もしかすると人生で初めての大きな選択になるのかもしれない
更新に少し時間が空いてしまいました。
ライラックの舞台である北海道を襲った大地震に恐怖を覚えながらの更新です。
ここはお風呂上がりの女子会現場。
全員が思い思いの服装に着替えてジュース片手にお菓子をつまみながらの座談会といった感じ。既にお菓子の大半はお腹の中に収納されてしまっていることからもかなり話が盛り上がっていたようだった。
「うーん、それにしても実花が商業に進学っていうのは意外だったなぁ。」
環菜が目を丸くして実花の顔を見た。
環菜にとっては普通科への進学が一般的な進路だと考えていたからの表情だったのだろう。
高等学校の学科は普通教育を主とする学科と専門を主とする学科に大別されている。
専門には複数の学科が存在し、工業や商業、農業などの職業を専門教育を行う学科や、理数、英語や体育などの普通教科のうちのいくつかを専門的に学ぶ学科がある。
そのうちで実花が選択したのが商業ということだった。
「え?そう?だって、ほら。あたしは別にやりたいこととかってないし。それに、どうせ大学にも行く気がなかったから。だったら少しでも就職に有利な方が良いじゃない?」
なるほど、現実主義の実花らしい考え方だ。少なくとも茜はそう思っていたみたいだった。
実際のところ、先に上げた職業学科は各省庁の養成施設としての認可を受けているため、卒業時に各種免許が取得できたり、資格試験科目の一部免除などを受けられるところも多い。
まさしく、実花はこの利点を選択したということになるわけだった。
ちなみに、一般的に高専と略される高等専門学校と高等学校の専門科は異なるものではあるが、その詳細についてはここでは触れないでおく。
おそらくはここにいる誰もがその違いについてわかってはおらず、また、多くの進学を目指す中学生にとっての多くが普通科を選択する。しかし、こと学科数だけで言えば専門科の設置数の方が多いという事実もある。
「うんうん、そうだよね。私も大学まで行こうとか思っていないから、とりあえずは学校に通いながらでもお仕事のできる高校に行くもん。」
「まぁ、茜はね。ちょっと事情が特殊っていうかだから。そういう感じかもしれないけれど。本当に大学に行こうとか考えてないの?」
環菜はまだ納得できていないみたいだ。それにしても、確かに茜の事情は特殊だ。
高校には全日制と定時制、通信制の三種類がある。普通科の多くが修業年限三年の全日制であり、定時制は主に昼間に仕事に就き、終業後に学習したいというものを対象に設置された課程である。そのため、定時制=夜間というイメージがあるが実際はそればかりではない。
ただ、茜のように不規則な就業形態を取る職業の場合はどちらでの就学も困難である可能性があり、通信制を利用するという手もある。
通信制は基本的には自主学習を行い、課題レポートを提出することで学習を進めることになる。しかしながら、自学自習を基本とする学習のため、時間がとれず学習が進まない、他に優先順位があるとどうしても後回しにしてしまう、さらには常に教員に質問などができないので難しいという現実もある。
どちらにしても茜の場合は、芸能活動を認可され、出席に関しての規定が少ない単位制の高校などが適しているのかもしれない。例えば、芸能活動コースなどが設置された私立高校への進学が考えられるのだろう。
「うーん、今のところは、かな。あんまりお金も無いっぽいし。うちは。」
笑顔のまま実花がそう言ったのだった。
家庭事情が絡んでいるとなると話は変わってくる。環菜も実花の言葉を聞いて自分の内に言おうと思っていた言葉をしまいこんだ。
「あたしのことよりもさ。小町や環菜、それから明菜の進路のことが聞きたいなぁ。」
実花は話が暗くなりそうな予感でも感じたのか、妙に明るい表情と声で三人に問いかけた。
「私は・・・東高かな。今の成績だとそのあたりが限界かなぁ。ランクは足りているんだけれど、模試とかで点数が取れないから・・・」
環菜が肩をすくめながら少し渋い表情を浮かべて実花の質問に答えた。
「どうしよっかなぁって。環菜と違って私の方はランクの問題。ギリギリなんだよねぇ。どうしても一年生の時の成績が足を引っ張っちゃって。」
今度は小町の志望校についての話だ。
1990年代当時の成績評価法は相対評価と呼ばれるものであって、現在のような絶対評価法ではなかった。つまりは五段階評価だと5がもらえるのは全体の七%。学年の人数が二百人位だと十四人くらいしか5という評価を与えられない。逆に言えば評定が5の生徒が必ずいて、1を付けられるが生徒がいた。
こういった制度の中でのランク分けというシステムには賛否両論があったのだが、そのようなことにここで触れても何も意味がないのでやめておきたい。
「ランクかぁ。厄介な制度だよね。ちなみにあたしはすっごくしょぼいのでランクについては触れないでくれるかなぁ。」
実花もため息混じりに小町の言葉に同意を示し、そのまま質問を付け加えた。
「で、ちなみに、どことどこで悩んでるの?」
実花の問いに小町は少しだけ答えに悩んでいるように見えた。
もちろんその理由は本人意外の誰にもわからない。
「あ、別にいいたくないとかだったら言わなくてもいいけれど?」
実花は小町の表情から何かの感情を察したのか慌てたように手を振りながらそう言った。
「別に言いたくないとかそういうことじゃないよ。東か旭丘で悩んでたんだ。」
小町の悩みはこの当時の生徒にとってよくある悩みだった。
彼女たちは石狩第一学区という複数の高校を選択することができる学区に所属しているのだけれど、ランク順に南、旭丘、東という順になっていた。しかし、旭丘と東のランクは同等であり、実際に合格する生徒たちのランクもほぼ同じレベルだった。
だから、小町のようにどちらの学校を選択するかという難しい問題に直面することになる。
「ふーん、頭のいい人は良いわよねぇ。どこが良いかなんて選択肢があるだけ。あたしなんかほぼ一択よ?ま、商業科に行きたいあたしにとってはあんまり関係ないけれどね。」
実花が少しだけ嫌味とも取れる言葉を口にした。
「ごめん・・・そういうつもりじゃないんだけれど・・・担任の竹原先生には東にしたらどうかって。でも、個人的には旭丘に行きたいっていうか・・・」
小町が何を悩んでいるのかはここにいる彼女たちにとってとてもわかり易く、そして単純明快だった。
「あー、夕人くんのことかぁ。」
だから、実花があっさりと小町の内心を看破したようなことを口にしたのだけれど、環菜がその言葉にピクッと反応したのだった。
「夕人は、旭丘なの?」
環菜の言葉に実花が『失敗した』とでも言いたげな表情を浮かべた。
「えっと・・・翔から聞いたんだけれどね。二人は旭丘受けるんだって。南に行かないのはどうしてなんだか・・・ま、あたしには理解できない話ですよ。」
あの二人はそれぞれの思いがあって進学先を選んでいるのだろう。彼女たちも建設的な進学先を考えて欲しいものだけれど・・・選択は個人の自由だから何も言えないというのが現実だ。
実際のところ、小町の成績は模試の点数でもランクでも旭丘高校の合格ラインには到達している。ギリギリではあったが。一方で環菜の場合は自分自身でも自覚しているように模試の点数が合格ラインに到達していない。
旭丘と東の違いは募集人数の違い。360人と450人。この差が単純に最低合格ラインの差になってきている。
「そっか・・・夕人は旭丘なんだ。」
環菜はそう言って少し俯いた。夏にも夕人本人の口からそれらしい話を聞いてはいたけれど、決定的に進学先の高校が異なるとわかってしまった彼女の気持ちはどういった具合なのだろう。
「まぁ・・・それで高校を決めようとは思ってないけれど。来年から旭丘高校には体操部ができるかもっていう話があったしね。でも、確定とかじゃなくって。それに通うのだったらどっちも同じくらい面倒だし。」
旭丘高校は文字通り丘の上にある。藻岩山の麓。最も一般的な通学方法はバス。通うのにはなかなか面倒な立地だ。
対して東高校は白石区菊水と呼ばれる地域にあり、地下鉄や電車などの交通の便は良いものの彼女たちの家からは通いにくい。自転車で通えたのならば良かったのだろうが、諸事情から自転車通学は禁止されていた。
「ふーむ、体操っていうことを考えたらそもそも公立に拘る必要もないよね?それに・・・体操部は東高になら既にあったと思うけれど・・・」
茜が首を傾げながら小町に質問をブツケた。
「ま、まぁね、それはそうなんだけれど・・・うーん、なんていうか・・・体操は保険だから。もし、うまく行かなかったら?体操以外何もないってなったらどうやって生きていけば良いのかなって考えちゃったら・・・」
小町の言葉に全員が息を呑んだ。
高校はあくまでも通過点。その後の人生の方がよほど長い年月があるということを思い出させられたのだ。
「うん、それはちょっとわかるかも。小町ちゃんが心配していること。私もそうだよ。私はね、薬剤師になりたいんだ。だから、勉強を頑張れるところに行かないとって考えてるの。」
ここまで黙って話を聞いていた明菜が小町の顔を笑顔で見つめながら言った。
「薬剤師?」
「うん、薬を調合したりする人。」
小町の単語だけの疑問形に笑顔のまま答えた。
「へぇ・・・なんか、ちゃんとした目標があるんだね。」
小町も感心したように明菜に返した。
「ううん、そんなこと無いよ。みんなだってちゃんと考えてるじゃない。実花ちゃんは将来のために手に職をって考えてるし、小町ちゃんも体操だけじゃ何かあったときに不安だから。そして環菜ちゃんだって・・・音楽の学校に行くためには学力だって必要でしょう?」
明菜の言葉に環菜はドキッとしたような表情を浮かべる。
実は・・・環菜にとって進学の選択は苦肉の選択だった。本当なら夕人と同じ学校に行きたくて、そのために塾まで変えたのだったけれどその結果は・・・先に挙げた通りだったのだから。
「まぁ、そうよね。人生の選択の一つだから、夕人に振り回される訳にはいかないからね。」
小町は笑顔でそう答えてはいたけれども、夕人のことが高校の選択に影響を与えていないと言ったら嘘になる。
「みんな、素直じゃないよねぇ。あ、明菜は素直なのかな?」
茜が首を軽く横に振りながらみんなの顔を見た。特に環菜と小町の顔を。
「どういうことよ。」
小町が少しだけムッとしたのか、それとも本心を見抜かれてギョッとしたのか。とにかくいつものように茜に噛み付いた。
「え、だって、小町が悩んでいるのは夕人くんのことでしょう?体操のことで悩んでいるならどちらの高校でもいいと思うもの。それに通っているジムに行きやすいのは東高じゃない?」
茜の言葉は小町にとってとても痛いツッコミだった。つまりそれは明らかな図星。そういうことだった。
「べ、別にいいでしょう?夕人と同じ高校を選んだってっ。そりゃ、一緒の高校に行けたら良いなとは思うもん。」
逆ギレとも思える言葉だったのは誰の目からも明らかなように思えた。それは小町にとっての焦りがなせることだったのだけれど、それを悟られたくはないというプライドが彼女にはあった。
だが、現実を目の当たりにしている今、彼女にもそんな余裕はなかったのだった。
「良いと思うよ、私は。決めるのは小町だしね。ごめんね、別に責めてるとかそういうことじゃないの。」
茜はそんな小町の想いを察したのか、慌てた様子で小町を落ち着かせようとした。しかし、元来血の気が多いと言うかカッとしやすい性格の小町だ。茜のこの程度の言葉で落ち着きを取り戻せるわけがない。
「そりゃ、茜みたいに自分の道が決まってる人はいいよね。でもさ、私みたいに将来をどうしたらいいのかって悩んでる人間はさ、それなりに不安だったりするんだから。だから、一生懸命に勉強もしてるし、体操だって頑張ってるんだから。」
小町はその場で少し立ち上がるようにして大きな声を出し、茜に八つ当たりを始めた。この様子だってこのメンバーにしてみたら見慣れた景色とも言えるものだった。ただ一つ違ったのは、この場には明菜という新しいメンバーがいたことだけだった。
「小町ちゃんは夕人くんのことが好き?」
だからというわけではないのだろうけれど、明菜の天然っぷりが遺憾なく発揮されたというわけだった。
「え・・・あ・・・うん・・・」
ヒートアップ仕掛けていた小町は一気に冷水を浴びせられたかのように静かになったのだった。その様子を見て、環菜がふっと笑みを浮かべる。
「私は夕人と同じ高校にはいけないってわかってた。少しだけ期待はしていたけれど、これも自分のせいだからね。仕方がないかなって。それで、明菜はどこなの?聞いてみたいな。」
何に期待していたのか。自分の成績?夕人の選択?どちらなのかは彼女にしかわからないだろうが、彼女が明菜に向けた進路に対する質問はみんなの注目を集めたようだった。
「私は・・・竹原先生には東高にしたらいいって言われたよ。でも、出来たら・・・」
「旭丘?」
明菜の言葉を最後まで聞くことなくそう言ったのは茜だった。
「茜・・・最後まで聞いてからでもいいじゃないの・・・」
実花がため息を漏らしながらそう言ったのだけれど、これは茜にしては珍しいフライングだった。彼女は基本的に人の話をきちんと聞くタイプだったから。
「あ・・・そっか。」
「ううん、いいの。でも、そうだね。出来たら旭丘に行きたいかなって。だって・・・」
「だって?」
明菜の言葉に続けるように疑問を投げかけたのは少しだけ冷静さを取り戻した小町だった。
「セーラー服はもう着ちゃったから。」
笑顔を浮かべてそう言った明菜に全員が思わず吹き出してしまった。
「な・・・制服?」
環菜は呆れたようにして明菜の顔をまじまじと見つめたのだけれど、それは小町や茜も同じ気持ちだった。
「うん。そのもちろん制服だけじゃないけれど。あのね、私はあんまり勉強ができなかったからこの二年間すごく頑張ってきたんだよね。それで、やっとここまでの成績になれたから、そんなにどこかの学校を選ぼうとか、そういう気持ちはないかな。チャレンジしてみたいなっていう気持ちはあるけれど。だから、冬休みにある塾の模試の点数で決めようかなって。そう思ってるの。」
何を言われても笑顔を絶やさないところは茜と似た雰囲気を感じる。ただ、自分の中にあるブレない強さ。そう言ったものが誰よりも強いのではないか。それからチャレンジ精神。これは彼女にとってのこれからの人生で大きなプラスになるだろう。
「うん、正論。制服だって一つの選択肢だよねぇ。どうせ、高校のことなんて入ってみなきゃわかんないし。だったら自分が後悔しない選択肢を選べばいい。それに、模試の成績で決めるだなんて、誰にも文句は言えないよねぇ。願書の締切は来月の中旬くらいでしょう?それまでに決めたらいいと思うよ?あたしは、ね。」
実花が明菜の言葉に拍手をしながら同意したのだけれど、環菜と小町は完全にしてやられたというところだ。結局、二人には夕人ありきの選択肢だったわけで、そこに自分の意志があったのかと言えば・・・ということになるわけだから。
「あ、私なんかが偉そうなことは言えないと思うんだよね。でもね・・・どこの高校に行っても友達でいられると思うの。」
明菜の言葉はここにいる誰の言葉よりも重たい。ある意味で自分自身の言葉をきちんと実践してきた人間の言葉だからだ。その言葉にはさすがの小町も何も言えなかった。
「さすがは明菜ちゃんってとこかな・・・でも、ちょっとだけウソを言ってるよね。」
茜が少しだけ目を細めて明菜の顔を見つめた。
「うそ?」
明菜はそういわれて怒るわけでも、驚くわけでもなく。ただいつものように笑顔を浮かべていた。
「そう。模試で決めるって言っていたけれど、本当は決めてるんじゃない?旭丘に。」
それは茜にとっても確信があるものではなかった。けれど、なんとなくそう感じたのだった。
「・・・うん。できることなら、ね。」
「やっぱり。それじゃ、小町や環菜のことを非難なんて出来ないよね。」
いつ明菜が二人を非難したのだろう。茜にしては珍しく少しだけイライラしているようにも感じられる言葉だった。
「ごめんなさい・・・私、そんなこと言ったのかな?」
明菜が困ったような表情を浮かべて茜に問いかけた。
「さぁ。でも、どこだっていいじゃない。みんなはなんだかんだ言っても札幌にいるんでしょう?私は東京だよ?会いたいって思ってもみんなにも会えないんだから。もしかしたら、もう、一生会えないかもしれないんだよ?」
茜の不安はこういうことだった。彼女にとって中学校で得られた仲間は唯一心を許せる仲間であり、進学=仲間を失うという構図なのだ。
「そうだよね。不安だよね。その気持ちは私にもわかるよ。」
茜の言葉に明菜は優しい声でそう答えた。
「だって、私もおんなじ気持ちだったから。」
この言葉にも誰も何も言えなかった。それこそ、経験者は語るという言葉がぴったりな状況だった。
「明菜・・・大変だったんだよね、きっと。」
実花が明菜の労をねぎらうように軽く頭を撫でた。
「あはは、それなりにかな。最初のうちはすっごく辛かったよ。それこそ、毎日のように泣きたくなったけれど・・・でも、泣いてても何も変わらないし。だから、私は頑張ったの。」
今でこそ笑顔で語れる明菜の宇都宮での話だった。
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「ふむ・・・そういうものなんだよね。」
実花は腕を組んで何度も頷いていた。
明菜の話した内容は大まかに言えば、なかなか友だちができなかったこと。どうしても札幌の時の友達と比べちゃっていたこと。そしてそれが原因で新しい学校での友人関係が余計にこじれちゃったこと。そして、それは全て自分が間違っていたということ。自分にとって新しいその土地での風習や文化を認めていかなくちゃいけないこと。
最後に・・・それでも繋がっていたと思えた札幌にいる友だちたちに救われて、そして、転校先の友達にも救われたということだった。
彼女が経験した事柄の重たさがよく分かる話だった。もちろん、彼女以上につらい経験をしている人間もたくさんいることはみんなもわかってはいる。それでも、明菜の言葉は彼女の強さを認めるには十分すぎる話だった。
「ううん、偉そうに言えることなんてなにもないの。私だって、ずっといろいろなことを考えていたから。それこそ、みんなの話を聞いて羨ましいって思ったし。でもね、だからね、私は後悔しないように頑張ろうって思うの。もう・・・嫌だから。」
明菜のこの言葉を聞いてみんなはどう考えていたのだろう。誰も何も言わなかった。
実花はいつだって自分が後悔しないように行動してきた。即断即決とも言える。彼女はその思いで日々行動してきた。そして、その時の選択で間違ったなと思った時、すぐさまその間違いを修正できるように頑張ってきた。だから、明菜の話を聞いて素直にうなずくことができた。
小町は自分のコンプレックスを武器に変えることができた。自分ではどうしようもない身体的コンプレックスを武器にして体操を頑張っている。そして、持ち前の負けん気の強さでじわじわと実力を伸ばしてきた。結果として、彼女は強い心を手に入れることができた。けれど、一つだけ納得出来ない想いを抱えながら明菜の話を聞いていた。それは、もう少しで手に入りそうだった想いが遠くへ行ってしまったような。そんな苛立ちにも似た想いだった。
茜にも大きなトラウマがあった。過去の過ちから閉所恐怖症に陥るほどのトラウマ。対人関係への恐怖。そういったものも皆のお陰で乗り越えることができた。それに、他人の言葉に耳を傾けることができる彼女だったからこそ今の関係がある。それは、彼女の反省から生まれた性格ではあったけれど、既に彼女の一部になっていた。けれども、本当は一番脆い性格なのかもしれない。何かに依存したい。そういった依存心はこの子たちの中では最も強い子なのだ。だから、明菜の言葉を認めつつも、どこか不安定な気持ちになっていた。
環菜は未だにいろいろな問題を抱えている。それは家庭の問題であったり、自分の気持ちを素直に表すことができないことだ。それに打算的なところもある。でも、これは程度の差があれど誰もが持っている心だ。そして、彼女が最も整理しきれていない気持ちは、今となっては届かないかもしれない夕人への想いであり、それがわかっていても認められない彼女がなかなか前に進めないことになる弱さだった。だから、明菜の話を聞いて頷くことはできなかったけれども、理解はしていた。
四人がそれぞれの思いを胸に懐き、明菜の話を聞いていた。
「えっと・・・あのね?そんなに重く受け止めないでほしいの。私は以前に失敗しちゃったから、だからそんなことを繰り返したくなかったから。そういう思いがあったから頑張ってこれただけ。だから、そんなにすごいことをしたわけじゃないの。きっと、みんなにもそれぞれがいっぱいいろんな事を考えて、それでいっぱいいろなことをしてきたと思うの。だから、自分の気持ちに正直になるのが一番いいって。私はそう思うの。」
明菜はみんなの重苦しい表情を見て苦笑いを浮かべていた。
「たぶんだけれど・・・それが一番後悔しないと思うの。」
そう言って明菜はそこで目を伏せた。いささか語りすぎた。そう思ったのかもしれない。
「うんうん、あたしもそう思う。要はさ、思ったように行動したらいいってことだよね?」
実花は努めて明るい声を出した。
「いや、そうじゃなくってさ・・・自分の気持ちをしっかりと整理して、そして答えを出せって言ってるんじゃないの?」
環菜が実花の発言に訂正を求めるようなことを口にした。
「あれ?そういうことになるの?」
「うーん、どうなのかな?私にはよくわからないよ。」
実花が明菜に助けを求めたけれど、明菜にも簡単には答えられることではなかった。ただ、彼女は自分の経験から得た教訓を自分なりの言葉で語ったに過ぎないのだから。
「ねぇ、明菜。夕人くんのことは向こうにいる間、どう思っていたの?」
茜が誰もが聞きにくいことをズバッと聞いてきた。そして、明菜はほんの少しだけ困ったような表情を浮かべ、ゆっくりと話し始めた。
「私は・・・夕人くんには『ごめんなさい』っていう気持ちでいっぱいだった。もう近い内には二度と会えないって思っていたし。だから、忘れようって。そう思っていたの。」
彼女の告白。茜は真剣な面持ちを浮かべ話を聞いていたが、他の三人もそれは同様だった。
「うん・・・はっきりと言えば向こうでは彼氏がいたの。でも・・・何かが違った。それは私のせいだったのかもしれないけれどね。」
「明菜のせい?」
実花が首を軽く傾げながら問いかけた。
「そう。優しい人だったんだ。すごくね。いい人だったと思う。それに楽しかったよ。その人といたときはね。でもね、振られちゃった。」
その時の明菜の表情は笑顔だった。どこか悲しい何かを抱えたような。
「どうして?」
小町が素直な疑問を明菜に向け、明菜はそれに軽く首を縦に振ってから話を続けた。
「あのね。こう言われたの。『俺には無理だ』って。何のことかはじめは分からなかった。でも、いろいろ考えている内にわかったの。それは私がね、心の中で比べちゃってたから。夕人くんとその人のことを。だからそんな気持ちがその人にも伝わっちゃったんだって思う。その人にも申し訳ないことをしたって、今でも思ってるよ。」
明菜の告白を受けて、環菜が口を開いた。
「つまり、忘れられなかったってこと?」
その言葉に明菜は無言で頷いた。
「忘れようとはしたの。でも、忘れないならせめていい思い出だったって思うようにしようって。一年以上かけて出した結論。」
「でも、明菜は戻ってきた。」
茜がいつもより少しだけ冷たい口調でそう言った。
「うん。戻ってくることになるって知ったのは十一月くらい。突然だった。また転校することになるって驚きもあったけれど、札幌に戻れるっていう嬉しさもあったよ。」
「それは夕人に会えるっていう気持ち?」
小町があまりに無遠慮に明菜のデリケートな部分に質問をぶつけた。
「・・・無いって言ったらウソ。会いたかったから。ずっとね。そして、きちんと顔を見てお話をして、そして謝りたかったから。夕人くんにはそう・・・手紙にも書いていたから。」
明菜は素直に答えていた。それは本当に嘘偽りなく。まるで隠すことなどなにもないと言うかのように。
「そして、今でも好きなんだよね?」
実花の優しい問いかけに明菜はコクンと頷き、目には少しだけ光るものが見えていた。
「でも、そんなことで急に現れた明菜に・・・夕人を渡したくない。」
小町が宣言しても仕方のないことを口にした。
「そんな・・・でも・・・うん・・・」
明菜は小町の言葉に何も言えなくなり、俯いてしまった。
「小町。気持ちはわかるよ。」
実花が小町の肩をポンと軽く叩いた。そして真剣な表情で言葉を続けた。
「でもね、こんな事を言うと何様って思われるかもしれないけれど、敢えて言わせてね。あたしはね、夕人くんの親友である翔が彼氏だよね。だから、なんだかんだ言っても彼と近い距離にあったの。それは認めてくれる?」
実花の言葉に小町は渋々だけれど頷いていた。それをしっかり見届けた後で実花も軽く頷き、さらに自分の言葉を続けた。
「本当はあたしが言うようなことじゃないんだ。でも、このまま話していっても収拾がつかないだろうからね。だから、あくまであたしの予想っていうか感じたこととして聞いてね。」
自分を奮い立たせようとしたのか、一度大きく息を吸い、そして吐き出した。それは実花をよく知るみんなにとっては初めて見るような行動だった。
「夕人くんはね。明菜が転校したっていう事実を受け止められない時期があった。それは環菜もよく知っているとは思うけれど。」
環菜は突然名前を呼ばれ驚いたようだったけれど、実花に『ね?』と言われて『うん』と小さく答えた。
「それはね、夕人くんがあのときに明菜のことが大好きだったからだよ。ま、明菜も反省してるってことだからそれはいいんだけれど。でも事実だからね。」
明菜は俯いたまましっかりと頷いた。
「そしてね、翔との話で出てきたことなんだけれど。夕人くんには『好き』っていう感情がわからなくなっていた時期があるんじゃないかって。そういう話になったことがあったのね。もちろん、あたしが夕人くんから直接聞いた話じゃないから本当のことはわからないし、彼が茜のことを好きだって思った時期もあったと思う。まぁ、言うなれば茜のおかげなのかもしれないね。わからないけれど。」
実花の言葉に茜は何も反応しない。
「んでね?きっと環菜のことも好きだよ、夕人くんは。それはたぶん、ずっとそうなんじゃないかな。でも、環菜にはがっかりさせるような言い方で悪いけれど、それはたぶん友達として。」
環菜も何も言わなかった。ただ、じっと耐えるようにしてギュッと拳を握っていた。
「そして・・・」
ここまで話してから、実花はハァッとため息を漏らした。
「きっと、小町のことをずっと気にしてた。それは夏のあのときのことでよくわかったでしょう?」
その言葉に環菜はハッとしたように顔を上げ、小町は俯き、茜は無表情を装い、明菜は胸をギュッと押さえていた。
「だから、そういうことなの。そして、学校祭。あたしたちはみんなで協力して今までにないくらいにすごいことをやってのけた。あの時の夕人くんはきっと心が決まりかけてたと思うよ。勝手な予想だけれど、ローザ先輩とはある意味で終わりかけていたと思うから。それは夕人くん自身の問題もあってローザ先輩の問題もあったから。これに関してはあたしはあんまり話したくないけれどね。」
実花がここまで誰かのことに干渉したような物言いをしたことはなかった。だから、みんなが黙って聞いていた。
「そして、一週間前。明菜が帰ってきた。誰もが驚いたよね。もちろん、明菜にとっても驚きだっただろうけれど、みんなが受けた驚きもすごかったと思うよ。夕人くんはもちろんのこと、環菜や小町は特にね。」
明菜、環菜、そして小町の順に表情を伺い、最後にゆっくりと茜の顔を見た。茜はどこか他人事のようにしていて、そして一人考え事をしているように実花には見えた。けれども、実花はそのことには触れず、更に話を続けた。茜には茜の考えがあるだろうという彼女なりの思いがあったからだった。
「明菜を責めることは出来ないよね。だって、自分の意志で転校したわけじゃないし、戻ってきたわけでもないんだから。だから、もしそのことで明菜を責めるような人がいたら、あたしが代わりに怒ってあげる。」
実花の言葉に明菜が軽く唇を噛みながら頷いた。
「ね?そういうことよ。あとは夕人くんがどう考えているか。そういうことでしょう?あたしたちがとやかく言っても仕方がないの。あたしは夕人くんの味方とか、そういうことはないからね。むしろ、夕人くんのことを思いっきり責めたこともあるくらいなんだから。」
実花はフンと胸を張り、鼻息荒くそう言った。
「実花ちゃん・・・」
「明菜、あたしから言えるのはね。どんなに自分がその人のことを好きでも、受け入れてもらえるのかどうかっていうのは常に相手の判断だってこと。ま、そんなことはみんなわかってるよね。みんなモテモテだからね。何度か告白されて、その度に男子を振ってきたわけでしょう?みんな涙目だろうねぇ。何と言っても情報通のあたしには本当にいろいろな話が入ってきているんだから。『そんなことはしてない』って言葉は通用しません。」
そう言いながらいきなり立ち上がった実花を見て皆が驚いた。
「そういうことだからっ。これからは夕人くんのどこがダメなのかをみんなで話し合いましょう。そうだね、嫌いなところでもいい。彼を肴にして盛り上がっちゃいましょう。」
ワハハとおっさんのような笑い声をわざとらしく上げ、元気がないみんなの姿を見渡した。
「・・・そうだね。よし、その話、乗ったっ。」
いち早くそう言いながら立ち上がったのは小町だった。どこか吹っ切れたような笑みを浮かべている。
「もう・・・いいとこじゃなくて悪いところ?それならいっぱいあるよね。」
環菜も苦笑いを浮かべながら立ち上がった。
「面白いね。お付き合いしますよ。」
茜も軽く笑みを浮かべて立ち上がった。
「明菜は?難しい?」
実花は明菜に静かに声をかけた。
「私は昔の夕人くんしか知らないけれど、それでも良かったら。」
明菜は苦笑いを浮かべながらそう言った。
「そうこなくっちゃっ。これだけの女の子に囲まれていながらはっきりしないヘタレにいろいろ文句を言ってやろうっ。」
「ヘタレっていうのは言い過ぎ。」
実花の言葉に小町が苦笑いを浮かべ、そしてさらにこう言った。
「でも、そうかもね。」
こうして女子たちは夜中にもかかわらす、夕人の悪口で盛り上がっていくのだった。
何も知らない馬鹿な夕人は、翔と進路の話をしながら眠りについた頃だった。
そして、夕人の話で盛り上がりを見せていた女子の中で唯一ウソを付き続けていた子が一人。
茜だった。
自分の気持ちに整理をつけたはずの茜だったが・・・心に何か大きな穴が空いてしまったような、そんな虚無感に襲われていた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ほとんどの人が高校進学の際にどの高校に行こうかと悩んだはずです。
かく言う私もそうでした。
けれども、その決定の後押しをしてくれるのは意外にも友達だったりするんですよね。
そして、結果として、進学してからのほうが大切という、当たり前のことにはなかなか気がつけない。
そういうものでしたね。




