エピローグ 前編
遅くなりましたが先ずエピローグの前編をお届けします。
エピローグ 前編
昭和十九年(一九四四年)六月二日のオランダ・ハーグへの上陸に始まるオーバーロード作戦の開始により、英米日を主軸とする人類領域解放同盟軍(略称・欧州解放同盟軍)の欧州解放作戦は始まった。
これまで欧州各国軍の残存戦力は抵抗軍を組織して、西はフランス西部・イタリア・バルカン半島からウクライナ南部に至るライン、東はレニングラード・モスクワ・ハリコフを結ぶラインで怪竜軍団、この時点でクーラ・ルフ帝国と呼称されるようになった敵勢力の伸張を食い止めていた。
しかし、流石に二年を超える戦いに欧州抵抗軍も戦力の消耗と疲弊が深刻化しており、早急に欧州抵抗軍を支援すると共に欧州解放を実現するための精強な増援軍を欧州大陸へ送り込む必要があった。
そして、その要求に対する欧州解放同盟軍司令部の解答がハーグへの電撃上陸作戦であった。
クーラ・ルフ帝国軍の柔らかい脇腹を抉るように突き立てられたオランダ・ハーグの橋頭保の存在は敵戦力を分散させ、これまで抵抗軍が受けて来た敵の攻勢圧力を緩和するのに十分な効果が有った。
そして、解放同盟軍のハーグ上陸に先立って欧州各地の抵抗軍には地中海と中東経由で大量の武器弾薬と食料、更に増援軍が送り込まれていた。
各抵抗軍は、欧州解放同盟軍がハーグへ上陸した後に発動したオリンピック作戦に呼応する形で反攻を開始し、各地でクーラ・ルフ帝国を各個撃破により撃破殲滅、徐々にではあるがクーラ・ルフ帝国より自らの手で母なる祖国の大地と人々を取り戻していった。
その結果、ハーグ上陸以来約一ヶ月で、西はライン川、東はリガ・ミンスク・キエフを結ぶ線の東にまで解放同盟軍と抵抗軍各隊は戦線を推し進めていた。
当初、クーラ・ルフ帝国が地球侵攻の為に発生させた渦は合計六つであった。
この内ハワイ諸島オアフ島沖の渦は発生直後に日米の機動部隊により破壊され、ウラルと北大西洋に発生した渦はソ連と英国がそれぞれ破壊に成功し、北アフリカのサハラ砂漠北部に発生した渦は英独軍の協力で破壊することが出来た。
これら四つの渦は、幸いな事に比較的小規模だった事も有り、侵攻開始から比較的短期間で破壊に成功し侵攻も阻止することが出来た。
これに対して残った二つの渦、東南アジアのリアウ諸島(マレー半島とカリマンタン島の中間に位置する)近海に発生した渦と、ドイツ第三帝国占領下のポーランドのワルシャワ近郊に出来た渦の二つの存在は深刻であった。
リアウ門(渦は異世界への出入り口と言う事で❝門❞と呼称された。)は、約二年を要して日米豪に欧州の植民地軍や現地抵抗勢力の連合軍により最終的に破壊に成功した。
但し、この戦闘による人的物的損失は大きく、帝国海軍は、空母「加賀」「蒼龍」「翔鶴」と戦艦「陸奥」「山城」他多数の艦艇と航空機、陸軍も多数の航空機と戦闘車両に兵員を失った。
それは米陸海軍も同様で、空母「レキシントン」「ヨークタウン」、戦艦「ワシントン」他多数の大小艦艇に航空機と、M3戦車などの戦闘車両と兵員を失っている。
こうした多大の戦力の喪失の影響は、結果的に最後に残ったワルシャワ門の攻略の遅れと成って現れた。
対するクーラ・ルフ帝国軍は、解放同盟軍が戦力の立て直しの為に有した時間を活用して戦線を縮小して、残存戦力を旧ドイツ領内(ドイツ第三帝国とその占領下であったポーランドを含む)へと集結させ、背後のワルシャワの門と名付けられた黒い渦を死守する構えを見せていた。
ワルシャワの門は、この時点で唯一となった異世界への出入り口であったから、欧州解放同盟軍は再侵攻阻止の観点から、このワルシャワの渦を奪取或いは破壊を最終目的に東西より部隊を進撃させていた。
司令部を英国のロンドンに置いた、欧州解放同盟軍(正式名称は人類領域解放の為の同盟国欧州派遣連合軍)は反攻戦力の欧州上陸を目的としたオーバーロード作戦と次の段階である欧州解放作戦であるオリンピック作戦を実行するに当たって、欧州各地を進撃する地上軍を二種類の航空戦力で上空から支援した。
一つは、英国とソ連領内に展開した戦術航空軍でモスキートやB-25、B-26、帝国陸軍の四式重爆撃機「飛竜」等の双発の爆撃機とタイフーンやP-38、P-47に四式戦「疾風」等の戦闘爆撃機で構成した飛行隊が地上軍の援護と敵の掃討に当たった。
これ以外に初期にはB17やB24などの戦略爆撃機も投入されたが、本来の任務である敵の生産拠点の破壊は不要であった為に一部の偵察機を除いて出番は無かった。
逆に想像以上に出番が多くなったのは、輸送機部隊でドイツのメッサーシュミットMe323ギガントや米陸軍のC-47やC-54(DC-3とDC-4旅客機の軍用輸送型)とアブロヨーク等が大量に導入されて物資が枯渇した欧州各地への物資や医薬品の輸送に従事した。
そして、これらの陸上航空軍と双璧と成るのが、北海上を遊弋する空母機動部隊より発進する空母艦載機群であった。
海上を自由に移動可能な、空母機動部隊の存在は既に洋上戦闘能力を喪失したクーラ・ルフ帝国軍に対しては極めて有効であったが、同時に航空戦力による上空援護は天候に左右される面が大きく、特に空母艦載機群は海上が荒れると離着艦が困難となる分、天候による影響がより大かった。
今回も、オリンピック作戦の最終段階である旧ドイツ領への進軍を目の前に例年に無く発達した低気圧が北海上に停滞していた為に、この二日間を含めた一週間ほどは荒天による悪天候の為に満足な支援が行えず、この為に陸上軍の進撃は停止されていたのである。
しかしこうした事態は、予想以外に快調な進撃を続けた結果、一部部隊が突出し過ぎて防御的に問題の有る側面を無防備に曝している状態を危惧していた欧州解放同盟軍司令部にとって好機であった。
敵の活動も鈍る荒天を利用して、地上軍各部隊への補給と補充、戦線の整理を行い後のオリンピック作戦の最終局面に備える機会として利用する判断を欧州解放同盟軍司令部はした訳である。
そして、七月十九日夜半、低気圧は日付が二〇日へ変わるころには勢力を弱めながら東の海上へ過ぎ去って行った。
天候の回復を確認した、フランスはベルサイユまで前進していた欧州解放同盟軍司令部は作戦行動可能な全航空部隊に対して可能な限り早期の攻撃再開を命令じた。
欧州解放同盟軍司令部が、欧州解放の為の反攻作戦として実行に移したオーバーロード・オリンピックの両作戦実施際して、欧州陸上部隊を援護するために投入した空母機動部隊は計十一個正規空母三十隻であった。
解放同盟軍海軍司令部は、この戦力を大きく二分しほぼ一週間交代で主任務である地上部隊支援に従事させた。
今回、七月二〇日の時点で作戦に従事していたのは六個の機動部隊、その内訳は米海軍が三個八隻、帝国海軍が二個六隻に英国海軍が一個二隻の計一六隻の正規空母、搭載される艦載機は戦闘機と爆撃・攻撃機が合わせて一五〇〇機を超える大規模な戦力であった。
各機動部隊は空母二~三隻を中心に数十隻の護衛艦艇が周囲を固める巨大な輪形陣を構成して一個機動部隊を形成していた。
そして、前述の様に二分された機動部隊の内、他方はイギリスやアイスランドを拠点に整備や補充と搭乗員の休息と錬成を行いながら、次回の出撃に備え常に同水準の航空攻撃能力を維持して続けていたのである。
北海海上へ展開中の六個の空母機動部隊の内の先ず南側、ドイツ近海に接近していた三個の機動部隊が夜明け前と共に行動を開始した。
三個機動部隊の内、二個は星条旗を残る一個は日章旗を掲げていた。
帝国海軍が、欧州解放作戦に派遣した機動部隊は三個、正規空母九隻と計六十隻からなる護衛艦艇群であった。
第四航空戦隊を中核とした第三航空艦隊もその一つであり、第一次攻撃隊を発進させる為にユトランド半島の直ぐ西の海上まで欧州大陸へ接近していた。
第四航空戦隊を構成する正規空母「白鳳」「大鳳」「海鳳」の特徴は、三隻とも装甲化された飛行甲板を持っていた事であった。
前年の昭和十八年(一九四三年)まで二年に渡って行われたリアウ門攻略戦の中頃より、クーラ・ルフ帝国軍は日米の艦隊に対する飛竜や海竜、海騎竜による組織的な自爆攻撃を行う様になった。
現状の戦力では、日米を中核とした亜細亜解放軍を撃退できないと判断しての苦肉の策であったと見られたが、その効果は無視できるレベルのものでは無かった。
特に重要戦力と彼らが認識した戦艦や空母には執拗に自爆攻撃が行われ、その攻撃により帝国海軍は「蒼龍」「翔鶴」「加賀」の三隻の空母と戦艦「陸奥」と「山城」の二隻を失う事となった。
中でも「蒼龍」と「翔鶴」の二隻は上空から飛行甲板を突き破って突入した飛竜が格納庫内で自爆した事による爆発と火災によって沈んでいる。
この攻撃に対して有効だと考えられたのが、当時既に実戦に投入されていた「大鳳」型空母の装甲飛行甲板であった。
本来「大鳳」型の装甲飛行甲板は急降爆撃機に対してであったが、当然だが飛竜の自爆攻撃にも有効であり、実際に二度飛竜が突入していたが何れも軽微な損傷で終わっている。
これに対して対照的な対応をしたのが、米空母であった。
米海軍も「レキシントン」と「ヨークタウン」を飛竜の自爆攻撃で失っていたが、搭載機数が減る飛行甲板の装甲化よりも対空火器の増設と被弾時の応急対応の向上で対抗しようと試みていた。
リアウ門を巡る戦いでの「大鳳」の戦歴と実績を基に帝国海軍は、装甲空母の拡充を図り、その結果として建造されたのが「大鳳」型二番艦の「海鳳」と、「大鳳」の運用実績を基に設計を見直したのが「白鳳」型であった。
実質的に「大鳳」型の発展拡大型である「白鳳」型の外見は「大鳳」型から多くは変わっていない。
飛行甲板の前端と艦首が接合するエンクローズド・バウと七五ミリ厚のCNC鋼製甲板もそのまま引き継がれているが、「白鳳」型の外見上の唯一の相違は約一〇メートル程延伸した艦体と飛行甲板に合った。
これは、トップヘビーを避けるために内部階層を「翔鶴」型までと比較して一層へ減らした結果、格納庫が手狭と成り搭載機が「翔鶴」型の七〇機から五〇機へと大幅に減ってしまった状態を改善するためと、日本艦艇の欠点である機関部の脆弱さを改善するために、ボイラーとタービンをシフト配置にする為の方策であった。
これ以外の、さらに大型化された艦橋の対面に接地された舷側エレベーターと艦首の二基の発進促進装置などは改装後の「大鳳」型に準じた形状であるなど、「白鳳」型は外見上は確かに前型である「大鳳」型の発展拡大型であった。
しかし、その実際の内部の配置、特に一層となったギャラリーデッキを持つ格納庫などは同時期に米海軍で建造されたエセックス級のそれを参考にした巨大な物で、これが「白鳳」型が『「大鳳」の皮を被ったエセックス』と言われる事に成った所以で有った。
一般に、『「大鳳」型は「翔鶴」型よりも飛行甲板を装甲化しトップヘビーを防ぐために格納庫が一層減っている、この為に搭載機が大幅に減っている。』と言われているが、実際には減ったのは構造上の甲板一階層で、「大鳳」型も格納庫は二層に成っている。
但し、艦内の甲板が一階層分減った結果、その甲板に有った設備が玉突き的に上部格納庫の両側に移動させられた、その結果として格納庫が「翔鶴」型と比べて大幅に狭くなった、と言うのが事実であった。
現在、「白鳳」型は二番艦の「蒼鳳」が艤装中であったが、今回の作戦には「白鳳」一隻が参加し準同艦である「大鳳」型の「大鳳」「海鳳」の二隻と第四航空戦隊を編成していた。
そして、この正規空母三隻に加えて第四航空戦隊にはもう一隻の空母の姿が在った。
左右に広く並んで航行する「大鳳」と「海鳳」の後方に続く一隻、先の三隻の三分の二程度のサイズの軽空母である。
この艦は、「伊吹」型軽空母の四番艦「愛鷹」であった。
「伊吹」型軽空母は、建造途中の改「鈴谷」型重巡洋艦の船体を転用して建造した高速軽空母で、小さいながら艦戦四〇機が搭載可能な優秀艦あった。
第四航空戦隊を中核とした第三航空艦隊は、命令を受けると一斉に向きを変え、未だうねりの残る北海海上を風上に向かって速度を上げた。
日が昇ったばかりの未だ暗い海上に、白く長い航跡を弧を描くように棚引かせたその姿は、恰も練達の舞踊家は舞う姿の様に美しく軽やかであった。
第四航空戦隊の先頭を行く、最新鋭の航空母艦「白鳳」の飛行甲板は発進準備中の艦載機で埋まっていた、その姿は後方左右に続く「大鳳」「海鳳」の二隻の空母の艦上も同様であった。
「白鳳」に於けるその数は、総数七〇、内訳は戦闘機隊の「烈風」が六個飛行小隊の二四機と「強風」が三個飛行小隊の十二機、爆撃機隊が「流星」が二個飛行小隊の八機と「瑞星」が六個二四機、残る二機は状況と戦果確認の為に同行する偵察機「彩雲」であった。
やがて飛行甲板上は、発進準備を終えた機体が暖機運転の為に発動した発動機が発する轟音で埋め尽くされた。
やがて、風向きに正対した各艦は艦載機の発進を開始した。
最初に飛び立ったのは艦上戦闘機「烈風」であった。
前任の零式艦上戦闘機を拡大した様な三菱独特の紡錘形の美しい外線の胴体は、機首の大出力発動機に合わせて零式艦戦と比べると力強く、半ばで上反角が付けられた広大な主翼には三十ミリと二〇ミリの機銃が2門づつ搭載されていた。
最初に飛び立った右舷側の機体に続いて左舷側の機体も数秒の差をつけて飛び立って行く、その間隔は各舷とも三十秒足らずであった。
発艦開始後、約六分で「烈風」の発艦は終わり続いて「強風」が甲板上を滑走を始めた。
先の「烈風」の流麗な美しさを持つ機体とは対照的に武骨で太い胴体と切り落としたような翼端が特徴的なこの戦闘機は左右二門計四門の二〇ミリ機銃を搭載していた、この二〇ミリ機銃は零式艦戦に採用された九九式二〇ミリ機銃の発展型である四号銃で各銃ベルト給弾式で二〇〇発が携行出来た。
戦闘機隊の発艦後は「流星」と「瑞星」の各隊が発艦して行く。
「流星」は雷撃も可能な爆撃機で、機体の中程から出た翼が一度下がり途中で上を向く逆ガル型が特徴であり左右の主翼に「強風」と同様の九九式二〇ミリ四号機銃各一門計二門が搭載されていた。
最後の「瑞星」は単発単座と一見すると平凡な機体に見えるが、先の三機に搭載された二〇〇〇馬力の「輝」発動機よりも高出力の「水星」二五〇〇馬力を搭載し、大量の爆弾やロケット弾、航空魚雷も搭載可能な万能機で、主翼には「烈風」に搭載されたのと同様の三十ミリ機銃が二門搭載されていて、爆弾投下後であればクーラ・ルフ帝国軍の飛竜と空中戦で勝利も可能な機体であった。
攻撃隊に参加する機体の内、戦闘機隊は増槽と地上攻撃用のロケット弾、爆撃機隊は複数の増槽と小型爆弾にロケット弾と言う組み合わせで、戦闘機は対飛竜戦と対地支援、爆撃機が対地攻撃に重きを置いているのが判る装備であった。
第三航空艦隊が第一次攻撃隊として発進させたのは、「白鳳」の七〇機と「大鳳」「海鳳」の各五〇機の計一七〇機だった。
発艦が完了した各機は、数度艦隊の上空を旋回して編隊を組むと南に向かった飛び去った。
渥美太一一等飛行兵曹は、軽空母「愛鷹」の艦橋脇の搭乗員待機所で出撃した攻撃隊が飛び去って行く様子を眺めていた。
目を転じれば、「愛鷹」の飛行甲板は出撃の準備を終えた艦載機が並べられていた。
数にして二八機、「伊吹」型軽空母の搭載機数が四〇機であり、現在八機が戦闘空中哨戒中であること、残る四機が爆撃機「瑞星」である事を考えれば全機がここに並べられていることが判る。
そして、その戦闘機が「烈風」ではなく「強風」である事も「愛鷹」を含む「伊吹」型軽空母の特徴と言えた。
それは、機体の大きさは大きく違わないが「烈風」が主翼を折りたたんでも尚十メートルの全幅を有していたのに対して、「強風」は主翼の根元から折りたたむ構造の為に主翼折り畳み後の全幅が五メートルと「烈風」の半分のサイズであったために格納庫が同じサイズであるなら「烈風」の倍搭載することが可能であった。
実際にはそこまで単純ではないが、小型の「伊吹」型軽空母にとってはうってつけの機体と言えた。
そして、搭載機がほぼ全機戦闘機なのは「愛鷹」が艦隊防空を選任とする軽空母であったからである。
故に彼らは攻撃隊には同行することは特別な事情がない限り無い。
彼らの任務は、出撃した攻撃隊が返って来る場所、艦隊とその中核である空母群を護る事に有った。
そして、攻撃隊が飛び立って三十分が経過した所で、彼らに出番が来た。
「愛鷹」の中央指揮所は格納庫の下、艦体の中層にあった、各種の電探の表示装置や無線機の受聴器、海図台や状況表示用の透明アクリル板などが占拠するその狭い一室で、艦長の要雄二大佐は旗艦である「白鳳」から転送されてきた索敵情報を確認して居た。
「艦隊の南東八十海里(一四七キロメートル)、対象は飛竜四〇体。
艦隊に向かう、・・・か。」
「敵が通常型の飛竜としても三十分後には艦隊に到達します。」
「急ぎ対応する必要があるな。」
飛行長の田島敦少佐の進言に、要大佐は頷くとすぐさま命令を発した。
「よし、全機発進だ!」
今回で完結の予定でしたが、怪竜軍団が侵攻後世界がどうなったか、それに人類がどう対応したかを纏めたらやたら長く成ったのでまずここで一度投稿することにしました。
今回は戦闘なしなので申し訳ありません。
次回でおそらく最後の戦闘をお届けできると思います。
例の如くですが誤字脱字の一報と、感想意見をお願いします。




