温泉ってなんだかいろいろな話ができるような気がする
タイトル通りです。
みなさんもそんな感じがしませんか?
その後はなんとなく雪合戦っていう気分ではなくなったみたいで、みんなで持ち寄ったご飯を食べながらレッツパーティって感じのノリになったんだ。
それぞれが持ち寄ったご飯は和洋中とバラエティに富んでいてそれはそれは楽しい食事だった。みんなで明菜が引っ越してしまってからの話をいろいろとして、それこそ修学旅行とか、ついこの間の学校祭の話とか。そんなことで盛り上がり、そして、明菜が引っ越してからのこと、向こうの学校での出来事を聞いたりしたんだ。
まるで、ずっと昔からの友だちが集まって思い出話に花を咲かしているような、そんな雰囲気だったように思う。
「いいなぁ、私もその輪の中にいたかったよ。」
明菜の何気ない一言に茜がすかさず答えた。
「何を言ってるのやら。今ここにいるじゃない。それに・・・ね。まだ時間はあるわよっ。」
「そうね。まだまだ楽しむ時間はいっぱいあるよ。」
小町も何かを頬張りながら大きく頷いている。なんだかなぁ、色気より食い気っていう感じだよな。思わず笑みが溢れる。
「うん、ありがとう。」
本当に嬉しそうな笑顔でお礼を口にした明菜の顔が印象的だった。
「さて、こうやって話しててもいいけれどさ。温泉の準備はできているから、場所を移して話をしようか?」
翔がなんとなくいやらしい笑みを浮かべてそう言った。だからだろう、実花ちゃんが間髪入れずにこう言ったんだ。
「なーんとなく、翔を温泉に入れるのは危険なような気がする。」
「何を言うかっ。俺だけじゃなく夕人も危険だ。」
「それはこっちのセリフだっ。俺もっていうのはどういうことだ?」
思わず立ち上がってそう言った。もちろん笑みを浮かべたままだ。
「私は別に見られてもいいけど?」
茜が恐ろしい一言を口にしてカオスを巻き起こそうとする。
「まぁ、私もいいけれどさ。チラッとくらいなら。」
小町まで同意するな。お前の役目は茜の暴走を止める役だろうが。
「んー、でも翔くんに見られるのは実花だけでいいのよねぇ。」
「その通りっ。ってことは、あたしと翔は一緒にお風呂に入る?」
そう言って隣りに座っている翔に抱きつこうとしている。
「いやいや、そんなことは言わないでみんなで温泉に入ろうよ・・・ね?大丈夫、翔くんも夕人くんも覗いたりしないもんね?」
まるで良心の塊のような明菜の言葉と優しい目。眩しくて直視できないぜっ。それに、恐ろしいことに約束ができないぜっ。
「も、もちろん・・・」
歯切れの悪い返事だ。我ながらそう思う。まったくもってひどいもんだ。だって、見たいっていう気持ちがないわけじゃないからな。けれども、そこは自制心と言うか、そういう物が必要だろう。
「ほら?ね?うん。じゃ、みんなで入ろう?」
無邪気な感じでそう言った明菜が、一番いろいろなことを考えているんじゃないだろうか。そう思わずにはいられなかった。
「ではでは、杉田家自慢の温泉をお楽しみください。」
「え?あたしも?」
この期に及んで実花ちゃんはまだそのネタを引っ張るか。
「えーっと、でも一つだけ聞いてもいい?」
環菜が実花ちゃんの言葉を聞き流すようにしてそう言った。
「なんだろうか?」
翔は今にも服を脱ぎだしそうな勢いでいたところを止められて、悔しそうにしながら環菜の言葉を待った。
「あの、そのお風呂って広いの?私達五人もいるのよ?洗い場とか、ほら、湯船の大きさとか。」
たしかにそうだ。なんとなく翔に言われたときには勝手に広い風呂場を想像したけれど、どのくらいの広さがあるのだろう。
「あぁ・・・そうだなぁ。」
翔が考え込むようにして腕を組んでいる。
「ま、俺の説明を聞くより実際に見てみてくれよ。多分大丈夫だと思うからさ。」
翔の言葉にみんなが首をひねった。そう、どうして答えてくれないのだろうと思ったのだ。
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「うーん、おまえんちって本当にすごいよな。」
湯船・・・いや、温泉に浸かりながら翔にそう言った。
「お客さんが来たときに開放したりとか考えているみたいだな、うちの親父は。」
翔の言葉を聞きながら浴室という名の大浴場を見回した。
さて・・・ここがどんな感じになっているのか説明していこうか。
いやさ、もう、何がなんだか。これが一般人の家なのかっていう感じだよ。
更衣室というか脱衣場は庭から直接入っていく仕組みになっている。そして、その脱衣場まではしっかりと雪対策がなされていて完全にシェルターのようだ。不思議なことに寒さも感じなかった。そして、その脱衣場は少しだけ高さのある場所に作られている。そこから地下に入っていくような作りになっていて、そこが大浴場になっている。
大浴場の天井の一部ははめ殺しの窓が作られていて、マジックミラーのようになっている。つまり、内側から外を見ることはできるけれど外からは見えないという仕組みだ。
広さはどうやって説明したらいいのかな。洗い場が六個あって少し大きめな浴槽があるという感じ。あぁ、十人くらいは入れそうな広さだ。と、これが広い方の大浴場。もう一つの方は今の話の半分くらいの広さになっている。いや、どちらにしてもすごく広いのだけれどさ。
そんな感じで広い方は女子たちが使うことになってもう一つの方は俺と翔の二人が使っているってわけだ。
「どうだー?なかなかいい感じだろ?」
翔が壁越しに女子たちに話しかける。いいのか?そんな恐ろしい行為を行っても。
「すごいよー、本当に温泉にいるみたいっ。」
実花ちゃんの声が返ってきた。他の女の子の声も聞こえては来るけれど、何を話しているのかまではわからない。
「そうだろう。なんだか気持ちいいよなぁ。」
「だねぇー。」
こんな会話を聞いていると女の子たちと一緒にお風呂に入っているような気がしてきてしまうから不思議だ。姿が見えないのが少し残念だとしか言いようがない。
「夕人もいるの?」
環菜の声が聞こえてきた。
「あぁ、いるよ。」
「うわぁ、なんか不思議な気持ち。」
それはそうだろう。普通は温泉に入りながら会話をすることはないんだからな。
「そしてだな、俺から一つ提案がある。」
翔が急に湯船から立ち上がり大声で話し始めた。
「なによ。」
声を返してきたのは小町のようだ。姿が見えないから断言はできないけれど・・・いや、間違いないな。
「俺は長湯ができない。すぐのぼせるんだよ。だから夕人と先にあがってるけれどみんなはゆっくりしてきて欲しいんだ。女の子同士での積もる話とか、そういうのをしてくれよ。」
「あ?そうなのか?」
翔の言葉を聞いて、確かに銭湯でも長湯をしていなかった翔の姿を思い出した。
「そうなんだ。親には俺の入浴はカラスの行水とか言われるくらいだ。」
「へぇ〜、別にそれには興味ないけれど。でも、その言葉には甘えさせてもらおっかな。茜と明菜がのんびり髪を洗っているところだから時間かかりそうだし。」
むぅ・・・壁一枚隔てたところに同級生の女子たちがいる。しかも裸。なんだろう、恐ろしいほどの背徳感。
「了解だ。好きなだけゆっくりしてくれ。」
やれやれ。実際のところ、俺もそんなに長湯をするほうじゃないからな。もう上がっても構わないんだけれどさ。
「それにしても、本当に温泉のお湯みたいだな、これ。」
それが俺の正直な感想だった。ここのお湯はどのくらいの量があるんだろう。普通の浴槽と比べたらゆうに十倍はありそうだな、なんて考えながら翔の顔を見たのだった。
「うむ・・・俺はそろそろ上がるよ。なんかちょっと辛くなってきた。」
「早いな。わかった。俺も上がるよ。」
もう満足したしな。俺たちがいなくなったら女子たちもいろいろと話しやすいだろうし。
「じゃ、そういうことで俺たちは上がるなー。」
俺は誰に言うわけでもなく、そう大きな声を上げたのだった。
「はーい。」
言葉を返してくれたのは環菜だった。
隣の浴室の扉が閉まるガラガラという音が響き渡ったのを合図にするかのように誰かのため息が漏れた。
「はぁ・・・」
「ちょっとぉ〜、誰よ?ため息なんか漏らしたのは〜。」
湯船にゆったりと浸かっていた実花が間延びした声で尋ねた。
「あ、ごめん。私。」
髪を洗い終わった茜が右手を上げながらそう答えた。
「なんでため息なんか?」
「だって・・・思ったよりも恥ずかしいじゃない?」
実花の問いにモジモジしながら答えたのがみんなにとって意外だったようだ。
「え?別に見えないんだから大丈夫でしょう。」
小町が湯船の縁に腰を下ろしながら理解できないと言った表情を浮かべている。
「見えないけれど・・・なんか、ね?」
「うん、わかるよ。私も、ちょっと恥ずかしいかも。」
茜の言葉に明菜が同意した。
「うーん、わからないでもないけれど。」
環菜は湯船から立ち上がり、壁向こうの浴室を眺めるようにして目線を上に向けた。もちろん、そんなことで見えるわけもないのだけれど。
「茜って、意外と恥ずかしがり屋さん?」
そして、そのままの状態で尋ねた。
「いやぁ、普段はそうでもないんだけれどね。なーんか今日はそんな感じがしたかな。」
そう言いながら笑みを浮かべてみんなの表情を伺うようにした。
「まぁまぁ、でもさ、もう杉田も夕人も上がっちゃったみたいだから。少しゆっくり話でもしない?」
「いいねぇ、賛成よ、小町。」
実花ちゃんはそう言って手を叩きながら立ち上がり、小町と同じように湯船の縁に腰を下ろした。
「話って?」
明菜がキョトンとした表情を浮かべ、小町に目線を向けた。
ああ、いい忘れていたけれど、ここは浴室内だから湯気のせいではっきりと姿が見えないということを付け加えておく。
「そんなのは・・・きまってるじゃないかー。」
小町は縁から腰を上げ、髪を洗い終わったばかりに明菜にビシッと右手の人差し指を向けたのだった。
「え?え?何かな?」
突然のフリに戸惑ったのか明菜は腰を下ろしていた洗い場の椅子から滑り落ちてしまった。
「あ、いてて・・・」
「もしかして、明菜って・・・天然?」
実花は笑いながらそう尋ねたが、すぐ近くにいた茜は驚きながら明菜に手を差し伸べていた。
「大丈夫?」
「あ、うん。ありがとう。なんかちょっとびっくりしちゃって。えっと、天然?かなぁ?自分ではよくわからないけれど。」
茜に礼を伝えたあとにアハハと笑いながら実花ちゃんにそう答えた。
「天然でも何でもいいよ。それより、聞きたいことがあるんだけれど、いいかな?」
小町は先を急ぎたいのか、回り道を嫌うようにして話を進めようとする。そんな様子を横目で見ながら、環菜はふぅっと軽く息を吐き、湯船に半身だけ浸かった。
「え?あ、うん。ごめん。いいよ?何を聞きたいの?」
明菜はニッコリと笑みを浮かべて小町の顔を真っ直ぐに見た。
「そんなの決まってるじゃない。二年前の話よ。私はクラスが違ったから直接見たりしてないのよね。その現場を。噂だけは聞いていたけれども。」
腕を組みながら少しだけ高圧的に話し始めた。どうしてそんなに強気に話を振っているのかはわからないが、その言葉を聞いた環菜と実花は『やれやれ』とでも言いたげな表情を浮かべて顔を見合わせている。茜は小町と実花の二人の顔を見比べるようにしていたが、特に何も言わなかった。
「えっと・・・二年前?」
「そう。夕人が明菜に告白した時の話。それを聞きたい。」
小町の言葉に明菜はほんの少しだけ動揺を見せた。それは夕人との二人の秘密と言うにはあまりに有名すぎる出来事として認識されていたのだ。
「あ・・・その・・・」
「話したくない?」
茜が明菜に優しく声を掛ける。過去の心の傷を無理にさらけ出す必要はないよ、という心づかいからだろう。
「うん・・・話してもいいけれど、夕人くんから聞いてたりしないの?」
明菜はほんの少し目を伏せ、それから上目遣いで小町の表情を伺った。できることならあまり触れてほしくないとでも言いたげな感じで。
「聞いてない。ま、環菜と実花はその場を見ているだろうからいいけれど、私と茜は全然知らないからねぇ。噂では聞いたよ。教室で夕人が告白して、玉砕して、明菜が教室から走り去ったって。」
小町は明菜に何を求めていたのだろうか。今更こんな過去の話を聞いたところで、今が変わるわけではないのにもかかわらず。
「うん・・・だいたいそんな感じだった・・・かな?」
明菜が引きつった笑みを浮かべる。この出来事は彼女にとっても一生忘れられないであろう苦い思い出だから。忘れているはずはないのだ。
「まぁー、そんな感じだったよねぇ。確かに。」
実花は伸びをしながらそう相づちを打ったのだった。さして興味が無いかのように。
「私はさ、その時のことを知らないからいろいろと考えちゃったりするんだけれど、どうしてそんな事になっちゃったの?」
小町は尚も明菜に質問を浴びせていくようだった。
「それは・・・いろいろあったんだよ・・・」
明菜の返事はどうにも歯切れが悪い。それはこれ以上話をしたくないのか、それともどう話したら良いのか考えているのか。
「小町?いろいろ聞きたい気持ちはわかるけれど・・・まぁ、私も聞いてはみたいけれど。」
そう言って茜はチラリと明菜に目線を向け、それから小町の方に歩み寄っていった。そして、それと入れ違うかのように環菜が湯船から上がり、明菜の隣に座った。
「あ、環菜・・・ちゃん・・・」
明らかに動揺した素振りを見せる明菜に対して、どこか余裕がある感じに見える環菜だった。
「私は、あの時のあなたの言葉を覚えているわ。」
明菜以外の耳には届かないようにかなり小さな声で呟いた。ここは浴室内、そうでもしなければ声が響いてしまうからだ。
「あの・・・とき?」
「そう。あの時。」
環菜が口にしたのは、まさしく小町が聞きたがったあの日のことに関わることだった。
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二年前。九月中旬の放課後。
屋上へ続く階段付近に二人の女子が立っていた。
「どうしてこんなところに呼び出したの?」
玉置さんが怪訝そうな表情でそう口にしたのは無理も無いことよね。私だって、こんな感じで話がしたいって言われたら・・・変な感じがするもん。でも、こんなことを言えるのは玉置さんしかいないから・・・
「ごめん・・・なさい・・・」
「そんなに謝られたって困るけれど・・・」
そう言いながら私の顔を横目でチラチラと見ながら周りの様子をうかがうようにしているのは、私が何を話そうとしているのかわかっているから?ううん、それは考えすぎ?
「ねぇ、東山さん。なんの話なの?」
玉置さんの声が私を責めている。呼び出した理由すら言わずにただ俯いてしまっている私を。きちんと言わないといけないのはわかってるよ。でも、なんて言えば良いんだろう・・・ちゃんと考えたはずなのに、いざとなったら言葉が出てこないの。
「えっと・・・竹中くんの・・・」
私がそこまで口にした瞬間、玉置さんは大きくため息を漏らした。私はハッとしてすぐに玉置さんの顔を見た。彼女のキレイな顔がとても冷たく見えた。でも、それはきっと私に後ろめたいことがあるから。
「・・・月曜日のこと?」
そう、四日前の月曜日の放課後のこと。今日はその話をしようと思ったの。本当はきちんと竹中くんともお話をしたかったんだけれど・・・ダメ、全然お話ができなくて・・・
友ちゃんにも杉田くんにも頼んでみたんだけれど、二人共ただ首を横に振るだけだった。だから、こんな事を言うのもどうかと思うけれど・・・もう、玉置さんにお願いするしかないって、そう思ったんだけど・・・
「・・・うん・・・」
「それを私に話してどうするの?ほら、私も・・・その場にいたから、だいたいのことは知ってるし・・・」
そうだった。玉置さんもあの場にいたんだった。でも、あの日は逃げるようにしてその場から帰っちゃったから、誰がいたのかとかあんまり覚えてないかも。
「えっと・・・」
「東山さんが話しにくいって言うなら私から聞きたいことがあるんだけど。」
玉置さんが私に聞きたいこと?どんなこと?
ってちょっとだけ思ったけれども・・・やっぱり、竹中くんのことだよね・・・今の話の流れから言えば・・・そんなこと、わかってたけれど・・・
「・・・えっと?」
どうしても玉置さんとお話するのは緊張しちゃう。だって、すごく綺麗な人だし、それに、やっぱり・・・
「はっきり聞くね。」
玉置さんは私に一歩近づいてくるようにして、そして、私の目をじっと見てくる。まるで、嘘は許さないっていうかのような、そんな感じ。
「わかった・・・答えられることなら。」
いつの間にか立場が逆転してる。話したいことがあるって声をかけたのは私だったはずなのに。いつの間にか私のほうが話を聞かれる立場になっちゃってる。
玉置さんがグッと一度唇を噛むような仕草をして、それからこう聞いてきた。
「竹中くんのこと嫌いなの?」
そんなわけないじゃない。なんで?私は竹中くんのことが好き。大好きだから・・・だから、頑張ってあんな決心をしたのに。どうしてそんなこと聞くの?
そう思いながら玉置さんの目をキッと見つめた。
「・・・あ・・・」
でも、私の口から出たのはその言葉だけ。玉置さんのあまりにも強い目線に、私は思わず言葉を失ってしまった。
「答えられない?」
まさか、そんなことないよ。でも・・・でもっ。来週には、あと数日しか札幌にはいられない私がそんな事を口にしてどうするの?来月はもう、ここにはいないのにっ。
「・・・」
私は軽く下唇を噛むようにして玉置さんの言葉をジッと聞いていた。
「どうして?どうして何も言わないの?」
必死に問いかけてくる玉置さんのその姿に、私ははっきりとわかった。いや、違うかも。はじめから分かっていたの、玉置さんの気持ちは。
「ごめんなさい・・・」
「ごめんなさいって、全然意味がわからないよ。どういうこと?」
玉置さんの声が大きくなる。一言一言が私の胸に突き刺さる。ごめんなさい。こんなことになるなら・・・私はもっと早くに竹中くんに・・・
「ねぇ、正直に答えて。どうして断ったの?誰がどう見たって両想いだったでしょう?断る理由なんてないじゃない。」
両思い。改めてそう言われると恥ずかしい気持ちもあるけれど、でも、確かに言われる通りだった。でも、私には竹中くんのその気持ちに応えることができない。理由は伝えられなくて、だからこそ、竹中くんに避けられちゃうなんて、そんな悲しいことにもなっているけれど。でも、それでも・・・私には・・・
「・・・」
唇を必死に噛みしめるようにして涙が出てくるのをこらえようとした。でも、それが玉置さんには余計な誤解を与えちゃったのかもしれない。
「答えられないの?」
厳しい言葉がどんどん私に浴びせられる。でも、これは仕方のないこと。私が玉置さんから受けなければいけないバツなんだと思うから。
「あなたになら・・・ううん、あなたにだけは、ちゃんと言うよ。」
そう。だから玉置さんだけには全てを伝えなければいけない。そうはっきりと思った。もちろん、杉田くんには全部話した。でも、それはあくまで転校するっていうことだけ。友ちゃんは親友だもん。もちろん、私の考えていることは全部わかってもらえてると思っているし。ちゃんと話したもん。でも、玉置さんは・・・別の意味で全てを話さなくちゃいけない人。そう思うの。
「私にだけ?どういうこと?」
私の発した唐突な言葉に玉置さんが身構えたような声を上げる。当然だよね。いきなりこんなことを言われたら、誰でもそうなっちゃうよ。
心を決めて、そして大きく息を吸った。
「私ね、もうすぐ転校しちゃうの。」
これは事実、ただの事実。もう、認めるしかなくって、諦めるしかない。そういう事実。でも、伝えなくちゃいけない言葉はこれだけじゃない。
「だから・・・竹中くんを・・・よろしくね。」
すごくツライ。こんな事は言いたくなかった。できることなら竹中くんのあの日の言葉にきちんと返事をして、そして、ちゃんとお付き合いをしたかったよっ。でも、無理なの。わかってるよ?でも・・・やっぱりツライよ・・・
「そんなのって・・・ズルイよ。」
玉置さんがボソッとそう言った。どういう意味でその言葉を言われたのかはわからない。ズルいって言われちゃった・・・でも、そうなのかもしれない。
竹中くんに何も伝えず、逃げるようにしてここからいなくなる私。玉置さんの立場から私を表現すると、そういう人間になっちゃうのかもしれない。言いたいことはたくさんある。たくさんあるけれど、そんなこと、今さらだよ・・・
「ごめんなさい。」
いっぱいいっぱい考えた末に出てきた言葉はこれだけ。ごめんなさい、玉置さん。ごめんなさい、竹中くん。私は・・・ズルい・・・
「・・・勝ち逃げなんて・・・許さないんだから。」
その言葉を最後に玉置さんは私の前から走り去っていった。
もっと話さなくちゃいけないことがたくさんあったのに、何も言えなかった私を許して下さい。いつか・・・二人とまた会えたなら・・・その時にはきちんと話すから・・・
「・・・う・・・うぅぅぅ・・・」
私はその場に崩れ落ち、そして両手で顔を覆って泣き崩れた。
どう考えても正しくない選択肢を選んでしまった自分に後悔し、そして、その結果苦しめることになってしまった二人のことを考えて・・・彼女は一人、そこで泣いていた。
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忘れていたわけではなかった。明菜にとって忘れることなど決してできないあの日に関わる出来事の一つだからだ。
それでも、一度だけとぼけるような仕草をしてみせたのは環菜以外の人がこの場にいたからに他ならない。
「そう。あの日のことよ。」
環菜だってそれがわからないほど性格が悪い女の子ではない。なんとなく察していたからこそ、小さな声で明菜に話しかけたのだ。
「私も、忘れないよ。『勝ち逃げは許さない。』って言われたときのこと。」
目を伏せながら言ったのは明菜にとっての後悔の念の現れだったのかもしれない。環菜はその言葉を聞き、少しだけ口元に笑みを浮かべた。それは勝ち誇ったようなものでもなく、どことなく自嘲しているようにも見えたのは気のせいだったのだろうか。
「忘れて・・・ごめん。」
そう言って、明菜から離れていき、鏡が備え付けられている洗い場に歩いていった。それは、小町が聞きたがっている話に対して、『私は何も関与しないから。』という態度だった。
「ちょっとー、なにかふたりだけで話しちゃってない?」
小町が湯船の縁から立ち上がり、環菜と明菜の不思議な行動に対してそう言った。
「うーん、なんとなくだけれど、環菜ちゃんと明菜ちゃんは何かがあるのかなぁ?」
茜は笑顔を浮かべたまま明菜にそう問いかけた。
「ま、そりゃあるでしょうね。そうは言っても二人の間に何があるのかなんてこと、私が知る由もないけれどね。」
実花が明菜の代わりにだろうか。妙にわざとらしい言葉を口にして、フゥッと息を漏らした。
確かに、実花が言うように二人の間には色々な思いがあるのだろう。そして、この中で一年生のときに二人と同じクラスで、夕人とも関係が深かった実花ならばなんとなく察することができる何かがあるのかもしれない。
「そりゃ、実花ちゃんはいろいろ知ってるでしょうよ。」
「いや、実は知らないんだよね。たぶん、あたしは事実くらいのことしか知らないわ。だって、いろいろな話をする前に転校しちゃったもんね、明菜。」
小町の納得がいかないと言った口調の言葉を受け流しながら、実花は明菜にそう言葉をかけた。
「そう・・・だね。私は、自分が転校するっていうことをほとんど誰にも伝えてなかったから。」
あの頃のことを思い出しながら話しているのだろう。明菜の顔に笑顔はなかった。
「なんで?どうして内緒にしていたの?」
まるっきり納得がいかない様子の小町をよそに、茜が優しい口調で問いかけた。
「そうだね。どうしてそんなことをしちゃったんだろう。今にして思えば・・・ううん、あの頃もそう考えたことはあったの。」
ゆっくりと話し始めた明菜を見ながら、何かを口にしようとした小町を茜が無言で制した。それは『話はちゃんと聞かないとね?』と小さな子に諭しているお姉さんのような感じで、小町も渋々それに従った。
「ちょっと長くなっちゃうかもしれないけれど・・・それでもいい?」
明菜の言葉に反対する子は誰もいなかった。
その後、明菜はゆっくりと二年前のことを語った。
夕人に対して抱いていた想い。はじめの頃は変な人、怖い人だって思っていたこと。それからいろいろあって好意をもつようになったこと。そして、その矢先に父親に転勤するということを伝えられたことなど。
二年前の事を知る環菜や実花であっても初めて聞く話だった。そう、知っているのは親友である砂川さんだけだったであろう彼女の秘密。
誰も、何も言えなかった。話が始まる前には大騒ぎをしていた小町でさえ、湯船に顔を半分沈めながら黙り込んでいた。
「そうね。でも、結局は私がずるかったの。夕人くんと楽しい時間を過ごしたかったから。あえて伝えるようなことはしたくなくて、それで、あんなことになっちゃった。」
自分のことを今でも許せないのか。明菜の顔に笑みはなかった。
「うーん。」
腕を組みながらそう口にしたのは茜。彼女は明菜の話をジッと聞きながら、一人頷いたり顔をしかめたりしていたのだった。
そして、何か思うところがあるのか、未だに湯船に入っていない明菜のもとに歩み寄って声をかけた。
「辛かったよね。でも、もう、いいんじゃない?ね?だから、ちゃんとオフロに入ってあったまろ?風邪、引いちゃうよ?ね?もう、誰も責めてなんかいないよ。環菜ちゃんだって夕人くんだって。もちろん、翔くんや砂川さんもね。だから・・・泣かないの・・・」
声を出さずに涙を流していた明菜の肩に手を置き、そして、湯船に誘った。
「うん・・・でも・・・私にはこうやってみんなと一緒にいる資格があるのかって考えちゃうの・・・」
茜に腕を取られながらも立ち上がれない明菜に対して、小町が大きな声で話しかけた。
「資格とか何言ってんの?意味わかんない。そんなの、誰もわかんないし。でも、ここにいるんだから、それで良いんじゃいの?もう・・・何いってんだか。わっけわかんない。」
湯船から勢いよく立ち上がり、そして大股歩きで明菜のもとに歩いていき、茜が掴んでいない方の腕をとった。
「つめたっ。何やってんのよ。せっかくの温泉なのに。さ、さっさと入るっ。」
「・・・ありがとう、小町ちゃん。」
明菜は泣き笑いを浮かべながら小町の顔を見た。
「う・・・いや、かえってごめん。私が余計なことを聞いたかも。」
「あー、それはその通りだねぇ。誰もが言いたくないこととか、秘密にしたいことがあるからねぇ。」
まるで自分は無関係だと言いたげにそう口にして実花がゆっくりと湯船から立ち上がった。
「悪かったってば。私が悪かったって。そう言ってるじゃない。」
小町は口を尖らせるようにして実花の方に向き直った。
「小町ちゃんが悪いんじゃないよ。いつかは話さなくちゃいけないって思うことだったから。」
「でも・・・」
「ほらほら、二人共話てちゃお風呂に入れないじゃない?ここは一旦、このお話は終了して。ね?」
茜が笑顔を浮かべてみんなの顔を見回して言った。
「明菜はね、すごく優しいから。」
環菜がポツリと呟いたのがみんなにとっては印象的だったのかもしれない。
誰もが何も言わず、誰かに言われたわけでもないのに湯船に集まった。そして、それぞれが思い思いに明菜に声をかけたのだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます
あの日の話です。
今まで語られていなかった環菜と明菜のやり取りです。
実は『虹色ライラック』の最後に描かれているシーンではあります。
明菜の話を聞いて、みんなそれぞれ色々な事を考えたのでしょう。
過去の出来事は変えられないのなら、せめて今を良くしていきたい。
誰しもそう思うはず。
経験から活きることってたくさんありますよね。




