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空へ  作者: 上田謡子
15/29

15、夜(上)

 およそ一ディオース(約十七・二キログラム)あるというラグサイズの熱魂石柱を、サブロウが小枝を扱うかのように片手で持ち上げ、銀の機体のハッチの中に一本ずつセットしていく。その横では、イヴォンヌとリュシーが額を突き合わせるようにして何事かを小声で話しこんでいた。


 ケーリーは少し離れたところから、機体の後方に詰め込まれる黒い棒にじっと視線を注いでたたずんでいる。


 きっとケーリーは、自分と同じことを考えている。サブロウやイヴォンヌやリュシーやケーリーを少し遠巻きに眺めるような位置で、リュシーが用意してくれたオークの木の古びた椅子に腰かけながら、シンディは思った。


 リュシーが燃料の調達のために出かけていった後、サブロウが買ってきたパンを食べながら、シンディとケーリーはサブロウの口からディーラゴン山脈の話を聞いた。


 もともと、ディーラゴン山脈はケセト族と呼ばれる少数民族の土地だった。およそ八十年前、そこで採取される鉱石について、とある地質学者が研究結果を発表した。その鉱石を加工して得られるエネルギーを用いれば、魔法のような機械の開発が進むだろうと。


 地質学者が予言した通り、その鉱石をエネルギー源に用いはじめてから、工学は飛躍的な発展を遂げた。ただ、一つ障害があった。ケセト族が鉱石の大規模な採掘活動を拒んだのだ。少しずつ使うのなら良いが、鉱石の大量の採取を許すのは自分たちの先祖代々の掟に反する。それがケセト族の主張だった。


 ケセト族は強かった。彼らは山脈に棲む魔獣を従える術を持っており、その魔獣たちは無敵と呼んでも良いような生き物だった。彼らと戦うことで莫大な被害を負うリスクを恐れ、国は彼らに対し強い態度には出なかった。


 だが、およそ六十年前に即位したパトリック国王は違った。彼は国中のありとあらゆる魔術師、兵器、兵士を集め、ディーラゴン山脈の強奪に挑んだ。


 失ったものは大きかった。だが得たものはもっと大きかった。少なくとも国王本人はそう演説している。アーデン王国はケセト族と魔獣を全滅させ、ディーラゴン山脈を手中におさめた。


『俺のような整備士も、リュシーやイヴォンヌのような工学の連中も、うちに来る客も……アーデン人の今の生活はその犠牲の上に成り立ってる。それを俺は、どう言っていいのか、わからん』


 淡々と語ったサブロウはそのセリフで話を締めくくると、リュシーが意気揚々と戻ってくるまで、あとは何もしゃべらなかった。


 ――ケーリーの荷は、目標は、今まで思っていたのよりも重いものなのかもしれない。


 少年の小さな背中を見つめ、シンディは目を伏せる。


「燃料補給も完了、内部の円盤その他も問題なし。いやあ、正直楽しかったよ。工学の最先端を色々見られてさ。でもあれだね。これ動かすのにかなりの燃料を要するし、材料も超高価。富裕層なら需要があるだろうけど、庶民の手にはちょい厳しいなあ」


 リュシーの言葉に、イヴォンヌはうつむいて呟いた。


「それが私の作るものの欠点よ。私を天才と呼ぶ人々はいるけれど、人々の生活に役立つものは、作れていない。みな、国や金持ちが喜ぶものばかりよ」


「何言ってんの」


 リュシーがからからと笑う。


「国や金持ちを喜ばせるのだって、立派な仕事だよ。それに今は高価でも、時が経って新しい安い燃料が見つかったり、もっと技術が進んだりすれば、将来もっと安くなって、一般の人の手に入るようになるし。無駄だなんてことは絶対にない。絶対ね」


「……うん、ありがとう」


 にこにこと笑顔でしゃべるリュシーと、全くの無表情で口数の少ないイヴォンヌ。対照的な二人が、シンディにはどこか懐かしく感じられた。


 リュシーが用意してくれたはしごを登り、今朝と同じように機体に乗り込もうとしたシンディの背中に、サブロウが待ったをかけた。


 振り返ると、二人の目線はぴたりと合った。はしごの上のシンディと、倉庫の床に立つサブロウは、ほとんど同じ高さだ。

 しばし間を空けて、サブロウが口を開く。


「さっき、俺は嘘をついた」


 シンディは不意を突かれたが、目をそらさなかった。サブロウは腕を組み、ゆっくりと言葉をつむぐ。


「俺は呪術師でも、剣士でもなかったが、庶民でもなかった。俺はあの国で、未来を見られなかった。だからここへ来た。この肌の色と顔だから色々な目に遭ったが、リュシーは良い奴だし、うちにミシンやら印刷機やらの修理を頼みにきてくれる客は、みんな良い人だ。……すまん、何が言いたかったんだか、自分でもわからないんだが……そのうち俺の気が向いて、機会があったら、もっと色々なことを話してもいい」 


「……ありがとうございます」


 シンディは頭を下げた。無言でうなずいたサブロウを背中にはしごを登り、銀のしずくに身体をすべり込ませる。


 イヴォンヌはシンディとケーリーの後に機体に乗りこみ前の座席に腰を下ろすと、仮面のような無表情でリュシーに片手を挙げて見せた。にかっと笑ったリュシーが、同じように片手を挙げる。


 燃料補給を終えた銀に輝く機体は、熱く羽音を唸らせながら、その身を宙に浮かばせた。




                  ✝




 その夜は、空に月がなかった。家の中から窓の外を眺めていた私は、暖炉の前で杖を磨く母に言った。


「月がないね、今日は」


「そうね、月がないね。そういうのを、新月というのよ」


 母はドードーの杖を磨いていた。杖磨きに使うのは、大昔にワコクからグエンダの地に伝えられたのだという椿の花の油を染み込ませた布だ。私も来年になれば、七歳になれば自分の杖を磨くのだと思うと、胸が高鳴った。


「シンディ」


 母が私の名を呼んだ。


「新月はね、神様が弱るのよ」


「え?」


 きょとんと首を傾げた私に、母はゆっくりと言う。


「神様が弱る夜にはね、怖いことが起こるかもしれないの。その時、〈女神ノ守り人〉が、神様を守らなければならないのよ。私が〈女神ノ守り人〉であるように、私の母も、その母も、そういう使命を負ってきた」


 私は、母の言葉にじっと聞き入った。


 母は今、とても大切なことを話している。

 私は今、とても大切なことを聴いている。


「新月の夜には、自分の直感を信じなさい。自分の心に、自分の血に、身体を任せなさい。私も母からそう教わったのよ」


 母の金の瞳と私の金の瞳は、まっすぐな見えない線を結んでいた。切れることのない確かな線を、結んでいた。


 その時まだ六歳だった私は、ぼんやりと思っていた。いつか私が母となった時、私は、私の娘と、同じ線を結ぶのだ。




                  ✝




 機体のガラスの窓の向こうに迫りくる光景に、シンディは思わず目を見張った。


 緑豊かな山に囲まれた里で育ったためか、シンディは山脈と聞くと木々に覆われた山肌を思い起こす。だが、自分たちの銀の機体が今突入しようとしているのは、どんよりとした曇り空の下に広がる黄土色の山々だった。


 ケーリーも同じことを思ったのだろう。隣から小さな呟きが聞こえた。


「あれが、山……?」


 サブロウの口から聞いたディーラゴン山脈の歴史が、シンディの脳裏によみがえる。


 熱魂石の採掘のために、山の一族と魔獣たちが皆殺しにされた山脈。


 鉱石の発掘作業のために、木々が切り払われてしまったのだろうか。それとも、最初からあの山々の皮膚は剥き出しだったのか。


 近づいてくるにつれ、正面に高くそびえる漆黒の柵が立ちはだかっているのが見えてきた。左右に果てしなく長く広がっており、どこまで続いているのかわからない。柵のこちら側には、灰色に鈍く光る鎧をまとった兵士が見える限り十人前後、等間隔で銅像のように立っている。柵の向こう側に横たわっているのは、荒涼とした土の切り立った山々と、その手前の家らしき黒い建物の密集地だ。


 柵が近づいてくると、イヴォンヌが自らの前に張り出したテーブル、操作盤の上に手を忙しく躍らせる気配がした。機体の速度がだんだんとゆるんでいき、やがて羽音のような振動が止むのと同じくして、銀のしずくが柵の手前で静止する。


 兵士の一人が、黒い筒のようなものを手にこちらに歩み寄ってくる。イヴォンヌが立ち上がりながら、操作盤上のピンのようなものを下に弾くと、カチリ、という音とともに、シンディたちが乗り降りに使っていたガラスの扉の留め具が外れた。


「イヴォンヌ・ジェファーソンよ。実験のための通行許可を出してもらっているわ」


 イヴォンヌが扉から身を乗り出して言うと、機体を見上げる兵士はうなずいた。


「聞いております。念のため、身分を証明するものをお見せください」


 兵士の言葉に、イヴォンヌはスカートのポケットから銀のバッジを取り出した。少し盛り上がった表面には鋭い剣をモチーフにした紋章が刻まれ、裏側には、「アーデン公認鉱石工学博士 イヴォンヌ・ジェファーソン」と彫られている。


 イヴォンヌが腕を伸ばして差し出すと、受け取った兵士は真剣な表情でバッジの表裏をつぶさに確認した。


「確かに、確認しました。イヴォンヌ博士、お通りください。門をくぐって右方に二ジーイート(約三・二キロメートル)ほど進めば、労働者たちの家の密集地域が途切れます。そうしましたら左に曲がって、家を左に見るかたちで進んでください」


 てきぱきと告げてバッジをイヴォンヌに返した兵士の声に、困惑の色がにじんだ。


「本当に通り抜けるおつもりなのですか? 北西の端まで? 途中までは整備が進んでいますが、その先は……かのお方、パトリック王さえどうにも出来なかった地ですよ」


「かのお方と違って、ただ通り抜けるだけです。心配ないですわ」


 ややぎこちなく微笑むと、イヴォンヌは座席に戻った。兵士が小走りで柵のそばのもといた場所に行き、片腕を大きく振り上げる。


 腹の底に嫌なふうに響く音で、真っ黒な柵の門扉の部分が、見えない手に押されたかのように大きく両開きに開いた。


 ゆるやかに羽音をたてて、機体が震え始める。腰から何かが抜けるような感覚とともに、銀のしずくはふわりと地から浮かび上がった。そのまま滑るように前進し、機体は開かれた漆黒の門を通り抜ける。


 まず目前にあったのは、ところ狭しと軒を連ねる数えきれないほどの黒い屋根だった。熱魂石の採掘のために働く労働者たちの家々だろう。


「……何だか」


 隣のケーリーがぽつりと呟いた。青い瞳が、怯えのためか、不安のためか、大きく揺らいでいる。


「地獄、というか、牢獄、というか……怖いです、僕は」


「……うん」


 シンディは、右腕をケーリーの肩に回した。


 ここでひたすら、工学の、国の発展のために山を掘り続ける者たちは、どういった人々なのだろう。黒い柵と剥げた土の山に囲まれた人間たちは。


 イヴォンヌに聞けば多少はわかるのかもしれないが、彼女は真剣な表情で操作盤と進むべき道とに忙しく目を走らせている。答える余裕はなさそうだ。


 山脈の裾野にへばりつくように建つ家々を前に、機体は右へと方向を変える。シンディはそびえ立つ黄色い山に閉じ込められた黒い檻の群れから目をそらし、足元に視線を落とした。


「おばあちゃんが」


 ケーリーの、さっきよりもしっかりとした声がシンディの耳に届く。


「多分、多分ですけど、おばあちゃんが言ってた、ディーラゴン山脈の全て、というのは多分、ここに住んで働いている人たちのことも含めて、なんだ。きっと、きっと……そうだ」


 はっとして、シンディは顔を上げてケーリーを見た。


 ケーリーは、目をそらしていなかった。ガラスの窓の向こうの風景を、まっすぐに見つめていた。


 風が吹き始めているのだろうか。ぬるりとした曇天に雲間ができ、そこから差す幾筋かの光の帯が、土を、家を、銀のしずくを濡らしている。陽光に反射するガラスの窓に映ったケーリーの瞳は、晴れた青空の色だった。


 その横顔が、里に残してきた弟と、エイブと重なる。


 ケーリーとエイブは同い年だ。それなのに、この差は何だろう。自ら地獄のようだと口にした景色から目を離さないケーリーと、姉であるシンディにさえ、母のこととなるとおどおどしてしまうエイブと。


 確かにケーリーは頭が良い。だがそういう問題ではないだろう。


 問うまでも、ないことだった。


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