狂わせる雪の夜
意味深なタイトルですねぇ・・・
女子たちがお風呂というか温泉から上がってきたのは、俺たちよりたっぷり一時間は遅かった。その間、俺たちがどんな話をしていたのかと言えば進路の話。それから翔の将来の夢。そんな感じだ。
翔はかつてはガンダムを作るって豪語していたけれど、今は比較的健全な夢を語るようになった。二足歩行ロボットを作りたいのだそうだ。それとどんなところにでも進んでいける車。この二つが何につながってくのかといえば、翔が言うには災害救助に役に立つのだそうだ。今までに災害のことなんて考えたことがなかった俺は、翔の話を聞きながら驚き、そして柄にもなく感動したりしていたのだった。
ちなみに俺はどうしたいんだろう?
将来について考えてみれば考えて見るほど何も思いつかない。翔のように建設的な思いがあるわけでもなく、ただ漠然と高校に進学して、そして大学に行って・・・そんな感じにしか考えていない。進路だってある意味で『翔が行くから』ということで決めたのかもしれない。なんだか情けないな、俺。
まぁ、そんなことは置いておいて。お風呂から上がってきた女子たちはどこか不思議な一体感があったように感じられた。どうしてって?今までだったら必ずと言っていいほどに『翔と寝るから場所を譲れ』と言い続けてきた実花ちゃんが『これから女の子たちでパジャマパーティだから、二人は適当に寝てね。』なんて言ったから。これには翔も少し驚いていたようだったけれど、なんていうか、これが本来の正しい姿なのかもしれない。
そして俺たちはそのまま解散っていう感じになったんだ。女子たちはあれからしばらくの間何か色々と騒いでいたみたいだけれど、俺と翔は早々に眠ってしまったんだ。いや、すぐに寝たわけじゃないぞ?二人で適当に話はしていたんだ。布団に入りながらな。そうしたらいつの間にか眠ってしまっていた。
そういうことだ。
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不意に目が覚めた。
壁にかけられている時計が小さな音で秒針を刻んでいるみたいだけれど、その姿を見ることは出来ない。
ここは翔の部屋。翔はでかいベッドに寝ているみたいだ。俺は床に準備された布団で寝ていた。
「翔?寝てるのか?」
声をかけてはみたものの返事はない。
ただの屍のようだ。
ってそれじゃ困るけれどな。寝ているんだろう。
カーテンの閉められた窓はまだ暗い。つまりは夜中ってことなんだろう。
壁にかけられた時計を確認しようとしたけれど、やっぱり暗くて何も見えない。だからといっても寝ている翔を起こしかねないから部屋に明かりもつけられない。
「さて・・・トイレでも行くか。」
小さく独り言をつぶやき、布団から出るとほんの少しだけ涼しく感じる。冬のせいか寝起きのせいか。それはわからない。
とにかく、翔の部屋を出てトイレに向かうことにした。だって、漏らしたら大変だろう?静かにドアを開けて、翔を起こさないように気をつけながら。
翔の部屋を出た。
家に明かりはついてこそいなかったけれどうっすらと明るいような気がする。カーテンが開かれているのだろうか。ただ、家全体は静まり返っている。
もう女子たちも寝たのかもしれない。翔の部屋から見えるリビングを覗き込んでみると、誰かがソファに座っているのが見える。一人?話し声は聞こえなかったから一人だろう。そう思って一度目をこすってから再び目を凝らしてみてみる。確かに人がいる。どうやら茜みたいだ。何してるんだ?
「茜?」
小さな声で呼びかけてみる。もし、寝ているんじゃなければ聞こえるはずだ。電話をしているようにも見えないしな。
俺の声が聞こえたようで茜はこちらを振り返る。
「夕人くん?」
「うん。俺。」
「どうしたの?」
「ちょっとトイレに行きたくて。」
お互いに小さな声で話をする。そこまで声を潜めなくても誰も起きてきたりはしないだろうけれど。
「あはは、それじゃ行ってきた良いよ。私ももう少ししたら寝ようかなって思ってるし。」
茜は笑顔を浮かべているのだろう。暗くてはっきりとは見えないけれど、多分そうに違いない。
「うん、あ、良かったら少し話さないか?」
俺はそう言ってからトイレに行きたかったことを思い出させられた。
「ごめん、その前にトイレに・・・」
茜の返事も聞かずに早足でトイレに向かった。かっこ悪いな、俺。
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トイレに行ってからリビングに戻った。
あ、もちろんちゃんと手は洗ったからな。あと、俺はジャージ姿だ。学校指定のものではない。それにパジャマなんて洒落たものは持ってきていないからな。
「おかえり、夕人くん。」
リビングのソファでは茜が待っていてくれた。体育座りのような感じで座っている。窓にかけられたカーテンは開かれ、雪で覆われた庭が月明かりで照らされている。そのおかげか、茜の顔がきちんと見える。まぁ、青白く見えるのは月明かりのせいだろう。
「おかえりっていうのはなんだかなぁ・・・」
俺はそう言って笑いながら茜の座っている正面に腰を落ち着けた。
「そうだね。ちょっと違ったかな。」
茜も笑顔を浮かべて俺の顔を見ている。
茜の顔を見ていると安心できるような気がする。この美貌の持ち主に心を惹かれた時があったのも今は昔というところだ。うん、古文的な言い方だけれどそれはどうでもいい。
「みんなは?寝ちゃったの?」
俺の問いかけに茜は軽く頷いた。まぁ、小町は昔から寝るのは早かったしな。お子ちゃまだから。それにしても実花ちゃんまでおとなしく寝たのか。それはそれで意外な感じがするな。
「夕人くんはどうしたの?寝られないの?」
茜はいつものように笑みを湛えたまま俺の顔を見ている。そう言えば、茜はジャージじゃないな。夏のときみたいに短パンにTシャツって格好でもない。少し厚手のパジャマを着ているみたいだ。色は・・・ピンク色なのかな?
「うん、茜のことを考えていたら寝れなくなってきた。」
俺は冗談であることを悟られないように、あえて真顔で言ってみた。
「あらら。それはどういうことなの?」
茜は笑顔を全く崩さずに俺の戯言に付き合ってくれるみたいだ。
「そんなこと・・・言わなくてもわかってるだろう?」
そう言って茜の方に体を乗り出して、少し迫るようにしてみる。
「もう・・・夕人くん。そんなこと言っちゃうの?」
茜は相変わらずの笑顔だ。どうしてそんな笑顔でいられるのかはわからない。俺が冗談を言っているってわかっているからだとは思うけれど。
「言っちゃった。」
「私のこと、好きなの?」
「茜は?」
「質問に質問で答えるのはダメだよ。」
「そりゃそうだな。」
俺は茜の顔を見て笑みを浮かべ、体を元の位置に戻した。
「夕人くんもそんな冗談を言うんだね。」
茜がクスクスと笑ってそう言った。冗談ね、もちろんその通りなんだけれど、その一言で済むっていうのも面白い関係だよな、俺たちって。
「茜には何でも話せるっていう気がしているんだ。」
偽りない気持ちだった。そりゃ、翔にだって何でも話せるさ。でも、女の子相手だとそうもいかないわけで、そんな感じに思えるのが茜だってことだ。
「環菜ちゃんは?違うの?小町ちゃんとかは?」
茜が目を丸くしながら俺にそう尋ねてきた。驚いているというよりも、ちょっとだけ楽しそうな感じに見える。フフフと笑っている様子から勝手にそう思っていた。
「うーん、あの二人のことは・・・そうだな・・・はっきりいうと違うかなって思う。茜の裏表ない感じがそういう気持ちにさせるんだと思う。」
俺の言葉に茜は少しだけ身構えたようにして両手でぐっと足を抱え込んだ。決してやましいつもりで言ったわけじゃない。それはわかって欲しいのだけれど、どうかなぁ。
「ふーん、それって、どんな感じの気持ちなの?教えてよ。」
姿勢は変えず、目線だけ上目遣いで俺の顔を見ている茜。きちんと俺の考えを伝えたい。正直にそう思った。
「正直な気持ちさ。茜は親友だって思ってるから。」
「親友・・・ね。」
そう口にして茜は足を押さえつけていた腕を開放して足を伸ばした。
「うん。」
「そっかぁ。ズクとオトキにはなれないってことだね。」
ズクとオトキ。その名前は一年前に二人で演じた火の鳥の登場人物のもの。ズクは漁師でオトキは未来からやってきた女性。オトキの身につけていた羽衣がキッカケで二人は夫婦になり子供をもうけることになるけれど、最終的には離れ離れになってしまう二人だ。
「なれない。なりたいって思ったときもあったけれど・・・」
「わかってるよ。今のはね、改めて確認しただけ。私もね、きちんと整理がついているから。」
整理がついている?どういうことなのか、すぐには理解が追いつかなかった。
「ね、夕人くん。まずは私の話を聞いてくれるかな?」
そう言って畏まるような姿勢をとった。両手をきちんと膝の上に載せ、俺の目を真っ直ぐに見てきたんだ。
「うん、聞くよ。そして、俺の話も聞いて欲しい。」
俺は頷きながら、茜の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「・・・うん、あのね。私は夕人くんのことが好きだったよ。でも、それが少しずつ違うのかなって思うようになってたの。そう、特に今年の春以降かな。修学旅行の時にはわかっていたのかもしれない。」
茜の気持ちを聞くのは何回目なんだろう。すごく熱い告白をされたのはもう一年くらい前のことだ。
「夕人くんのお陰で、私は新しい世界に踏み出すことができたの。それまでの暗い生活から一転。すごく楽しい毎日になった。そんなキッカケを与えてくれた人のことを好きになってもおかしくはないかなぁって。今だったら思うんだ。だからね、私の気持ちは夕人くんへの憧れと感謝。きっとそういう気持ちだったんだと思うの。今もその気持ちは変わらないけれど、夕人くんと話したよね、東京で。そのときにこっぴどい振られ方をして、それで気がついた。」
「う・・・それを言われるとツライんだけれどさ。」
笑顔のままそんな話をする茜の顔を直視しているのがツライ。
「いいの、夕人くんも私のことを好きでいてくれた時期があったって言ったよね。ちょっとうまく行かなかったけれど。」
「うん。」
「それで良かったと思うの。私は芸能界に行くって決めていたし、夕人くんにとって、それはとんでもなく遠い世界のことで。そういうのもあったと思うの。だからね?こうやって今でもお友達・・・親友って言ってくれたことが一番嬉しい。私もね、男の子の中では夕人くんを一番信頼しているの。誰よりもずっとね。」
俺と茜の距離。それが今までとは違うもので、けれどそれが決して不快ではない。そういう距離感と関係に落ち着くんだって。漠然とそう考えていた。
「茜にはいろいろと・・・悪かったと思う。はっきりしない態度だったりして苦しませたこともあったと思う。」
俺は少しだけ目をそらした。だって、申し訳ないっていう気持ちが強くなってしまったから。
「本当だよー。もうちょっと早くにそう言ってくれたら楽になれたのにさー。」
笑顔を浮かべたままの茜だったけれど、その表情から素直に言葉を受け取って良いのかわからない。茜は笑顔で本心を隠そうとする時があるから。
「ごめん。でも、はっきりと言わせて欲しいんだ。茜のことを好きになれてよかった。君みたいな子と友達になれて良かった。出会えてよかった。そう思うんだ。」
「はぁ・・・なにそれ?重たい言葉・・・」
茜は急に天井を眺めるようにして、それから立ち上がって庭に出ることができる窓辺に歩いていった。
「・・・」
俺は茜の一連の行動をただ見つめていた。今は声をかけてはいけないような、そんな気がしたんだ。
「二年生の夏のときも、こうやってここで話をしたね。」
外の景色を眺めながら言った茜の表情をうかがい知ることはできない。それに、見てはいけないような思いもある。
「そうだね。それにしても不思議な感じだよ。ここは翔の家であって、俺たちの家ではないからね。」
俺の言葉に茜が軽く笑いだした。
「あはは、本当だね。面白いね。」
そう言って窓を全開にした。
「うわっ、どうしたのさ、茜。寒いじゃないか。」
「そう?なんか少し冷たい風に当たりたいなって思ったんだけれど、夕人くんは違った?」
確かに、そう言われてみたらそんな気もしないわけでもないけれど。
「うーん、ちょっとなら。夏と違って本当に冷たい風だからね。」
「あ、フワフワと雪が降ってきた。」
未だ月明かりが最も支配的な明るさである外の景色をバックに茜が振り返った。綺麗だ。俺は素直にそう思った。
「本当だ・・・北海道だと割と普通だけれど、ホワイトクリスマスだね。」
「あ、そうだねぇ。うん、本当に普通だね。」
俺の言葉に驚いたように言いながらも笑っている茜。そうして、手招きをした。
「こっちに来てよ。私の話はこれでおしまい。次は夕人くんの番だよ?」
少しだけ頬を膨らませているのだろうけれど、逆光のせいかはっきりとは見えない。
「そっか・・・雪を見ながら話すっていうのも良いのかな?大人だったら雪見酒っていうのもあるみたいだし。」
「お酒は飲めないけれど。ぶどうジュースが残っていたよね。ワイン飲んでいるみたいな感じに見えるかも。」
俺は立ち上がり、少しずつ茜に近づいていった。けれど、それは今までの俺たちとは少し違う距離感での話。本当の意味でちゃんと友だちになれたはずの俺たちの距離になるはずだった。
「なんか、茜には似合ってるかもね。ワインって。」
「大人っぽく見えるかな?」
「いつも、そう思っていたよ。茜のことは。」
少しだけ沈黙が流れる。深い意味で口にした言葉じゃない。それに偽らざる気持ちだ。
「そういうところは良くないかも。夕人くんのその話し方、女の子はみんなドキッとしちゃうんじゃないかな?わざとなの?それとも自然に話しているの?」
「自然に・・・だけれど?」
俺の言葉に茜はため息を漏らした。
「はぁ〜、むしろそっちのほうが心配。気をつけないとダメだよ?意中の女の子に逃げられちゃうかもよ?ナンパ師なんじゃないかって。」
ナンパ師?それは心外だ。そんな気持ちで話をしたことなんてただの一度もないぞ?
「それはないだろう?そんなこと、したことないぞ?」
「私はね?夕人くんのことをよくわかってるつもり。もちろん・・・彼女とかじゃないから全部は知らないけれど。それに三年間、夕人くんを見てきた環菜ちゃんよりも知らないかもだけれどね。」
環菜の名前がここで登場する意味はよくわからない。けれど、茜のことだからなにか意味があるのかもしれない、そう思った。
「環菜が?」
「うん、多分夕人くんのことをよくわかっている女の子の一人。でも、ちょっと誤解しているかな。私はそう思ってる。」
俺と茜は開け放たれた窓に並ぶようして二人で立ち、外の様子を眺めていた。
「よくわからないけれど・・・茜がそう思うのなら、そうなんだろうね。」
「うん、でもね。まずは夕人くんの話を聞かせて。きっとその話を聞いたら、私は全部わかるような、そんな気がするの。」
笑顔を浮かべて隣に立っている茜を見た。
いつの間にか俺のほうが背が高くなり、茜は俺を少し見上げるようにしている。昔は、同じくらいの身長だったんだけれどな。
「わかったよ。聞いてくれる?俺の話。」
「うん、時間はたくさんあるからね。」
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そうして、俺たちは冷蔵庫から取り出してきたぶどうジュースを一緒に飲みながら話をすることになった。
「うーん、やっぱり美味しいね。ぶどうジュース。」
茜は一気にコップの三分の一くらいを飲んで、ぷはぁと言いながら感想を口にした。
「おっさんみたいなこと言うなよ。」
「おっさんとか言わない。これでもまだ中学生なんだからね。」
これでもって、どのあたりのことを指してそう言っているんだかわからないけれどな。ま、たしかに中学生だ。俺もだけれど。
「中学生とは思えないボディラインだけれどな。」
「あー、それはまぁ。なんていうの?自慢の一つだから。うん、アメリカ人の血が入っていて良かったなって思えるところかな。」
そう言えばそんな話もあったな。今さら思い出したけれど。
「ん?その割に英語は苦手だよね?」
「はいはい。そうですねぇ。英語どころか勉強全般が苦手ですよ。」
茜はそう言ってペロっと舌を出した。
「ごめん、嫌味を言ったつもりはなかったんだ。でもさ、すっごく成績は伸びたじゃない。」
俺は素直に頭を下げて茜に謝り、そして上目遣いで顔を覗き込んだ。
「それは夕人くんのおかげ。勉強の楽しさを教えてくれたから。」
「そういうことにしておきましょうか。でも、茜の実力だと思うよ。」
確かに、一時期は俺が勉強を教えていたなんてこともあったけれど、それくらいのことで成績が伸びるっていうなら塾なんて要らないよな。茜にはそれなりの素質があったってことだろう。彼女の今の成績は中の上と言ったところ。それでも一年生の頃とは比べるべくもないほどに成績が伸びた。
「ん、そう言ってくれるのは嬉しいけれど。そろそろ本題のお話を聞きたいかな?」
窓越しに深々と降り始めてきた雪を眺めながら茜にそう切り出された。
「そうだね。うん、そうしようか。でも、そろそろ窓を閉めないか?結構寒くなってきだし。」
「あ、そうだね。うん、締めよっか。」
俺の提案を素直に受け入れて、茜は静かに窓を締めた。とは言っても暖かくはならない。火の消えた広間はかなり冷えていしまっている。
そして、俺はそう言葉にはしたものの何から切り出したら良いのか。いざとなるとうまく話をする自信がない。だって、いつかは話を聞いてもらいたいとは思っていたけれど、今日っていう気持ちはなかったわけだし。
茜が窓をしてめくれている間にいろいろと考えてみたけれど・・・
「なんの話なのかな?って、なんとなくは分かっているけれどね。」
むむ、そう言われると話は早いけれど、逆に逃げ道がなくなったような気もしないわけでもない。
「あー、うん。たぶん、茜が想像しているとおりだと思う。」
右手で軽く頭をかきながら、茜の顔を見た。二人で床に座りながら窓越しに外を見る。なんとなくロマンチックな雰囲気に思えるのは気のせいだろう。
「なるほどねぇ・・・そうなると・・・学校では話しにくいよね。わかるよ、その気持ち。私でもそういう話はあんまり学校ではしないもんねぇ。」
うーんと言いながら腕を組み、少し考え込むような素振りを見せた。
「そうなんだよ。学校では無理なんだ。それに、こんな話は茜にしかできないし。」
「あれ?どうして?実花ちゃんや翔くんには話せないようなこと?だったら私の思い違いだと思うんだけれど・・・」
「いやいや、話せないってことはないよ。あの二人には散々言われたっていうか、アドバイスと言うよりも忠告をされてるのさ、いつも。」
慌てて両手を振って茜の言葉を否定した。そして、誤解がないようにキチンの説明を付け加えておく事も忘れない。
「忠告って・・・そんなにまずいことは・・・あー、まぁね。いい加減、はっきりしなさいっ的なこと言われてる?」
茜の勘の良さには舌を巻く。まったくもってそのとおりだ。
「そう、言われた。」
「わかった。私にそのアドバイザーになれってことね?」
茜は笑顔を浮かべながら俺にそう尋ねてきた。アドバイザーっていう表現もすごいと思うけれど、平たく言えばそういうことになるのかもしれない。
「それで?夕人くんはどう考えているの?それを聞かないことにはなんにもアドバイスなんかできないよ。」
いちいち全くごもっとも。俺のことを何も話すことなくアドバイスしてもらえるなんて、そんな訳のわからないことはない。
「少しずつ整理しながら話したいんだ。聞いてくれるかな?」
俺の言葉に無言でうなずいてくれた。こんなに嬉しいことがあるだろうか。
「俺さ、つい最近までローザと付き合ってた。それはいいよね。」
「うん。もちろん。」
まずは現状の説明から。いや、これまでの状況の把握。自分の考えの確認。そういうところから入っていくべきだと思ったんだ。
「俺さ、ローザのことが好きだったと思う。でも・・・今になって考えるとその好きっていう感情がなにか違ったような気がするんだ。」
「何かが違う・・・どういうこと?」
少しだけ顔をしかめるようにして疑問をぶつけてくる。でも、それは俺にだってよくわからない。だから困っていたんだから。
「わからないんだ。好きっていう気持ちが。茜のことを好きだって思った気持ち、それはわかるような気がするんだけれど。」
「あらあら。ここで私を口説こうとする?それは良くないと思うよ?まぁ、どうしてもっていうなら考えてあげないこともないけれど・・・」
少しだけ距離を取るように後ずさりながら口にする言葉じゃないだろう・・・
「いや、ごめん。そうじゃない。いや、そうだな・・・あの時の好きっていう気持ちは、えっと・・・茜に対する、なんだけれど。今よりももっと好きって気持ちだった。」
「ふむ・・・それは今でも私のことが好きってことになりはしませんか?」
ニヤニヤと笑みを浮かべているのはどういうことなのか。俺には茜の考えがわからなかったけれど、まぁ、概ね茜のいうとおりだと思う。
「うん、好きだよ。茜のこと。でもさ、上手く言えないんだけれど、それは・・・うーん・・・」
「友達として。人として。そういう意味の『好き』なんだよね。」
茜が俺の顔を覗き込むように、そして、俺に確認するように言った。
「たぶん、そうなんだと思う。でも、実花ちゃんへの好きとはちょっと違うっていうか・・・」
「ほほう。つまり夕人くんの中では『好き』に順位付けがきちんとあるってことなんだね?それはなかなか興味深い話だねぇ。」
ふむふむと頷いているけれど、それって普通のコトなんじゃないのか?
「おかしいのかな、俺。」
「いやいや、そんなことはないでしょう。まぁ、順位っていうかそういう明確な数字で表せるようなものじゃないと思うんだけれどね。ほら、お父さんとお母さんのどっちが好きかっていうやつみたいな。でも、私にはお父さんがいないから、お母さん一択って言うオチにはなっちゃうけれど。」
フフフと笑ってはいるけれど、笑って良いことなのか?俺にはその判断がつけられない。
「笑い事ではないけれどさ。多分そんな感じだよ。」
「だったら簡単じゃない。私を基準にしたら?私より好きか嫌いかで考えたら良いじゃない。」
茜が基準?いろいろとハードルが高いな。スタイルのことじゃないのはわかっているけれど、茜より好きって・・・おや?なんだか訳がわからなくなってきた。
「じゃ、ひとりずつ聞いてくよ。ローザ先輩はどう?」
「・・・答えにくいなぁ・・・」
「それじゃ私も何も言えない。それに、あくまで現時点の気持ちで良いんだよ?」
今の、っていうことだよな。それなら、なんとなくわかる。
「茜のほうが好き。」
「うーん、好きって言われちゃうと、好きになっちゃうから。なんか・・・もう・・・。できたら違う言い方をしてほしいかな。」
そうハニカミながら言われると、俺のほうが恥ずかしくなってくるではないか。勘弁してくれないか。
「え・・・いや・・・なんかごめん。」
「いえいえ。じゃ、次ね。」
切り替えが早い。びっくりするほどの切り替えの速さだ。
「なっちゃんは?」
「え・・・なっちゃん?」
俺は思わぬ名前の登場に少しうろたえてしまった。
「あ、今のでわかったよ。なっちゃん・・・かわいそう・・・」
茜は軽く首を振りながらため息を漏らす。
「いやいや、俺は何も言っていないからなっ。」
そうさ、何も言ってないぞ。茜が勝手に何かを考えたんだ。
「何も言わないっていうのも一つの答えだからねぇ。うん、私ってなかなか評価高いんじゃない?夕人くんの中で。」
そんなことを口に出さなくてもいいじゃないか。それに・・・その通りなんだから。
「茜・・・好きになるぞ?」
「私は好きだよ。」
「待て。それは俺が期待した返事とは違うのだけれど?」
茜のリアクションにネタを振ったはずの俺が窮してしまった。どういうつもりだ・・・茜の奴め。
「うん、そう。好きなの。でもね?そうだなぁ・・・なんて言ったら良いのかな。一緒にいて楽しい人。信じることができる人。夕人くんって私にとってはそういう存在だよ。だからね、これからも友達でいて欲しい人っていう感じなのかな。そう。恋人にしたい人っていうのとは少し違うというか。」
茜の表情が微妙に曇ったことに俺は気が付かなかった。
言いたいことはわかる。わかるというよりも俺の茜に対する気持ちと同じだ。そうか、そういうことなのか。少し、わかってきたような気がするぞ。
「俺も、同じだよ。茜とはこれからもこうやって付き合っていきたいって思うんだ。」
「うんうん、いいよね。私からもお願いします。」
茜がそう言って頭を下げたから、俺もつられるようにして頭を下げた。
「えっと、じゃ、回り道はこのくらいにしようね。」
茜が頭を下げたままでそう言った。そして、顔を上げた時、少しだけ目元が光ってきたような気がした。
「回り道っていう気はしないけれど。俺にとっては自分の気持ちを知るすごく大切な話に思えていたから。」
「夕人くんはどうしてか、『好き』という感情が抜け落ちているみたいだよね。原因は何かな?何かがあったから、今みたいなことになっているんだと思う。それこそ、私が狭いところが苦手っていうのと同じようにね。」
笑顔で自分のトラウマを語れるくらいには、茜の閉所恐怖症は改善されてきたのかな。そう思うとおかしなタイミングではあるけれど、ホッとする自分がいた。
「茜・・・もう大丈夫になったの?」
「少しね。あのときよりはかなり平気になったよ。なんだったら、一緒に狭いところに入ってみる?」
「それは勘弁。茜は何をしだすかわからないからね。」
シャワー室での一件を思い出すと、いまなら悪いことではなかったように思うし、もっとちゃんと見ておけばよかったと思わないでもないわけでもなかったりしてしまう俺がいたりする。よし、落ち着け、俺。
「シャワーに入る?あの時の夕人くん、可愛かったよ?緊張してたし、なんか、ほら、おっきかったし。」
「うるさいな。『可愛い』っていう形容詞がどの言葉にかかっているのかわからないし、恥ずかしいんだよ。それに俺は見てないからな。」
「でも、感触は残ってるでしょ?私のおっぱいの。」
「・・・思い出させるな。」
思い出してしまうと、変な気持ちになっちゃうじゃないか。落ち着け、落ち着くんだ小夕人よ。
「あのときは抱かれてもいいくらいの気持ちでいたんだけれどなぁ。」
茜はあぁーあ、とか言いながら伸びをして床にひっくり返った。
「嘘をつくなよ。こっち見るなって騒いでいたくせに。」
そんな様子を横目で見ながら少しだけイジワルをしてみた。いや、俺は横になれないからな。生理現象ってやつだ。
「あれは・・・だって・・・」
「それはもう、おわりで・・・思い出しちゃうから。」
「んー・・・友達だからってしちゃいけないってことじゃないよね。」
相変わらず寝そべったままでそんな事を言う茜はどういうつもりなんだ?
「何をさ?」
「キスとか。エッチとか。」
「それはダメだろう。」
時折、茜が何を言っているのかわからなくなってくる。それにどこまでが本気なのかもわからない。
「外国では挨拶みたいなものだと思うよ?」
「キスだけだ。それだって、ホッペとかだ。」
実際に外国の文化に触れたことがあるわけじゃないからわからないけれど、映画とかではそんな感じだったと思う。
「ね、聞いても良い?」
「何をさ。」
「小町ともキスした?」
「は?」
茜は未だ寝っ転がったままだ。俺はそんな質問に驚いて茜の顔を覗き込むようにして声を上げた。
「ローザ先輩とは?」
「へ?」
「ふーむ・・・わかった。なっちゃんとのことはカウントしないでおいてあげる。」
どういうつもりなのか、何を言っているのかも理解できない。はっきり言ってくれたほうが俺にとっては嬉しいのだけれど。
「つまり、夕人くんは私と小町とキスしたわけだ。」
「なぜ・・・そう言い切れる?」
「目・・・かな。小町の話をしたときは泳いでた。ローザ先輩のときはただ大きく見開いた。」
そんな細かい表情まで読み取られているとはっ。これじゃ茜には何一つ隠し事なんてできないじゃーないか。
「・・・知らないなぁ。」
とぼけた。素でとぼけてみせた。これならいくらなんでも通用するんじゃないか。そう思ったのだけれど、やっぱり駄目だった。
「あのときかな?小町の家に行った時。私は途中で帰っちゃったからわからないけれど、戻ってきたあとに小町ちゃんと話していたら、なんとなく、進展したんじゃないかって感じしたもん。」
進展って・・・俺たちはそういう仲じゃないぞ。おかしな物言いはやめていただきたい。
「・・・ふーん。まぁ、進展云々はしらないけれど。いろいろと解決したからな。小町が元気になってくれてよかったよ。」
「そのことのせいだと思うよ、ローザ先輩が夕人くんから離れていったのは。」
「え?」
驚いた。茜が何を言い出したのか、鈍い俺でもすぐに理解できたから。
「アノことでローザ先輩の身の回りではいろいろなことが起こったでしょう?それは私の耳にも届くくらいだから。どれくらい大事だったのかすぐに分かるよ。それにね、夕人くんが小町ちゃんへ抱いていた感情。それがローザ先輩にはずっと引っかかっていたことだと思うの。」
ローザの身辺で起こったこと。それはお父さんが逮捕されてしまったこと。それに伴って、家を失い、学校からも追い出されかねない彼女は事態に陥ったんだ。
それはいい。
それはすぐにわかった。
けれど、小町への想い?ローザにはわかっていたって?
「茜、どういうことだよ。」
「あれ?わからないとでも思ったの?夕人くんは小町のことが好きでしょう?」
何も言えない。
いや、わかってる。
小町のことが好きだという気持ち。
それはわかってはいるんだ。でもなんだか、わからない。
言葉にできない思いがずっと胸に引っかかっている。そんな感じだった。
「・・・」
「あーあ。そうなんだよねぇ。やっぱりそうなんだよねぇ。わかってはいたつもりだったけれども・・・環菜が聞いたら悲しむだろうね。」
「・・・」
俺は小町のことが好きだ。
それは理解できている。
「さっきの話に戻っても良い?」
茜は起き上がるつもりがないのだろうか。さっきからずっと寝そべったままだ。
「いいけれど・・・さっきの話っていうのは?」
俺の言葉に珍しく即答しない茜。その代りなのだろうか、パジャマの上着の中でゴソゴソと腕を動かしているようだ。
「何してるの?」
「ん・・・」
たった一音しか発していないのに、茜のその声はどことなく艶のあるような声に聞こえた。
「どうした?」
俺のその言葉が言い終わらないうちに茜はパジャマの上着をパッと脱いだのだった。
「おい・・・何脱いで・・・」
「えへへー、びっくりした?ちゃんとシャツを着てました。」
確かにパジャマの上着を脱いだあとに裸の上半身が現れるだなんて嬉しい・・・もとい、そんなびっくり展開は起こらず、Tシャツのようなものを着ている茜の姿があった。
「なんだよ・・・」
「がっかりした?」
そう言って茜はやっと上半身を起こした。
「・・・少し。」
小さな声だった。そして、あまりに素直に答えた自分に少し腹がたった。
「仕方がないなぁ・・・夕人くんがどうしてもっていうなら・・・」
「言わない。」
「小町とは何回したの?」
「してない。」
「ウソはつかないの。私の目を見て。本当のことを言って。」
綺麗な茜の顔が俺を見ている。
大きなそのキレイな目に引き込まれる。薄明かりしかない今のこの場所では、いつもの茜とは違ってすごく大人っぽくて。あかりさんと似てるんだななんて事も考えてみたりして。とにかく、ドキドキした。
思わず、ゴクリとつばを飲み込んでしまう。
「・・・一回だ・・・むっ・・・」
唇を塞がれた。
手ではなく、茜の唇で。
そして、そのまま茜は俺の体に手を回し、そのままのしかかるようにしてきたから、俺は押し倒されるような形になってしまった。
茜は俺の腰のあたりに乗るような感じで、さらに両手が俺の顔の横にある。完全にマウントポジションを取られた形だ。
「茜、どういうつもりさ?」
動揺しながらも俺は身動き一つせずにそう問いかけた。
「寒いの。窓を開けてたからじゃなく。心も・・・そして体も寒いの。暖めてよ、夕人くん。」
ひどく色っぽい言葉にほんのりと赤く染まった頬。それを見た俺は信じられないくらいに胸がドキドキした。
「あのね?私は自分の気持ちには整理をつけたの。ちゃんとね。だから、これは夕人くんを試してるだけ。そう、試しているだけなの。」
茜は自分自身を納得させようとしているかのように最後の言葉に少しだけ力を込めて口にした。
彼女は同じ姿勢を崩さない。羽織っているシャツの胸元が少し開いている。思わず俺の目線がそこに向いてしまう。見えるはずの下着のラインが見えないような気がした。
「気になるの?」
そう言って左手で俺の右手を取り、そのまま自分の胸に持っていった。
「なっ・・・」
「何も着けてないよ。寝る前だったから。」
俺の手には今まで感じたことがないような柔らかい感触があった。
「なっちゃんとどっちが柔らかいかな?」
どうして笑顔でそんなことを言えるんだ?
「知るかよ・・・」
手に伝わってくる感触の中に少しだけ硬い何かを感じた。
「私の心臓の音、聞こえる?」
「・・・あぁ、聞こえるよ。」
実際には聞こえるはずがない。ただ、なんとなく、聞こえたような気がしたんだ。ドクッドクッて。おもいっきり脈打つような、それでいてすごく早い鼓動が。
「すごくね、ドキドキするよ。夕人くんのを感じるの。」
そう言って茜は軽く腰を俺にこすり付けるように動かした。茜の髪が雪明りで怪しく光る。
「茜・・・ダメだって。何を考えてるんだよ。」
「夕人くんは私を感じてくれてる?」
何を艶っぽいことをいうんだ。感じないわけがないだろう?今にも理性のすべてを失いそうだよ。
「私は・・・夕人くんのをすごく・・・感じてるよ。」
そう言って右手で俺の腰のあたりを弄るようにしてくる。
「やめてくれよ・・・これ以上は、ダメだって。」
俺は本気でそう言っていたのか?
本当にダメだって思っていたのなら、茜を跳ね飛ばすことくらいはできるんじゃないのか?
「夕人くん・・・友達のままでいいから。私とはずっと友達のままでいいから。」
そう言ってそのまま俺の上に倒れ込んできた。唇を重ねながら。
「茜・・・」
いくらなんでも・・・限界だった・・・
でも・・・そんなのは・・・ダメだよっ!
「夕人くん・・・」
吐息が直接口の中に注ぎ込まれるような感覚。
舌が柔らかい何かに優しく触れられている。壊れてしまいそうな程に気持ちがいい。
頭の中の全てがわからなくなってしまうような感情。
本当に・・・このまま進んでいいのか?
頭の中が真っ白になっていきながら目を閉じる。
『いいんじゃないか?』
心の中で誰かがそう言ったような気がした。
『本当にそれで良いのか?」
心の中で別の声も聞こえた。
そして・・・その瞬間。
眼の前に見えたのは優しく微笑んでいる明菜の顔。
俺は目をパッと開き、茜を俺の体から引き離す。
「ダメだよ。」
「どうして・・・」
茜の目は潤んでいる。それはどういう思いからなのかなんてことを考えるほどの余裕は今の俺にはない。
「だって、そうだろう?俺と茜は親友だって、そう話したばかりじゃないか。」
必死の思いで茜の上半身を持ち上げながら言葉にした。思った以上に茜の体は重たい。それは単なる体重とかの重さじゃない。彼女の思いや気持ち、それに・・・なんとなく強い意志みたいなものを感じるから。たぶんだけれど・・・彼女は俺の腕を押しのけてしまおうといているんじゃないか。そう感じるくらいに重たい。
「・・・親友でも、男と女なんだよ?」
「わかってるよ。でも、でも、違うよ。」
そう、違うんだ。こんなのは絶対に間違ってるんだ。
このまま進んだらお互いに後悔するようなことになる。
「違わないよ。だって、はっきりと夕人くんの男の部分を感じているもの。」
「それは・・・」
「そして私は女なの。心に整理を付けただなんて言ったけれど、やっぱり無理なの。こうやって夕人くんを見ちゃうと、触れ合っちゃうと、どうしても抑えきれない気持ちになっちゃうのよ。」
茜は夕人の両手首をグッと掴み、目をしっかりと見つめながら言った。
「でも、だからって・・・そういうのはダメなんだよ。ちゃんとお互いが本気じゃないと。」
「アレのことなら、無くてもいいの。私は平気。」
あれ?アレってなんだ?
よくわからないけれど会話が成り立ってないんじゃないか?
「茜・・・頼むよ・・・ダメなんだ・・・」
俺の言葉に茜が力なく項垂れる。
それが何を意味しているのかもよくわからない。とにかく、俺はギリギリのところで理性が勝利したのを感じた。
「抱いて。」
俯いたまま。
茜は俯いたままだ。
彼女の髪の毛が顔にかかっていて表情を読み取ることは出来ないけれども、言葉だけははっきりと聞こえる。
手首を握る茜の力が彼女の本気さを物語っているようだ。
「ダメなんだよ、茜。」
「私のことが嫌いじゃないならできるじゃないの。」
「嫌いじゃないさ。好きだから。」
茜のことは好きだ。今だって好きだ。でも、こういうことじゃない。
「だったら・・・私にも思い出をちょうだいよ・・・夕人くんの心にも私を残してよ・・・」
「もう・・・そういうのはやめようよ。俺は、茜のこと、忘れない。絶対に。だから、ごめん・・・」
俺は茜から目をそらした。これ以上は見ていられなかった。
「・・・」
茜は何も言わなかったが、ゆっくりと手から力が抜けていき、そしてダラリと腕を下げた。
そして、二人はしばし沈黙した。
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「動いても・・・いいかな。」
夕人の体感では5分以上経ったように思っていたが、実際は1分も経っていない。彼にとってそれほど緊張した時間だったということだった。
「・・・」
何も口にせずゆっくりと夕人から離れ、すぐ横に投げ捨てられたパジャマの上着を手に取る。
夕人もゆっくりと起き上がり、少しだけ茜から距離をとった。
互いに何も口にしない。
口にできないのかもしれない。
ノロノロと上着を羽織っていきながら茜が小さい声で尋ねた。
「どうして・・・」
その言葉の真意を夕人は掴めない。そして、どう答えたら良いのかもわからなかった。
「・・・どういう・・・意味?」
茜はジッと座ったまま動かない。
「・・・なんでもない。」
「・・・そ・・・か・・・」
再び二人の間に沈黙の時が流れる。
「・・・そろそろ寝よう。明日・・・起きられなくなるから。」
夕人が目をそらしながらも声を掛けると茜は無言で頷いた。そして、ゆっくりと立ち上がり、そのまま一度も振り向くことなくリビングから出ていった。
一人取り残された形になった夕人は呆然とした表情を浮かべて茜が出ていった扉を見つめていた。
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えー・・・
特にコメントはないです。
ごめんなさい。




