変わっていく日常
東山さんが帰ってきたことで、夕人を取り巻く環境が急激に変わっていくはずです。
彼女は一年生の秋、父親の転勤に伴って栃木県の宇都宮市に転校したんだ。
俺は彼女に恋をしていた。
大好きだった。今でもハッキリとそう言える。
二年前のあの日、俺は彼女の告白をして、そしてフラれた。
俺にはその理由を彼女から直接聞くことができなかった。フラれたことが理由で気まずくなってしまって俺が距離をとってしまったからだ。そして、そのまま話をすることもなく彼女は転校してしまったんだ。
彼女が転校したことを知ったのは、まさに転校してしまった日だった。
彼女は本当に親しい何人かの友人にだけその事実を伝えていなくなった。もしかすると彼女は俺にもそのことを伝えようとしていたのかもしれない。けれども俺は・・・自分のエゴを押し通してしまったことで、彼女の顔を見て直接話す機会を永久に失った。
今でも馬鹿なことをしたと思っている。
あの頃に戻れるのなら、すべてをやり直したい。
そう、本当にそう思っていた。ついさっきまで。
でも、今、俺の隣には東山さんが座っている。
本当に不思議なめぐり合わせだと思わずにはいられない。
札幌に戻ってきたばかりの彼女は、まだこちらで使っている教科書を持っていない。今は俺の教科書を一緒に見ながら授業を受けている。
教科書を見つめながら軽く髪をかきあげている彼女の様子を見ていると、二年前に戻ったような錯覚さえ感じてしまう。
「ん?どうしたの?」
俺の視線を感じたのか、東山さんが小さな声で聞いてきた。
「あ、いや・・・なんでもない。」
言えるかよ。授業中に昔のことを思い出していただなんて。そんなことをさ。
「そう?あ、そうだ。今でも杉田くんが一番の成績なの?」
俺にだけ聞こえるくらい小さな声で尋ねてきた。
「あぁ、ぶっちぎりだよ。追いつける気がしない。」
「へぇ、スゴいんだね。竹中くんは?どうなの?」
「ん・・・ま、アイツには及ばないけれど頑張ってはいる、って話はあとにしようよ。」
小声でとは言え今は授業中だ。死語は・・・じゃない私語は良くないよな。それに彼女と話していると楽しくなってきてしまうんだよ。参ったなぁ。
「ん、そうだよね、ごめんね。」
「いや、いいんだ。」
なんだろう。東山さんの笑みを見ていると、とてもいい気持ちになってくる。
「あ・・・あのさ、良かったらなんだけれど・・・」
自分から私語はやめようとか言っておきながら、なんという意志の弱さ。
「なぁに?」
軽く首を傾げながら俺を見つめているその目に引き込まれそうになる。本当に、二年前と変わってないんだよな。いや、見た目とか、そういうことじゃない。東山さんというその存在がっていうことだ。
「良かったら・・・その・・・」
「こーら、竹中。何をグダグダ喋ってる?」
しまった。見つかっちまったか。いや、見つからないわけがないんだよな。
「あー、すいません。ちょっと・・・」
「ふーむ、久しぶりに東山さんと話すことができて楽しいのはわかるけれど、話がしたいなら休み時間にしておけよ。」
一時間目は担任の竹原先生の授業。お叱りのお言葉と同時に教室に笑いの渦が巻き起こる。
「まぁまぁ、竹原先生。そうは言ってもやっぱり話したいものですって。」
小町がフォローにはいるようにそう言ったものだから、余計に大きな笑いが巻き起こる。クソ、恥ずかしいな・・・
「ん、まぁ・・・そうだよなぁ。だが、今は授業中だっ。わかったな?いいか?竹中。」
「はい・・・すみません。」
肩をすくめるようにして頭を下げる。そしてチラッと隣の東山さんに目線を向けると、彼女も笑っていた。その様子を見て自然と笑みがこぼれてきてしまう。
「さぁ、続けるぞ。このあたりは受験でも大切なところだからな。」
そう、受験だ。そんな大きな問題が俺たちの目の前にはあったんだ。すっかり忘れそうになっていたけれど。
教室内には尚も笑いが残っている感じだった。まったく、クラス全体の仲がいいというのも考えものだよなぁ・・・
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昼休みも放課後も、帰ってきた東山さんの周りには人だかりが絶えなかった。それだけ、彼女の人気があったってことなんだろうけれど、ある意味で俺は不満を抱えることになった。だって、隣りにいるにも関わらず話をする機会がないんだから。
砂川さんも昼休みにやってきて、珍しく感情を爆発させていたな。『あきー』なんて言って抱きついている姿は、あの冷静な砂川さんとは思えないくらいだった。でも、砂川さんも知らなかったのかな?東山さんがこっちに戻ってくるってこと。
「はぁ・・・」
そんなことを考えていたら勝手にため息が漏れた。ついさっきようやく彼女を囲む人だかりが減ってきたというところに竹原先生がやってきたんだ。そしてそのまま先生に連れ出されて進路相談なんていうものに向かってしまっていた。
「夕人、ちょっといいか?」
俺に話しかけてきたのは翔だ。こんな声のかけ方をしてくるのは翔じゃなけれは足草くらいのものだからな。
「いいけど?どうした?」
「いやぁ、びっくりしたな。まさか東山さんが帰ってくるとは思いもよらない。」
そう言いながら俺の正面の席にこちらを向きながら腰を下ろした。
「いや、全くだよなぁ。本当にびっくりしたぞ。」
「な。本当にこの世の中は読めないぜ。」
読めないって。それは至って普通のことだろう?そう簡単に色々と読めていたら人生が楽しくなる・・・のか?どうだろう。逆なのか?
「そうだな。」
「ところで。大丈夫なのか?」
「なにが?」
「何がってお前・・・」
わざとらしく深い溜め息をついてみせる。そして、あたりを確認するかのようにキョロキョロしてから、声のトーンを一段下げた。
「そんなの決まってるじゃないか。今でも好きなんじゃないのか?」
「・・・」
「答えたくないのか?」
「いや・・・そういうことじゃないんだけれどさ。なんだろう、あまりに急なことだし、それに、やっといろいろな気持ちに整理も付いたところだったんだ。」
俺は自分自身の正直な気持ちを翔に話した。本心を話せるのはコイツくらいしかいない。そして、キチンと聞いてくれそうなやつもコイツしか知らないんだ。
「気持ちに整理ねぇ。そんな本棚の整理をしているみたいに簡単に片付くもんじゃないだろうさ。と俺は思うね。」
本棚って、面白い例えだな。でも、わかりやすい。こっそりと棚の後ろに見られたくないものを隠したりするんだよな。
「そりゃそうだけれど。でもさ、いつまでもダラダラとしてるって訳にはいかないだろ?」
未練とでも言えばいいのだろうか。そういったものがなかったなんてことは言わない。中途半端に終わったあの時の気持ちに自分が勝手にケリを付けたと言えばいいのだろうか。わからないけれどさ。
「ダラダラ?そうか?そうでもないだろう。お前なりにきちんとやってきたんじゃないのか?だって、あの時のお前は見ちゃいられないくらいに落ち込んでいたからな。よく復活できたと思うよ。」
そう言われても嬉しいというよりは恥ずかしいなっていう気持ちのほうが強くなってくる。
「まぁ・・・あの時は環菜のおかげもあって立ち直れたのかもしれないな。」
「そうかもしれないな。でもさ、茜や小町の存在も大きかっただろ?たぶん、実花とかもさ。色々話を聞いてくれていたじゃないか。それに砂川さんもさ。」
そうだ。今の俺はみんなのおかげでこうしていられると言っても過言じゃないくらいに助けられて、たくさん助けれてこうしていられるっていう感じだ。翔の言うとおりだ。
「そうだな。」
俺の表情を伺いながら一言一言を考えているようにして翔は話を続けた。
「あのさ、俺、こう思うんだよ。」
「ん?」
「お前には環菜が似合っているのかもって。でも、実花は違うんだ。小町が夕人には一番あってるって。」
「な・・・」
何の話だ?いきなりそういう話題を振ってくるのか?さすがは翔ってとこか?
「いや、とりあえずは聞いてくれよ。夏くらいに実花と二人で話したことがあったんだ。まぁ、他愛のない話だぞ?で、そういう話になってたんだけれど、それはあくまでも東山さんがいないっていう前提での話だった。」
それはそうだろう。彼女が戻ってくるだなんて誰が予測できたっていうんだよ。もし、予測できていたのならそれは神とかそういう存在になるんじゃないか?
「えーっとなぁ?その、なんだよ、俺がお前たちの会話に出てきているのか?なんか恥ずかしいな。」
話の論点をずらそうとして、露骨に話題を変えようとしてみたのだけれども、翔には通用しなかった。
「話を逸らすなよ、気持ちはわかるけれどさ。でな?これはお前だけの気持ちで決まるようなことじゃないさ。あの子が今どういう気持ちでいるのか。それも大事だよな。」
そう言って翔がいきなり席を立った。
「どうした?」
「戻ってきたぞ。ま、よろしくやってくれ。」
そう言って軽く右手を上げ、東山さんに声をかけて翔は帰っていった。
いやいや、よろしくやってくれって言われてもなぁ・・・
「はぁ・・・やっと開放されたよ。」
そう言って東山さんは自分の席に腰を下ろして、クターっと机の上に突っ伏してしまった。その右手にはなにかの紙切れが握られている。
『やっと』とは言っても十分位のものだろう?そんなに長い時間だったとは思えないけれど。
「はは、おつかれ。でも、そんな長い時間じゃなかったよ?」
「そう?でも、疲れた。」
突っ伏したままそう答える彼女。教室にはまだ何人かのクラスメートも残っている。こんな環境では翔が言っていたような話なんかできないよ。
「ど、どんな話だった?」
当たり障りのない話でもしなくちゃ。そんなことを考えながらとにかく話のネタを振ってみた。
「もちろん進路の話だよ。はぁ・・・向こうでも頑張って勉強していたんだけれど、こんなもんかなぁって思っちゃった。」
そう言ってすぐにガバッと体を起こして俺の顔をジッと見てくる。
「こんなもんって・・・どういうこと?」
「あのね、私の成績だったらこのくらいだって。」
そう言って何かの紙を見せてくる。そこには高校名と合格平均点が記載されているようだった。多少興味のある内容だけれど、塾でも何度か見ているような内容だろう。
「このくらい?」
「うん、竹中くんだったらどこでも選べると思うけれど、私はだいたいこのくらいだって。」
そう言って指を指してきたのは東高。黄色のマーカーで印がつけられている。ここって中々のレベルだと思うんだけれど?っていうか、すごく成績伸びたんじゃないのか?
「え?だって、すごい成績上がった?ほら・・・あの頃は・・・」
「もっとバカだったって?」
そう言いながら彼女はフフフと小さな笑い声を上げた。
「いや、そうは言わないけれどさ。」
「いいの、その通りだから。私ね、頑張ったの。いつか、ちゃんと竹中くんにあってお話できるようにって。おんなじ学校にも行けるようにって。高校は無理かもしれないけれど、大学とか・・・ほら・・・」
そう言ってプイッと目をそらされた。
「え・・・いや、ほら、話だったら手紙でも出来てたじゃないか。」
「そうだね。うん、その通りだね。でも、やっぱりちゃんと会って話をしたいじゃない?顔を見て、きちんと話をしたいじゃない?あの時みたいに中途半端になっちゃうのはイヤじゃない?」
なんだよ。急にそんな・・・待ってくれよ。どういうつもりでそんな二年前のことを?
「あの時は・・・ごめん。俺、なんて言ったら良いのかちゃんと話をしようとしないで、本当にごめん。」
やっと言えたってことになるんだろうな。彼女への謝罪の言葉。そして気持ち。これから何がどうなっていくとしても俺にとっては大きな区切りになるに違いない。
「わたしこそ、ごめんなさい。手紙なんかじゃなくって、ちゃんと言うべきだったって、ずっと思ってた。」
「そんなこと、ないよ。俺だって同じ立場だったら・・・言えなかったかもしれないし。」
「うはー。竹中と東山さんがいきなりいい感じだべ?」
教室の対角線上から足草の声が聞こえてきた。うざい。こんなにもうざいと思ったのは久しぶりかもしれない。
「足草っ。うるさい。ちょっとこっち来いっ。」
そう大きな声を上げてうるさい足草を教室から引っ張り出していったのは小町だった。小町が教室にいたのか・・・全然気がついてなかった。
「あ、なにをする、青葉・・・さては・・・俺に恋してるべ?」
「死ねっ、あんたに恋するくらいなら電柱と恋を語るわっ。」
スゴい言いぐさだな・・・足草よ。お前の恋は成就しそうにもないな・・・恋をしているのかは知らないけれどな。
「えっと・・・青葉さんだっけ?なんだかすごいね。」
目を丸くして小町と足草のやり取りを見ている。確かにあの光景は呆気にとられるものがあるよなぁ。
「あぁ、青葉小町っていうんだ。小さいけれどいい子だよ。」
そう言えば小町とは一年生の時に違うクラスだったからあんまり面識はないのかな?
「そうなんだね。うん、竹中くんがそういうんだから、きっと良い人なんだろうね。」
そうだ。東山さんと話をしていて漠然とあった違和感。それは呼び名だ。最近は名前で呼ばれることに慣れていたから、名字で呼ばれると少し引っかかるような気がするんだ。
「あぁ、良いやつだよ。学校祭の時もいろいろあってさ。」
「うん、私も色々あったんだよ。二年間の間。」
二年間。なんだろう。すごく重たい言葉のように思った。
「そっか。そうだよな。色々と聞かせてよ。俺も色々と話したいし、話を聞きたいよ。」
「いいよ、もちろん。」
そう言って浮かべた笑顔はどことなくさみしげに見えたのはどうしてなのだろう。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
うーん、東山さんは今、どういう心境なんでしょうね。
戻ってこれたことが嬉しい?
会えたことが嬉しい?
もちろん、その気持ちはあるでしょうけれど、他にもいろいろと思うところはあるのでしょうね。




