14、飛べぬ鳥(下)
カツン、カツン、と耳に心地の良い音が、雪の衣を纏った枯れ木の合間を縫っていく。私とレティの杖が、ドードーとトンビが交差し、触れ合い、響き合う音だ。木と鳥と獣の地と隣り合う里のはずれで、私たちは雪を踏み、杖を柔らかに振っていた。
「レティとおそろいの杖が良かったな」
私がぼやくとレティは、そんなのどうだっていいじゃん、と笑った。
私もレティも十歳だった。自分の杖を与えられてから三年、成人の日まで三年。そういう時だった。
空は穏やかな青だった。レティと向き合い、レティに合わせ、歪な円を足跡で描きながら、手首を返すようにして繰り返し杖を交差させる。肌にさざめく冷気も、雪で湿った靴も、何も苦痛ではなかった。
「変な話なの」
カツン、カツン、と杖を響かせ合いながら、私は他の誰にもしたことのない話をする。
「お母さん、私たちの家はドードーの杖と決まってるのよ、って言うんだけど、そのお母さんが、ドードーっていうのがどういう鳥なのか知らないの。ただ頭の形を知ってるだけ」
「何だそれ、変なの」
レティが笑う。
私はレティが笑うのが好きだった。突然私の手を引っ張って走り出したり、不意にいなくなって森や山を探しまわる羽目になったりするのは少し大変で、腹が立つこともあったけれど、私はレティが好きだった。
「あたしさ、空飛びたいんだよな」
唐突にレティは言う。何の脈絡もなく突拍子もないことを言い出すのも、レティの癖だ。
「この前兄さんに、ペガサスって生き物の話聞いてさ。翼がある馬で、懐けば人を乗せて飛んでくれるんだって。あたしもいつか乗って、空を飛べねえかなあ」
「空、か……」
シンディは頭上を仰いだ。肌が締まるような冷気に満ちた空は、雲一つない青空だ。
寒いかもしれないけれど、あの空を自由に駆けるのは、きっと胸が躍ることだろう。
響き合って交差する二本の杖は、いつもトンビが妙な角度で傾いている。でも私もドードーも、そんなことは気にしない。
レティのトンビが、里でたった二羽しかいないドードーと、何も言わずに響き合ってくれるのだから。
✝
羽音を止め、薄暗い倉庫で息をひそめる銀の機体は、洞窟の奥の湖のようだった。ひっそりと輝いて、動かぬもの。外になど出ないで、ずっとあれを眺めているのも良いかもしれないと思った。
「悪いわね、私の実験を手伝ってもらってしまって。しかも、こんなに突然に」
シンディとケーリーを連れて機体のわきに立つイヴォンヌが、すまなそうに眉を下げる。その正面に立っているのは、ぼさぼさの金髪を乱暴に結わえ黒縁の大きな眼鏡をかけた肌の白い女性だ。イヴォンヌの研究所で、「整備士」と呼ばれていた人たちと似た雰囲気の、上衣とズボンがくっついたような灰色の服を着ている。イヴォンヌとさほど変わらない年齢だろう。眼鏡の奥の垂れた目のなかの瞳はきれいな青色をしていた。
咥えていた煙草を指ではさんで口から離し、垂れ目の女性は微笑んで首を振る。
「いいんだよ。あたしたちは友達なんだから。それとあたしには、無理に表情を作らなくていいよ。あんたが無表情でもそっけなくても、心がちゃんとある人だって、あたしは知ってる」
「……ありがとう。リュシー」
無機質な響きの声で、イヴォンヌは言った。リュシーの垂れ目の眼尻が下がり、笑みが深くなる。
「うん、イヴォンヌはその方がいいよ。自然でさ。あーほら、お偉いさんと会う時とか、助手とかと話す時は、ちょっと頑張った方がいいかもしれないけど、あたしの前ではリラックスしてて」
うんうんとうなずきながら銀に光る機体を見上げたリュシーは、短く口笛を吹いた。
「にしても相変わらず、すごいのを作るよなあ、イヴォンヌは。一生追いつける気がしないよ。えーと、やらなきゃいけないことは、燃料補給と内部の円盤の状態確認ね。燃料は熱魂石柱ラグを二本とシグを四本で間違いない?」
「間違いないわ。用意するのに時間かかる?」
「二時間くらいかなあ? シグサイズならどこでも手に入るけど、ラグとなるとなかなかね。でも当てがあるから大丈夫だよ」
リュシーは言いながらシンディとケーリーにちらりと視線を投げると、再びイヴォンヌを向いた。
「四時間以上このなかに座りっぱなしだったんでしょ? 一人でうちの中庭でも歩いてなよ、イヴォンヌ。準備ができ次第呼びに行く。この子たちはあたしが見てるしさ。これあたしの命令。オッケー?」
リュシーの言葉にイヴォンヌは無言で小さくうなずくと、やや心もとない足どりで倉庫の裏手へと出ていった。
「疲れてるなあ、あいつ」
イヴォンヌの背中を見送ったリュシーがぼそりとつぶやく。
「あいつ表情を作るとか声色を変えるとか、苦手なんだよ。無表情で、ほんとに人間なんだかわかんないような声でしゃべってるのが楽なんだよ、ほんとは。でも真面目だから、そういうのも人並みにやろうとしちゃってさ。だから、一人で誰にも気を遣わずに休む時間が必要なわけ。そういう自己管理を自分でできるようになってほしいんだけど。あるいは、そういうフォローをしてくれる良いパートナーを見つけてくれれば、さ」
ひとしきりごちり煙草を一口吸うと、リュシーはシンディとケーリーに向き直り、にかっと笑った。
「紹介が遅れて悪いね。あたしはリュシー。イヴォンヌとは学院にいた頃からの付き合いでさ。一応、ここで色々研究とか開発とかやってんの。まあでもほら、あたしイヴォンヌみたいな天才じゃないから、それだけじゃ子どもたちも食わせていけなくて。機械の修理・点検もやってます、みたいな感じ。あんたたちは?」
「シンディです。あの……色々あって、グエンダ自治区から来ています。この子も、ケーリーもグエンダ自治区から一緒に来た子です」
「へえ!」
リュシーは目を丸くした。
「あたし初めてだわ、グエンダ自治区の人と会うの。何か珍しい服着てるなー、とは思ってたんだよね。そっかあ、あんたたちと一緒に、イヴォンヌはディーラゴンを越えるのかあ。楽しみだわ」
「あ、あの!」
ケーリーはリュシーの前に詰め寄ると、真剣な表情で口を開いた。
「ディーラゴン山脈というのは、どういう場所なんですか? 国の鉱脈とだけ聞いてるんですけど、何と言うか、その……とにかく、なるべくたくさん、知りたいんです!」
強い口調で一気にしゃべったケーリーにリュシーはぽかんとしたが、やがて口もとににやりと笑みを浮かべた。
「ねえ、もしかしてだけど、あんた、学者志望?」
突然の質問にきょとんとしながらも、ケーリーは首をたてに振った。リュシーは満足そうな顔で腰に手を当てる。
「やっぱりね。目がきらっきらしてるからさ。好奇心がおさえられませんって目。いいよ、あんたきっといい学者になるよ。小さい男は大成するって言うしね。うちの旦那は無駄にでかいけど」
「大成しない男で悪かったな」
少しむすっとした太い声が響き、三人の視線が倉庫の出入り口に集まる。歩み寄ってきたのは、見上げるほどに背が高く、黒髪を短く刈った男だった。その顔をひとめ見、シンディは戸惑った。
肌の色がリュシーのような白でもなく、イヴォンヌのような褐色でもない。強いて言えば黄色というところだろうか。顔の彫りが浅く、黒い瞳を宿す目は糸のように細かった。がっしりとした体つきで、リュシーと同じような型の服を身にまとっている。その丸太のような右腕には、桃色の布がかぶせられたバスケットがぶら下がっていた。
「カミーユのパン屋で買ってきた。昼飯にしよう」
「おー! ありがとうサブロウ! 愛してる!」
男のぶっきらぼうな低音とは裏腹な明るい声で叫ぶと、リュシーは男の大柄な体に飛びついた。
全く動じる様子を見せずに、男はシンディとケーリーをちらりと見やる。
「中庭でイヴォンヌを見かけたが。それにそこの子ども二人と、銀色の妙なものは何だ?」
「銀色のはイヴォンヌの発明品! 時速二十五ジーイート(約四十キロメートル)で走るんだってさ。長距離走行実験の途中で燃料補給と機体の点検のために寄ってくれてんの。この二人は実験の同行者、シンディとケーリー。グエンダ自治区の出なんだって」
なめらかな口調で説明したリュシーは男から体を離し、シンディとケーリーを向いた。
「この人がね、さっき言った無駄にでかいあたしの旦那。サブロウっていうの。ワコクの生まれだよ」
「ワコク!」
思わず、シンディは大声を上げていた。
ワコクといえば、大昔からグエンダの魔術師たちと交流のある島国だ。だがシンディ自身は一度もワコクの人間と接したことはなかった。
「あの、サブロウさん、私、グエンダの魔術師です。グエンダの血族というわけでは、ないですけど」
「ほう」
サブロウはシンディを観察するように眺めると、腕組みをした。
「悪いな。俺は確かにワコクの人間だが、魔術は全くわからん。呪術と剣士の国と謳われてはいるが、俺は……何でもない庶民で、色々あって、こっちに逃げてきた身だ」
「逃げてきた?」
眉を顰めたシンディの肩に、リュシーが手を置いた。
「あー、ごめんごめん。あたしがワコク出身って言っといてなんだけど、あんまりね、話したくない事情ってものを抱えた人が、世の中にはたくさんいるんだよ。その話はおしまい! これ命令。オッケー?」
笑顔で言ったリュシーはサブロウを見た。
「せっかく昼ご飯用意してもらったところを悪いけど、あたし、イヴォンヌに頼まれて調達してこなきゃいけないものがあるんだよね。この子たちと食べててくれる?」
「わかった」
自らの持ったバスケットにちらりと目をやり、サブロウがうなずく。
「あ、あの……!」
おずおずと、だがはっきりと、ケーリーが声を上げた。続けて何かを言おうとしたケーリーに、リュシーが待ったをかける。
「言いたいことはわかるよ。ディーラゴン山脈について、聞きたいんでしょ」
「はい!」
瞳を輝かせるケーリーに、リュシーは顔を曇らせると、腰を落としてケーリーと目線を合わせた。
「残念だけど、あたしもそんな詳しいわけじゃないんだよ。知ってるのは主に二つ。一つが、あそこが熱魂石の鉱脈だってこと。エネルギーを発生させる石ね。熱魂石柱っていうのは、その石を加工して詰め込んだ容器なんだよ。そしてもう一つが、六十年くらい前、国が鉱脈を独占するために、山脈に暮らしていたある一族を皆殺しにしたこと」
ケーリーが息を呑む。シンディは、ひざに置かれたリュシーの両の拳が、ぎゅっと強く握られるのを見た。




