エピローグ 後編Ⅰ
後編が長く成り過ぎたので2話に分けて投稿します。
エピローグ 後編Ⅰ
クーラ・ルフ帝国軍の飛竜により邀撃機の壁が突破されつつある事実は、二号五型電波探信儀の電測結果から明確であった。
『いや、突破と言うのは適切な表現では無いな。』
と、状況説明を聞いていた第三航空艦隊司令の柳本柳作中将は、そんなことを思った。
現在の飛竜群と艦隊との距離は最も近い外縁部の艦では間も無く一〇海里(約一八キロ)を切る事に成る、その距離は既に艦隊内の長距離対空砲の射程圏内であった。
従って邀撃機隊各機には艦隊外縁より一〇海里以内へ入らないよう厳命されていた。
味方の対空砲で落とされる、或いは味方機が居る為に射撃の機会を逃すと言う愚を犯さな為の施策であった。
彼らは不本意ながら敵を通す結果と成ったが、当然艦隊側は邀撃機だけで敵の飛竜に対応しようとしていた訳では無い。
それに、邀撃機隊は充分に評価に値する戦果を挙げているのだから。
「邀撃部隊を抜けた飛竜はどのくらい居る?」
第三航空艦隊旗艦「白鳳」の戦闘指揮所の中で部屋を仕切るように設置された透明なアクリル板越しに、そこに書かれた状況を示す略章を見ながら柳本中将は担当士官にそう問い掛けた。
「白鳳」の艦体中層の装甲に覆われた重要区画に設置された戦闘指揮所は、米海軍より導入された新しい施設で米海軍では戦闘情報管理センター・CICと呼ばれていた。
電探の表示映像を見やすくするために昼間でも薄暗く、通信機や多様な表示器と艦内各部を結ぶ艦内電話がそれを扱う人員と供に置かれていたその指揮所には、艦内の各部や艦隊内の各艦からの情報が一元的に処理され司令や艦長など主要幹部へほぼリアルタイムで情報が提示されていた。
そう言った意味からも、この指揮所は重要区画に在るべき施設と言う事が出来た。
尚、艦隊旗艦の「白鳳」の戦闘指揮所には個艦だけではなく艦隊全体の指揮を取る関係で他の艦より多くの機材と司令部の人員が詰めていたが、大型艦故に指揮所も余裕が有ったお陰で特に問題にも成らなかった。
その戦闘指揮所のアクリル板には、受聴器を付けた下士官が受け取った情報を基に次々と戦果と現状の情報を水性ペイントで書き込み、それが更新されると古い書き込みを拭き取って新しい情報へ書き換えていった。
それに依れば、総数八〇機余りでほぼ同数の敵の迎撃に当たった邀撃隊に対して、敵は足の速い翔竜を中心とした前衛で邀撃隊を引き付け、剛竜を盾とした飛竜隊は低空で邀撃隊の壁を突破し途中で二手に分かれた敵軍は艦隊を東西から襲う位置へ向かいつつあることが記されていた。
「総数で四〇程です。
内訳は、剛竜が二、翔竜が一二、残りは飛竜との報告です。」
問い掛けられた航空乙参謀は、アクリル板越しに素早く手にしていた最新の敵情報の記された綴をめくりながらそう答えた。
「出来れば、二〇辺りまで減らしたかったのですが。」
「予想よりも大分数が多かったからな。」
「この悪天候の間に奴らも戦力を補充したようです。」
「敵も必死だ、そのくらいはするだろうさ。」
申し訳ないようにそう言い添える航空甲参謀の村井仁史中佐に、柳本中将は軽く応じてそれも想定内であり問題で無いことを強調した。
「しかしながら、従来は邀撃機隊を突破した段階で撤退する剛竜と翔竜に今回は動きが有りません。」
これまで電探の表示装置の画面と情報メモを見比べていた電測参謀の茂田井和重中佐がそう発言して、有利な戦況から弛緩した空気が漂い始めた戦闘指揮所に注意を喚起した。
「奴ら、翔竜や剛竜まで自殺攻撃に投入して来た様だな。」
柳本中将は茂田井中佐の言葉に表情を改めると、アクリル板に記された敵情報に目を走らせてそう分析した。
「切り札まで危険な賭けに突っ込むとは、連中相当追い詰められている様ですね。」
村井航空参謀も茂田井中佐の報告と、柳本中将の言葉から敵情を推測してそう結論付け言葉を続けた。
「加えて十四騎とは言え翔竜と剛竜が居る以上、容易な敵とは言えません。」
「速さと硬さ・・・か、
陣形内部に入られたら厄介だな。
で、どうする?」
腹積もり既に決まっていたが、ここで柳本司令は村井航空参謀へ問い掛けた、考えを聞く為ではない、確認の為である。
故に村井中佐は躊躇なく答えたのである。
「射程に入り次第全火力で叩き落すべきです。」
第三航空艦隊は旗艦の空母「白鳳」を中心に直径一三キロになる巨大な輪形陣を構成し、艦隊の各艦は直径六キロの内周と一三キロの二重の外周の円周上に配置されていた。
駆逐艦「樫」は、外周の進行方向で言うところの三時方向に有って外縁より接近する主に空中脅威に対応する事を任務としていた。
「敵空中脅威は邀撃機隊を突破。
旗艦より❝射程内に入り次第射撃を開始せよ❞との下命が確認されています。」
敵接近の報を受けて艦橋上部の防空指揮所から艦内の戦闘指揮所に下りた「樫」の艦長(正式には駆逐艦長だが一般的な用法に従いここでは艦長と呼称する)、黒木俊思郎少佐は担当の電測長よりそう報告を受けた。
四〇〇〇〇トンクラスの正規空母の「白鳳」とは違い全長一二〇メートル・排水量二〇〇〇トンの「松」型駆逐艦の戦闘指揮所は非常に手狭であったが必要な設備は整っていた。
黒木艦長は、指揮所内のアクリル板に担当下士官が記入する敵情報と手元の旗艦からの指令を確認して自身の部下に確認を行った。
「砲術長、射撃準備は?」
「完了しています。」
「なら、八〇〇〇で射撃開始だ。
電測長、諸元を送ってやってくれ。」
「樫」は、クーラ・ルフ帝国との開戦後に策定された戦時艦船急速建造計画(通称・マル急計画)の修正計画によって建造が計画され実施された「松」型駆逐艦の十番艦であった。
マル急計画の修正は、リアウ門を巡る戦いに於いて、旧来の魚雷戦を主任務とした艦隊型駆逐艦がその対空戦闘能力の脆弱さを突かれる形で大量の喪失に至った、その穴埋めを目的としたものであった。
この為「松」型駆逐艦は、その備砲として三八口径一二.七センチ連装砲を選定、前部に一基の二門、後部に二基四門の計三基六門が搭載された。
この配置は、帝国海軍駆逐艦の標準的な配置であったが、一五〇〇〇メートルの射程と毎分最大二二発の連射速度持つ同砲の採用は、「松」型に防空専用艦の「秋月」型に準じる防空性能を待たせることと成った。
武装はこれ以外に、 雷装として六〇〇ミリ魚雷発射管四連装二基(予備魚雷は搭載無し)と、対空機銃として四〇ミリ機銃連装四基八門と二五ミリ単装八基を搭載していた。
但し、この数字は建造初期の標準の数字であり、雷撃戦の必然性が薄れた事から多くが魚雷発射管の一基または全廃して対空機銃の増設を行っていた。
同艦の特筆すべきもう一つの特徴が、ボイラーとタービンを交互に置く機関のシフト配置の採用であった。
旧来の艦隊型駆逐艦では、建造を容易にするためと被弾面積を小さくして損害を抑える目的でボイラーとタービンを同一区画に纏めて配置する例が多かった。
しかしながらこの配置では、目的とは逆に機関部の一部の損傷で全ての機関が使用不能に至る可能性が高く、実際に、機関が停止して身動きが取れなくなった艦が怪竜に沈められる事例が多数確認されていた。
その様な戦訓を基に、「松」型駆逐艦ではその対策として米海軍や仏海軍の艦船では既に主流と成っていたシフト配置式の機関部の採用を帝国海軍の駆逐艦としては初めて導入し、抗堪性を高める試みがなされていた。
この機関のシフト配置の導入により、例えば機関部の被弾により片舷の機関が損傷しても反対舷の推力が生きている限り航行は出来、戦場からの退避は可能と成った。
実際に、二番艦の「竹」の様に第一煙突から前を大破させられ艦橋(艦長以下の士官も)と左舷推力を失いながら、残った右舷側推力と後部操舵所を使用して戦場を離脱し生き残った例もあった。
そして、戦時急造艦故の特徴も同型駆逐艦にはあった。
「松」型駆逐艦は、喪失した戦力を一刻も補充する為に「松」型駆逐艦では工程と構造の簡略化が行われ少ない工数で建造が可能なように設計当初から考慮されていた。
この為に曲線は可能な限り直線へ置き換えられ、艦体から上部構造物に至るまで各部が直線、詰まり平面で構成される形状と成っていた。
当初は速力の低下と操縦性の悪化が懸念されたが実際には問題と成る水準ではなく、逆に従来の駆逐艦が無駄に凝った構造をしていたことが明確と成った。
こうした建造に対する配慮の効果は、比較的簡単な数値として知る事が出来る。
「松」型駆逐艦の前型で略同サイズである甲型駆逐艦、その一番艦である「陽炎」は起工から就役まで二〇箇月を要していた、これに対して「松」型駆逐艦の一番艦「松」では九箇月であり、その後、最終艦の「欅」では六個月まで短縮され、ブロック工法を取り入れた改「松」型駆逐艦である「橘」型では四個月に迄短縮されていた。(甲型の最短は十一個月であった。)
最終的に「松」型駆逐艦は準同型である「橘」型も含むと総計一〇〇隻を超える艦が建造された、この中の半数近くは、クーラ・ルフ帝国軍の侵攻により海軍戦力を喪失したアジアや欧州の各国に供与されている。
帝国海軍の駆逐艦として就役した残りの五〇隻うち、初期生産分の二〇隻は着工から約一年で就役、残る三〇隻もその一年以内に就役、そのほとんどが欧州解放作戦であるオーバーロード・オリンピックの両作戦に参加していた。
余談ではあるが、こうした歴史的背景もあって、戦後の欧州各国に於ける帝国海軍の「松」型駆逐艦の知名度は想像以上に高いものがあった。
これは「松」型駆逐艦が、前述の様に欧州派遣艦隊の主力駆逐艦であった以外に、同型を基に派生した艦が欧州での解放戦争に大きな戦力と成った為であった。
輸送艦、或いは高速輸送艦と命名されたその艦種は、「松」型駆逐艦、正しくはブロック建造の「橘」型の雷装と後部砲塔を撤去し、艦橋以後を平坦な構造として艦尾にスロープを設けた艦形をしていた。
武装を撤去して平坦とした艦の中央から後方に掛けての甲板上には、両舷に移送用のレールが敷かれ、その上には大発(大型発動艇)等の大型上陸用舟艇であれば六隻が搭載可能で、更に中央部には小型の舟艇であれば加えて四隻が収容可能で、これらの上陸用舟艇は速度を五ノットで航行しながら発進可能な性能を有していた(単なる水密コンテナであれば十ノットでも可) 。
この艦が建造された最大の目的は敵制圧地への輸送任務であった。
当時、東南アジアや欧州の敵制圧地域への物資や兵員の輸送は低速の輸送船では損害に対して効果が期待できなかった事から駆逐艦や旧式の駆逐艦の武装を撤去した特設輸送艦を使用していたが運搬できる物資に限界が有り大量の物資を短時間に確実に輸送できる手段が求められていた。
こうした要求に対して帝国海軍艦政本部が出した回答が、前述の高速輸送艦「摩周」型である。
ある程度の対空戦闘能力を持ち、物資四〇〇トンと陸兵三五〇名を収容した満載時でも最大速度が二五ノットを発揮することが可能であった為に、東南アジアや欧州の制圧地域の海岸へ支援物資や人員を送り込むのに多用される事と成ったのである。
実際に帝国海軍が「摩周」型高速輸送艦として建造したのは僅か四隻であったが、欧州解放同盟軍下の欧州各国軍へ支援物資として重用され、最終的に五〇隻を超える高速輸送艦が最初は日本で、後により効率を上げる為に英国やスペインなどで建造され実際に強行輸送に使用され、大量の物資と兵員や武器を欧州に届ける事に成功していた。
それらの物資や人員は、後の欧州解放作戦であるオーバーロード作戦やオリンピック作戦を実施する際の大きな力と成りましたが、その一方で過酷な戦場への投入故に犠牲になった艦や乗員も数多く、それでも祖国の大地を取り戻すために命を懸けた人々の勇戦は後世まで語り継がれ、多くの文学作品や映画にもなっている事からも先の知名度の高さの理由を理解できると思う。
対空射撃を開始、の指示と共に動き出したのは「樫」の艦橋頭頂部に設置された二式両用射撃指揮装置であった。
高射装置と平射用の方位盤射撃装置の機能を併せ持つ事から両用射撃指揮装置と名付けられたその射撃装置は、対空用索敵電探の諸元を基に指向を開始した。
目標としたのは、対空用電探が捕捉した中で最も艦隊及び自艦に近い脅威、おそらく翔竜と思われる飛竜の一群であった。
艦内部の戦闘指揮所に戦況表示板に描かれた敵の位置情報から、艦長と電測長、それに砲術長は艦隊と自艦にとって脅威と成り得る目標を選別、攻撃準備を命じていた。
確かに、こうした状況下ではこの指揮所と表示板は有効だ、と黒木艦長は改めてそう評価した。
「こいつが、アメさんのモノで無かったら言うこと無いのだがな。」
そう評価しつつもつい本音がこぼれた事に気が付き、黒木少佐は慌てて口を噤んだ。
実際のところ、「松」型駆逐艦の装備の半数近くが米国製、或いはそのライセンス生産品であった、特に電探や艦内通話器具、火砲とその指揮装置はその比率が高かった。
二式両用射撃指揮装置はMk.37射撃指揮装置であり、搭載の備砲はMk.32連装5インチ砲であった。
これらの装備は、航空隊の「強風」と同様に米軍より供与を受けた物であったが、現状に帝国海軍には不可欠な重要な装備品でもあった。
故に、乗組員たちはその有用性や有効性を認識しながら何処か苦い思いを持っていたのだった。
尤も、その装備無しに戦闘が出来ると考える者も居なかったのだが。
「艦長?」
艦長のその呟き声に気が付いた砲術長が当惑気味に聞き返したが、艦長は戦況表示板から目を向けたまま何でもないと言う様に軽く手を挙げ、そして今度は小さいがハッキリとした声で言った。
「始まったな。」
その彼の声に応えるように、戦況表示板に新たな情報を書き込みをしていた担当下士官が声を上げた。
「戦艦『比叡』『霧島』、巡洋艦『石狩』『静狩』、打ち方始めました!」
続きは28日(日)の予定です。
中々終わらなくて恐縮ですが、次で完結です・・・たぶん。
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