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燃ゆる真珠湾  作者: 雅夢
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決戦(後編)



決戦(後編)


 第一水雷戦隊が煙幕から抜け出たのと時を同じくして米第八任務部隊の水雷戦隊も白煙のカーテンから躍り出て、巨大海竜の乙目標(日本名・米軍呼称はTarget B)へ向けて突撃を開始した。

 先頭を行くノーザンプトンとソルトレークシティは五五口径の二〇.三センチ砲を初手から一斉撃ち方で砲撃を開始した。

 ノーザンプトンは九門、ソルトレークシティは十門の二〇.三センチ砲を搭載し双方とも毎分三~四発の発射が可能であった。

 この他、艦中央両舷には三連装五三.三センチ魚雷発射管も装備されており、帝国海軍の重巡洋艦と同様に駆逐艦と共に目標に雷撃することが可能であった。

 故に指揮を執るスプルーアンス少将は、当然の様に先頭に立って駆逐艦群を率いての突撃していた。

 煙幕を抜けた時点で彼我には約七〇〇〇メートル距離が有った。

 米軍の主力魚雷であるMk15の射程は雷速四五ノットで五五〇〇メートルであったが、確実に命中を期すなら四〇〇〇メートルまで接近する必要が有った。

 あと約三〇〇〇メートル、しかし、スプルーアンス少将は二隻の巡洋艦と六隻の駆逐艦の主砲が相手を圧倒することでそれは可能とみていた。

 加えて、既に乙目標には帝国海軍支援砲撃隊の重巡洋艦二隻の二〇.三センチ砲弾も集中的に撃ち込まれていた。

 これは本来乙目標を支援砲撃する筈であった戦艦「霧島」が、敵の攻撃を受けて射撃指揮系を破壊されて統制された射撃が不可能になった為の代替措置として行われていた。

 米艦隊は煙幕を抜けると同時に射撃を開始した。

 やがて巨大海竜には前述の二隻の重巡の計一九門の二〇.三センチ砲弾に続き駆逐艦も一二.七センチ砲も着弾し始めた。

 六隻の駆逐艦はベンハム級とマハン級で何れも三八口径五インチ(一二.七センチ)単装砲を四門から五門搭載していた、それらの砲は帝国海軍の駆逐艦が搭載する五〇口径一二.七センチ砲と比較して砲身長が短くそれに伴って射程が約二〇〇〇メートル程短かったが、対空砲を兼ねる両用砲として開発された経緯も有って毎分一二~一五発と言う速度で連続射撃が可能だった。

 これに対して帝国海軍の一二.七センチ砲の場合は、弾頭と装薬を別々に装填する為に一分間に一〇発が限度であった。

 第八任務部隊が砲撃を開始すると、巨大海竜の乙目標周辺には毎分当り四〇〇発を超える一二.七センチ砲弾と一一〇発近い二〇.三センチ砲弾(支援砲撃隊の利根型二隻の約五〇発を含む)が降る注ぐ結果となった。

 しかしながら、通常の戦闘艦艇であれば然程の時間を置かずにスクラップ同然と成るであろう、鋼鉄の驟雨を浴びながら巨大海竜は悠然と泳ぎ続けていた。

 いや、それは少なくとも不快らしかった。

 それが証拠に、巨大海竜は一度身を震わせてるとその巨体の左舷側の海面に近いところに多数の青色に光る輪を浮かび上がらせた。

 敵の攻撃が来ると直感で判ったが、スプルーアンス少将は回避行動を命じなかった。

 何故ならば、帝国海軍の支援砲撃隊と違って水雷戦隊は雷撃行動の途上であった、もし回避運動を行えば魚雷の発射運動が中断し、実質的に雷撃は不可能と成ってしまうのである。

 やがて巨大な海竜の体表に浮かび上がった輪が収束して、そこから無数の水球弾が放たれた。

 但し、今回は「霧島」の前檣楼を襲ったような巨大なサイズの水球弾ではない、がサイズが小さい代わりにその数は膨大と言えた。

 その多数の水球弾が米第八任務部隊の八隻に襲い掛かり、一瞬にして周囲は、着弾した水球弾が作り出す無数の水柱で覆いつくされた。

 スプルーアンス少将の座乗する重巡ノーザンプトンも同様に、噴き上げられた水柱に囲まれた、続いて激しい衝撃が襲った。

「二番砲塔に直撃弾!」

「二番砲塔旋回できません!」

 水球弾は、ノーザンプトンの二番砲塔を直撃したがその装甲によって貫通される事無く弾き返す事には成功した。

 しかし、着弾のショックでバーベットが歪んで砲塔が旋回出来なく成り事実上使用不可能になったのだ。

 そうノーザンプトンの砲術長は報告したが、それに対してスプルーアンス少将は、

「的はデカイ、そのままで敵を指向できるなら構わんから撃て。」

と答えた。

 ただしノーザンプトンやソルトレークシティの様な重巡洋艦であったからその程度で済んだ訳だが、後続の駆逐艦にとってその攻撃は明らかに脅威であった。

「エレット、機関部に被弾!」

「バルチ、艦首切断!

 行き足が止まります!」

 巨大海竜が攻撃を開始して、これまでの間に既に二隻の駆逐艦が被弾して隊列から落後していた。

 だが第八任務部隊はここで引き下がるわけには行かなかった。

 理由は前述の通りであったが、それ以外のも理由は有った。

「日本軍が、戦っているのに我々が逃げれるか!」

 スプルーアンス少将はそう呟いたが、その直後に思い掛けない報告が届いた。

「日本軍、退避行動に移りました!」

 スプルーアンス少将がその報告に前方へ双眼鏡を向けると、左に舵を取って離脱して行く姿が見えた。

「日本軍と敵との距離は?」

「およそ六〇〇〇!」

「何だ、ジャップは!

 怖気づいたのか?」

 その距離を聞いて、艦橋内には驚愕と侮蔑の声が広がった。


 大森仙太郎少将は、第一水雷戦隊の各艦が煙幕を脱したのを確認すると、戦隊各艦に次々と命令を下していった。

「第一水雷戦隊各艦へ打電!

 『全艦突撃せよ!』」

「戦隊、最大戦速へ!」

「右砲戦はじめ!」

 第一水雷戦隊が煙幕を抜けた時、目標である巨大海竜までの距離は八〇〇〇メートルであった。

 帝国海軍が採用していた九三式魚雷の性能を考えれば、既に充分有用な射程圏内と言えた。

 実際、九三式魚雷は一万メートルの距離からも攻撃が可能な性能を有していたのだから、しかし、それは複数の敵に対して数個の駆逐隊が百発単位の魚雷を揃えた場合の話であった。

 今回は四十発にも満たない数で雷撃を敢行しなければならない、そう考えれば必中を期すためには少なくとも六〇〇〇メートルまで踏み込む必要が有ると戦隊司令の大森少将は判断していた。

 戦隊司令の突撃命令に、これまで三〇ノットで航行していた各艦は性能限界一杯の三五ノットまで速度を上げ、その鋭い切っ先に白波を巻き上げながら巨大海竜へと突撃を開始した。

 やがて、ハワイ北方の海上を疾駆する第一水雷戦隊各艦の艦上に幾つもの閃光が煌めいた。

 各艦の主砲がこれまでの沈黙を破り、その砲門を開いたのである。

 ここに至るまで、水雷戦隊各艦が発砲しなかったのは既に支援砲撃隊の各艦が砲撃中であり、下手に発砲して注意をこちらへ引き付ける危険を冒す必要はないと判断された結果であった。

 第一水雷戦隊各艦の備砲は、軽巡洋艦「阿武隈」の単装一四センチ砲を除けば駆逐艦の連装一二.七センチ砲である、いずれにしても海軍内で豆鉄砲と称される小口径砲である。

 こうした事実から、各艦は効果が期待できない割に敵の注意を引きかねない砲撃を止めて、息を潜める様に甲目標に対して接近したのだ。

 だが、ここに来て状況は変わる。

 既に敵は目前なのだ、ここまで接近しておいて敵が何もしないとは考るのは愚の骨頂と言えた

 であるなら雷撃の時間を稼ぐ意味でも可能な攻撃はすべきである、となる。

 戦隊旗艦の「阿武隈」を先頭に単縦陣を組んだ第一水雷戦隊の全五隻は、砲撃を加えながら『右雷撃戦』の構えで後方から追い縋る形で巨大海竜へ肉薄していった。


 しかし、当然であるが敵も一方的に撃たれる道理はない。


 行き成り巨大海竜の左舷側の身体の表層に幾つもの青く光る光の輪が浮かび上がると、収束してそこから無数とも言える水球弾が打ち出された。

 乙目標が米第八任務部隊へ放ったのと同じ中規模サイズの水球弾が豪雨の如く第一水雷戦隊を襲い始めた。

 「阿武隈」は、水球弾が着弾して噴き上げる水柱の林をすり抜ける様にして距離を詰めていった、勿論無傷でそれを行うことは不可能だ。

 数度の激しい衝撃が、艦齢二〇年に迫る老嬢を襲った。

「艦首に直撃二!

 第一、第二主砲損壊!」

「後部マスト付近に直撃弾、

 カタパルト、六番砲塔破損!」

 「阿武隈」の艦橋の直前、艦首甲板を舐める様に飛来した二発の水球弾は、そこに有った二門の単装一四センチ砲を、それを操作する砲員共々根こそぎ浚って海中へ叩き落し、艦首に続いて直撃した水球弾は「長良」型特徴である三本並んだ煙突の直ぐ後方には設置されていた、カタパルトと後部マストの間に有った六番砲塔をカタパルトと共に破壊していった。

 次第に戦力を削ぎ落されてゆく「阿武隈」であったが、この後で最も必要な兵器には問題ないのは不幸中の幸いと言えた。

 勿論、戦隊の各艦は砲撃を開始していたが、敵の手数の多さに圧倒されていた。

「『陽炎』被弾、後部デッキ損壊ナレドモ作戦行動ニ支障ナシ!」

「『不知火』より発光信号、我、被弾多数ナレド続航スル!」

 後続の駆逐艦群も大なり小なりの損傷を受けていたが、各艦はここで怯むことなく逆に一歩踏み込む気合で針路を維持していった。


 そして!


「距離六〇〇〇!」

「魚雷発射始め!」

「魚雷、発射始めます!」

 発射予定距離に達した事を確認した艦長の号令の下、艦橋右舷側に設けられた水雷用の発射指揮盤を覗いていた水雷長は壁に取り付けられた魚雷発射通報ボタンを押し込んだ。

 「阿武隈」は、水雷戦隊の指揮嚮導を目的に計画された、通称五五〇〇トン型と呼ばれる軽巡洋艦で二番目の型と成る「長良」型の六番艦として建造された。

 五五〇〇トン型軽巡洋艦は、イギリスのC級やD級の設計を参考に建造された細長い船体に強力な機関を搭載した実質上は駆逐艦の拡大版と言える高速艦だった。

 「長良」型は、先の「球磨」型に対して搭載魚雷を五三センチから六一センチへ拡大するなど雷撃能力を向上させ、航空装備を取り入れるなどの変更点があったが全体的に小規模なものと成っている。

 建造は、全艦一九二二年から一九二五年の間で行われ、真珠湾攻撃時には艦齢二〇年が間近となる艦も有った(艦齢二〇年は退役の一つの目安とされていた)。

 この「長良」型の中で、「阿武隈」は最も建造が遅かった(艦齢一八年)為、一九三八年に来たるべき対米戦に備えた雷装の強化が行われ、就役当時は艦橋の直後と第三煙突とカタパルトの間の二ヶ所に八年式連装発射管を片舷二基の計四基八門を搭載していたが、前部の一基を撤去して後部の連装発射管を九二年式四連装発射管へ換装し、更に新型の九三式魚雷の運用能力を付加していた。

 水雷長の発射命令で「阿武隈」が発射したのは、右舷の発射管に装填されていた四発の九三式魚雷だった。

 直径六一センチ、長さ九メートル、重量二八〇〇㎏と言う列強海軍の魚雷よりも大型サイズの九三式魚雷は、発射管より高圧空気で押し出されるとその過程で機関を始動した。

 一般に魚雷は動力方式によって、冷走・熱走・電動の三つ形式に分けることが出来る。

 圧縮空気でレシプロ機関を駆動する冷走魚雷は射程距離の短さから既に姿を消しており、電動機を動力とする電動魚雷は雷速が遅い為に使用できる局面が限定されていた。 これに対して燃焼ガスを使用するレシプロ機関もしくはタービン機関を駆動する形式の熱走魚雷は、雷速・射程・稼働率等で他の形式より優れており一般的に使用される形式と成っていた。

 九三式魚雷も、この熱走魚雷に分類される海上艦発射型の魚雷であった。

 ここで良く間違われるのだが、レシプロ機関とは言っても筒内で爆発燃焼させる内燃機関ではない。

 若干複雑なので実例に沿って解説してみよう。


 魚雷が発射されると、魚雷内の気室より圧縮空気が燃焼室を経て機関部に送り込まれ、これによりピストンが発動を開始する(冷走状態)。

 ピストンが動き出すと、次の段階として燃焼室(或いは加熱装置とも呼ばれる)内へ吹き込まれた燃料ケロシンと圧縮空気との混合気の燃焼が行われる、この段階で燃料が燃焼した燃焼ガスが発生するがここで、その熱エネルギー有効に使用する為と冷却を兼ねて燃焼中の燃焼室内へ真水がタンクより噴き込まれる、その結果として高圧の燃焼ガスと水蒸気との混合ガスが発生し、その膨張圧で機関が駆動される事に成る。

 これが魚雷が本来の性能を発揮する熱走状態であるが、帝国海軍の九三式魚雷ではその中に更にもう一段の過程があった。

 ご存じの様に空気には約八〇%の窒素が含まれ、そしてこのガスは燃焼しない。

 従って圧縮空気を使用した熱走状態では、この不燃性ガスが燃焼する事無く魚雷本体より海中へそのまま放出される事に成り、その窒素による気泡は航跡として後方に残る事に成る。

 加えてこの状態は、持って行った空気の約八割がエネルギーへ変換されないまま排出されることを意味していた。

 ならばこの空気を、燃焼に必要な純粋な酸素に置き換えれば燃焼の結果発生するのは水と二酸化炭素となる、二酸化炭素は水に良く溶ける性格を持つことから気泡の発生は抑えられて航跡が残らない魚雷が出来る筈である。

 また、純酸素を使用すれば気室(圧縮空気の貯圧タンク)を小さくできるか同じ大きさならば大幅に射程を延伸できることになる。

 こうした発想から、第一次世界大戦後各国で酸素魚雷の開発が行われたが、酸素を使用した燃焼は非常に激く制御が困難であった、特に水や油と激しい反応を起こすとから機関内に僅かでも水分や油分が有れば即爆発事故に直結し、この点から実用化は不可能とされ、最終的にいずれの国も開発を断念する結果となった。

 しかしながら、殆ど唯一と言って良い成功例あった。

 それが帝国海軍の九三式魚雷と九五式魚雷(潜水艦用の小口径魚雷)であった。

 何故、唯一帝国海軍だけが成功したのか?その答えは熱走状態の初期の過程にあった。

 それは燃焼が安定した段階で燃焼室へ向かう圧縮空気の酸素濃度を徐々に上げて行き最終的に純酸素とする方法であった。

 言ってしまえばひどく簡単な方法であった、が実際にここへ至るのは相当な紆余曲折、試行錯誤が必要で有った。

 こうした過程を経て酸素魚雷として開発された九三式魚雷であるが、その卓越した性能は極秘とされていた。

 帝国海軍は公式には九三式魚雷の性能を、速度四二ノット射程一一〇〇〇メートルと発表していたが、実際の性能は速度五二ノット(九六km/h)射程二二〇〇〇メートルであった。

 当時の米海軍の海上艦艇用の主力魚雷であるMk15が、速度四五ノットで射程が五五〇〇メートルであったことと比較すればその性能の差を理解できると思う。

 射程だけではない、その搭載炸薬も一〇〇kg以上の差があり威力の点でもその差は大きかった。

 最終的に、第一水雷戦隊が距離六〇〇〇で発射した九三式魚雷の数は二七発、米軍は早すぎる退避行動に攻撃を断念して逃げたと見ていたが、実際には充分に射程圏内での雷撃であった。


色々書いていたら長く成ったのでここで一度投稿します。


余談ですが、この話を掲載した11月10日は私の57回目の誕生日です。

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