決意の朝
遂に学校祭二日目です。
ですが、スタートはローザの目線からになります。
「朝・・・かぁ。」
今ひとつ調子の出ない口調でベッドから起き上がりカーテンを開ける。
明るい太陽の光が低いテンションの自分を励ましているように見えなくもない。けれど、彼女にとってそれはどうでもいいことだった。
「こことも今日でお別れ。まぁ、仕方がないけれどね。」
ため息を漏らしながら窓を開け、朝の新鮮な風を空気が少し淀んでいる部屋に迎え入れると、涼しい風とともに秋の空気の匂いを運んで来たような気がした。
「今日は学校に行かなきゃ・・・そして、私の気持ちを伝えよう。本当の気持ち。それを受け入れてくれるなら・・・」
独り言を口にして、一人右手をギュッと握りしめる。
「はは・・・私、震えてんじゃん。なによ・・・それ・・・」
自嘲気味に言ってみたところで誰かが何かを言ってくれるわけじゃない。
こればっかりは自分でなんとかしないといけないのだから。人生ってそんなものじゃない?今までだって、自分の力で・・・いや、違うかな。自分だけの力で乗り切ってきたわけじゃない。友達や先輩や両親、時には後輩の言葉に力を貰ってきたもんね。
だから、一人じゃないって、そう思いたい。
「ローザ、起きてる?そろそろ引越し業者が荷物を取りに来るわよ?」
部屋の扉をノックする音と同時に母親の疲れたような声が聞こえてきて我に返り、全開に近い状態になっている窓を締める。
「わかってるよ、お母さん。ほとんど準備はできてるし、この布団だけ片付けちゃったら終わりだから。」
できるだけ明るい声で答えたつもりだった。
今回のことでショックを受けているの私だけじゃない。今回のことというのはもちろんお父さんの逮捕のことだ。私の知らないところ、ううん、お母さんだって知らなかったところで、まさかあんなことをしてるだなんて思わなかった。いつも優しかったお父さん。それが仮面だったのかと思うと心が苦しくて仕方がない。順調に見えていた仕事も実は火の車だったらしく、借金返済のためにこの家を売ることになった。
それは良いんだ。別に家がどこになったって生きていける。家族が一緒なら・・・でも・・・
ポタッ・・・
頬を伝って流れた液体が床に落ち、顔を両手で覆ってしゃがみこんだ。けれど、彼女は声を出さなかった。だからといって涙は止まらない。声を殺していてもどうしても漏れてしまう嗚咽。それは母親の耳に届いていたのかはわからない。ただ、部屋から離れていく足音だけが二人しかいない広い家に響いたような気がした。
引っ越し作業はあっという間に終わった。それは当然だった。金目のものは全て売却したから家に残っていたのは彼女と母親の身の回り品くらいしかなかったのだから。
「ローザ・・・ごめんね・・・」
家の鍵を不動産屋に渡したあと、そう呟いたお母さんはどんな気持ちだったんだろう。
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私の家は控えめに言っても立派な家だと思っていた。五年前、お父さんが仕事で一儲けをしたと言っていたのを思い出す。その時に家族で引っ越してきたのがこの家。広くておっきくてすごく誇らしい、そんな家だった。私たち家族の誇りだった。
この家と引き換えに借金がなくなるってお母さんが言っていたのだけが救いだと思ったけれど、これからどうやって生きていくんだろう。これからはどんな時も『犯罪者の家族』として見られるのは間違いない。いや、既に学校ではその扱いをされているからよく分かる。
「私、学校辞めて働こうか。」
お母さんにそう言ったら思いっきり顔を叩かれた。初めての経験だった。
私がヤンチャなことをして男の子を泣かせた時も、試験でひどい点数を取ってきた時も、お母さんは怒りはしたけれども私に手を上げることはなかった。
「バカなこと言わないのっ。お母さんがどんなことをしても高校だけは絶対に卒業させてあげるからっ。」
そう言って抱きついてきて大声で泣かれた時、私は本当に愛されているんだって心からそう思った。
「ごめんね・・・お母さん。」
「あなたは何も悪くないわ・・・」
そう言ってくれたけれども、私立高校で推薦基準から逸脱してしまった私に学校からの支援は望めない。かろうじて今年度は授業料免除が適応されることにはなったけれど、来年度以降は無理だと思ったほうが良いだろうって担任には言われた。
校長は私のことを不憫に思ってくれたのかなんとかしてあげたいと言ってくれたけれど、それが『今年度の授業料免除』ってことに違いない。理事長から呼び出された時に皮肉交じりにそう言われたから。
私の学校で年間にかかる費用はざっと見積もって百万円。これに部活への参加費用を入れたらあっという間にすごい金額になるってことは、あんまり頭の良くない私にだってわかる。私に残された時間は少ない。その間になんとかしなきゃいけない。来年度からの公立校への編入することも視野に入れなければいけないと思っている。
「大丈夫よ・・・少しだけだけれど貯金、残ってるから、ね?」
お母さんが少しやつれた顔に笑顔を浮かべて言った言葉を真に受けることはできない。
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「ローザ、今日はこれからどうするの?」
まだお昼前の時間。公園には小さな子供を連れたお母さんたちが笑顔を浮かべて会話をしている姿があった。
「ん・・・」
「お母さんはこれから新しい家の鍵を受け取りに行くけれど。」
新しい家の場所は私も知っている。今よりは少し不便な場所にあるし、ここからは結構遠い。自転車で行くにも一時間はかかるだろう。そんな場所だ。引っ越してしまったら夕人には会えなくなると思ったほうが良いかもしれない。
「そうね、私も・・・行こうかな。」
今朝、目が覚めた時に色々と考えたけれど、改めて考え直してみるとお母さんを一人にしておくわけにもいかない。
「今日は学校祭よね?中学校の。」
そう言われてドキッとした。お母さんの顔には笑みが浮かんでいた。私の考えていることが全てわかっているかのように思えたから。
でも、だからってどうしたら良いの?学校祭には部外者は入れない様になっていたはず。いくら卒業生とはいっても例外ではないと思う。だから・・・せめて放課後に会えればと思っていたけれど、それも難しいはず。
だって、夕人は生徒会役員で、しかも副会長で、今日は学校祭で。きっと色々あるに違いないから。
「でも、ほら、中学校の学校祭ってあんまり外部に開かれてないっていうか。私、卒業しちゃったし。」
両手を広げて軽く振りながら『無理なんだ』ということを伝えようとしてみた。けれど、お母さんの顔から笑みは消えない。
「それで、いいの?」
どんな思いでそう言ってくれているのだろう。ダメ元でもいいから行ってみろってこと?それとも、なんとかしてみろってこと?
「・・・良くはないけれど・・・」
きっと私が犬だったら思い切り耳がタラーンと下がってしまっているような状態になってたと思う。そのくらい全身が脱力したようになった。
「前に言ってたわよね。夕人くんだったかしら。あの子の晴れ舞台を見たいって。それって今日のことなんじゃないの?」
軽く首を傾げながらお母さんの青い目が私の顔を覗き込んでいる。
「覚えて・・・たんだ?」
「そりゃね。娘が自慢気に話す男の子ことは忘れないわよ。」
私、そんなに自慢気に話をしていた記憶はないのだけれど、改めてそう言われるとそれが事実なのかもしれない。そう考えると顔が熱くなってくるのがわかった。
「あらあら赤くなって。ローザも可愛いところがあるわね。」
「あ、当たり前よ。私、十六歳の乙女なんだからねっ。」
「だったら後悔しないようにしなさい。今日はお母さん一人でも平気よ。ちょっとくらいなら遅くってもいいわよ。でも、あまり遅くならないうちに帰ってきなさい。」
お母さんは私の顔を両手で挟んで真顔でそう言ったのだった。一瞬、何を言われたのかわからずキョトンとした表情を浮かべてしまう。
「え?」
だからこう返事をするのが精一杯だったんだと思う。
「このカバンにね、服が入ってるの。荷物と一緒に送っちゃおうかとも思ったけれど。」
そう言いながら小さめのカバンを手渡してくる。それは私が中学の時に部活で使っていたカバンだった。
「これ・・・」
「そう、ローザの中学の時の思い出が詰まったカバン。そんな服じゃ男の子にあったら馬鹿にされるわよ?」
苦笑いを浮かべるお母さんの顔を見ていると涙がこぼれそうになった。
「おかあさん・・・」
「それにしても・・・どうしてジャージなんて着たのかしらねぇ、この子は。ここまでガサツな子に育てた覚えはなかったのに・・・」
右手を自分の頬に当てて、呆れたように溜息をつく。
ガサツって・・・引っ越しの準備をしていたら普通はこんな格好になるわよ・・・でも。そう思いながらカバンの中身を確認する。
「これ・・・」
そこには夏休み前に買った服と靴が入っていた。いつか夕人とデートする時があったら来ていこうと思っていたもの。でも、タイミングを逃したから着ることができなかったもの。いつも着ている感じの服とは違って夕人好みのもの。
「もう秋だから、上着が必要だと思ってそれも入れてあるわ。」
笑顔を浮かべているお母さんの顔をマジマジとみつめてしまう。知っていたんだ。私がこの服と靴を買ってきたこと。お母さんには話していなかったのに。
「どうして・・・」
「知ってるに決まってるでしょう?あんまり洋服なんかに気を使うことのなかったローザが、急にこんな可愛らしい服を買ってきたんだから。どういうつもりだったのかなんて、すぐにわかったわよ。」
それはヒドイ言い方だ、と思った。私だって少しくらい・・・でもないかな。夕人とデートに行くときくらいしか女の子らしい格好なんてしてなかったかも。あんまり種類も持ってなかったし。
「そっか・・・」
「そうよ。女同士だからね。」
そう言って笑顔を浮かべ続けている母親に心から感謝した。
「さ、どこかで着替えなきゃね。」
そう言って私の肩をポンと叩く。
「うん、どこが良いかな・・・」
「あんた、道端で着替えるつもり?そんなの、どこかのトイレに決まってるでしょう?」
「む・・・わかってるわよう。」
いくら私だってそこまでバカじゃないわよ。そんなことを考えながら着替えの入ったカバンを自転車の前かごに突っ込んだ。
「区役所とか、そのあたりじゃないの?」
ジッと私の顔を見つめてくる。
「どうしたの?」
「・・・考えすぎよね。」
「何?どゆこと?」
「・・・なんでもないわ。」
「?」
こんな真面目な表情で何を言いたいんだろう。色々と考えてみたけれども見当がつかない。
「良く考えて行動しなさいね。」
「へ?」
やっぱり意味がわからない。私は考えるよりも行動するほうが得意なんだもん。
「わからないのならいいのよ。」
それだけ言ってお母さんはプイッと顔をそらしたけれど、本当になんのことかわかんないっ。
「ちょっとー。」
「良いから早く行きなさい。もうすぐ十一時になるわよ?」
母親に無理やり話を打ち切られるような形になったが、彼女にとってもそれはありがたいことだったのだろう。一つの決心ができた、そんな感じに見えた。
「うん、じゃ、行ってくるね。」
その証拠に、彼女はさっきまでと打って変わって明るい声をだしたのだ。自転車に乗りながらも何度も後ろを向き手を振っている姿は微笑ましくもみえるが、いろいろな意味で危なっかしくもみえる。娘のことをよく知る母親は手を振りながらも不安そうに小さく息を吐いた。
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「う・・・どうしよっかなぁ・・・」
服も着替えて、いざっ・・・と思ったところで学校に入ろうとする気持ちが萎えてしまう。
なんと言っても今は平日の昼間。一般的に言えばローザくらいの年頃の子がフラフラと外を歩いていることは少ない時間帯だ。しかも、今日は日之出が丘中学校の学校祭。生徒たちも学内に引きこもっている状態だ。
『やっぱ、これって難しくない?無理だよ・・・なんて言ったら入らせてもらえるの?』
心の中で自分自身に問いかけてみるものの、当然だけれど答えは返って来るはずもない。一人で『やれやれ・・・』と心の中で呟く。
ここに来るまでは学校に行ってみればなんとかなるんじゃないかという楽観的な希望もあったのだけれどね。やっぱ難しいかなぁ。始めっから夕人に相談しておけばこんなことにならなかったのかも。そんなことを考えながら校舎近くの花壇の縁に腰を下ろした。
『それにしても・・・思っていた以上に静か。』
久しぶりに訪れた母校を懐かしく思いながらあたりを見回す。卒業してから一年も経っていないのに随分と昔のように思うのは、最近の出来事があまりにも強烈なものばかりだったせいかもしれない。
「変わってないなぁ・・・」
ローザがそう呟いたのも無理はない。学校というところは良くも悪くも環境が急激に変わるものではない。何人もの人間が集まって生活するのだから、いつも同じような状態で環境を維持することが求められる。特に、急激な変化を好まない日本ではその傾向が強いように思われる。それは今も昔も変わらないのではないだろうか。
「って、変わるわけ無いか。まだ半年ちょっとしか経ってないんだもんね。」
軽くため息を漏らしながら両手で顔を抑えるようにして頬杖をつく。十月も半ば過ぎ、花壇の花たちは来るべき春に備えて種を身に着けている。
「秋、かぁ・・・」
ローザが一人途方にくれている時に一台の車がやってきた。黒い大きめの高級車ではあったが、彼女にとっては比較的見慣れたタイプの車だったせいもあるのか横目で一瞥した程度で別段驚きもなかったようだ。そしてその車は教職員用玄関にピッタリと横付けしたのだった。
「ああいう車で学校に来る先生って・・・いたっけなぁ。」
ローザがそう思ったのも当然だろう。黒塗りの車は一見するとどこかのお金持ちが乗っていそうな雰囲気だったのだから。そして助手席からスーツ姿の男性が現れ、後部座席のドアを開けると黒髪の美しい若い女性が降りてきた。
「いやぁ・・・なんかこんな高級車に乗ったことって無いから驚きだねぇ。なんだか急にお金持ちの超VIPになったみたい。」
後部座席から降りてきた女性は畔上グレーシア。今売り出し中の若手女性タレントだ。映画やドラマにもちょこちょこと露出が増えてきた美貌とトークが売りの女性。一時期はその謎めいたバックグラウンドで話題になった。国籍や本名だけではなく年齢も非公開。謎多きグラビアタレントとしてワイドショーで取り上げらこともあった。
ただ、最近は自らの情報を少しずつ公開するようになり、年齢は二十歳、北海道出身ということが明かされている。ローザは芸能界に詳しい方ではなかったけれど、彼女の顔は何度かテレビで見たことがあったし、そのくらいのことは見聞きして知っていた。
「あ・・・え?畔上グレーシア?何で?」
だからこんな言葉が思わず漏れても仕方がないというよりも当然のことだといえる。ボーッとしていたローザが驚きの表情に変わり声をあげてしまったのだ。
「ん?」
その声が耳に届いたのかグレーシアがローザの方に顔を向ける。右手で髪をかきあげながらローザを見てきたその仕草は同性のローザであってもドキッとさせるくらいに美しいものに感じた。あまり流行りのものに興味がないローザとは言え、初めて間近で見た芸能人のオーラに驚いたのだ。
「あれれ?こんなところで何してるの?」
グレーシアはにこやかな笑みを浮かべてローザに声をかけてきた。
まさか自分に話しかけてくるとは思っていなかったローザはあたふたとしながらも立ち上がって軽く頭を下げ、それから改めてグレーシアの顔を見た。
整った顔立ちに優しい笑顔。一見すると日本人離れしたような容貌ではあるけれどどこか憎めない顔立ち。ただ、ローザには何か引っかかるところがあるように思った。それは『どこかで見たことがある顔』ということだった。それはもちろん茜のことだったのだけれど、彼女はグレーシアと茜が姉妹であるということを知らない。すぐに素の考えに至らなくても至極当然だった。
「あー・・・私、この学校の卒業生で・・・学校祭を見に来たんですけれど・・・友人が生徒会やってるんで。でも学校には入りにくくって。」
ローザの言葉を聞き、何かを考えるように右手を顎のあたりに持っていき首を傾げた。周りにいるスーツの男性たちが周りを囲むようにして学内に入るように促しているのを制してそのままそこに立ったまま考えている。
ローザからすると、どうして自分の言葉にそこまでグレーシアが考え込んでいるような仕草を見せるのが不思議でならなかった。
ただ、グレーシアには思い当たることがあったから考え込んでいた。
それは昨日夕人と話をした内容だった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ローザの置かれている状況を書いてみました。
なんというか、不憫の一言に尽きると言いますか。
これからどうなってしまうのか心配です。
グレーシアとローザは初対面ですね。
さて、これからの展開はどうなっていくのでしょうか。




