ローザとグレーシア
二人共日本人なんですけれどね。
よくわからないまま手を引かれて学校に連れ込まれ、そして暗いところに連れて行かれた。
なーんて、こんな言い方したら私、とんでもないことに巻き込まれたみたいよね。
うん、ある意味で正確なんだけれど、意味深に言ってみただけ。
もっと適切に言い直せば、グレーシアさんに手を引かれて学校内に入って、そしてまだ学校祭のイベントが進行している体育館に一緒に行ったの。そして、体育館にある体育教師準備室にいるわけ。
不思議なことにここに先生はいなくて、窓には黒い布が張られている。とはいっても体育館が見渡すことができる方の窓と外が見える窓の二か所。ステージが見える窓には何も張られていない。
「さーて。ちゃんと話をしよっか。えっと、ローザちゃんって呼んでもいい?」
そのグレーシアさんの言葉が合図だったかのようにスーツ姿の男の人達は部屋から出ていった。
えっと・・・ローザちゃん?ってか二人っきり?なにこれ?どういう状況?色紙持ってくればよかったっ。サインとかもらえたのにっ。いやいや、そうじゃなくって。サインもらうよりもずっとすごい状況じゃない?これって。
「ダメだった?」
グレーシアさんが悲しそうな表情を浮かべている。私の返事が遅いからだっ。
「あ、いえ、そんなことないでふ。」
やべっ、噛んだんですけどっ。恥ずかしいっ。
「そう?だったらローザちゃんって呼ぶね。私のことは・・・なんて呼びたい?」
スルー?
噛んだことは完スルー?
それはそれでツライですけれど?
どうせだったらがっちり突っ込んでくれたほうがありがたいんですがっ。
「えっと・・・グレーシアさんで・・・」
あぁ、素直に返事をする私。なんて素直なんだろう・・・もっとほら、別の言い方もあるでしょう?ちゃんと丁寧な口調で話すとか、いや、その前になんで私の名前を知っているのかとか、夕人との関係とか。いや、関係って・・・は?もう、イヤだ。わけわかんないよ・・・
「うん、じゃそう呼んでね。さぁ、あんまり時間はないけれど、どうして私がローザちゃんのことを知っていたのか。どうしてここに連れてきたのか。そのことを話すね。聞いてくれる?そんなに緊張しないで・・・ね?」
そう言って素晴らしい笑顔を浮かべるグレーシアさんを見ると『うっわ、芸能人ってすっげぇ。』って思っちゃうわ。
「は、はい・・・」
「うーん、ま、仕方がないかぁ。私も急に知らない人に名前呼ばれて手を引っ張られたら・・・あれ?それってほとんど犯罪じゃない?」
グレーシアさんが驚いたような表情を浮かべたのが演技なのか、私の緊張をほぐそうとしているのか。それは全然わからない。ただ、芸能人スマイルに圧倒されているだけだったし。
「うーん・・・ダメかぁ・・・仕方がない。そのままでいいから聞いてくれるかな。順を追って話すからね。」
明らかに落胆の表情を浮かべるグレーシアさん。私、そんなに変な反応していたのかなぁ。だって、どうしたらいいのかわからないもん。
「はい・・・」
「よしっ。えっとね、私がローザちゃんの名前を知っているのはこの学校の生徒会副会長の竹中くんに話を聞いていたからだよ。名前とそれから見た目の特徴とか。」
笑顔を浮かべてそう言われてもねぇ?更に意味がわからない。ちょっと待ってくださいますか?私、結構バカなのよね。いや、でも、言ったほどはバカじゃなかったと思う。うん、きっとグレーシアさんの説明がめっちゃ端折ってるからよ。そうよ。よし・・・ちゃんと聞いてみよう。うん。
「あの・・・」
あれれ?私、思った以上に緊張してるっていうか動揺してる?なんか言葉が出てこないよ。
「ん?なにかなぁ?」
グレーシアさんの笑顔がとっても眩しい。眩しすぎて直視できないですっ。
ってそうじゃなくて。ちゃんと話さないとね。ふぅ・・・よし、今度こそ。
「どうしてここに?」
じゃなくってっ。
主語とか目的語とかっ、そういうのが全然わかんないでしょうよ、これじゃ私が言いたいことがまるで伝わらないじゃないの。
「えっと・・・グレーシアさんはなぜにここにおられるのでしょうか。そしてなぜゆえに夕人のことを知っているのであられますか?」
ダメだぁ・・・私、完全にアホの子だと思われたぁ・・・
思わず俯く。そして、顔が真っ赤になっていくのがわかる。恥ずかしいよぉ。
「緊張してる?」
「してますっ。」
顔を上げて大きな声で返事をする。
なぜここだけはっきりと言えるのか、私。
「そりゃそうだね。うん、じゃ、一つずつ話していくから聞いていてくれるかな?」
グレーシアさんは笑顔を崩すことなく私の顔をジッと見ていた。また顔が赤くなってくるのがわかる。
「はい・・・」
「うん。えっとねぇ。日之出が丘中学校は今年で開校三十周年だよね。それでサプライズな演出をしたいって事になったみたいなの。それでね、そのサプライズっていうのが私なの。さっきも言った竹中くんね。彼が企画したみたいで事務所に電話があったのよ。中々勇気のある子だと思ったわ。普通なら・・・まぁ、無理よね。大学とかならともかくとして中学校の学校祭で芸能人を呼ぶなんてね。でも、そうねぇ。こんな言い方はズルい大人の言い分みたいだから嫌だけれど、利害が一致したってところかな。だから私は午後からのサプライズイベントに出演するの。それに実を言うと竹中くんとは面識があってね。えーっと私、北海道出身なの?知ってるかな?」
グレーシアさんの言葉を聞きながらコクコクと頷くことしかできない私だったけれど、グレーシアさんは満足そうに笑みを浮かべて話を続けた。
「それでね?お仕事の関係でとある企業にいろいろと良くして頂いているんだけれど、そこの社長さんの息子さんと竹中くんがお友達でね。そういう繋がりで知り合いっていうか、面識があるっていう感じなの。そして、ローザちゃんが学校祭に来るっていう話も聞いたんだけれど、ほら、部外者って基本的に入れないんでしょう?学校っていうか・・・なんて言ったっけ?」
「学内行事・・・ですか?」
私の言葉にグレーシアさんは両手をパンッと打って右手の人差指を私に向けてきた。
「そうっ、それっ。学内行事よっ。それで、そうそう・・・もしローザちゃんを見かけたらこっそりと中に導き入れて欲しいって頼まれたの。」
このグレーシアさんが嘘をつく必要なんてあるのだろうか。なんとなくモヤモヤする。
そう、これは違和感ってやつ。いくら夕人に頼まれたからって芸能人の人がただの中学生の意見を聞いたりする?それに学校祭に来たりするの?何か変な感じがするんだけれど。これって私がおかしいの?
「・・・納得出来ないって表情ね。」
グレーシアさんに看破されちゃった。私、そんなにすぐに顔に出るの?そう思って両手で顔を押さえたのが失敗だったみたい。
「そうよね。今の仕草で確信した。」
グレーシアさんは相変わらずの笑みを浮かべたまま私の表情をじっくりと観察している。私は声も出ない。緊張とかそういうことじゃなく、いまいち納得できないこの状況を全然理解できないからだった。それにモヤモヤする感じ。そう、言うなれば不信感とでも言うものかもしれない。
「ふぅ・・・さすがローザちゃん。夕人くんの彼女さんだけあるね。頭もいいし、可愛い。」
「ふぇ?」
な、な、な、なに?今なんて?夕人くんの彼女さん?なんで?ちょっと夕人っ、どういうことなのよっ。説明しに来なさいっ。
って心の中ではすっごく喋っているけれど現実には無言。というよりも訳の分からない声が漏れただけ。私って・・・
「ローザちゃんには全部話そっか。でも、いっぱい内緒のこともあるからね。きっとローザちゃんなら大丈夫だと思うけれど。」
片目を閉じながら右手の人差指を口の前に当てて『ヒミツよ?』と口にしながら私に顔を寄せてきた。
「ヒミツ?」
「そ、ヒミツ。今はまだ。そしてこれからもヒミツっていうこともあるよ。」
どういう気持ちでそんなことを言うのかわからない。どうして会ったばかりの私、見ず知らずの人間と大差ない私にそんなことを言えるの?
「無理ですっ、そんな話は聞きたくないですっ。」
だからね、私、そう答えたの。間違ってないでしょう?
「どうして?みんな芸能人のヒミツって知りたがるよ?」
わざとらしく目を丸くして私を見つめてくる。全てを見透かされてしまいそうな目だと思った。
「守れる自信がないから・・・ヒミツを。だって、どうしても友だちに話したくなっちゃうから・・・」
私の言葉にグレーシアさんは目をさっき以上に大きく見開いた。
「なるほど・・・うん、ローザちゃんも正直な子なんだね。うん、じゃ、ヒミツだけれど漏れちゃってもあんまり問題のないこと。時間差で今日のサプライズで話すからね。私はここの出身なの。それにね、さっきの社長さんの息子さんっていうのは杉田翔くん。この学校の生徒会長さん。そういう繋がりがあったの。なんかこうやって言うといやらしい話みたいだけれど、事実だから仕方がないのよ。」
腕を組んで軽くため息を漏らす。
「えっと・・・ちょっと混乱してて・・・」
「そうね。とにかくわかって欲しいのは私と夕人くんは知り合いってことよ。誤解しないで聞いて欲しいんだけれど、知り合いって言うよりはもうちょっとだけ仲がいい感じかな。まぁ・・・遊びに行ったりとかそういう仲がいいっていうのじゃないけれどね。」
うーん、生徒会長の杉田は確かに夕人の親友という存在だろうし、そんな関係があったならこうやって芸能人とのパイプのあるのかも?そうやって納得するしかないってことなのかな?
ローザは必死に納得しようとしていたが、どうしてもストンと納得できる気がしない。
それはグレーシア、いや本名の『小暮あかり』というところあることを伏せているからに他ならない。そのことを話すこと=茜のことを話さなくてはいけなくなる。それはまだ時期じゃない。彼女の大人の計算が働いていたからだった。
「良くはわからないですけれど・・・そういうものなんだって思っておくことにします。」
「ありがと。ローザちゃんが大人の対応をしてくれて助かっちゃう。」
大人の対応、か。そうなのかなぁとローザは考えていた。けれども、確かにローザの言葉は大人の対応そのものだったことには違いがない。
「はぁ・・・」
「えっと、少しだけ話を戻すとね、ローザちゃんは卒業生だけれど学校祭中の学内に入ることは難しい。これはいいよね?」
グレーシアさんの言葉に素直に頷く。
だって確かにその通りだから。私はどうしたら良いのかわからなくなって途方にくれていた。
「だから夕人くんが気を利かせてくれた。そしてタイミング良く私たちは出会えた。そういうことよ。」
偶然の産物だ、とでも言いたいのだろうか。でも、たしかにその通りだと思う。だって、私が学校に来る時間のことを夕人には伝えていなかったし、私も決めてはいなかった。ただ、午後のイベントには夕人も出るって聞いていたから、それに間に合わせていこう。それくらいのことしか考えていなかった。
だって、今日は引っ越しだったし。時間を決めて予定を立てることなんてできなかったのだから。
「分かりました。ありがとうございます。私を中に入れてくれて。そして、夕人のお願いを聞いてくれて。」
私の言葉にグレーシアさんが今までの笑顔とは少し違う笑顔を浮かべたような気がした。それは芸能人のそれでは無く、友達同士なんかで見せるそれ。そんな気がしたけれど、やっぱり気のせい?
「夕人くんから聞いていた通りね。ローザちゃん。」
またよくわからない言葉。夕人はグレーシアさんに一体何を話したの?そう思ったけれど、意外なことに不信感は消えている。グレーシアさんの優しさみたいなものを感じることができたからかもしれない。
「それは・・・わかりませんけれど・・・」
「そうね。ごめん。とにかく、ローザちゃんはここにいてくれていいのよ。そして、午後のイベントが始まったら上手にここから出てステージを見てもいいし、ここから見ていてもいいから。それは任せる。」
あぁ、そういうことか。私は不意に気がついた。グレーシアさんがここまで信頼してくれるのは、私を信頼しているからではなく、夕人を信頼しているからなんだ、と。
「あの、聞いてもいいですか?」
だから私は聞いてみたくなった。グレーシアさんが夕人をどう思っているのかを。
「なにかしら?」
「グレーシアさんにとって夕人はどんな存在ですか?」
私の問にグレーシアさんは今まで見せなかったような表情を浮かべた。もしかしたら、この表情が芸能人としてのグレーシアさんではなく、一人の人間としてのグレーシアさんの表情なのかもしれない。
「・・・そうね。いい表現が出てこないんだけれど・・・いいかな?」
茶目っ気たっぷりのその笑顔はどこか堅苦しくて余所余所しい芸能人の笑顔ではないように私には感じられた。
「はい。」
私の言葉に一度だけ頷いた。
「・・・弟・・・みたいな感じね。」
弟。その言葉には驚きを隠せなかった。だって、今売り出し中の女性タレントに『弟』と言わしめる夕人って何者なの?そう思った。でも、分からないでもないかも。そう思う自分もいた。
「そうですか。」
だから、私もこんな笑顔を浮かべられたんだと思う。
「ローザちゃん。やっと笑ったね。」
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ローザの疑問は解決したのでしょうか。
これでいいのかわかりませんけれども、時間は勝手に流れていきます。
次回は今回の学校祭の目玉イベントであるサプライズイベントの話になります。




