銀の粉が宙にまっすぐな細い線を描き、ホワイトの瞳を直撃する。瞬間、鼓膜を裂くような悲鳴を上げて、ホワイトが機体から離れた。


 間髪入れず、シンディは呪文を唇に杖を振るう。杖の先から放たれた炎の筋が、ガラスの穴を通り、ホワイトの左の前脚を焼いた。


 鈍い苦悶の声で鳴いたホワイトが、銀のしずくからさらに距離をとる。だが、まだあきらめてはいないようだった。数イート(三~五メートル)の距離を置き、機体と並んで飛びながらこちらの様子を窺っている。


 シンディはふと、異変に気がついた。自分の首にかけた水晶が細かく震えている。ホワイトから視線を外さないまま、シンディは首飾りのひもの部分を持ち上げ、目を見張った。


 水晶がこれまで見たことのない色、濃い緑の色の光を発している。その研ぎ澄まされた鋭い穂先が持ち上がり、ホワイトを指した。


『若葉の色で鼻の先、海の色は馬ですぐ、空の色は〈金ノ君〉で半日、色のなきはそれ以上』


 若葉の色とは、真夏の木々の葉のような濃い緑のことだ。


 信じられない思いで、シンディは水晶と、ホワイトとを、交互に見た。

 シンディの金の瞳と、ホワイトの銀の瞳が、線を結ぶ。


 ホワイトが狙っているのは、自分だ。


 そして自分がずっと追ってきた相手、里のご神体を奪った相手は、ホワイトだ。


 シンディの直感と、槍の穂先の水晶が、そう告げていた。


 唸り声を響かせ、ホワイトの巨体が機体に迫る。あっと思う間もなく、凄まじい衝撃が襲った。ホワイトの体当たりで山肌に叩きつけられた機体が、ギリギリと土を削りながら斜面を滑り落ちていく。


 態勢を立て直そうとしているのだろう。イヴォンヌの両手が、目で追うのも難しいほどのスピードで操作盤を駆ける。顔を上げると、ホワイトがこちらへ向けて急降下してくるのが見えた。


 ――やられる。


 身構えた瞬間、唐突に、ホワイトが宙でぴたりと動きを止めた。シンディが訝しく思いながら見つめる先で、ホワイトはこちらを睨んだまま不快そうに首を振る。


 不意に下から突き上げるような衝撃が襲い、傾斜を降っていた機体が止まった。座席から放り出されそうになった体がベルトに引き戻され、何とか事なきを得る。


 何が起きたのかわからず周囲を見回したシンディは、ホワイトがいる空とは反対の方のガラスに大きなひびが入っていることに気がついた。今にも割れそうなガラスの向こうの景色は、黄土色の岩に塞がれて完全に見えない。山腹の途中の大きな岩にぶつかって機体が止まったらしかった。


「……いないわ」


 イヴォンヌが、荒い息で頭上を指さした。


「ホワイトが、いなくなってる」


 視線を空に移すと、確かに、イヴォンヌの言う通りだった。真珠でかたちづくられたような白い竜の姿は、どこにも、ない。


 シンディは、首飾りの水晶を見た。光っていた水晶はいつの間にか光を失って、ただシンディの首にぶら下がっている。


 緊張しきっていた体から力を抜いたシンディは、両手で顔を覆った。


 わかったことはあるが、そのわかったことが、あまりにも、わけがわからなすぎる。

 自分が追ってきたのは、追っているのは、追わなければならないのは、ホワイトだ。


 シンディは、泣きたかった。


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